アントニオ・タブッキ

「イタリア広場」

十九世紀末、ガリバルドの祖父、プリーニオと四人の子供たちの物語だ。プリーニオは、禁猟地で密猟し、国の 監察官に腹をうたれて死ぬ。末っ子のガリバルドは、三十歳で民衆の暴動を指導しながら、憲兵になぐられ死ぬ。 その時四歳だった彼の息子は、やがてガリバルドと名を変え、ファシズムの時代を生き延びるものの、戦後の混乱の なかで悲劇を迎えることになる。

セピア色の映像の物語の進行と、シャープなカラーのシーンが切り替わります。短いショットでいながら、人と人との さまざまな関わりと強烈な言葉が投げつけられます。時間の処理がうまく引き込まれます。さらりとしているようでいて、 濃い意思と激しい感情がぶつかり合い、一家の、イタリアの歴史を作っていくのです。壮大な物語をこの短さに閉じ込め、 本を開くと同時に広がる深さはすごいです。こういう作家との出会いがうれしいです。

ダニエル・タメット

「ぼくには数字が風景に見える」

サヴァン症候群のダニエルは幼児期にてんかんを患い、コミュニケーション障害のために いじめられるが、忍耐と理解のある家族や仲間の愛情に包まれ成長していく。 20代で自立 しようと、海外のボランティアに志願し人と交流することにしだいに慣れていき、最愛の パートナーとも出会い、生活スタイルを確立をしていく。 一方で、ダニエルは数学と、数カ国語を話す語学の天才だった。通常では考えられない記憶力や 計算力を持ち、複雑な長い数式も、さまざまな色や形や手ざわりの数字が広がる美しい風景に 感じられ、一瞬にして答えが見えるのだ。てんかん基金のために円周率π2万桁以上を暗唱する イベントを自分で企画したことが、世界中の反響を呼んだ。

ダニエル本人の著書だということで、数字をどのように感じているかが伝わってきます。 数字をイメージする能力(共感覚)や、サヴァン症候群とアスペルガー症候群の説明も、 興味が尽きませんでした。人間の多様性に対する理解を深めることができました。文章が 素直過ぎて、あまりにも悪意と遠いところにいる存在で、危うい印象が残りますが、明るい 笑顔の写真を見るとだいじょうぶだろうという気もします。

テッド・チャン

「あなたの人生の物語」

地球を訪れたエイリアンとのコンタクトを担当した言語学者ルイーズは、まったく異なる言語を理解するにつれ、驚くべき運命にまきこまれていく「あなたの人生の物語」
天使の降臨とともにもたらされる災厄と奇跡「地獄とは神の不在なり」
天まで届く塔を建設する驚天動地の物語「バビロンの塔」
他8作品短編集。

言語を理解することは、存在を認めることでもあります。思い切った結末が面白い「あなたの人生の物語」
ひたすら構築して行く塔の高さは、太陽や星も下に見てしまう程。草木は下を向く。真面目に仕事をする心理がうまいです。結末はそうなるよね、という落とし所でした。「バビロンの塔」

D・M・ディヴァイン

「五番目のコード 」

スコットランドの地方都市で、帰宅途中の女性教師が何者かに襲われ、殺されかけた。この件を発端に、 街では連続して殺人が起こる。現場に残された棺のカードは、8人の殺人予告と推理された。新聞記者ビールドは、 警察から事件への関与を疑われながらも、街を震撼させる謎の絞殺魔を追う。

社内の人間関係や権力闘争も絡む中、記者ビールドは人の行動のピースを総体的に捉えて、構築する推理力を 発揮します。日常の子どもとの遊びでも、成長する力を伸ばそうとする姿勢を見せます。でも別れた妻ときっぱりと 縁を切る決断力がなく、逆に感情に任せて退職を口にしてしまうなど、性格的に切れ者ではありません。そんな彼を 理解し協力者であるヘレンは、男女の中になるまいとします。犯人を浮かばせる仕掛けなど、ミステリとしても おもしろいです。

ボストン・テラン

「音もなく少女は」

貧困家庭に生まれた耳の聴こえないイタリア系の娘イヴは、銃の代わりにカメラを武器に一瞬を撮り続ける。 母親・クラリッサはイヴの父親で夫のロメインに痛めつけられ、虐げられた生活の中でも信仰を失わず、 なんとか抜け出ようともがくが死んでしまう。そんなイヴを救ったのはドイツ系のキャンディストアの 女店主・フランだった。かつてフランは駆け落ちに失敗し、非情な堕胎手術を受けさせられた傷跡を抱えて 生きていた。クラリッサに続き、イヴの恋人のチャーリーも死んでしまう。イヴは断固として戦うことを決意する。

悲しみと不運に甘んじることない、女たちの姿が灰色の現実の中で、凛々しく、涙までも美しいです。叩き のめされる現実と恐怖がこれでもかというほど描かれ、だからなお、手話で交歓するシーンやイヴが撮った 写真などが、詩情に溢れ繊細で美しく、絵画的に印象に残ります。暴力の恐怖と痛みも、胸に迫ってきます。 我慢して、もうだめかと思われたとき、イヴが幼い少女ミミのためについに行動に出た結果に対しても、 きっちりと責任を取るラストに納得です。女性たちは弱いけれど、強いのです。とても言葉で言い尽くせない、 すごい作品です。他の作品も読んでみようと思います。

ボストン・テラン

「死者を侮るなかれ」

汚れた世界を生き延びるため、醜悪な犯罪を隠すため、母・ディーは娘・シェイを利用し、 その男を殺した。殺されかけたヴィクは奇跡的に生還するが、思いがけない周囲の糾弾に合い 警察を辞める羽目になった。十数年を経て、引きこもりのランドシャークと繋がったヴィクは、 自分を殺した陰謀を追うことになる。

犯罪と復讐と裏切り、濃縮された負のパワー、容赦ない罵倒雑言、卑語が飛び交うストーリーだが、 なぜか全体は荘厳な叙事詩を読んでいるような気持ちになりました。映像的イメージが強烈で、 走り続けるスピード感のあるキレのいい筆致がみごとです。アンフェタミン中毒の母・ディーを忌み 嫌いつつ呪縛されている娘のシェイは、お互いの喉首に噛みつくように、剥き出しの感情で反発し考え 抜きます。人間の多面性を現実に即して考えるのです。
ラスト近くの死闘の描き方は凄まじいです。母の「わたしはお前を必要としている」最後の願いの言葉が、 シェイの人生を決定づける深い意味を感じさせます。一方では真実を追い求めるヴィクと、情報提供する ランドシャークの二人の再生の物語もあります。すごい作家としか言えないです。

ボストン・テラン

「神は銃弾」

ボブは別れた妻を惨殺し、娘を連れ去った残虐なカルト集団を追った。しかも彼らの地獄から生還し、 彼らの手口を知り尽くしたケイスと一緒だった。だが次々に仕掛けられる罠で実も心もぼろ布のように なっても、吹き上がる憤怒に突き動かされ、銃弾を手に進むしかなかった。

地獄を身を以て体験したケイスが、毅然としかもあらゆる手段を考え、直感を信じ戦う姿がいいですね。 娘を取り戻そうとするボブも、次第に警官から復讐者へ姿を変えていくさまも、じりじりと胸に迫ります。 殺戮と暴力の世界はすさまじい描き方ですが、ラストに残る確かな光が読後感をいいものにしています。

ラーナ・ダスグプタ

「東京へ飛ばない夜」

東京に向かっていた航空機が悪天候で、とある国に臨時着陸した。ホテルの手配も間に合わなかった 乗客13人が空港で一夜を明かすことになった。退屈しのぎに「夜話」をすることにした。それぞれが 語る物語は、不思議な世界に誘った。

すばらしい腕を持つ服の仕立て屋と王子の話。耳かきが最高にうまい男が、新しいビジネスに誘われる 話。13話の話の魅力に引かれ、一気に読んでしまう不思議な怪しい魅力があります。生々しくそれでいて ありえない際どい物語。どれもネタバレをしたくないので、是非手に取ってみてください。お勧めです。

コリン・デクスター

「キドリントンから消えた娘」

2年前に失踪した女子高生バレリーから、元気だという両親に手紙が届いた。警察は前任者から モース主任警部に捜査を引き継がせた。モースは「バレリーは死んでいる」という直感を抱いて、 前任者の資料や証人を再調査し、仮説の検証という試行錯誤を繰り返していく。

ごく普通の失踪事件を、独自の直感と推理で難解な事件にしてしまうモース警部の性格・行動 ぶりが、作品として成立させていると思います。次々に仮説をひねり出し、披露してはあっさりと 崩れる。読者はそこを楽しめたら満足できるかも知れません。とんでもなさが、おもしろいと 言えます。

ジョン・ダニング

「 失われし書庫 」

寡作な作家・リチャー・バートンの初版本を入手した古本屋クリフは、すっかり有頂天になっていた。 ところが、その本は祖父から継承した書庫から盗まれた本だと訴える、老婦人ジョセフィンが 訪ねてきた。クリフは元警察官だったこともあり、彼女の頼みで騙し盗られたという、失われた 蔵書の探索を始める。そんなとき、古本を通して知り合ったラルストンの妻が殺された。偶然 過ぎて、クリフには単なる強盗殺人とは思えなかった。

希少価値のある古書を手にする喜びに、おそらくこんなにも夢中になるものなのかと、おもしろく 読みました。古きよき時代の、ゆったりテンポが少しまどろっこしいですが、古びたページの紙の 匂いまで伝わってくるような雰囲気があります。クリフの追求せずにいられないという性格と、 多少の毒舌にはにやりとさせられます。最後まで読ませる辺りは、正統派の強みでしょうか。

ローリー・リン・ドラモンド

「 あなたに不利な証拠として 」

キャサリン、リズ、モナ、キャシー、サラ。5人の女性警官を描く、短編集です。 しかし、短編という枠で、これほど心の深みを描いた作は、まれだと思います。 生と死の瀬戸際で、警官として生き延びるための、たくさんの選択、判断。それに 伴う行動があり、重い痛切な傷を刻みながら、彼女たちは生きていく。

12年をかけた作品だと言います。どれほどの文章を削り取ったことでしょう。 残された文章が表現するパワーに、圧倒されます。原書を読めないけれど、訳(駒月雅子)も かなり文章を絞っているのです。すべての言葉が、胸を打ちます。こんな作家も いるのですね。すごいとしか、表現できないほどの本です。タイトルのつけ方も うまいです。

リー・チャイルド

「 キリング・フロアー 上・下 」

元軍人のリーチャーは、偶然通りかかったジョージアの町で殺人容疑をかけられて しまう。殺された男の持っていたメモにあった携帯番号は、ハブルという銀行員だった。 小心者のハブルと一緒に刑務所に放り込まれたリーチャーは、あやうく殺されかけた。 誰が糸を引いているのか。アリバイが立証され刑務所から出たリーチャーは、被害者が 財務省で通貨偽造を調査していた兄だと知る。

しっかりした構成で、「理想」的なヒーローが描かれています。警察や刑務所の描写も うまいです。ダークな戦闘場面も、意図が明確で納得できます。読ませてくれますね。 2作目も読もうと思わせてくれます。

リー・チャイルド

「 反撃 上・下 」

冷静で、推理も巧み、戦う力もある元軍人のリーチャーが、事件に巻き込まれていく。 シカゴの街をぶらりとしていると、片足が不自由な洗濯物を持った女性・ホリーが、 クリーニング店から出てきた。軽い気持ちで手を貸したリーチャーは、銃を持った男たちに 一緒に誘拐されてしまう。ホリーはFBI捜査官だから大丈夫だから、逃げてくれと言う。 だが、手錠をかけられバンの後ろに転がされたまま、二人は開墾地らしい場所に連れて行かれた。 FBIの追跡と、誘拐者たちの組織のどちらの狙いが勝利するか。

2作目です。よくできたアクションストーリーです。最後のひねりまで飽きさせずに、 引っ張っていきます。二人とも訓練された戦闘能力を発揮し、それでも苦境に陥る辺りが うまく描かれているからでしょう。

アンドリュー・テイラー

「 天使の鬱屈」

夫と別れたくて、ウェンディは友人のジャネット一家と暮らすことになった。デイヴィッドと、 娘のロージー、そして父のトリーヴァーだ。痴ほうの症状らしく、トリーヴァーは男が周囲を かぎ回っていると、言い出す。ウェンディは幸い教会の図書館で、本の分類の仕事をさせて もらうことにもなった。参事司祭から、半世紀前の詩人の書簡を見せられ興味を持ったウェン ディは、その人物を調べ始めた。だが翼を切られた鳩の死骸が置かれたり、行く先々で誰かが 資料をあさった形跡を見つける。

展開がまどろっこしいのは、時代のせいではなく、作家の構成力不足でしょう。トリーヴァーの 死も、簡単に犯人が推測できるのに、あえて家族のごたごたで、長引かせているようにしか見え ません。時代背景や風俗で読ませるものもなく、途中で放り出したくなった作品です。

スザンヌ・チェイズン

「火災捜査官」

ニューヨーク市消防局の女性火災捜査官・ジョージアは、悪意のある差別に晒され ながらも、放火事件に立ち向かおうとしていた。

発火から、異常に早い建物の崩壊までの時間が気になっていた。摂氏1,600度の 超高熱火災だった。聖書の「第四の天使」を名乗る手紙が届けられ、過去にも同様の 火災が起きていたことがわかる。ジョージアは連続放火を主張するが、なぜか上層 部から強い拒否を受けてしまう。何を隠しているのか。

最初は辣腕というわけでもない女性捜査官が、核心に迫ろうとする強さに惹かれます。 一人息子をもつ家族愛をも含んで描くストーリーは、なかなか面白いものになって います。古い体質の消防局の捜査官たりの雰囲気や性格が、正確に描かれ、作品を より深いものにしています。

スザンヌ・チェイズン

「欺く炎」

火災捜査官・ジョージアは、消防士の障害年金審査を担当する医師の、焼死事件を調べていた。 ホテルのマット火災は、事故とは断定できない訝しい点があった。だが同僚も上司も、 認めようとしなかった。恋人の主任捜査官マレンコとの、意見のすれ違いにも悩んでいる。 そんなとき、親友の刑事コニーが血痕を残して失踪し、返り血を浴びた状態のマレンコが 逮捕されてしまう。

2作目です。硬質で骨太な構成と展開が、おもしろいです。火災捜査官という仕事も、興味を引かれます。 ジョージアが弱さと強さを持ち合わせ、事件の核心に迫っていきます。周囲の人間像の 描き方もシリアスですが、ラストの明るさに救われました。基本に、人間への信頼が あるように感じました。シリーズを、いくつか読んでみようと思います。

ヴァネッサ・ディフェンバー

「花言葉をさがして」

生まれてすぐに母親に捨てられたヴィクトリアは無愛想で怒りっぽく、何人もの里親の元を転々としてきた。心を閉ざした彼女が唯一信じたのは、9歳の時の里親エリザベスが教えてくれた「花言葉」だった。18歳の誕生日で養護施設を卒業したものの、お金も仕事もないヴィクトリアは公園の茂みで眠る。街の小さな花屋『ブルーム』を見つけ、ブーケを作って自分を売り込み、店で働き始める。お客が何を求めているかを察し、美しい花束を作って人々を幸せにしてゆくヴィクトリアの腕はたちまち評判になり、希望に満ちた生活を手にするかに思えたのだが。

人を信じられないひりひりとした感覚のヴィクトリアは、読んでいて心が痛くなります。すべての花言葉を覚えてからの大きな変化が起こっても尚、母親を求める切なさと、自身の罪の意識とで複雑に揺れます。絡まる人間関係をほぐそうとして裏目に出る辛さを味わい、愛する人の子どもを産む決断と子育ての絶望的な大変さに落ち込みます。それでも自力で道を切り開こうと必死にあがく姿に、とても共感しました。花の空気感が全体をやさしく包んでくれるので、読後感もよかったです。まだまだ知らないすごい作家がたくさんいるのだと改めて思いました。

マシュー・ディックス

「泥棒は几帳面であるべし」

マーティンの生業は泥棒。盗みに入る家を慎重に選び、住人の外出時間や周囲の環境を徹底的に調べて「お得意」を決め、泥棒が入ったことに気づかれないように食料品や宝石などを盗んでいるのだ。だがある日、とんでもない「事件」が発生してしまう。

軽快な展開です。潔癖症で完璧主義者のマーティンの仕事ぶりは、こういう泥棒ならいてもいいのではないかと思わせます。楽しめました。

ヨハン・テオリン

「黄昏に眠る秋」

霧深いエーランド島で、幼い少年が消えた。母ユリアをはじめ、残された家族は自分を責めながら生きてきたが、 二十数年後の秋、すべてが一変する。少年が事件当時に履いていたはずの靴が、祖父の元船長の元に 送られてきたのだ。急遽帰郷したユリアは、疎遠だったイェルロフとぶつかりながらも、愛しい子の行方を追う。 長年の悲しみに正面から向き合おうと決めた父と娘を待つ真実とは・・・。

北欧ならではの霧に包まれたかのような、曖昧な時間が過ぎていく中で、鮮やかな色彩で見せる、事件を立証する シーンの描写がみごとです。いくつものジグソー・パズルのピースがばらばらに見えていながら、パチンとはまって いく展開に、引き込まれます。ユリアやイェルロフはもちろん村人一人一人の造形も、際立ちます。心の深くに 棲む悪意が外に出たときに何が起きるのか、考えさせられます。ラストのどんでん返しはつらいけれど、現実の姿です。

アンソニー・ドーア

「すべての見えない光」

孤児院で幼い日を過ごし、ナチスドイツの技術兵となった少年ヴェルナーは、厳しい体罰と止めることができないことの呵責に苛まれながら腕を磨いていく。パリの博物館に勤める父のもとで育った、目の見えない少女マリー。博物館から貴重品を移送する際、特別な伝説のダイヤモンドは模造品を3個作り、4人がばらばらに持つことになった。ひとつを持つ父とマリーはサン・マロの叔父の家に疎開する。戦時下でも引きこもりの叔父はラジオを組み立て音楽を聴き本を読む。父が連れ去られたあと、夫人と叔父はマリーに食事をさせ、本読み聞かせラジオを一緒に聞いた。誰もが過酷な戦争のもとで必死に生きていた。街の掃討作戦が行われようとした時、二人の短い人生が交叉する。

目が見えなくても生きる術を身に付けていくマリーの繊細な感覚が、伝わってくるようです。ドイツ兵として生きるしかないヴェルナーの胸に折り畳まれた思いが痛いです。貧しく誇りにまみれた戦時下の空気があり、そこに生きる人の心があります。凄惨なストーリーなのですが、美しい叙事詩を読んだような読後感があります。すごい作品です。戦争を知らない世代にたくさん読まれますように。なにか言えない空気に覆われている現代にこそ、大切にしなくてはならないもの、必要なことがそこにはありました。

アンソニー・ドーア

「メモリー・ウォール」

老女の部屋の壁に並ぶ、無数のカートリッジの一つ一つに、彼女の大切な記憶が封じ込められていた。記憶を自由に保存・再生できる装置を手に入れた認知症の老女を描いた表題作のほか、ダムに沈む中国の村の人々、赴任先の朝鮮半島で傷ついた鶴に出会う米兵、ナチス政権下の孤児院からアメリカに逃れた少女など、異なる場所や時代に生きる人々と、彼らを世界に繋ぎとめる「記憶」をめぐる6つの物語。

全く違う近未来の世界も、中国、朝鮮、ドイツも、底に流れる色調は同じです。絶望的とも言える人の心を描きながら、ふいに開けるトンネルの先の光に救われます。もちろんばら色の人生がそこから開けるわけではないけれど、絶望からボーダーラインまで、あとは本人次第というところで突き放している印象もあります。これもまた今までにないタイプのすごい作家でした。

ゾラン・ドヴェンカー

「謝罪代行社 上・下」

新聞社をリストラされた若者クリスは、彼の弟ヴォルフ、友人の二人の女性タマラ、フラウケとともに、依頼人に代わって謝罪 する仕事を始めた。これが大当たりして四人は半年後にベルリン南西部の湖畔にある邸宅を買い、そこを住居兼仕事場にする までになる。ところがある日、謝罪依頼を受け指定場所をヴォルフが訪れると、そこには壁に磔にされた女性の死体があった。 巧妙な仕掛けに満ちた出来事が、次第に4人を追い詰めていく。

よくある連続殺人事件を、こういう視点で書けるのかと新鮮でした。「おまえ」と呼びかける人物の語りや、4人のそれぞれの 結びつきも考えも、描かれていきます。女性の遺体を埋めたのに、警官の友人が捜査すると死体は姿を消してしまいます。 接触してきた依頼人・マイバッハの設定も巧みです。犯人に迫ったかと思うとするりとかわされ、時間軸が行き来したり、名前で 人物像が別人に思えたり、ミス・リードの意図がわかるのに引っかかります。最後まで緊張感を持ったまま、終焉へと向かいます。 それにしても、久々におもしろかったです。

スティーヴン・ドビンズ

【死せる少女たちの家上・下】

出だしはなかなか期待させてくれます。連続少女失踪事件。 ちいさな街の住民たちが犯人探しを始め、個人のプライバシー があぶり出されて行く。そして、クライマックス。うん。納得。

ジョセフ・ノックス

「堕落刑事」

押収品のドラッグをくすねて停職になった刑事エイダン・ウェイツ。提示された唯一の選択肢は街に暗躍する麻薬組織への潜入捜査、そしてそこに引きこまれた国会議員の娘の調査だった。危険極まる任務についたウェイツが目にする想像を超えたドラッグ界の闇、そして警察の腐敗。本当の悪の正体とは。心の暗部を抉るように描く。

エイダンは、潜入捜査という、複雑な立場でドラッグの売買の現場に居合わせます。上部組織から目をつけられ、危ない橋を渡ります。最後に笑うのは誰か。警察の上層部なのか、闇社会の上層部か混沌とした展開が面白いです。

ジョー・ネスボ

「その雪と血を」

極寒の地では雪の上に落ちる血は、瞬時に固まりローブのように広がるという。殺し屋のオーラヴの今回の仕事は、不貞を働いているらしいボスの妻を始末すること。いつものように引き金を引くつもりだった。だが彼女の姿を見た瞬間、恋に落ちてしまった。浮気相手の男を殺してしまう。だが男はボスの息子だった。

何をやっても失敗ばかり。最後の仕事の殺し屋に徹し切れない男の弱さが、歯がゆいです。なぜ恋などに妄想を持ってしまうのか。ボスから狙われるのは明白で、女から愛を得られるはずもありません。逃避行を計画するが、思わぬことが起きる。おおよそ予測通りの結末ですが、おろかな男の矜持は守るところまで、一気に読ませます。

ジョー・ネスボ

「贖い主 上・下」

クリスマスシーズンのオスロで、街頭コンサート中の救世軍のメンバーが射殺された。警部のハリーは目撃証言がまったく得られないことに疑問を抱く。実行犯はオスロから脱出しようとするが、降雪で足止めを食い、翌朝新聞で殺害相手を間違えたことを知る。警察は青いコートを着たクロアチア人の男を指名手配する。男は契約を全うするため、厳寒のオスロで過酷な逃避行を続けながら、本当のターゲットを繰り返し狙う。だが名前が割れパスポートやクレジットカードが使えなくなり、手持ちの現金も底をつく。さらに銃弾を使い果たしてしまう。

納得するまで事件の真相を探るハリー警部が、いままでよりスマートになった気がします。断酒を誓いながら失敗するドタバタも、どこか収まり過ぎます。もっとどうしようもない状況で足掻くイメージだったのです。むしろ犯人の心情に寄り添って描かれるシーンが、理解でき魅力的なキャラ造詣なのです。ラストのシーンもやり過ぎ感がありました。う〜ん、次作はどうしようか。迷います。

ジョー・ネスボ

「悪魔の星 上・下」

一人暮らしの女性が銃で撃たれ、左手の人差し指が切断された遺体から赤い五芒星形のダイヤモンドが見つかる。猟奇的な事件に、注目が集まる。ハリー警部は、3年前の同僚刑事の殉職事件を捜査し続けていたが、捜査中止を命じられ酒に溺れて免職処分が決定。正式な発令までの間、この猟奇的事件の捜査に加わる。人妻が失踪し、弁護士事務所では受付の女性が殺された。被害者はいずれも同一の手口。連続殺人犯のメッセージを読み解こうとするハリー。捜査を指揮するトム・ヴォーレル警部は、自分の仲間になるようハリーに圧力をかけてくる。

テンポの良さと、自分の勘を信じて行動するハリーが戻ってきました。「ネメシス」は訳者&出版社編集となっていたので、不満を抱かせてしまったのでしょう。雨の捜査や危ないアクションにハラハラさせられ、二転三転する展開にぐいぐい引き寄せられて読みました。いやぁ、切り捨てなくてよかったです。おもしろいです。次作も楽しみです。

ジョー・ネスボ

「スノーマン 上・下」

オスロにその年の初雪が降った日、夫や子どものいる女性が姿を消した。彼女のスカーフを首に巻いた雪だるまが残されていた。捜査に着手したハリー警部は、この10年間で、女性が失踪したまま未解決の事案が、明らかに多すぎることに気づく。そして、ハリーに届いた謎めいた手紙には『雪だるま』という署名があった。容疑者をつかまえると、新たな別の容疑者の痕跡が見つかり、捜査は翻弄される。ハリーの警部としての信念と勘が、同僚たちも動かしていく。

猟奇殺人の陰惨さが気にならず、引きつけられて読めました。全体を覆うかすかなユーモアで味つけられています。食事も睡眠も不足なハリーの過酷な任務への執念と、アルコール依存を押し殺しながら分析力と勘を頼りに突き進んでいきます。少しの恋愛感情で人間味も出しています。二転三転する展開がみごとに最後に収斂していきます。

ジョー・ネスボ

「ネメシス 上・下」

白昼オスロ中心部の銀行に強盗が押し入り、銀行員一人を射殺し金を奪って逃走した。手がかりひとつ残さない鮮やかな手口で、ハリー警部も加わった捜査チームは動き出す。新人女性刑事ベアーテは人の顔を一度見たら記憶してしまう特殊能力で期待された。だが、連続銀行強盗事件が起きてしまう。一方、かつての恋人・アンナが死体で見つかる。その前日アンナと食事をしたハリーは、記憶が跳んでいた。自殺として処理されたが、殺人と感じ真相を探り続けるハリーに、謎めいたメールが届く。アンナ殺害の容疑が降りかかり、窮地に陥る。連続銀行強盗事件の捜査が行き詰まり、ハリーはチームを離れ、独自の捜査に踏み出す。

「ネメシス」とは、ギリシャ神話の復讐の女神だそうです。登場人物と時系列が複雑で、少し読みづらかったです。もっとおもしろくできたのに。作家の問題なのでしょうか。他の作品はよかっただけに、残念です。

パトリック・ネス&ジム・ケイ

「怪物はささやく」

怪物は真夜中過ぎにやってきた。墓地の真ん中にそびえるイチイの大木の怪物が、コナーの部屋の窓からのぞきこんでいた。「おまえに三つの物語を話して聞かせる。わたしが語り終えたら、おまえが四つめの物語を話すのだ」闘病中の母の病気が再発、学校では母の病気のせいでいじめにあい孤立。母が再度入院し、嫌いな祖母と暮らすことに最大の抵抗をする。コナーに怪物は何をもたらすのか。夭折した天才のアイデアを、カーネギー賞受賞の若き作家が完成させた物語。

コナーがどこにいても孤独を埋めるものはなく、それでいいと思いながら、心に風が吹き抜けていく描写がうまいです。言葉に出せない怒りを、怪物の力を借りて吐き出す件は切ないです。母への思い、手をつかむコナーの喜びと怯え。ここまで細やかに少年の心の軌跡をたどって描かれたことに、衝撃がありました。わたしも強く揺さぶられました。お勧めです。

ネレ・ノイハウス

「白雪姫には死んでもらう」

空軍基地跡地の燃料貯蔵槽から人骨が発見された。検死の結果、11年前の連続少女殺害事件の被害者だと判明した。その頃、犯人として逮捕されたトビアスが刑期を終え、故郷に戻っていた。親は離婚し牧場は荒れ果てバーは店を閉め、クラウディウスの見えない金の力で、村は一変していた。トビアスは冤罪だと主張したが村人たちに受け入れられず、暴力をふるわれ、母親まで歩道橋から突き落とされてしまう。捜査にあたる刑事オリヴァーと部下・ピアは、狭い村での人の繋がりや利害の深いところまで探っていく。

トビアスの冤罪を証明してしまう、少女の白骨の発見からスリリングです。ラストで明かされる、強向精神薬を与え続けられた口の利けないティニーの真実まで、一人一人の像が見事に描かれています。狭い人間関係だからこそ生まれる、やさしさと残酷さ、光と陰。誰の背中にも闇が潜んでいます。それらを重すぎず、テンポよく、余すところなく収斂させた作品です。

ネレ・ノイハウス

「悪女は自殺しない」

刑事警察主席警部オリヴァーのもとに、大物検事ハルデンバッハが猟銃を口にくわえて自殺したと知らせが入る。同日、展望タワーの下で飛び降り自殺と思われる女性イザベルが見つかる。現場で靴の片方がないことに部下のピア刑事が気付く。浮かび上がる乗馬クラブの経営者と関係者たち。そしてその妻や周辺の人々。からみあう登場人物が多数登場し、事件は隠されていた醜悪な欲深い人間たちの、動機と陰謀を次第に浮き彫りにしていく。

セレブ層の高額競争馬売買の話から、薬物、脅迫と複雑な登場人物を、うまく描き分けています。秀逸な前作「白雪姫には死んでもらう」は狭い人間関係でした。紳士然としたオリヴァーの、観察力、時系列に事件を捉える能力が鋭いです。醜悪な人物たちにも、わずかな人間味を残してみせます。スピード感のある展開も好感が持てます。オリヴァーが前面に出たため、複雑な人間の光と陰が薄らいだ気がしました。

ロバート・ネイサン

【ジェニーの肖像】

まだ絵が売れない貧しい画家のイーベンは、夕方の公園で一人遊ぶ 少女と出会った。
絶望のどん底にあったイーベンに、美術館の古い絵から抜け出たよ うな美少女・ジェニーは、不思議な言葉を残して去った。「わたし が大きくなるまで、あなたが待ってくれますように」

そして、ジェニーを描いた絵がなぜか売れたのだった。次に会った とき、少女は背が高くなった気がした。一緒にスケートを滑り楽し い時を過ごした。また絵が売れ、イーベンの評価は高まる。そして...。

とてもいい時代の純粋な美しい物語でした。60年以上も前の作品 とは思えない、異次元の時間の流れが交差する世界がおもしろいの です。そしてこころの中の大切なもの。おそらく、この作品から影 響を受けたミステリーがたくさん生まれたのだと思いました。

トム・ノックス

「ジェネシス・シークレット」

トルコ東部の巨石建造物ギョベクリ・テペを訪れた英国記者ロブは、1万2千年前に立てられた最古の神殿で、たちまちこの遺跡に 魅了された。エデンの園はここだったと説く者もいた。しかも遺跡は後に人の手で埋められていた。誰が、何を隠すためにそんな 厖大な労力を注いだのか。発掘現場で起きた不審な死亡事件を追ううち、ロブははからずも人類史の壮大な謎のなかへと踏み込んで いくことになる。その頃英国では儀式殺人めいた、猟奇的事件が相次いでいた。

古代から近代に至って、神に捧げる生け贄が行われて来ている人間の歴史があります。しかも残虐なほど、神の御心にかなうという いう信仰が生きています。遺跡の謎の強烈な魅力と、逆に目を背けたくなる描写がホラー性が強くても、アンビバレンツな気持ちで 引き込まれて読みました。

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