フェリシア・ヤップ

「ついには誰もがすべてを忘れる」

2日間記憶を保持できる「デュオ」と、1日しか記憶できない「モノ」がいて、両者の間には差別問題や格差がある。どちらも日々日記を書き翌日学習して記憶を事実とし覚えると、あとは忘れない。ケンブリッジの川のほとりで遺体が発見された。被害者の女は日記で「デュオ」で有名作家マークの愛人だと書いていた。だがマークは否定する。妻クレアは事件が発生した2日前の記憶がない「モノ」だった。そして事件を追う警部も、刑務所から出所したばかりのマリスカも大きな秘密を抱えていた。

紙の日記時代からiダイアリーに移行した現在は、紙日記は金庫に大切に保管されています。危うい世界での殺人事件の捜査の難しさが、面白いミステリにしています。夫婦のあり方も次第に変化していく様も、興味深く読みました。「記憶」が連綿と続いているものではなく、個々にとってどんなに都合のいいものかは、現実社会でも同じです。お勧めです。

ジェイソン・レノルズ

「ゴースト」

中学一年の少年キャスは三年前、酒に酔った父親に銃を向けられ、母親と一緒に家から逃げだした過去がある。父親のいない貧しい生活に引け目を感じ、周囲とも距離を置く。逃げ足の速さから自分でつけた呼び名は「ゴースト」。ある日遠くから眺めていた地元の陸上チームに入ることに。履き古したブーツでは走れないため、足首までハサミで切ってしまうキャス。それを笑いのネタにされ、学校からも逃げ出す。試着の靴を履いたまま店から逃走してしまう。それぞれ悩みをかかえるチームメートや監督との関係を通して、自分の才能、そして弱さと向き合っていくことになる。

久しぶりに児童書を読みました。まっすぐで、気持ちがストレートに伝わってくる心地よさがありました。惨めさや、後ろめたさ、嘘。それでも短距離走に向かう姿には、嘘がなくていいですね。もちろん、靴の「もめ事」はきちんと解決させます。お勧めです。

ケント・レスター

「第七の太陽 上・下」

ダン・クリフォードは、地震など想定外の自然災害「ブラック・スワン事象」の予知のため、ニューロシス社でプログラム開発に携わっている。アメリカ政府との契約が決まって喜んだのもつかの間、無理難題を押しつける社長と意見が対立。その裏に何かがあると感じつつ、休暇を取ってホンジュラスを訪れたダンは、自社の工場で不審な点を発見し、ダイビング中に死体に遭遇する。帰国したダンを待っていたのは、社長からの解雇通告と、自らが死体で発見した科学者カールの同僚、レイチェルだった。

会社が隠匿していた、海中への毒物の不法投棄を知ったダンは、謎の奇病が発生した地域に飛びます。果たして世界を救えるのか。人間社会の利害という、いつの時代もある対立が、壮大な物語になって行きます。ストーリーテラーですね。読ませます。

M・ヨート&H・ローセンフェルト

「犯罪心理捜査官セバスチャン 上下」

森の沼で心臓をえぐり取られた少年の死体。センセーショナルな事件に、国家刑事警察の殺人捜査特別班へ救援要請が出された。ヴァニャ、ウルスラ刑事たちと、かつてのトッププロファイラー、セバスチャンだった。だが自信過剰で協調性なし、捜査中でも関係者を口説いてしまうセックス依存症だ。そしてバスチャンは母親の家で見つけた手紙で、子どもがいることを知り秘かに調査もしている。雑作が進展し、容疑者を見たという高校生を突き止めるが、彼もまた殺されてしまう。

警察、名門校、友人、家族が複雑に絡み合い、嘘をついているのは誰か。それぞれの人間像がしっかりしていて、背景や表情まで見えてくる描写がすばらしいです。にやりとしながら楽しめ、テンポもよくおもしろいです。ラストの真実の強烈さが印象的です。次作も読んでみたいです。

M・ヨート&H・ローセンフェルト

「模倣犯 犯罪心理捜査官セバスチャン 上・下」

出張帰りの夫の目に飛び込んできたのは、縛られて首をかき切られた妻の死体。連続殺人。その状況は、かつてセバスチャンがつかまえた犯人ヒンデの手口に酷似していた。だが、ヒンデは服役中のはず。模倣犯の仕業なのか。ふたたび捜査チームに加わろうと企むセバスチャンは、渋るトルケルに売りこみをかけた。凄腕だが自信過剰のセバスチャンの捜査が始まる。

ヴァニャ、トルケル、ビリー、ウルスラ刑事たちから疎まれるセバスチャンは、被害者4人がすべてかつて彼が関係をした女性だと気付きます。冷静さを失いなりふり構わず、ヴァニャの母親や数人の女性に警告しますが相手にされません。ヒンデに面会にし、巧みに外部の人間を動かしている確証をつかみます。事態は更に悪化します。人間的な感情で自分をコントロールできないセバスチャンに、ハラハラさせられます。ラストは思考力を取り戻し、犯罪をかろうじて食い止めます。展開の早さもあり、一気に読ませるおもしろさです。すっかりハマりました。

M・ヨート&H・ローセンフェルト

「白骨 犯罪心理捜査官セバスチャン 上・下」

トレッキング中の女性が山中で見つけた6人の遺体。埋められて時間経過し白骨化していたが、頭蓋骨には弾痕が見つかる。早速トルケル率いる殺人捜査特別班に捜査要請が出された。ヴァニャはFBI捜査官試験にかかり切り人員が不足していた。トルケルは迷ったあげく、セバスチャンにも声をかける。家に居座ってしまったストーカー女にうんざりしていたセバスチャンは、渡りに舟とばかりに発見現場に同行する。

ヴァニャを守りたい思いに突き動かされるセバスチャンは、どうしようもないオヤジと化しています。一緒にいたい、信頼を得たいと、ついやり過ぎます。その結果がヴァニャを失望させ、さらにヴァニャの父の逮捕に繋がります。心理に明晰なのは事件だけなのですね。ということでラストはセバスチャンには最悪の状態になり、次作へと巧みに誘います。おもしろくて止められません。

M・ヨート&H・ローセンフェルト

「少女 犯罪心理捜査官セバスチャン 上・下」

一家4人が散弾銃によって殺された。近隣トラブルのあった男が逮捕されたが、証拠がなく保釈される。市長の夫で警部は、トルケル率いる国家刑事警察殺人捜査特別班を呼んだ。血痕を踏んだ小さな足跡から、現場を見たかもしれない少女ニコルにたどり着く。森の岩壁に入り込み隠れ心を閉ざすニコル。セバスチャンは少しづつニコルの心を開かせていく。ヴァニャは父母の裏切りに悩み、セバスチャンとのつかの間の安らぎを求めるが。

企業の土地買収や市政と広がりを見せつつ、繊細な少女の心を繋ぐ心理や、刑事たちのさまざまな思いや行動を網羅していきます。人の信頼や裏切られた思いが交叉する描き方が、じつにうまいです。犯人の気持ちと、それを利用しようとする人物も存在感があります。おもしろいです。ラストでまた次作への期待をかき立ててくれます。次作は本国で2015年に発刊されたと言うことですから、そろそろ翻訳が完成する頃でしょうか。発売が待ち遠しいです。

マイケル・ロボサム

「生か、死か」

オーディは、死者4名を出した現金輸送車襲撃事件の共犯として10年の刑に服していた。奪われた700万ドルの行方を知ると考えられていたため、獄中生活は常に命を狙われていた。だが、囚人たちや看守にどれほど脅されても金の在処を口にしなかった。そして刑期満了の前夜、オーディは脱獄する。翌日には自由と金が手に入ったはずなのに、いったいなぜか。

オーディは逃げながら、現金輸送車襲撃事件の真犯人を見つけ出そうとします。獄中で唯一の友人モスが釈放され、オーディを探し協力しようとします。結婚を約束したベリータ。激しい悔恨で悪夢にうなされ、何としても真犯人にたどり着こうとする執念の強さが生きる力にったのでしょう。それにしても、獄中で生き延びることの大変さ。司法取引。オーディの心理描写も、展開もうまいです。面白い作家との出会いです。

スティーグ・ラーソン

「ミレニアム1 ドラゴンタトゥーの女」上・下巻

月刊誌『ミレニアム』の発行責任者ミカエルは、大物実業家ヴェンネルストレムの違法行為を暴露する記事を 発表したが、名誉毀損で有罪になり『ミレニアム』から離れることになる。失意のミカエルは、大企業グループの 前会長ヘンリックから、40年前に失踪した兄の孫娘ハリエットの調査を依頼される。1年間の困難な調査に 取りかかり、タトゥーを入れた女性調査員リスベットの働きで事件は意外な展開を見せる。

ヴァンゲル家200年の複雑な家系図に、読むかどうか迷いましたが、途中からぐいぐい引きつけられ読んでしまいました。 意外とまっとうな展開で、キャラがしっかりしています。ミカエル以上に、リスベットがとても魅力があります。 少ない証言や証拠をもとに、推測しその裏付けをとる膨大な作業の緻密さと、意外にスピード感のあるストーリーが おもしろいです。3部作ということなので、次が楽しみです。

スティーグ・ラーソン

「ミレニアム 2 火と戯れる女」上・下巻

ミカエルは、「ミレニアム」誌の仕事に没頭している。責任者のエリカは、大手メディアグループから引き抜きの 話を持ち込まれ、承諾はしたものの心は揺れていた。だがフリーのダグとミアが人身売買組織の実態に迫ろうと していたとき、二人は殺されてしまう。一方天才ハッカーのリスベット・サランデルは手にした大金で、新居を 手に入れ世界のあちこちを旅行をしていた。戻った彼女を待っていたのは、憎しみに炎を燃やすビュルマン弁護士の 復讐の策だった。

第1部で強烈な印象を残した調査員のリスベット・サランデルを、前面に出した第2部です。ミカエルは、大事な ところでは猛然と走り出す優秀な男性ですが、彼女の前では精彩を欠いてしまいます。それはエリカなど登場する 女性たちの、個性的で境遇と立ち向かう強い意志を持った女性たちに向ける、作者の鋭さの現れかも知れません。 とにかくおもしろく、楽しめ、ハラハラし、ラストまで息を詰めて読んでしまいます。次作も楽しみです。

スティーグ・ラーソン

「ミレニアム 3 眠れる女と狂卓の騎士」上・下巻

宿敵で父であるザラチェンコと対決したリスベットは、相手に重傷を負わせたものの、自らも傷つき、 瀕死の状態に陥ってしまった。ミカエルの手配で、リスベットとザラチェンコは同じ病院に送られ、 一命を取りとめる。だが、彼女を拉致し生き埋めにしようとした 金髪の巨人・ニーダーマンは逃走して しまう。一連の事件を計画した公安警察の特別分析班は、政府の秘密の組織で、ソ連のスパイだった ザラチェンコの亡命を極秘裡に受け入れ、利用してきたことに端を発していた。明るみに出れば、 特別分析班も政府も糾弾されることになる。手段を選ばず阻止しようと動き出す。

極限状態に追いつめられたリスベットが、裁判所という最も嫌った法のもとに権利を回復していく 過程は興味深かったです。謀略スパイものから、ジャーナル、法廷闘争までいろんな要素が楽しめます。 3部作の上・下巻をぐいぐい読ませてきたのは、リスベットのキャラの力が大きいと思います。 コンピュータやネットワーク、ひいてはPDAといったデバイス類、ソフトウエアやウエブ・サービスを 使いこなした作者の力は、なかなかだと思います。ただ登場人物それぞれが納得する形で、同じシーンが 繰り返された描写が残念です。上巻だけで収まったかも知れないもどかしさでした。

スティーヴ・ロペス

「路上のソリスト」

ロサンゼルス・タイムズでコラムニストとして活躍しているロペスは、騒がしい街の路上で、2本の弦で バイオリンを弾く男と出会った。ナサニエル・アンソニー・エアーズは、ボロボロの服で大きなカートを 引いていた。コラムのネタにしようと少しづつ話すうち、かつてジュリアード音楽院にいたという情報や 有名な音楽家と時期を同じくしていたことを知る。かつてはコントラバスを弾き、その後チェロも弾いて いたが移動にはバイオリンが簡単なので、いまはバイオリンを弾いているという。その一方で彼は精神を 病んでいると思われる行動もあった。ロペスのコラムへの反響は大きく、バイオリンやチェロの寄贈の 申し込みもあり、支援施設へナサニエルをなんとか住まわせようと奔走する。妻や娘たちとの時間を削ることに 家族も理解を示してくれた。だが統合失調症のナサニエルとの関わりは、次第にロペスを変えていく。

路上のソリストのドキュメントであり、関わったロペスの心の軌跡でもあります。コラムニストのロペスが 必死に、ナサニエルの生活を助けようとするが、果たしてそれはナサニエルを幸せにすることなのか。常に ロペスは悩み、コンサートを聴きにいけるまでに回復をしてもなお、すぐ崩れ去る危うさとの共存がありました。 ロペスが次第に友人として動くうち、逆にナサニエルに学ぶことも多かったと語ります。音楽家としての すばらしさと病気の難しさを、共に生きていこうとするロペスの姿勢こそ、すばらしいと思います。 現在映画化され上映中のようです。劇場まで行くかどうかは、ちょっと迷うところです。

ラッタウット・ラープチャルーンサップ

「観光」

闘鶏に入れ込み家庭を崩壊に追い込む父と、止めさせられず家を出ていく母と、残った娘は何を見たのか。・・・「闘鶏師」

失明間近の母に、最後に見せたいと美しい海辺のリゾートへ旅行にでかけた青年を描いた。・・・「観光」

タイの作家による7つの短編集です。人生の哀しい断片を、美しいタイの風景とともに描いて います。タイの人の「本音」がかいま見える、ごく普通の現実を書かれたものです。タイの現在が かつてのの日本に重なる印象もありますが、全体を通して見えてきたものは、痛烈な現代への 「告発」かも知れません。「タイの国は能無しとガイジン、犯罪者と観光客の天国よ」という、 一文が胸に痛いです。

ウイリアム・ランディ

【ボストン、沈黙の街】

小さな田舎町の警察署長ベンは、湖畔のロッジで片眼を撃ち抜かれたボストンの地方検事補の 死体を発見した。自分の町で起こった殺人事件なのに経験不足のもどかしさから、偶然知り合った 警察OBのジョンともに麻薬組織が牛耳るボストンへの無法地帯に乗りこむ。だが、警察と組織との 癒着、さまざまな裏切りや障害、証人も次々と殺されていく。ようやく10年前の「警官殺し」に たどり着くが、とんでもない事態が待っていた。

特有の退廃的な雰囲気のボストンの街で、捜査に関わる個性豊かな刑事たちや人間関係、絡み合う 思惑を描き切り、600ページを越える割りには読みやすかったです。構成力と無駄のない伏線も うまいですね。最後まで読ませます。

バリー・ライガ

「シリアルキラーの休日」

3部作の前編という作品で、Webで公開されました。ジャスパーの父シリアルキラー・ビリーが、休暇を取る。妻が子どもを産んだことに怒り、別れたあとの休暇だった。殺人をしないはずだった。だが、ふと知り合った女が殺される。犯人を捜さないと自分が疑われると、ビリーは動き出す。

展開も「普通の人」らしく見せる行動の描写も、うまいです。不利な立場に立たされたシリアルキラーが、殺人の手口やホテルのシステムなどから推理して行く過程がおもしろいです。結末も鮮やかな逆転劇でみごとです。小品とは言え、楽しめます。

バリー・ライガ

「ラスト・ウィンター・マーダー」

3部作でついにシリアルキラーの父・ビリーを追い詰めるジャスパー。だが恋人のコリーが誘拐され、血友病の友人ハゥイーに助けられながら追っていく。捜査陣はビリーに混乱させられる。ジャスパーは、失踪した優しい母は生きていると信じていた。その母も見つけた。けれどその姿は想像を絶するものだった。殺人鬼の血を受け継ぎ教育されたジャスパーが、そちらの世界に足を踏み出すのかどうか。際どい選択を迫られる。撃たれたジャスパーを病室のベッドに手錠で括り付ける刑事たちをも、見なかったことにさせる、壮絶な闘争の最後のシーンがすさまじい。テンポよく、陰惨にならず、結末を迎えさせる力はすごい。

バリーライガ

「殺人者たちの王」

ジャズは希有のサイコ・キラーの父に施された殺人者としての英才教育を見込まれ、連続殺人犯<ハット・ドッグ>の捜査協力をニューヨーク市警に依頼される。調べるうちに、故郷で起きた「ものまね師」事件との繋がりに気づく。そして被害者の遺体に書かれた〈ゲームへようこそ、ジャスパー(ジャズ)〉のメッセージ。まさか父からの宣戦布告なのか。

高校生のジャズは、自分が無意識にあるいは意識して相手をコントロールする度に苦悩します。事件の設定の巧みさと、軽めの文章が読者が深刻になり過ぎずに読んでいけます。父への憎しみとジャズは認識しているけれど、愛憎が混沌としているようにも見えます。次回の最終作への期待を持たせるラストは、お預けを喰らったようで腹立たしいほどです。待ち遠しいです。

バリー・ライガ

「さよならシリアルキラー」

田舎町ロボズ・ノッドでは有名人のジャズは高校三年生。21世紀最悪といわれる連続殺人犯の息子だから。父は刑務所にいるはずだが、町で衝撃的な事件が起きた。指を切りとられた女性の死体が発見されたのだ。連続殺人だとジャズは訴えたが、保安官はとりあわない。事件はそれだけでは終わらず、さらに父の手口を真似た事件が続く。ジャズの確信は、幼い頃から殺人鬼としての英才教育を受けてきたからだった。認知症の祖母と暮らして世話をし、血友病の親友を大切に思い、恋人を愛するジャズは、内なる怪物に苦悩しつつも、自らの手で犯人を捕まえようとする。

恐ろしい教育を受けたジャズには、相手の心の動きを先取りして行動することもできます。けれど夢でうなされるのは、母を殺したのは自分ではないかというものです。連続殺人が展開されます。軽やかなテンポの筆致で、悲惨さが軽減されています。ジャズは冷静に分析する知性を持っていますが、苦悩する葛藤が高校生には重い荷物です。ラストもうまく、このストーリーの次の展開を読みたいと思いました。新進作家だそうです。

ジェフ・ライマン

「エア」

近未来の山岳国家カルジスタンのキズルダー村は、中国、チベット、カザフスタンに国境を接している。 先祖伝来の棚田を耕し、昔から変わらぬ生活を続ける人々が暮らしていた。中国系女性チュン・メイは、 そんな村の女性のために、町にでかけてドレスや化粧品を調達し収入を得る“ファッション・エキスパート” だった。ところがキズルダー村で、新システム「エア」のテスト運用が行なわれることになった。「エア」は 脳内にネット環境を構築し、個々人の脳から直接アクセスを可能にする新システムで、一年後には全世界 一斉導入が予定されていた。だが、テストの最中に思わぬ悲劇が起きる。

閉塞感のある小さな村の人間関係が現実的過ぎて、落差の大きい「エア」の描き方がどうもしっくり しませんでした。SFをよく読む人は楽しめるのかも知れません。胃の中に妊娠するというのも、無理すぎて やはりSFはついていけない感じでした。

ジョー・R・ランズデール

「ロスト・エコー」

子どもの頃片耳が聞こえなくなったハリーは、成長とともに聴力を回復し、同時にその場の音を きっかけに過去の事件を見えるようになった。だが口にしても誰にも信じてはもらえなかった。 大学生になり幼なじみのタリーと出会い、恋に落ちる。だが彼女の父の死にまつわる映像を見て しまい、苦しむことになる。知り合いのタッドに話し、一緒に事件を調べることになる。

聴力と過去の映像という、おもしろい設定でした。SF的要素と、ハリーの正義感で動く冒険ものと して読むか、微妙な感じです。楽しめたのですが、先がわかるので途中読むのに飽きてしまいました。 ラストは警察も絡んでの華やかな活躍です。

シャルロッテ・リンク

「沈黙の果て 上・下」

ヨークシャーの古い屋敷で春の休暇を過ごしていたドイツ人グループは3組の夫婦と子供が3人。夫たちの濃密な友人関係のもと時間は流れていた。散歩好きなイシェカが戻ると、夫と家の女主人、子供を含めた5人が惨殺死体となっていた。凶器はナイフ。楽しかったはずの休暇が一転して、恐怖に変わる。生き残ったイシェカと義理の娘。弁護士のレオン。セラピストのティムと鬱を抱えた妻のエフェリン。最近になって親戚と名乗り屋敷の相続権を主張する男。義理の娘の反抗と家出。女主人を初め、それぞれの家族が抱えていた深刻な問題が浮かび上がってくる。そして親密すぎる三人の夫たちの結びつきには驚くべき秘密があった。

支配する者と依存する者。束縛から逃れられない空気が濃密で、いたたまれなくなりました。作品は読みやすく、複雑な人間関係もしっかりと描き込まれています。ハラハラさせながらラストまで引きつけられます。うまい作家です。犯人は途中で推測できますが、独特な空気感で真実を見る難しさを感じます。それにしても三人の夫たちの秘密には、鳥肌が立ちました。後味の悪さが次作を読む気をなくさせました。

S.J.ローザン

【ピアノ・ソナタ】

深夜ブロンクスの老人ホームで、警備員が殴り殺された。警察では地元のギャング・コブラたちの 仕業と判断したが、納得がいかない被害者のおじ・ボビーは私立探偵ビル・スミスに調査を依頼した。 元警察官のビルは、中国人探偵リディアの助けを借りて、危険な潜入捜査を展開する。 だが、二人目の犠牲者が出、ビルもまた標的にされる。

意外にしっかりした構成と、たくさんの登場人物の処理もうまく、訳者のボキャが広いのも 好感度が高いです。探偵がピアノを弾くシーンは、ちょろりと出てくるだけで、タイトルにする ほどの位置づけもありません。本格的ミステリとして、おもしろいです。シリーズを読んで みようかと思わせる力があります。

S・J・ローザン

「新生の街」

新進デザイナーのデザインスケッチが盗まれ、五万ドルの現金の要求があった。お金の受け渡しの 仕事を依頼された探偵リディアは、相棒ビルと共に指定の場所に着いたが、銃撃され、金は消えて しまった。口うるさい母親や、子ども扱いする兄の心配をよそに、汚名返上のため、ファッション界に 真相を探ろうとリディアとビルは捜査を始める。犯人からは新たなお金の要求が入る。

勝ち気で健気なリディアが、粘り強く聞き込みをして行く視点からの展開は、推理もまどろっこしい です。頑張ってるとは言え、ほとんど素人レベルで無謀で、冗長な感じがします。新鮮さに欠けるのは ベテランならではの宿命でしょうか。

ジャック・リッチー

【クライム・マシン】

「この間、あなたが人を殺した時、わたし、現場にいたんですよ」殺し屋リーヴズの前に現れた ヘンリーは、タイム・マシンの説明をする。リーヴズは次第にこのマシンを手に入れれば、どんな 犯罪も思いのままになると考えた。・・・「クライム・マシン」

18の短編集です。ちょっと不思議な話なのに、巧みな展開で引き込まれてしまいます。 たっぷりのユーモアと、エスプリの利いた作品は、秋の夜長の良質の読み物として、楽しめます。

ジャック・リッチー

【ダイアルAを回せ】

15の短編集です。ひねりを効かせているし、よくできているのです。ただ読んでいるあいだは 面白いのですが、読み終わった後は印象がぼやけてしまうのはなぜでしょうか。古い殺人事件の 書類を読む刑事が、結局いたずらにかき乱さない方が、いま生きている人にとって最良だろうと、 追求をせずに終わったりします。熱もなく、毒もない、ということかも知れません。

フリオ・リャマサーレス

【黄色い雨】

アイニェーリェ村は、廃村の道を辿っていった。たったひと家族の男と 妻サビーナと雌犬が、残った。1匹だから名前をつける必要のない犬。空き家に なると、村の家が急速に壊れていく。 孤独なサビーナの心も、ついに壊れ、死を選んだ。男もまた、次第に離れた村に 食料を買いに行くことも止めてしまう。

男の語る静かな口調が、独特のリズムを刻みます。過去をできるだけ正確に、 刻み付けるかのようです。死に直面、あるいは死んだ男の側から見える、狭い 空間の濃密な空気が絡み付いてくる感じがします。生々しい出来事のはずなのに、 モノクロの映画のシーンを見るような、引いたカメラ目線の描写です。 叙情的、詩情ある、などの形容がうまく当てはまりません。1滴づつこぼれる水音を、 聞いているような、そして器から溢れ出てしまう・・・。強烈な印象です。たぶん、 忘れられない作品になるでしょう。

フリオ・リャマサーレス

「狼たちの月」

スペイン内戦時代、悲劇的な状況の中で過酷な戦いを強いられた、アンヘルをはじめ、 ラミーロ、ヒルド、ファンたちは絶望的な状況に追い込まれて行く。村を徹底的に捜索し、 彼らの家族を手ひどく尋問する治安警備隊から、逃げ続けるか殺されるかしかない。かろうじて 生き延びて、なお抵抗を続ける。だが細い繋がりを保つ、熱い家族への思いはあるものの、 葬儀にも顔を出せないことに胸は張り裂けそうになる。

内戦の一断面をみごとに切り取った作品です。「気高くて、しかもしつけのいい犬を部屋に 閉じ込めて、痛めつけてやると、犬は人間に歯向かい、噛みつく。あるいはかみ殺すかも 知れない」村人に人殺しはよくないと言われ、答えたアンヘルの言葉が印象的です。無駄の ない文章で、モノクロの映画のようです。ときどき、目を背けたくなる食料の調達や、凄惨な 戦いの生々しさだけカラーにして見せる手法で、読ませていきます。浮き上がってくるのは、 「自由」への渇望でしょうか。ただ多少内戦に関心を持ってある程度知っている者としては、 内戦の根本や歴史的背景は描かれていない点は残念です。そうなると全く別な作品になって しまうでしょうけれど。

ポール・リンゼイ

【鉄槌 TRAPS】

FBI捜査官キンケイドは毎週金曜日、傍らにボーダーコリー犬を置いたまま、ポーカーのギャン ブルにうつつを抜かしていた。そして、掛け金のため秘かにATM強盗をしていた。どうしても その暮らしから抜け出る気になれなかった。そんなキンケイドに呼び出しがかかる。1万5千人が 詰め込まれているシカゴ刑務所に爆弾が仕掛けられたという。
ガンで片足を失い義足で復帰した相棒のオールトンと組み、たどり着いたのは、3年前に娘を誘拐 されたが、3ヵ月で捜査が事実上打ち切られたツィーウ゛ェンだった。だが事件は別な顔へと変貌 していった。

新任支局長の人を見抜く力、キンケイドとオールトンの間にできていく信頼や尊敬。きれいごと ではないFBIの内部を見据えながら、人間臭い、捜査官が描かれています。展開もうまく、ユー モアがわかる力のある作家ですね。何作か読んでみようと思います。タイトルの「TRAPS」は、 罠ですよね。邦訳としてはあるのだけれど、原題の方がいいような気がします。

ポール・リンゼイ

【目撃】

デトロイトのFBI特別捜査官・デヴリンは新任の頃の輝きはなく、上司フォーバーと ピルキントンの嫌がらせの仕事をこなし、すでに昇進を目指すのを止めてしまっていた。 部下の必死の功績を、あっさりと自分の手柄としてマスコミを前に彩るのに、嫌気がさしていた。
そんな時、同僚の娘ヴァネッサが行方不明になる。警察もFBIも家出と決め、捜査は打ち切られた。 同僚の依頼で、デヴリンは気の合うリビングストンと一緒に、独自に捜査を始める。同じ頃 ギャングの家を盗聴している担当者から、情報提供者のリストが売られようとしていると、 聞かされる。

この作品はリンゼイが、FBI現職の頃に書いたものだそうです。組織の中でのアウトローや、 人間関係や地位に踊らされる心理を描くのが、抜群にうまい作家です。上昇志向の上司たちを 笑い飛ばし、自らの正義に賭ける男たちの物語です。おもしろいですね。何作か読んでみようと 思っています。

ポール・リンゼイ

【覇者 上・下】

かつてナチスがユダヤ人から没収した100点あまりの絵画が、いつか総統になる夢を持つ ゲーリングにより、国外へ持ち出された。それらは『総統のたくわえ』と呼ばれていた。戦後 半世紀がたち、年老いたドイツ系移民が、次々に殺された。事件を繋ぐ絵画を追い、FBI捜査官 ファロンは、謎を突き止めようとする。

デブリン捜査官シリーズから、離れた作品です。う〜ん、残念ながら成功しているとは言いがたい ですね。仕掛けに古さを感じ、キャラももうひとつ立ってきません。回りくどいという感じが どうしても残ります。最後のひねりの工夫は、買いますが。

ポール・リンゼイ

【殺戮(さつりく)】

懲罰的な人事でデスクワークをしているデブリンFBI捜査官。ディズニーランドで起きた ラッサ熱ウィルスの感染事件。ドラッグストアでのアスピリンへの毒の混入。旅客機爆破。 犯人はマスコミを通じて、その都度メッセ−ジを送ってきた。プロファイリングから浮かぶ 犯人像は、軍に関係したことのある白人男性。頭がいい。自己顕示欲が強い。上司にも、妻にも 内緒でデブリンは捜査を開始する。

安心して読める、デブリン捜査官シリーズです。妻の表現が言い得て妙です。「ライオンの口の 中に頭を突っ込み、いつ引き抜くか考える」さらに、犯人に近づいたときに、血が騒ぐような 興奮があることを認めるデブリン。走る続ける捜査官ものとして、成功していると思います。

ピーター・ラヴゼイ

【死神の戯れ】

聖バーソロミュー教会の牧師・オーティス・ジョイのもとを、主教が訪れた。前任教会の お金をくすねている証拠を突きつけ、ノート・パソコンに入っているジョイの辞職願いに サインさせるためだった。だが、ジョイは主教を撲殺し、汚名を残す細工をし崖から飛び降り、 自殺したと見せかけた。
教会はジョイ牧師が赴任してから、説教のうまさと、人の心をつかむ巧みさで、活況を呈して いた。不幸な独り者の牧師を、町の女性たちが放っておかなかった。だが老会計士が死んだ後、 後任に選ばれなかった男が恨みを持ち、ジョイの周辺を調べ始める。

こんなにうまく、次々と殺人を犯し、聖職者という立場を利用して、やり仰せるあたりが コメディなのでしょう。初めから犯人が分かっていながら、ここまで読ませる作者は、相当 したたかですね。証拠はないものの、噂がいつか真実の姿を見せるあたりの、描き方もうまい です。

アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレム

「制裁」

幼女殺害犯が護送中に脱走した。市警のグレーンス警部は懸命にその行方を追う。一方テレビの報道を見た作家フレドリックは凄まじい衝撃を受けていた。見覚えがある。この犯人は今日、愛娘の通う保育園の近くにいた。彼は我が子のもとへと急ぐが間に合わなかった。警察の力を信じられず、さらに反抗を重ねると考えたフレドリックは復讐を誓う。法が裁くか、私人が捌くか。法廷も揺れる。

展開の早い悲惨な事件ですが、説得力があり事件や裁判のあとまで丁寧な書き方に、共感しました。父親の思いもわかる。市民のひとつの方向に向かう怖さもある。法側の苦悩もある。囚人たちの状況や思考も伝わる。なにより父親がどうなっていくのか。読後も考えさせられる作品でした。

アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレム

「死刑囚」

ジョンは、恋人を殺し死刑囚となったが無実を訴えていた。10年あまり服役したものの、刑の執行を待たずに独房で死んだ。死刑を見届けることだけを支えにしていた被害者の遺族は、呆然とした。時は流れ、ストックホルムで起きた傷害事件で、逮捕されたシュワルツは妻子もいる男だった。名前を変えていたが、警察が調べるうちに6年前に独房で死んだジョンだとわかる。当時ジョンの無実を確信していた刑務所の看守長が、医師たちと共謀してジョンを仮死状態にし、死刑がないスウェーデンへ逃がしたのだった。

無実を叫び続けたが死刑囚となったジョンの、恐怖と死刑への絶望が胸に迫ってきます。遺族のやり場のない怒りや、何も知らず結婚した妻に、夫の過去を告げられた心情。ジョンに関わった全ての人の人生にもたらした影響は、計り知れないものがあります。ミステリの謎解きというより、壮大な人間社会の裏や表の心を描き出しています。結末はさらに引き起こすだろう冤罪を予感させます。なんともやりきれない暗澹たる気持ちになりました。

アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレム

「三秒間の死角 上・下」

麻薬密売組織の中枢まで上り詰めた、優秀な警察の潜入捜査員パウラが与えられた任務は、重罪刑務所に麻薬密売の拠点を築くことだった。法務省上層部の極秘の後ろ盾を得て、刑務所内へ潜り込み商売を始めたが、その任務を知らぬまま、入所前にパウラがかかわった殺人事件を捜査するグレーンス警部の追及の手が伸びる。刑務所内では、たれこみ屋と正体がばれ命の危険が迫る。助けを求めるが、法務省上層部は保身のためにパウラ切り捨てを決定した。

自分以外の誰も信じられない潜入捜査員パウラは、妻と二人の子のよき家庭人の顔を持っています。潜入前に妻に仕事の危険性を打ち明け、失敗した場合の身の振り方を伝えます。入念で緻密な計画と行動力のパウラが、それでも極限まで追い詰められてしまう過程の心理が、伝わってきてはらはらします。きっちりとした構成でスピード感があります。軍隊の狙撃手により撃たれるパウラのラストも、いくつも張られた伏線が最後でみごとに着地します。新しい手法はないけれど、いい書き手だと思います。

ヴィクター・ロダート

「マチルダの小さな宇宙」

ぐれたい。悪いことを片っ端からやりたい。毎日がだるくて、つまんなくて、うんざりなんだもん。マチルダの姉は一年前に 死んだ。線路に突き落とされて、列車に轢かれたのだ。それからずっと、両親はふさぎこんでいるだけで、家のなかは重苦しい 空気で満ちている。そういう日々に苛立つマチルダは、決意した。姉を死に追いやった犯人を探し出して、両親の目を覚まそう。 気が強く辛辣で繊細な少女マチルダの旅はどこへ向かうのか。

訳のボキャの豊富さ、変幻自由な言葉遣いが大変魅力にあふれていました。作者は脚本家でもあり詩人でもあるそうです。おそらく 原作もすばらしい文章なのだろうと想像させてくれます。マチルダの一人称語りだけで、ここまで自由自在に物語りを広げられる とは、すごい作家だと思います。過激なまでの発想と行動力で周囲の空気を変えていく、マチルダの心のありようも決して頑さは ないのです。人間の裏の顔と表の顔と、どちらも一人の人間だと受け入れ、なお行動せずにいられない突き上げられるような衝動。 ああ、わたしもこんな状態の時期があったと共感したり、もっとうまく立ち回れたらいいのにと焦れたりしました。 お勧めの本です。

ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト

「モールス 上・下」

母親と二人暮らしの12歳の孤独なオスカルは、学校では同級生からいじめられ、親しい友達もいない。 ある日、隣にエリという美しい少女が引っ越してきて、二人は次第に友情を育んでいく。 だが、彼女は学校にも通わず、日が落ちるまではけっして外に出なかった。その頃、体内の血を抜き取られた 少年の死体が発見され、郊外の静かな町は騒然とする。警察は儀式殺人の線で捜査を開始し、不審な男が容疑者と して浮かびあがる。

ひさしぶりの、現代の吸血鬼ものでした。スピーディな展開でぐいぐい読ませます。オスカルがいじめの ストレスを発散させようと、森で木に斬りつけるシ−ンは胸が痛いです。どうしようもない息苦しさと、一方で いじめる側の少年たちの残虐性は、吸血鬼以上の恐怖でした。吸血鬼が生きて行くための残酷さや、寂しさ悲しさが 妙に共感を覚えます。「自殺する吸血鬼が多い」という言葉に説得力があります。少年の成長物語と吸血鬼物語の 2つを絡ませたのがおもしろかったです。

ダナ・レオン

【ヴェネツィア殺人事件】

仕事のない週末。妻・パオラは出かけ、ヴェネツィア警察の警視・ブルネッティは、 のんびりと寝そべって本を読んでいた。突然訪れたのは、不動産台帳管理局のロッシという 男だった。ブルネッティのアパートが、違法建築で取り壊し命令が出るかも知れないと 告げる。その後何も起こらず、法的立場を守ってもらうための行動も起こさず、ヴェネ ツィアの時間は過ぎていった。数ヶ月後、調査官が謎の転落死をし、捜査を開始する。 一方で、息子のラッフィにドラッグ売人の容疑がかかる。平和で静かな家庭がが、次第に 殺人事件に巻き込まれていく。

書き出しの不思議な空気が、とても怪しい感じで引きつけられます。ヴェネツィアの街の 美しさと、時代に取り残されたかのような住人の人情。現れてくるひとつづつの出来事が、 事件へと発展し、絡み合っていく書き方は、独特の筆致があります。「死のフェニーチェ劇場」 の作者。

ピーター・ロビンスン

【渇いた季節】

夏の渇水で、何十年もの間貯水池に沈んでいた村が姿を現した。そして遊んでいた少年が 埋められていた人骨を発見する。骨の鑑定から、刃物による刺殺と断定。静かな村にさざ波が立っていく。バンクス警部は上部からのいやがらせにもめげず、少しづつ核心へと迫っていく。 一方で、沈む前の村で暮らしていた、若い女性グロリアのストーリーが同時進行していく。

ユーモア感覚のある会話は心地よく、好感が持てます。現在と過去のストーリーが、クロスして いく構成も破綻なくうまいです。しかし、テンポが遅く展開が遅過ぎて、途中で放り出したく なりました。ミステリーよりも、人々の暮らしや心の有り様を書きたかったのではないでしょうか。

グレッグ・ルッカ

【奪回者】

元国防総省軍曹でボディガードを仕事にしているアティカスは、ワイアット元大佐から、 エイズ治療で留守にする間、娘のエリカを守ってほしいと依頼される。相手はSAS(英国陸軍 特殊空挺部隊)だという。アティカスはブリジットやヨッシ、ディルたちと作戦を立てた。 だが思った以上に容赦のない、誘拐が行われ、アティカスたちはは危うく殺される目にあった。

なかなかハードなアクションシーンが、うまいです。父と娘、あるいは元部下との心理が描き 出されています。好き嫌いは別にしても、エリカも大佐も、存在感がありますね。訳者が相当しっかり構成を支えている、という印象を受けました。原作より、できがいい作品なのでは ないでしょうか。シリーズ物ですが、2作目を読むかと言われれば、NOでしょう。

イアン・ランキン

【紐と十字架】

警察に勤務するジョン・リーバスは、一匹狼的な仕事をする。彼に軍隊の話はタブーだった。 催眠術師の弟マイケルと話しているときだけは、リーバスは心を開くことができた。2件の 少女誘拐殺人事件が、エジンバラで起きた。地元新聞記者スティーヴンスにとっては、スクープを 取る絶好のチャンスだった。警察署にいるリーバスに、またおかしな手紙が届けられた。結び目のある紐と「手がかりはどこにでもある」という文面だった。捜査がなかなか進展しないうちに 魔の手は、娘のサマンサにまで伸びていた。

イアンのシリーズ物1作目のようです。伏線がいかにも、という張り方なのが古典的ではある けれど、なかなかの書き手だと思います。イギリスの軍隊の内情を事前にもう少し知識として あった方がわかるのかも知れませんが、軍隊の秘密がなぜ行われたのか理解できず、惜しいです。

キャスリーン・レイクス(キャシー・ライクス)

【既死感】

名前の読み方が出版社によって変わるのが、まぎらわしいです。なんとかしてほしい。 法人類学者テンペのデビュー作です。

夫と一人娘と離れ、一心に骨の鑑定の仕事に向かっていた。神学校の敷地から切断された死体が 発見された。調査をするうち、過去のケースとの類似性を発見する。連続殺人ではないのか。 だが、刑事クローデルは冷ややかで取りあってくれない。さらに、テンペの周辺に怪しい手が 伸びてくる。そんな折り、親友のギャビーが行方不明になる。

いいですね。このシリーズ。しっかりとした構成と、人物像。ストーリーは意外ということ ではなく、そこに至るまでの気の遠くなるような緻密な捜査と分析がおもしろいです。

キャスリーン・レイクス(キャシー・ライクス)

【骨と歌う女】

法人類学者テンペ・ブレナンは、警察から緊急の呼び出しを受けた。暴走族2人の遺体が運ばれ、 鑑定を依頼された。爆弾で吹き飛ばされ、しかも二人は一卵性双生児でDNAも同じで、困難を 極めた。さらに巻き込まれた9歳の少女。許せない。そんな熱い思いから、テンペは暴走族犯罪の プロジェクトチームに加わる。苦々しい目で接する担当刑事クローデルとの、確執もはねのけ 自らも犯人に迫ろうとするテンペ。

骨や血痕跡の分析などの専門的な知識をうまく、読ませてくれます。チームの人物像も、ユーモア たっぷりの会話で魅力的に描かれています。学者としての強さと、一女性としての感情を共存 させたテンペも、じつに存在感があるのです。論理的でいながら、恐怖を克服しようとする一面も 見せています。このキャラは、好みですね。シリーズで何作かあるので、読んでみたいと思います。

キャシー・ライクス

「ボーンズ 命の残骸が放つ真実」

ネイティブ・アメリカンの古い埋葬地の発掘をしていた法人類学者ブレナンは、数年前の白骨を 発見する。検視官エマと共に捜査に加わることになった。森の首吊り死体、水中から引き上げられた ドラム缶の死体からも、首に奇妙な傷があることから、連続殺人事件の様相を見せていく。ブレナンは、 別居中の夫ピートと、恋人のライアン刑事、そして治療のできない病と闘うエマと調査をしていくと、 とんでもない真実へとたどり着く。

「骨」の分析にも甘さがあり、ブレナンがごく普通の感覚の持ち主ということで、新鮮さはないのですが、 あまり恋愛に埋もれることないのは好感が持てます。ユーモアというより、皮肉たっぷりのブラック・ ユーモアに近い会話には苦笑させられます。展開がまどろっこしく、説明が長く、この分量に する必要はなかったと思われます。ラストのどんでん返しも不要だったかも知れません。酷評になり ましたが、楽しめる作家だとは思います。久しぶりに読みました。

パトリシア・ルーイン

【幼き逃亡者の祈り】

イーサンは砂漠のトレーラーハウスで、酒浸りの暮らしをしていた。3年前、5歳の息子が殺され、 愛妻・シドニーとも別れるはめになった。すべては、元CIAの特殊工作員だったことに由来する。 そんな怠惰な日常を切り裂くように、かつての同僚の女性が二人の幼い子を連れて現れ、隙を ついて、子どもを押し付けて逃げてしまう。

あとを追うと、射殺体になっているのを発見する。とすれば、息子を殺した連中が関わっていると 思われた。シドニーにも危険が及ぶだろう。さらに問題を抱えていそうな、二人の子どもの存在。 否応なく、火中に飛び込まざるをえなくなった。

体をぼろぼろにしても守ろうとする男が、別れた妻との再会シーンで見せる、微妙な心理の描き方 や、敵側の心情までも浮き彫りにする力はなかなかです。

ロブ・ルーランド

【悲しみの街の検事補】

検事補ジオは、麻薬や売春の匂いが立ちこめる、低所得者向け住宅の一室に 向かっていた。生後間もない赤ん坊を抱えた14歳のケイラが殺害されたという。 母親と姉も同居する部屋で、なにが起きたというのか。訪ねてきた男が犯人だと 母親は証言するが、何かがおかしかった。

ジオの抱える悩みや、貧困街の深刻な問題などが絡み合い、濃密な仕上がりに なっています。なかなかのデビュー作です。

ジュンパ・ラヒリ

【停電の夜に】

アメリカに住むインド、ベンガル人作家の書く新鮮な作品です。こちら も9編の作品が、時間経過の違う世界へ足を踏み入れたような感じがあ ります。
どこか、セピア色の映画に仕立てた、台詞の少ない、日常を淡々と描い ています。それが、ふとしたことでどうしようもなくひずみを修正しな ければならなくなります。しかも、断固として。

5日間午後8時から1時間が停電になるという。吹雪での故障修理のた めだという。
疲れて仕事から戻った妻のショーバは33歳、シュクマールは博士論文 の仕上げのため、自宅で仕事をしている。ふたりでクリスマスを祝う気 分にもなれない、膿んだ空気が流れている。

停電という、何をするのもおかしな状態の中で、妻は夫に、言葉を求め、 二人で食事の後始末をし、昔話をする...。ここちよいリズムと、日常を みつめる確かな視線がおもしろい作品だと思います。

ジュンパ・ラヒリ

【その名にちなんで】

インド系アメリカ人のゴーゴリは若き日の父が、辛くも死を免れたとき手にしていた本に ちなんで名づけられた愛称を、成長するに連れて彼は恥じるようになる。生家を離れ、名門 大学に進学したのを機に、改名し新しい名を得た彼は、いくつもの恋愛を重ねながら、自分の 居場所を見出してゆく。だが晴れて自由を満喫しながらも、ふいに痛みと哀しみが胸を刺す。

25年という歳月を断続的につづった物語です。ガーングリー夫妻、その子ゴーゴリと恋人や 妻を得るまでを、突き放した静かな口調で描いていながら、ピンポイントで劇的な変貌を見せ ます。あこがれの地で味わう、よそ者という疎外感を感じながら生きていく家族が、次第に 自分の深いところにあるインドを受け入れていきます。前作の重い印象があり、手にするのを ためらったのですが、読んでみて心に残るすごい作品だと思いました。

J・D・ロブ

「春は裏切りの季節」

夫のロークが所有するホテルで、名優のオークションが開かれる。その最中に、ホテルの メイドが殺される。警部補イヴは、ロークの手も借りながら捜査を始める。

ノーラ・ロバーツの別名だと知っていれば、手に取らなかったのに。ちょっとうらめしい。 ヒーローものに飽きたといっても、優秀な女警部補もパターンがあります。多作な作家らしい うまさはありますが、設定をどう変えても同じですね。幼児期のトラウマ、最高の 夫とセックス、豊かな資産、仕事を妨害するものは何もない。理想のヒロインでした。

フランセスカ・ワイズマン

「迷い子たちの長い夜」

ロンドン警視庁刑事のスモールボーンは、売れっ子モデルの惨殺死体の捜査に当たった。 だが、重要証人が殺されてしまい、捜査は行き詰まってしまった。スモールボーンは離婚歴 があり、娘とも会うことができず、愛人とも別れてしまい孤独をかみしめていた。
イギリスの片田舎で、母親とひっそりと暮らしている少年キッド。障害のため周囲の 嫌がらせを受けて育った。唯一、母だけがキッドを愛してくれた。
ホリーブッシュ教護院では、少年マークと少女ミランダは恋をし、なんとか脱出しようと もがいていた。

過去と現在、いくつものストーリーが交差して紡ぎ出される物語です。母と少年キッドが 印象的で、殺人事件以上に興味深かったです。また少女から大人への変身を遂げる時期の、 危うさ、そして生涯引きずる影。短い中に凝縮され過ぎた感もありますが。おもしろ い作家です。

ダーク・ワイル

「懲りないドクター マイアミ殺人」

マイアミの医学校の学生・ベンは生体臨床医学の知識を持っていた。昔の指導教師・ ドクター・ウェストリーから、製薬会社の内部監査を4日間することで巨額の報酬を 得られる話を持ちかけられた。

ブロードムアが投資するバイオテック社は、製薬会社の抗ガン剤を買収しようとして いた。依頼を受けたベンは自転車を止め、即金で払われた中から最高の服を新調した。

だがプロジェクトのエキスパート・メンバーたちは、なぜかよそよそしく、前任者 ドクター・ヤンの資料も見せてくれない。美人の科学者シェリルが、常にそばにい てまるで監視しているようだった。原料の発明者・ドクター・ムンはようやく一度だけ会ったが、多くを語らず、次からは逃げてばかりだった。奇妙な居心地の悪い周囲を、なんとか切り抜けようとするベンを襲う魔の手。

若くて強靭な主人公が繰り広げる、スピード感があるストーリーは充分に楽しませて くれました。少し出来過ぎのようにも思うけれど。

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