ハヤカワミステリ文庫

「ミステリマガジン700:国内編」

21人の作家の掌編です。8人は読んだことがありませんでした。時代的に戦後の早い時期からの作品は、わたしにとっては時代劇と同じでどうしても苦手でした。現在も活躍中の作家もすでに遠い記憶の中に埋没している方でした。あきっぽく、次々と作家を追いかけるスタイルなので、あとに屍累々なのです。もう少し新しい作家のものが読みたかったというのが、正直な感想でした。

前川裕

「クリーピー」

犯罪心理学専門の大学教授・高倉は夫婦二人暮らしだった。隣は四人家族の西野、向かいは老親子が住む田中という、ごく浅い隣人の関係だった。高校時代の同級生刑事・野上が高倉に専門家としての意見を求めたのは、未解決の一家失踪事件だった。田中家の失火炎上を契機に、人間関係が大きく歪み始める。

これがデビュー作だなんて、すごい作家ですね。縦横無尽に織り上げるストーリーは、一気に読ませます。顔認識が苦手なわたしは、こういう犯罪にはすぐ利用されてしまいそうです。向かいの家の火災から発見された3人の遺体、というスタートから怖いです。「ほんとうのお父さんじゃない」と、深夜隣の少女が助けを求めて来たのに、警察が逆に高倉たちが略取の嫌疑で取り調べるのも、ありそうでうまいです。いくつも絡ませた「見える顔」「見える物」の概念が、どんなに曖昧かがわかります。ピアニストの友人が隣の男の別れた妻という設定や、ラスト近くの娘の登場には少し無理がありますが、興味深い世界でした。次作が楽しみです。

前川裕

「イアリー 見えない顔」

私立大学教授の私が、病死した妻の葬儀を終えて帰宅。夜の10時過ぎ「奥様、ご在宅ですか?」。インターホンのスクリーンに映る女性の姿に見覚えはなく、私が外に出たときには女の姿は消えていた。あの女は誰だったのか。そんな思いに囚われながら、私は大学の総長選挙に深く関わっていく。やがて近所のゴミ捨て場で身元不明の遺体が発見され、私の身の回りで起こる不審な出来事と、混沌とした選挙戦のつながりまで見えてくる。

かなり苦労して書いたなと思います。宗教団体、断酒会、大学の総長選挙。見えない身近の闇の不気味さはありますが、社会的通念に不自然さがあるのは作者にはやむを得ないところかも知れません。心理描写に、読者を引き寄せる力がありません。隔靴掻痒というか、壁を感じます。

前川裕

「アトロシティー」

続発する詐欺的な訪問販売に、それとの関連が疑われる押し込み強盗殺人の真相。生活保護も受けずに餓死したまだ若い母娘の謎。極悪な拉致監禁殺人を犯しながら、反省の色のない少年犯罪加害者の追跡。取材を続けていたジャーナリスト・田島は、一コマだけ大学の講師もしている田島の講義をきっかけに、美咲と知り合い一緒に事件を調べ始める。だが顔の見えない犯人たちから、田島の家族への脅しがかけられる。いつしか動機も手口も不明の、奇怪な事件の渦中に巻き込まれていく。

1件づつはよくある事件のようでいながら、通奏低音が鳴り続けるような不気味さに、引き込まれていきます。キャラ立ちに多少の不足はあるものの、おもしろいです。表情のわずかな変化から心の動きを捉える視点があり、見えるものでありがちな姿形を取り、見えない闇の存在を浮かび上がらせるのに成功していると思います。次作でさらに独特の世界観が広がることを期待したいです。

前川裕

「死屍累々の夜」

10人の男女を殺害し、6人の女と共に集団自殺を遂げた木裏。元大学助教授のセンセーショナルな「木裏事件」に、30年後「私」はフリーの記者としてようやく取材を開始し、全貌と謎に満ちた男の内奥に迫る。木裏は暴力団組長の娘と結婚し、わずか5ヵ月後に妻を絞殺し懲役12年の刑に服した。出所後、生前父親の経営していた旅館を継ぐが、東京に出て「花園商会」という売春斡旋業で大きくなる。各地に居を移しながら手を広げ、新潟の老舗旅館に取り入ったのち売春宿に変貌させる。

取材者視点とは言え、木裏の言動はフィクション構成なので、登場人物の思考や気持ちの揺れが充分描かれます。精神的に木裏に絡めとられていく様子、バイオレンスも、距離感があるので目を背けるものではありません。関わる人間の側からの描写がありながら、木裏の心理の底にあるものは、記者も迫り切れなかったところがあるのでしょう。肝心の一点がするりと抜け落ちていくのが、木裏の見せない深淵の深さとも受け取れます。真摯な作家ですね。

前川裕

「酷 ハーシュ」

東京吉祥寺に住む若夫婦が営みの最中に手斧で惨殺された。犯人は逮捕され服役したが、18年後、今度は荻窪で新婚夫婦手斧殺人が発生した。血まみれの若妻は、高級ブライダルサロンのパンフレットを犬のように咥えていた。ストーカーの影、二転三転する犯人像、秘密裏にもたらされる捜査幹部と被害者の隠れたつながり。エリート管理官と現場刑事の軋轢が高まる中、またしても新婚夫婦が手斧で殺される。疑心暗鬼の迷宮の果て、ついに真犯人が姿を現した。

刑事の手塚がキャラ立ちしないため、ほかの登場人物も印象が散逸になります。警察の組織内の人間としての範疇も把握していず、個人対個人のやり取りの心理の説明が長いです。人物を言葉で説明してしまうので、深みがありません。血生臭い現場の描写が印象に残りますが、犯人の心理や、セクシュアルマイノリティーへの態度も、作者は理解があり懐が深いのだという自意識過剰が見え過ぎです。警察小説としては失敗だと思います。前作までのおもしろさが感じられません。

前川裕

「アパリション」

予備校の英語講師で作家の矢崎には、同じく作家を志す兄がいた。しかし、小説を書き上げることも定職に就くこともできないまま姿を消す。その頃、二組の夫婦が相次いで失踪した事件が注目を集め、刑事を名乗る犯人の留守番電話の声が公開された。その声は矢崎の兄だった。関わった誰もが少しずつ壊れ、事件は歪みを増していく。

ぐいぐい引きつけて読ませる展開がうまいです。警察設定なしはいい。ただ、予備校講師でわずかに出版社と繋がりがある立場での、捜査には少々無理があります。人脈の偶然の重なりが多くなり、都合のいい設定になりがちです。思いがけない犯人像も予想の範疇にあります。会話部分の不自然さもあり、これ以上の期待は無理かも知れません。

前川裕

「人生の不運」

高島の住む二軒の借家の、隣で女性の死体が発見された。彫金でかろうじて生計を立てていた体に障害のある女性は、自殺と判定される。だが狭い町内では、発見者のオートバイの男が怪しいのではないかと噂になり、調べ始めることになる。高島は恋人と別れたばかりで気乗りはしなかったが、借金、保険などが絡む思いがけない真実に突き当たる。・・・「人生の不運」

「人生相談」との2作です。おそらく「クリーピー」より前に書かれた作品だと思われます。ゴツゴツとした手触りの文章ですが、推論を重ねていくうまさがあります。習作として納得できます。新作が楽しみです。

松田青子

「おばちゃんたちのいるところ」

失業中の男に牡丹灯籠を売りつけるセールスレディ、シングルマザーを助ける子育て幽霊、のどかに暮らす八百屋お七や皿屋敷のお菊。そして、彼女たちをヘッドハントする謎の会社員・汀。嫉妬心や怨念こそが。ユーモラスな怪談17件。

人と幽霊が違和感なく共棲しています。こんな世界があってもいいかも知れません。おばちゃん=幽霊という設定が楽しいです。現代人がいかに個人として孤独なのかと、ふっと考えさせられました。

丸山正樹

「デフ・ヴォイス」

荒川は、以前勤務していた警察の、裏金づくりの内部告発をして辞職し、妻とは離婚。手話ができるボランティアをきっかけに、法廷の手話通訳士として事件に関わっていく。

手話にいくつか種類があることは、方言のようなものと解釈していたが、違いました。「日本語対応手話」「日本手話」「中間型手話」と海外ではまたさらにあります。 『ろう者』だけの家族内での手話と、幼かった荒川は『聴者』=コーダと呼ばれ、外の世界との通訳をして育ちます。声を持たずに生きるだけでも苦難だろうに、周囲の無理解や刺さる視線で世界が閉ざされる『ろう者』。まして高圧的な警察の中で、警察が作成する調書に無理やりサインさせられ冤罪を被ります。証明する手段もごく限定される絶望で的状況です。荒井はしばしば一方的に「味方」「敵」扱いされますが、悩みながらも通訳しながら事件の解決に立ち向かいます。明確な意思を持ったキャラではないので、読みながらいらいらしました。心の機微に疎く、周囲に流されるのは作家の性格に引きずられているせいでしょうか。

松崎有理

「あがり」

女子学生アトリと同じ生命科学研究所にかよう、おさななじみの男子学生イカルが、夏のある日、一心不乱に奇妙な実験をはじめた。彼は、亡くなった心の師を追悼する実験だというのだが、閑散とした研究室で、人知れず行われた秘密の実験とは・・・「あがり」。
古書店で数学好きな女性と出会った数学研究員のぼくは、甘味屋「ゆきわたり」で話すうちにダイエットを決意する・・・「ぼくの手のなかでしずかに」。
大学教授の論文を代書するミクラは、依頼された教授から幸運不運の予測を伝えられる・・・「代書屋ミクラの幸運」。
「不可能もなく裏切りもなく」。
「へむ」。

理系女子の作家の文章でいながら、SFっぽさがおもしろいです。大学の研究室という特殊な世界で、専門用語が並ぶけれど読み安く、思いがけないファンタジィを感じさせます。「あがり」の現象に引きつけられ、数学研究員のシャイで古風な恋の雰囲気に浸り、代書屋ミクラの不運に引き込まれ、微生物の研究書を共著にするいきさつと結末にハラハラし、絵を描くのが好きな少年と「へむ」のファンタジィに胸を痛めました。5編が少しづつ繋がっているのもいい雰囲気です。こういう作家が現れたことがうれしいです。次作が楽しみです。

松崎有理

「代書屋ミクラ」

北の街・蛸足大学を卒業したミクラは、先輩に拾われて大学教授の論文を代書する「代書屋」稼業を始めたばかりの見習いだ。新しい依頼が舞いこむたびに、なぜか素敵な女性と出会ってしまうミクラだが、依頼者は曲者揃いで内容も厄介なものばかりで見返りも少ない。女性とはデートの約束すら切り出せず、なぜか仲介役をする結果になる。弱気になったミクラは、実家に戻ってみるが。

論文の代書に取り組む姿勢はしっかりしているが、それ以外の立ち位置がなんともあわあわと消え入りそうに弱いミクラ像です。ファンタジィを意識した作品ではあるけれど、くらげになってぬるま湯に長く浸かっている居心地の悪さを覚えました。前作の短編は成立しますが、長編になるとあまりにもゆるいと思います。おもしろい作家だと注目していたのですが、次作は難しいかも知れません。

松崎有理

「就職相談員 蛇足軒の生活と意見」

博士資格を持ち研究者志望のシーノは、周囲とのコミュニケーション不足で就職できなかった。仮の仕事として嘘の家元で特殊就職相談員、蛇足軒の秘書となった。池の金魚の餌やり、掃除とわずかな事務仕事だった。不死身の少年、ドラキュラ体質の青年、3秒先を予知できる女性などの妙な求職者たちに、あざやかな詭弁で次々と適職を与える蛇足軒。それを見ているうちにシーノの気持ちに微妙な変化が起きていく。

SF作風でコメディタッチの中に、そっと隠れている大切なものがあります。人工知能を持ち博士資格を取得したロボット型掃除機という求職者が現れてから、ストーリーが急展開します。ページ制限か、編集期日制限かはわかりませんが、少し惜しいです。作者の書こうとする方向性が定まらず、読者の私もこれから先に暗雲が立ちこめました。次作に期待です。

万城目 学

【鴨川ホルモー】

大学に入学したばかりの安倍と高村は、「京大青竜会」というサークルに誘われた。新歓コンパで早良京子に惹かれたばかりに、ちょっと怪しい会の行事に引きずり込まれてしまう。野外レクが続くうち夏になり、祇園祭の四条河原で第499代目会長のスガ氏が、初めて「ホルモー」について説明した。とても現実と思えない行事だった。だが四条烏丸交差点に青竜会を始め4つの集団が一堂に会し、次第に異形の世界へと踏み出すことになる。

とんでもない話なのですが、ときどき立ち止まって考える安倍が、それでも巻き込まれタイプでストーリーが進んで行きます。下手をすれば青春恋愛になりそうですが、「オニ」のキャラが京都の背景とよく合って、物語の設定をおもしろくしています。引き込まれて読みました。前半が多少、説明的でゆるいですが、後半は映像的にもうまく描かれています。う〜ん、恐るべし新人。

万城目学

「プリンセス・トヨトミ」

政府からも独立した組織、会計検査院の調査員3人は大阪に来ていた。「鬼」とあだ名される松平、少し抜けているが勘の鋭い鳥居、理論派の女性・旭は、35年間検査の入っていない団体に入った。そこは大阪公園の地下にあり、連綿と続く歴史の証拠を見せつけられることになる。一方、女の子として生きたいと願う中学生の大輔は、蜂須賀組の息子から執拗ないじめを受けるが、幼なじみの茶子に助けられている。ある日大輔は、父・真田幸一に連れられ「本物」の大阪城に入り、父から子への伝達の儀式を受ける。

壮大なファンタジィというか、大阪の二重性の妄想なのか、こんなストーリーを作り出すとは、万城目さんを少し侮っていたかも知れません。とにかくおもしろいです。豊臣家という歴史上の物語を、現代と繋げてしまう巧みさはすごいです。調査員のキャラの配置もうまいし、男と女の間で揺れる大輔と、男勝りの茶子のキャラ立ちが強烈です。そして繰り広げられる、大阪の男たちの行動と、上手をいく女たちの立ち位置はしたたかですね。にんまりして読み終えられる物語です。

万城目 学

【鹿男あをによし】

奈良の女子高の臨時教員として赴任した「おれ」は、なかなか生徒との距離をうまく取れず落ち込んでいた。そんなおれに、しゃべれる鹿が話しかけてくる。選ばれた「運び番」役をこなすことを押し付けられ、学校では剣道部の顧問を頼まれる。嫌と言えない性格が災いし、校章の鹿・狐・鼠、姉妹校との剣道三校対抗戦で優勝を目指すことになる。そしてある朝、鏡に映る自分の顔が鹿になっていた。

読み始めはスピード感がないと思いましたが、それも主人公のキャラ設定のひとつのようです。生徒や他の教師たちとのやりとりも、おもしろいですね。剣道の試合の描写は迫力があり、剣道を知らないわたしもつい手に汗握る展開でした。京都に並び、奈良という歴史のある土地なら、どんな吹っ飛んだ異世界ストーリーも許される感じがします。楽しめるのが何よりです。

万城目学

「ホルモー六景」

6編の短編集です。「鴨川ホルモー」の外伝仕立てで描かれています。うまくなりましたね、万城目さん。これから向かおうとする方向性が、たくさん詰まったような作品です。

男に縁の無かった京都産業大学玄武組の 女子学生「二人静」のホルモーでの決闘。・・・「鴨川(小)ホルモー」

「少年」のアルバイト先であるイタリアン・レストラン で、意外な才能を発揮した理学部の楠木ふみが答える数学問題。・・・「ローマ風の休日」

少しだけ「ホルモー」 に近付いた芦屋の元彼女と、現彼女との間で優柔不断に揺れる情けない芦屋の話。・・・「同志社大学黄竜陣」

立命館大学白虎隊新会長の女子学生珠美は、バイト先の旅館にある長持を介して『織田信長の側近』と思われる・なべ丸と400年の時を越えて「手紙」を交わした。・・・「長持の恋」

ほかに「もっちゃん」「丸の内サミット」など。全体として、おもしろくちょっぴり胸が痛くなる雰囲気が、なかなかです。

万城目学

「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」

かのこちゃんは小学一年生の元気な女の子だ。マドレーヌ夫人は犬の夫の外国語を話す優雅な猫で、周辺の猫仲間の間でも特別な存在だった。かのこちゃんとすずちゃんは「ふんけーの友」だったが、すずちゃんが転校するという。

猫本はたくさん読んでいて好きです。ただ、この作品はあまりぴんと来ませんでした。素直に読める文章ですが、あまりにも狭すぎる日常で物足りなさが残ります。

松井今朝子

「吉原手引草」

吉原中を騒然とさせるようなことが起こり、 忽然と姿を消した花魁・葛城の謎を、ある人物が遣手、幇間、女衒など関係人物を訪ね歩き、 インタビュー形式で浮き上がらせようという物語です。人々の口から語られる廓の表と裏が、当時の吉原の話し言葉で語られます。

吉原に関する知識は、ある程度読んでいますが、艶やかな独特の雰囲気を描きだしてみせる、その作者の力は感心させられます。ただどんな事件が起きたのかが後半でようやく淡い輪郭が見え、 性急に語られる結末は軽すぎますね。有吉佐和子『悪女について』を思いださせてしまう描き方が、うまいだけに惜しいです。

松久淳

「どうでもいい歌」

ヒットチャート50位あたりを推移する「どうでもいい」青春賛歌ソング専門の作詞家・浅田。ゴースト本の執筆が多いライター・稲垣。とうに全盛期を過ぎたイラストレーター・美野島。再現ドラマ専門の役者・橋口。テレビ局のスチールカメラマン・金森。決して大ブレイクするわけでもないけど、まあまあ「食えている」どこか中途半端な仕事のレベルにいる五人の男たちの人生が 交差した時、ある小さな奇跡が起きる。

なぜこの本を手に取ったのか、選択した時期の自分はどんな心の状態だったのでしょうか。格別な仕事でもなく、ごく普通の会社員として迷いの中にいます。フリーターの成れの果てという姿で、ただ目に宿る強い光を持つ男性の写真に引かれて手に取りました。世の中に星の数だけ存在している歌の中に、ありきたりな言葉を繋ぎ合せたようなどうでもいい歌があるように、人生の中で何か大きなことを成し遂げたわけではない人々がたくさんいます。少しうらぶれた男たちの心のありように、途中で放り出させない何かがありました。わずか190ページの5つのストーリーが、心に残ります。

牧野 修

【記憶の食卓】

名簿屋の折原は、買った記憶のない自分の写真まで貼った名簿冊子を見つけた。連続殺人事件の被害者4人が、14人の名簿と一致した。次は自分かと、折原は青くなったが、共通点を見つけようと、同僚の美也と一緒にほかのリスト者を探し始める。だが凄惨な死体を見つけてしまう。さらに不気味な電話がかかってくる。

折原のストーリーと、遠藤悟一の食べることへの嫌悪の話が、並行して進んで行きます。軽い出だしから途中でホラー色が濃くなり、最後のひと捻りでSFの世界という、とんでもないことになります。そのあざとさが、不思議な魅力を放っています。おもしろい作家と出会った気がします。

牧野 修

【だからドロシー帰っておいで】

平凡な主婦の伸江は、夫と高校生の息子と義母と暮らしている。何をするにも時間がかかり、おどおどした性格を、父からも叱られて育ち、夫からも見下されていた。ある日、惚け始めた義母から、真っ赤なハイヒールを手渡された。小津さんから贈られたというが、心当たりはなかった。来客のビールを買いに外に出るとき、その靴を履きピンクのワンピースを着た。後をつける男から逃れようと走ると、突然、異世界へ吹き飛ばされてしまう。雑踏をさまよう伸江は、ミロクという僧侶に出会い面倒を見てもらう。腕には餅のような動物・コトがへばりつき、オズノ王の城を目指す途中でクビツリを救い、長い旅に出る。

ライオンと呼ばれるホームレスの男は、血まみれの女を拾った。だがその女は危険な存在となていく。一方、息子を殺された大和田は、犯人を殺す集団に加わるよう誘われる。

異世界で、困難に立ち向かう女性に変貌する伸江は、どこかユーモラスな感じもする冒険物語のヒロインです。でも現実世界では、凶気をはらむ女(伸江)であり、ホラーの気配が濃厚です。それでいて残酷な印象はありません。そしてライオンや大和田たちとの世界が、ねじれて絡まり恐ろしい展開を見せます。不思議な設定と展開に引きつけられて、読み通しました。おもしろいですね。こういう世界もあるのかと、唸りたくなります。ラストは牧野さんの、癖の強い独特の世界だと思います。それでいて、また読んでみたい強烈な個性の作家です。

美奈川譲

「特急便ガール!」

上司を殴って一流商社を辞めた元OL、吉原陶子。同僚のツテでバイク便運営会社に身を置くが、超個性的なメンバーが揃っていた。長距離の荷物を手持ちで運ぶ「ハンドキャリー便」担当として働き始めたが、不思議な事態に遭遇する。京都までの便を引き受け新幹線のドアを開けると、見知らぬ古風なお屋敷の部屋だった。表札で届け先であることを確認し、受領印をもらい不可解なまま帰社する。それからも幾度か続く力は届ける荷物にありそうだと気付く。

負けず嫌いで行動力のある陶子は、自分を見るようで思わず苦笑です。謎の現象と、個性的な社長を始めとするライダーたちも、なかなかおもしろいです。ちょっとした異世界と交叉する現代が楽しめます。

美奈川譲

「超特急便ガール!」

情熱と勢いでOLから配達員への転職から2ヵ月。陶子は離婚した妻に引き取られた娘へのクリスマスプレゼント、夢のこもったデモテープ、二年遅れのチケットなどを届けることに精を出すが、自分は本当にここに必要とされているか、こここそが自分の場所だと思って仕事できているかと考え悩み始めたところに、新興IT企業からヘッドハンティングされる。

何のために働くのか、会社に何を求めるのか、会社の理念とは何か。3番目は会社は利益を上げるためですが、仕事への迷いはわかります。とりあえず走ってみなければわからない陶子に、やはり共感していまいました。

宮内悠介

「盤上の夜」

灰原由宇は四肢を失い、囲碁盤を感覚器とするようになった。一度は棋聖になった相田が、石を持てない由宇の代わりに打つ。若き九段の女流棋士の栄光と、その影となった男の奇異な盤上での緊張感漂う名場面が残される。・・「盤上の夜」

囲碁、チェッカー、麻雀、将棋、古代チェス。対局の果てに、人知を超えるものが現出する6編の掌編です。対局している時には、針1本が落ちても空気が変わるのがわかるほど、研ぎすまされた感覚と論理が集中すると言います。なんという、過酷な世界でしょうか。勝っても負けても、何を目指していくのかの自問自答が常にあります。由宇が最底辺から這い上がり、頂点を迎える短い栄光のときを、ジャーナリストの視点で深く寄り添い描いています。おもしろいですね。

宮内悠介

「アメリカ最後の実験」

失踪した父を探して、脩(しゅう)は難関音楽学院を受験する。入学試験は場末の酒場で謎の調律を施されたピアノ演奏、二者で競い合いどちらかが必ず落ちるアドリブピアノ合戦、最終試験は豪華カジノのコロッセニウム。脩は父が使っていたという謎の楽器「パンドラ」と出会う。仲間との友情もつかの間生まれる。そこで遭遇する連鎖殺人。

即興で弾き作り上げられていく音楽が、聴こえてくるようでした。審査基準が不明のまま、客を引きつける力も必要で、どんな演奏をするかは脩にとってはゲームにも似て感じられます。殺人事件要素以上に、音楽世界をまとめあげる筆致に驚かされます。作者の新しい分野の挑戦で、なかなか楽しめました。

宮内悠介

「ディレイ・エフェクト」

いまの東京に重なって、あの戦争が見えてしまう。妻が娘と疎開したいと言うが、わたしは娘に歴史を見せてやりたいとも思っている。夫婦の間で言い争いが始まる。茶の間と重なりあったリビングの、ソファと重なりあった半透明のちゃぶ台に、曾祖父がいた。まだ少女だった祖母もいる。大混乱に陥った昭和20年(1945年)の暮らしが、2020年の日常と重なっているのだ。3月10日の下町空襲が迫っている。少女の母である曾祖母は、幻の吹雪に包まれながらもうすぐ焼け死んでしまうのだ。わたしはオフィスで音声や映像処理の技術開発という仕事をしながら、落ち着かない心持ちでそのときを待っている。・・「ディレイ・エフェクト」
「空蝉」「阿呆神社」3編の短編集です。

75年前の映像が想像できる描写がうまいです。リアリティがあり、さらりと無駄のない文章が緊迫しつつ、はかなさも浮かび上がらせます。ラストはほっとしますが、もっと進んだ時間を読みたい気持ちにさせます。短編にしたのはもったいないです。長編で充分いけるし読みたいと思いました。他2編はスルーで。

宮内悠介

「カブールの園」

アメリカに住む日本人の物語「カブールの園」「半地下」2篇。英語と日本語の狭間で生きる日系三世の玲(レイ)。休暇でかつての日本人収容所を訪れる。アメリカンドリームを掴める国アメリカ。だがそこに住む日本人は果たして夢を追えたのだろうか。差別を受け、虐げられ、一方で日本人の意識が残り、日本人であることから逃げられない現実。

二つの国の狭間で、精神的に追い詰められてしまいます。バランスを取ることの難しさや過酷さを、淡々とした描写が一層伝えてきます。人種差別が根底にある国で、生きることの切ない哀しみが残りました。

宮内悠介

「ヨハネスブルグの天使たち」

ヨハネスブルグの見捨てられた耐久試験場で、無数の日本製の少女ホビーロボット・DX9が雨のように落下してくる。近くに住む戦災孤児のスティーブとシェリルは、ホビーロボット9の一体を捕獲しようとする。泥沼の内戦が続くアフリカの果てで、生き延びる道を模索する少年少女を描いた表題作「ヨハネスブルグの天使たち」。9・11テロの悪夢が甦る「ロワーサイドの幽霊たち」。アフガニスタンを放浪する日本人が“密室殺人"の謎を追う「ジャララバードの兵士たち」など、国境を超えて普及した日本製の玩具人形を媒介に人間の業と本質に迫り、国家・民族・宗教・戦争・言語の意味を問い直す。

連作5篇の短編集です。全てがモノクロに見える世界です。耐久試験場で繰り返されるロボッットが降る光景は、想像するだけで絶望感に襲われます。かろうじて生き延びた先の世界に、未来はあるのでしょうか。でもかすかな希望を持ち続ける者たちがいます。あえて徹底して感情を排除した描写の中から、見えるかすかな道の先に光りがあることを願いたいです。

宮内 悠介

「エクソダス症候群」

地球の近未来。すべての精神疾患が管理下におかれ、診断が機械化され投薬でコントロールできる状況にも関わらず、人々は死を求め命を断った。地球の大学病院を追われ、生まれ故郷の火星へ帰ってきた青年医師カズキは、亡くなった父親がかつて勤務した、火星で唯一の精神病院へ着任する。この過酷な開拓地の、薬もベッドもスタッフも不足した病院・ゾネンシュタイン病院は「生命の樹」を模した配置で建てられていた。そして彼の帰郷と同時に、隠されていた不穏な歯車が動きはじめた。25年前にこの場所で何があったのか。

惑星間精神医学などの言葉が、SFならではで新鮮です。人間が生きていくには過酷な環境の火星での暮らしで、人々は病んでいきます。相手にする患者は苦悩する人間であり、医師もまた苦悩するのです。現在のわたしたちに置き換えても同じでしょう。読後に「自己ルーツ」「帰巣本能」という言葉が残りました。冷静な文体が印象的で、読ませる作家です。

宮内悠介

「スペース金融道」

人類が最初に移住に成功した太陽系外の星、二番街。ぼくは新生金融の二番街支社の債権回収担当者で、大手があまり相手にしないアンドロイドが主な客だ。直属の上司ユーセフは、普段はいい加減で最悪なのに、たまに大得点をあげて挽回する。貧乏クジを引かされるのは、いつだってぼくだ。「だめです。そんなことをしたら惑星そのものが破綻します」「それがどうした?おれたちの仕事は取り立てだ。それ以外のことなどどうでもいい」取り立て屋コンビが宇宙の果て、地獄の炎の中にまで追いかけていく。

アンドロイドの持つ暗黒網ネットワークと、人間のシステム。宇宙エレベーターに立てこもるアンドロイドの兎たちの立て籠りなど、SFならでは楽しめる仕組みです。利息が腕1本とか、にやりとさせられもします。浅く読むとそこまでで、深く読むと人間とは何かと哲学的にまで考えさせられます。情報システムはあらゆるものに必要なのだと、変なところで思い知りました。おもしろいです。

宮内悠介

「彼女がエスパーだった頃」

6作の短編集です。「百匹目の火神」「彼女がエスパーだった頃」「薄ければ薄いほど」など。淡々と語る作者の視点は、超能力、超常現象を信じてはいない。ただ真実を知りたいと描き出していく。

記者のわたしが取材していく、さまざまな力や、超常現象はほんとうにあるのだろうか。次第に周囲を渦巻く人間関係や、「力」に巻き込まれていくのを、自覚しつつ流されていくように見えます。それが記者の心の中にある、なにか、によって見え方が変わっていくのです。おもしろい作品だと思いました。ただ寒々とした読後感はなぜでしょうか。

向井湘吾

「お任せ!数学屋さん」

数学が苦手な中学二年生の遥の前に、不思議な転校生・宙(そら)がやってきた。「数学で世界を救うこと」が将来の夢だと語る彼は、突然どんな悩みでも、数学の力で必ず解決してくれるという、「数学屋」という謎の店を教室内で開店する。はじめは遠巻きに見ていた遥も、店を手伝いはじめることになる。どんな相談事も華麗に解決していく二人だが、投書箱に届けられたある一通の悩み相談の手紙から、数学では解けそうにない「人の感情」という、超難問にぶつかることになった。

ソフトボール部の遥たち女子が、野球部の男子たちと毎日取り合う台形の校庭の半分を、宙はきれいな数式で正確に二等分したのです。けれどどうにも使いにくい形に、いつのまにか男女一緒に遊ぶようになります。メガネを押し上げる仕草の宙のキャラが楽しいです。なんとか理解しようと説明を聞く遥たちは、相談にも一緒に回答していくようになります。けれど数式の書いた紙を残して、宙は消えようとします。青春の一頁にこんな時間があったら、すてきですね。数学と暮らしとの関係、何かを変えようとする意志、まっすぐな気持ちがさわやかです。

森谷明子

「望月のあと 覚書源氏物語『若菜』」

疫病や盗賊、放火で乱れる世情を歯牙にもかけない、「この世をばわが世とぞ思う 望月の」と歌に詠み栄華を極める道長の企みは、更に高みを目指していく。式部は、道長が別邸にひそかに隠す謎の姫君を物語に忍ばせた『源氏物語』を書き綴る。そには時の大権力者に対する、紫式部の意外な知略が潜んでいた。

陰謀、欲望が渦巻く内裏で、『源氏物語』の熱心な読者の女房たちが伝える感想を受けて、式部が物語中の人物について考えこんだり、こうあらねばならぬと改めて確信します。作者と読者の双方向のやりとりで、文学とは実人生と虚構の密接な関係によってできていると伝えてきます。狭い宮中での人生の機微が、巧みに描かれています。それにしても、何度か電車を乗り過ごしてしまったほどおもしろいです。次々に読んでみたくなります。

森谷明子

「白の祝宴 逸文 紫式部日記」

若宮誤誕生に伴い、式部は道長に命ぜられ「お産日記」をまとめることになる。強盗・放火と不穏な動きが続き、平安の都は親王誕生の祝宴に影を差す。お産で宿下がりしている彰子中宮の土御門邸に、中納言家に押し入った盗賊一味のひとりが逃げこんだ。姿を消した謎を式部が追っていく。お産のときには、女房たちの装束も調度もすべて雪白でなければならない。当時のしきたりが鍵なのか。さらに屋敷内の呪詛の印が発見される。

式部に仕える成長した阿手木(あてぎ)は、その夫義清、糸丸や小仲という童たちと共に日々を取り仕切っていきます。抱える辛さや願い、高貴の方のいたましい運命、彼女に寄せる女房や童たちの思いが錯綜します。式部の娘・賢子のいきいきとした動きも希望を繋ぎます。謎が、しきたりや人の動きの中に紛れそうになりながら、ラストで明確に姿を表わします。作者のこの明確な信念はどこから来るのだろうと、感心してしまいます。

森谷明子

「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」

東京創元社

2012.6.8

帝ご寵愛の猫が姿を消した。源氏物語十一帖を彰子中宮に献上した式部は、その写本が世に出ると共にその一帖「かかやく日の宮」が失われていることに気づく。いったい誰が持ち去ったのか。二つの消失事件に紫式部が挑む。平安の世に生きる女性たち、そして彼女たちを取り巻く謎とその解決。

印刷がなく紙が貴重な時代に、草本から次々に写本されていくさまが新鮮でした。こんなふうに広く読まれていくのかと驚きがあります。式部の像形が興味深く、仕える小少将・あてぎや、その友達の小侍従など登場人物もうまく動かしています。平安時代の女性たちの、心のありようが見えてくるようです。少女たちが成長していく姿と、式部の作家としての悩みや進み方、矜持も納得がいきます。式部の、絶対的な権力を持つ道長への復讐はみごとです。源氏物語の書き出しから最後までの長い時間系列も、巧みに描かれています。作者の、ミステリとして成立させる確固とした推理、構成力がすばらしいです。何作か読んでみようと思います。

森谷明子

「七姫幻想」

七夕の織姫には、いくつもの時代を反映した七つの名前があると言う。秋去姫、朝顔姫、梶葉姫、などなど。神代の大王の怪死をめぐる幻想的な第一話から、江戸時代の禁忌の愛を描いた最終話まで、遙かなる時を隔てて女たちの甘美な罪が語られる。

小さな事件や不思議なできごとの謎が、しっかり考える女性たちによって明かされていきます。不思議は不思議のままで受け入れる、納得の仕方もあるのですね。したたかに生きる女性像が織りなす物語は、現像的で哀しく美しく、織姫らしい雰囲気で、引き込まれます。さりげなく清少納言など文人たちが登場して、はっとさせられます。

森谷明子

「れんげ野原のまんなかで」

新人司書の文子がこの春から配属されたのは、のんびりのどかな秋葉図書館。ススキ野原のど真中という立地のせいか利用者もまばら、暇なことこのうえない。しかし、この図書館を訪れる人々は、ささやかな謎を投げかけてゆく。季節のうつろいを感じつつ、頼もしい先輩司書の助けを借りて、それらの謎を解こうとする文子だった。

忘れ物のギターケースに、なぜか即席麺が詰め込まれていた事件。書架の上に並べられた洋書絵本。個人情報の流出騒ぎ。などの5編の短編集です。深い雪や、花の咲く野原の空気までを、じっくりと味わいたくなる本です。なんとか伝えたいメッセージと、伝わらないもどかしさ、振り回されながらも楽しむ余裕の司書たちの姿も、ふんわりと心に染みてきます。童話のようでもあり、大人のミステリでもあって楽しめます。

森谷明子

「矢上教授の午後」

崩れそうに古い大学の研究棟が嵐に閉ざされた。豪雨と停電で連絡も出入りも不可能になった。さらに誰も知らない男の死体が発見され、矢上教授は真相を追い始める。殺人者はまだこの建物の中にいるのか。民俗楽器破損、表彰状盗難など、続発したささいな事件と殺人が複雑なラビリンスとなる。

矢上を始めとする4人の教授と、助手や学生たちのキャラ立ちがいいです。レトロだったりハイテクだったりの組み合わせが、停電でどう行動するのかだけでもおもしろいです。論文提出や生物学の実験が絡み、さらに訪問者の女性とエレベーターや屋上のビニールハウスが出来過ぎ感はありますが、それぞれの動きや言葉を図式にしたい誘惑にかられます。あまり好きではない謎解きでも、楽しんで読めました。

森谷明子

「FOR RENT 空室あり」

桂子は、観察眼に優れている年下の恋人・塚本と暮らしている。二十歳だが笑うと少年のように見える。彼の肩にある痣の秘密が母親の死に関わっているらしく、過去を調べようとしていた。彼は16年ぶりに故郷のアパートを訪れた。そこで祖父母の相次ぐ死の真相と、それに繋がる彼と姉と母との過去が初めて姿を現す。

塚本に関わる人たちの心をやさしく解きほぐしていく展開は、いい展開だと思います。それぞれの人にとって小さな日常の出来事に過ぎないことに、大切な意味を見出していきます。それが彼にとっては過去への重要な手がかりです。過去に目新しさはありませんが、おもしろい構成だと思います。ただ、二十歳の男性を「少年」と書くのは違和感を拭えませんでした。

群ようこ

【かもめ食堂】

ヘルシンキの街なかに、ひっそりと「かもめ食堂」はあった。サチエの夢だった開店資金は、父の援助もなしに、宝くじを引き当てたものだ。最初の客は、日本びいきのトンミくんだった。偶然知り合ったミドリとマサコが、店を手伝うことになった。街の人になかなか馴染んでもらえなかったが、客も次第に増えていく。

映画の書き下ろしだそうです。群さんは初めて読みました。透明感のある空気が、心地よい作品です。サチエが無理をせずに街にとけ込んで行くのは、一種の才能なのだろうと思いました。それぞれの過去をかいま見せる3人の女性の、生きる姿勢の違いがおもしろいです。モノトーンの中で、はしゃぎ過ぎのトンミくんのキャラに思わずにやりと させられます。暖かさが余韻となりました。

群ようこ

【しいちゃん日記】

女王様気質の5歳の猫しいちゃんと、猫友だちでシャム、18歳のビーちゃんの2猫との日々のできごとを描いています。短いセンテンスで、べたべたし過ぎない文章が心地いいです。猫に振り回される幸せな時間。うらやましい空気が漂っています。

ビーちゃんがいよいよ老衰していく様子が、人間と同じく大変なのですね。歯槽膿漏や失禁、心臓疾患・・・。人ごととは思えないです。7年前に亡くなったうちの猫を思い出しながら、ふっと涙ぐんでしまいました。

松本祐子

「8音符のプレリュード」

優等生のプライドを持つ、生真面目な少女中学2年の果南は、吹奏楽部でフルートを担当している。そこに将来を断たれた天才ピアニスト・透子が転校してくる。人を寄せ付けない彼女に、表面的には親切にするものの果南は初めて嫉妬する。楽しいはずの学園祭が近づくにつれ、クラスは出展も危ぶまれる事態になるが・・・。

人生の主役と脇役。それは滅多に入れ替わりません。どちらも挫折したときの絶望は、人を拒否することで自分を守ろうとします。そこを突き崩して這い上がる進み方にも、主役と脇役の違いはあるのです。脇役の果南が主役の透子と気持ちを通じ合わせるのは、きれい過ぎる気もしますが。信じていた人物からの裏切りや悪意や自分の一面を経験した果南の、自分の感情に素直に生きる道を見つけていく真っすぐな心に救われます。多少類型的なキャラ設定ではありますが、いい作品だと思います。

牧村一人

「アダマースの饗宴」

殺人を犯し、八年の刑期を終えて出所した元風俗嬢の笙子は、瑠璃と一緒に暮らしていた。だが、かつての恋人・加治が起こした銃撃事件との関わりを疑われ、複数の組織から狙われることになる。長い付き合いの雨宮もまた、笙子を餌に釣り上げようとしているものがあった。

銃撃戦も厭わず命がけの巨額のマネー・ゲームが、都会のホテルやビルで繰り広げられます。男たちのゲームに巻き込まれ散々な目に遭いながらも、したたかに生きる笙子は、それでいて傍観者に過ぎないという自分の立ち位置を知っているのです。加治の仕組んだゲームの仕組み作りへの執念も理解しながら、「男の子の遊び」に女である笙子は混ぜてもらえないという、締念すら感じます。それが全体を流れる、さらりとした感触を作りいい雰囲気を感じさせます。キャラも伏線も巧みで、うまい作家だと思います。次作に期待できそうです。

籾山市太郎

「アッティラ!」

突然町に現れた大きなキャンピングカー。その中では、アッティルカイラーと名乗る移動民族が夜な夜な彼ら独自の音楽を演奏していた。会社員、キャバクラ嬢、パニック障害。少しの寂しさを抱える町の住人たちは、アッティルカイラーたちが奏でる音楽と振舞われる料理に引きこまれていく。「恋は素敵! 酒はうまい! 子供はかわいい!」アッティルカイラーが紡ぐ極彩色のフレーズが、何の変哲もない彼らの生活を鮮やかに染め上げていく。

不思議で陽気な音楽が、頭の中で鳴り響きました。しかも行動の中心にあるのは「神」の宣託というのが謎です。楽器や音楽描写がかなりの部分を占めますが、さまざまなこだわりやこだわりのなさが楽しめます。音楽で心が洗われ生き方を見直していく、そんな心理もうまく描かれます。こんなライブがあったら、ハマりそうです。

森田季節

「ともだち同盟」

高校生の千里、朝日、弥刀(みと)はある誓いを交わし「ともだち」になった。しかし「同盟」は朝日が弥刀に告白したことでゆらぐ。数日後、千里は駅のホームから落ちて死んだ。そして葬儀から数日後、千里からのありえない電話がかかってくる。「忘れ物をしてしまいました。近いうちにお迎えにあがります」という、誓いを試す謎の言葉だった。

女性二人と男性一人の危うい関係と、心の裏の裏を読む展開が、なかなかスリリングです。ガールズ・ラブ小説という印象ですが、仕掛けがおもしろいのと透明感のある文章が魅力があります。これからどんな世界を書いていくのか、ときどき読んでみようかと思います。

森田季節

「不動カリンは一切動ぜず」

HRV感染を防ぐため、すべての子どもたちが人工授精で誕生し、掌にノードを埋め込まれて生活する近未来。人々はノードを介して情報や思念を交換する。中2の少女、不動火輪(カリン)と滝口兎譚(とたん)は授業の自由課題で小学校の遠足バス転落事故を調査し、死亡前の生徒の思念記録を偶然手に入れた。その記録に関わる大きな陰謀と、二人の家庭の事情が複雑に絡み、次第に「国」まで顔を出してくる。

近未来SFというか、ビターなラノベであり、自在に展開する妄想世界がとんでもないのに、しっかり1本芯の通ったストーリーです。男女を問わず出産を望むなら、試験管の中で出来た子を自分の腹の中に一度移してから産む「腹子」という手段もあります。現実と地続きの親近感を持たせながら、 仏教や怪し気な宗教まで絡み、幻想的な不思議な世界に浸って遊べます。ラストできちんと収斂していくのはなかなかです。

森田季節

「ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート」

ごく普通の高校生の明海に、「僕、女の子を殺したんだ」と同級生・神野から電話がかかってきた。本来は信じがたい話を明海はあっさりと受け入れてしまう。なぜなら明海も小学生の頃、少女を殺したことがあるからだった。殺されるためだけに存在する「イケニエビト」の少女、人の記憶を食らう「タマシイビト」からの逃避行の記憶がよみがえる。

森田さんの文章と描く世界が好きです。レゲエとスカパンクが混じるバンドの烏子と知り合った神野が、自分は「イケニエビト」でもうじき「タマシイビト」に殺されるという設定が、不思議に現実にありそうな気がしてしまいます。誰からも忘れ去られてしまうより、よみがえるから殺してくれと迫られる心の葛藤も素直に読めます。ラノベの中でも、ビターな作品かも知れません。

森田季節

「プリンセス・ビター・マイ・スウィート」

理由不明の家出を繰り返す美少女・チャチャはクラスメイトから「魔性の女」と呼ばれるいわくつきの高校生だ。小悪魔的な言動のチャチャと小学生の頃から付き合いのある晴之は、ある日彼女のとんでもない秘密を知ってしまう。秘密を知られたチャチャは姿を消し、そのことでチャチャへの恋心を自覚した晴之は、風紀委員の神人と共にチャチャの捜索に向かう。京都の街で巻き起こる「首もぎ」連続殺人事件を背景に、晴之とチャチャの弟、謎のチャチャの兄の三人が絡んでしまう。

いじめキャラのチャチャに、にやりとさせられます。「イケニエビト」でと「タマシイビト」は、前作より影が薄れ、別な小説という感じです。ビターな味も薄れて、深い心理描写もなく、ライトなノベルになってしまったのが、残念です。

森 毅 著・安野光雅 画

【すうがく博物誌】

「小学校高学年からところどころ読めるが、内容を全部理解するには大学の数学科を卒業しなければならない」と、あとがきにあります。数行の文章で、数学の言葉をユーモアで色づけをした世界を見せ、シンプルで不思議を感じさせてくれる画で、にやりとさせてくれます。読みはじめたら、止められなくなるのです。そのすてきな1ページを あえて、そのまま紹介します。

「一月一日」
11時59分から1分たてば、0時0分になるのに、大晦日の翌日が、なぜ1月1日になるのだろう。0月0日、明けましておめでとう、と言ったほうが、0からの出発のような気分がするのではなかろうか。

(日めくりカレンダーの、最後をめくろうとする男性に、あっかんべーをするカレンダーの画)

三崎亜記

【となり町戦争】

北原は町の広報で、となり町と開戦になったことを知る。だが車で通勤する「日常」は、少しも変わらなかった。ところがひと月後の広報には、戦死者12人と出ていた。そして町役場から半年間の「戦時特別偵察業務」を命じられた。「となり町戦争係」のとてもかしこまった女性・香西さんに報告することになる。だが、局面打開のため「となり町特別偵察」を命じられ、香西さんと夫婦としてとなり町の「分室」に勤務することになる。次第に戦死者も増えていき、戦争に巻き込まれていった。

「となり町戦争」というどうしても現実感の薄い戦争と、その目的や進め方のどれもが奇妙に、知らない所で起きている感覚を、強烈に意識させられます。わずかに見える負傷者や、ちょっとした危険をかいくぐるゲーム的な戦闘にまで、シミュレーション感覚を覚えるように書かれています。現実の戦争を知らないわたしには、その場に居合わせたらこんなものかも知れないと、そうも思えます。イラクなどの戦争もTV映像でしかないことへの、痛烈なアイロニーかも知れません。どう読むか。すべてが、読者にゆだねられているようでもあるのです。

エピローグが5回も繰り返されるのは、いい足りなかったことの蛇足でしょうか。それを差し引いても、キャラが立っていて、おもしろい作品です。

三崎亜記

「ターミナルタウン」

静原町は駅を挟んで東西に分かれて、交流を断っていた。寂れていく一方のアーケード商店街は、取り壊しの危機にあった。「影」と共に感情や記憶も失った響一は、タワーの管理公社に勤務していた。闇を浴びて育つ「隧道」の後継者たちは仕事がない。見えないけれど「ある」ことにされているタワーからの保証金で暮らしている。かつて五百人以上を乗せて姿を消した「下り451列車」は、定時に光だけが駅を通り過ぎていき、駅長は通過を確認する。首都から戻った理沙は母と「鉄道もなか」を売る店を細々と続けている。町興しの一環で、新規の店舗入居者・牧人が店を開業し、様々な問題を抱え込んだまま、静原町に大きなうねりがやってくる。

久しぶりの三崎さんの作品です。変わらない筆運びは特有の喪失感で、全体を包み込んでいます。変わりようのない寂れた町は、アーケードを隧道の力で成功させると、外部からの力で窮地に追い込まれます。それを再起を賭けた方法で、人々の心もひとつになっていきます。ファンタジィとして良質なままですが、特有の空気感に入っていけるかどうかは好みによるかも知れません。中盤までの配分をタイトにして、ラストに持っていけたらと思います。

三崎亜記

【バスジャック】

「バスジャック」が国民的ブームになっている。公式サイトがあることで形式的になるきらいはあったが、人々は報道を見て応援し溜飲を下げるのだった。私の乗ったバスは、4人のシロウト集団にバスジャックされていた。乗客を楽しませないバスジャッカーに、ブーイングが上がった。乗客蜂起により制圧し、サイトにバスジャック解除の申請を送った。その直後「純粋なバスジャック」が起きる。・・・「バスジャック」

7作の掌編と短編集です。どれも小さな宝石箱を開けるような、不思議な雰囲気があります。壊れやすさを、作者は確信犯的に意識して描いた世界が魅力的です。わずか4ページの「雨降る夜」も印象に残ります。「動物園」の想像の空間も、「送りの夏」の死を受け入れるまでの独特の危うさも、こんな書き方もあったのかと、新鮮な展開を見せてくれました。次の作品が楽しみです。

三崎亜記

【失われた町】

ひと月前、数万人が瞬時に失われ、月ヶ瀬町は消滅した。残った町の地名、住民の痕跡を消すことにより、「余滅」を食い止める作業に当ったのは、No.34・茜たちだった。隣に住む中西さんが経営していた、ペンション「風待ち亭」で夜の闇に浮かぶ、町の「残光」を茜は見た。あるはずのない町の美しい光を、ただ受け入れるのだった。

30年前の町の消失の中で生き残った「特別汚染対象者」桂子さんは、次の消滅を食い止めるための組織の仕事を続けていた。桂子さんが失恋の最中、公園で出会った不思議なカメラマン。茜が出会った画家。古奏器の修理をする女性。それぞれが「風待ち亭」での最後の「残光」を見るために集う。

通低音として流れる喪失感と、悲しみの抑制や、じっと待つしかないと思われた目に見えない敵に立ち向かう人々の感情が、すれすれのリアリティで迫ってきました。共振(震)して揺れるわたしの感情が、深く悲しむのです。いつか遠くない世界で起こるかも知れない、人間たちの最後を、体感しているかのようです。絶望ではなく、かすかに残された未来を手にするために、信じるという言葉が重く残ります。

三崎亜記

「鼓笛隊の襲来」

ほんの少し、日常から逸脱した世界の9編の短編集です。完成度の高い作品だと思います。ただ、そんなにはかなくもろくて、内部で自己完結してしまって大丈夫でしょうか。ひっそりと胸の奥に哀しみを抱えている姿に、ため息が出てしまいました。前作からどんな変化があったのか、心配になるほどです。

三崎亜記

「廃墟建築士」

4編の短編集です。「時の経過によって醸成される」廃墟建築物に、シンパシーを感じ廃墟建築を目指すわたしは、建設会社の中でプロジェクトに加わった。理想的な廃墟建築を造ろうとするうち、他社による偽装が明るみに出る。

「七階闘争」「廃墟建築士」「図書館」「蔵守」の4編は、タイトルと設定の妙はいつも通りです。夜間図書の飛翔など、はっとする美しさと思いがけなさに息をのみます。ただ、ますます自己完結していて、読者との距離を感じます。かつての愛すべき人間への視点は、消えてしまったままです。心の中から熱い火が消え『虚無』の美を描かれても、読んでいて悲しくなるばかりです。外に開かれた三崎さんの復活を祈っています。

三崎亜記

「刻まれない明日」

3095人の人間と街が消え去ったあとも、あたかも彼らが存在するように生活を営んでいる。たったひとりの生き残り、沙弓は小さなラジオ局のパーソナリティをしている。消えた人から届くリクエスト曲のはがきが最近少なくなったと感じている。道を歩くことを仕事とする「歩行技師」。消えた街の図書館は利用記録が更新され、その通信を残された家族に届ける「担当者」は、利用数が減っていると思う。6歳の時父を亡くした駿は「開発保留地区」でかすかな鐘の音を聞き続けているが、聞こえなくなってきていると思う。

もう読むのはやめようと思った三崎さんでしたが「失われた街」の続編ということで、読みました。
住民ごと街が消滅する、その事件の10年後の残された人々の暮らしと心が、丁寧に繊細なタッチで描かれています。自分なりに生き方を見つけていく登場人物の姿を、各章ごとに鮮やかに切り取りながら、それぞれがどこかでわずかに繋がっていて、それをたぐり寄せるように物語は進み、美しいラストへと収斂されます。消えた町に関する謎解き、解説の章は、説明的過ぎますが、失われた街の世界観をどうしても記録したかったのだとは思います。深い喪失から再生へと踏み出したこのあとは、明るい作品に向かってほしいと願っています。

水生大海

「少女たちの羅針盤」

短編ホラー映画主演女優としてロケ現場にやってきた舞利亜は、急に変更になった台本を小出しに渡される。監督の芽咲監督は、舞利亜が4年前の伝説の女子高生劇団「羅針盤」出身だとスタッフに広めてしまう。撮影が進み、殺人の犯人役の台詞に、舞利亜は4年前の事件の思いが重なり恐怖に包まれる。そこへ脅迫状が届く。
4人の「羅針盤」は、高校の演劇部だけでは収まりきらないエネルギーだった。ストリート・ライブをやり、大きなフェスティバルへの出場を果たした。だが思いがけず、メンバーの一人が死んでしまう。

物語は舞利亜が次第に追い詰められていく現在進行と、「羅針盤」の物語が交互に描かれていき、最後にふたつのストーリーがみごとに収斂されます。演劇への熱い思いや4人芝居のおもしろさが、ここちよく伝わってきます。それぞれの家族事情もきちんと絡ませ、練習場の書き割りもうまいです。進行形の撮影現場の臨場感もすごいです。勝手気侭な監督と、なんとか撮影をさせようとするスタッフたちの動かし方も自然です。細かな伏線の張り方もいいです。ひさびさに、書けるミステリ作家が出てきたなという印象です。次作に注目したいですね。

水生大海

「かいぶつのまち」

演劇大会の前日、出演者たちが次々に体調を崩し、上演作品「かいぶつのまち」に見立てたかのように主役に繰り返しカッターナイフが届く。元「羅針盤」メンバーは、後輩との壁の大きさに戸惑いながらも、その隙間に巣くう「かいぶつ」を探し始める。

大人になった劇団「羅針盤」元メンバーが。母校のトラブルに巻き込まれる。「部活動ですから」と言う後輩とメンバーたちの演劇に対する気持ちのギャップと、顧問の教師と部員の気持ちのギャップにひやりとさせられます。作中内作品のおもしろさがあり、犯人である怪物を暴く劇は強烈な印象です。犯人は怪物ではないけれど、心に住む怪物がいるのですね。

水木大海

「熱望」

田舎暮らしが嫌で実家を出た清原春菜は、地方都市で派遣社員をして暮らしている。三十路を迎えて婚活も考えたが、結婚相談所で紹介された男にお金を騙し取られ、派遣先からも仕事を切られてしまう。実家に援助を頼むが春菜の居場所はとうになく、家賃や公共料金の支払いさえ滞る始末だった。ハローワークに通ってもろくな再就職先はなく、次第に毎日の食事にも困窮する春菜は、自分には、世間からお金を返してもらう資格があると思い、「ある行動」に出る。やがて追われる立場になり、逃避行を続けながら、なお自らの肉体を武器にタフに人生を生き抜こうとする。

わずかな幸せを願う女性が、騙され、失業し転落し、逆に「悪」の立場に立つ女性はよく書かれますが、春菜は「悪」を繰り返しながらもどこか抜けていてドジで、成功はしません。よくも悪くも、生きていく知恵が身に付いていないのです。欲望への執着がありません。生き抜くなにかが、決定的に足りません。騙される側から騙す側にまわることですら、ただ周りに流されていく底流は変わらないのです。あまり後味がよくありませんでした。

水生大海

「てのひらの記憶」

江戸時代から続く質屋・結城屋は、美術学部の女子大生・円と、祖母と二人で営んでいる。結城屋の女性は代々不思議な力が受け継がれ、円には物に刻まれた記憶を感じることができた。持ち込まれたアクセサリーから不穏な記憶を感じ取った円は、持ち主の女性のマンションへ行くと、警察の藤堂が捜査を始めていた。真っ赤な薔薇の中で女性は自殺していた。その隣の部屋には大学の同級生、深見が住んでいた。
真珠のネックレスに残された母から娘への愛情。サイン色紙に込められた少年からのSOS・・・。

5編の短編集です。質屋に立ち寄る警察官・藤堂や、祖母、円、感情を殺している深見など、キャラが立っていてミステリになっていておもしろい作品です。リストカットを繰り返していた、深見の姉の行方不明も絡み物語に厚みがあります。円の力には限界があるし、事件が解決しても人の心はすぐには解決しません。それでもこんな力を持つ人がいたら、ほんの少し希望があるのではないでしょうか。

水生大海

「転校クラブ 人魚のいた夏」

父の仕事で転校ばかりしている14歳の早川理にとって、「転校クラブ」サイトは愚痴の吐き出し口だった。今度の学校は海と遊園地の近くで馴染めるかと思ったが、なかなか難しい。リーダーになりたがる龍之介と知り合う。金持ちらしい美佐姫との人魚道の探検に行き、閉じ込められてしまうが無事救出される。次には龍之介が誘拐され、切断された指が送り届けられ、パニックになる。

中学生の友人関係がこんなに大変なのかと、遠い昔を思いながら読みました。人魚の伝説のある洞窟に惹かれました。 展開が早いのと、余分なものが少ない潔さで読ませます。大人の世界と中学生の世界が交叉した、不思議な時間体験物語でした。

水生大海

「善人マニア」

「私は善いことだけ、積み上げてきた」真面目で努力家の珊瑚。他人をアテにしてばかりの翠。中学時代に同級生だった二人は、修学旅行で、一人の男性を死なせてしまった。二度と会わないはずの二人だったが、結婚を目前に控えた珊瑚の前に翠があらわれる。次第に蘇る過去の記憶、身勝手な翠の振る舞い、突如連絡をよこす別れたはずの不倫相手、そして、新たな惨劇とともに明らかになる過去の事件の真相。

いいことをすると何かがあったときに、きっと救われるという、天秤のような運命を信じて真面目に生きる珊瑚の思考は、読んでいても息苦しくなります。かと言って、翠ほどどうにかなるというその場しのぎの思考にも付いていけません。振り回される珊瑚と、振り回す翠の両面から描くことで見える心理が、破天荒でおもしろいです。不倫相手と奥様とその息子との絡みも、なかなか伏線がうまくできています。最後に運命の天秤がどちらに傾くのか、ラストまで目が離せませんでした。

水生大海

「夢玄館へようこそ」

失業中の花純は、古いアパートを改築してできたショッピングモール「夢玄館」の管理人代理を引き受けることになった。伯母の退院までのつもりだった。家賃の滞納も多く、癖のあるわがまま放題のショップオーナーたちと日常的なトラブルに頭を抱える。そこに潜む黒い影を見据えながら、花純は事件を解決していく。母親の思いとの対立も、最後は伯母の願いを叶えようと反対する。

最初は花純の投げやりな姿勢に反発を覚え、なかなかストーリーを素直に受け入れられませんでした。ショップオーナーを見る花純の目が変わっていくことで、ようやく共感できました。アクの強い人間の多面性を、うまく描いていると思います。どたばた喜劇になる寸前で止めていて、花純の成長を促す展開はなかなかおもしろいです。ただわたしの好みの問題ですが、投げやりな人物が苦手です。

三上延

「ビブリア古書堂の事件手帖 2 栞子さんと謎めく日常 」

「ビブリア古書堂」の女店主が帰ってきた。だが、入院以前とは勝手が違う。店内で古書と悪戦苦闘する大輔に、戸惑いつつもひそかに目を細めるのだった。変わらないのは、持ち主の秘密を抱えて持ち込まれる本だった。まるで吸い寄せられるかのように舞い込んでくる古書には、謎と想いがこもっている。

以前事件を起こした小菅奈緒は、妹が書いた「時計仕掛けのオレンジ」の感想文を大輔に見せます。妹の担任の教師から母親に注意めいた言葉があり、母親が妹にうるさく干渉してくるのをなんとか止めたいと、奈緒は誰かの意見を聞きたいというのです。感想文を見た店主・栞子さんはなにか思うところがあるらしく、妹の来店を依頼します。どの章も、捻りがあり楽しめます。シリーズ2作目の今回では店主・栞子さんの過去が見えてきます。想像を超えたものがありました。おもしろいです。

三上延

「ビブリア古書堂の事件手帳〜栞子さんと奇妙な客たち〜」

鎌倉の片隅でひっそりと営業をしている「ビブリア古書堂」の店主は、古本屋のイメージに合わない若くきれいな栞子さんだった。長編の本を読むと頭の痛くなる大輔は、祖母の遺品の中から出てきた「漱石全集」を見てもらうため店主の元を訪れ、アルバイトとして働くことになる。入院中の栞子さんは人見知りな性格だが、古書の知識は並大低ではない。いわくつきの古書が持ち込まれると情熱を燃やし、まつわる謎と秘密を次々に解き明かしていく。

古書に書かれたサインや宛名から、本に関わる人たちの人生の断片を見てしまう推理力に、引きつけられます。人と本の間にあるものに向けられる視線が暖かく、いい本との出会いをしたくなります。その一方で、栞子さんが放火犯を逮捕させる策を労するなど、ミステリとしてもしっかりと伏線を張りひねりを加えたりします。シリーズ化するようなので、続きを読みたくなりました。

三浦明博

【滅びのモノクローム】

CM制作会社の日下は、骨董市で古いフィッシュングリールとフィルムを手に入れた。知人のマニアに売りつけようと思っていたが、政党のCMに使おうとした。湿原を撮影地に決め、一応了解を取ろうと市の女性・花とコンタクトを取ろうとした。市にリールとフィルムを出した花は、それを聞いた祖父が心臓発作を起こし後悔した。週刊誌だと名乗る記者が、祖父に近づいてくる。

素材の良さで読ませます。ただ視点が動き過ぎ、枝葉末節を切れない文章は、致命的かもしれません。謎もインパクトに欠けますね。と、辛口。

光原百合

「最後の願い」

新しく劇団を作ろうとしている度会(わたらい)恭平は、納得するメンバーを集める過程で出遭う謎を解かずにはいられない。何気ない出来事だと思っていたことが、実は思いもよらぬことだった。女優を目指す響子がお屋敷で目撃した、お嬢様が引きちぎられた薔薇の水滴をハンカチで拭くことの意味とはなにか。

いくつもの“日常の謎”ミステリの横糸の展開と、劇団旗揚げの縦糸が丁寧に織り込まれていき、ラストで見事に収斂します。演技力もあり頭もキレる劇団員も、集まるメンバー一人一人にまで行き届いた目線があります。それらが向かう先の楽しみが、読んでいてもどかしいですが、一場面一場面が暗転して動きが変わっていく描写がおもしろかったです。冒頭の某歌手の歌詞に腰が引きかけましたが、最後まで読んでよかったです。

光原百合:著*鯰江光二:絵*小原孝:演奏

「虹のまちの想い出」

美しいイラストと、ウィリアム・ギロックの曲にのせて描かれる幻想短篇集です。森や海、雪や秋の景色、花、鳥や虫、猫の幻想が、わずか数ページに凝縮されています。言葉のリズムを、イラストがいっそう引き立てています。見開きのページのイラストが特にすばらしいです。この世界から出たくないと思うほど、心地よくきれいな本です。CDのピアノはわたしには別な世界だったのが残念です。

光原百合

「扉守 潮ノ道の旅人」

瀬戸の海と山に囲まれた懐かしいまち・潮ノ道にはちいさな奇跡があふれている。不思議なきらめきと魔法が行き交う、特別な場所で不思議な光景が見える。

持福寺住職の了斎(りょうさい)をはじめ、片耳ピアスの青年、時空を超えた絵を描く絵師、編み物作家など、不思議の力を持つ人たちが、日常と異世界の境界者が、共存しています。ただ、時にそれを乱すものが現れると、境界の扉を開け追い出すのです。ふわふわと美しいのではなく、怖さも描かれ、さりげない日常にしてしまう力量に感心させられます。2作目ですが、過去作品をたどってみようと思います。

光原百合

「十八の夏」

4篇の短編集です。文章が新鮮で、丁寧に人の心の動きを感知できる目線のよさがいいですね。展開は先が読めそうでいながら、うまく伏線が張られています。良質の、初めて書いたミステリという感じです。成長が楽しみな作家です。

光原百合

「遠い約束」

浪速大学文学部に入り、憧れのミステリ研究会に迎えられた桜子は、遺産相続を巡る遺言捜しの協力を求める。

6篇の短編集です。優しさが伝わってくる大阪弁というのは、初めてです。関東大震災というのは、当然だろうとは思いますが、こんなところにまで影響しているのですね。いい作品だけに、表紙や各篇の漫画イラストがどうにも不似合いで残念です。編集者の問題でしょうけれど。

光原百合

「時計を忘れて森へいこう」

高校生の翠は、同級生たちとの微妙な関係に心を痛めていた。不思議な魅力を持つ森の案内人で、環境教育などを進めるシーク協会の護さんとの会話は、不思議なことに世界の見方が変わる気がした。森と護さんの魅力に引かれ、ときどき森を訪れた。同級生の恵利が静かな坂崎先生に、激しく叩かれる場面に遭遇した翠と冴子は、その原因を探ろうとした。

護さんが語る美しい物語が、静寂な森を訪れる人が抱えている悩みを軽くします。 人間関係のなかでの、ちょっとした思い違いや誤解を翠が護さんに相談すると、さらりと別な見方があることを示してくれます。森の魅力と護さんの人間像の魅力と、成長過程の翠の心の軌跡が心地よく感じられます。美しいものを美しいと語り、風や光を伝えられる、貴重な作家だと思います。

道尾秀介

「貘の檻」

電車の向かいのホームで、顔に傷を持つあの美禰子が、辰男の目の前で死んだ。32年前、父親が犯した殺人に関わり行方不明だった美禰子が、今になってなぜ姿を現したのか。心臓病の薬が見せるのか、悪夢にうなされた。離婚した元妻の仕事の都合で、しばらく預かることになった息子・旬也と一緒に、真相を求めて信州の寒村を訪ねた。同郷の三ツ森の屋敷に滞在した。カメラマンの彩根と出会い、村の風習の新しい発見をする。かつて村に水を引く穴堰を掘る大規模な工事が、三ツ森六郎実允の指揮で行われ、村は水田で潤った。だが辰男を次々に異様な出来事が襲い、ついには旬也が誘拐されてしまう。

死ぬつもりだった辰男を引きずり込むように、事件が起きていきます。殺されたと思われていた美禰子が生きていたこと。当時もう一軒の名家・檜場と美禰子を殺したとされ、堰の放水で父の死体が発見されたこと。本当に父親は犯罪を犯したのか。一人一人が思い悩み恨んだ相手が、少しづつずれていきます。ボタンを掛け違えた服を無理矢理合わせようとする善意や悪意が、更に事態を複雑にしていきます。入り組んだ人物や時代を超えた村の空気、悪夢を押しのけ現実の足場に立とうと苦戦する辰男の描き方がうまいです。久しぶりに作者の本気の作品を読めてうれしいです。

道尾秀介

「透明カメレオン」

ラジオのパーソナリティの恭太郎は、冴えない容姿と真逆の、特別魅力のある声でリスナーを引きつけている。毎夜いきつけのバー「if」で仲間たちと過ごし、そこでの話を楽しくて面白おかしい話につくり変えてリスナーに届ける毎日だった。恭太郎が「if」で不審な音を耳にしたある雨の日、びしょ濡れの女性が店に迷い込んできた。次の日もやってきた恵の身の上話に同調し、彼らは殺害計画に参加することになる。

登場人物たちの、じれったいほどの伏線めいた会話や行動に引っぱられて読みました。笑えるほどの押しの弱い恭太郎が、一人一人の言葉を聞き記憶し、裏にある隠れた嘘を感じ取ります。論理的に想像する能力が、おもしろい設定です。次第に日常の謎解きミステリからホラー・アクションめいた展開も、楽しめます。ラストは少々やり過ぎかも知れません。

道尾秀介

「ラットマン」

姫川亮たちは小さなスタジオを借りて、長いことバンドの練習をしていた。経営者の野際は、きょうでスタジオを閉めると告げた。竹内、谷尾と桂はこれから先のことを考えなければならなかった。最後の練習に熱が入る。前任のドラムで桂の姉・ひかりは倉庫で野際から頼まれ、機材の整理をしていた。練習が終わった時、野際がいないことに気付き探しているうちに、倉庫で死んでいるひかりを発見する。

亮と桂とひかり。それぞれの心の奥に抱えている過去の傷に、浮かび上がらせようとするために、時間的な遡行が煩わしさともどかしさを感じます。けれど事件の真相と二重の真相もうまく処理されて、好感が持てます。善意と、言葉で伝わりにくい心を巧みに描いていると思います。他の作品も読んでみたい作家です。

道尾秀介

「シャドウ」

我茂洋一郎は妻の咲恵をガンで失った。残されたのは小学生の凰介との静かな暮らしだった。幼なじみの水城徹と妻の恵、娘の亜紀が心配をしていた。親子2代がそれぞれに同級生という付き合いだった。洋一郎と水城は同じ相模医科大学で仕事をしている。二人はそれぞれに、秘かに精神薬を飲んでいた。そんなころ、水城が研究室に残っていた夜、その屋上から恵が投身自殺をした。家に残されいた遺書らしいメモを、亜紀は見つけたが知らなかったことにした。凰介はときどき見る不思議な映像に思い悩んでいた。そんな二つの家族を心配していた田地教授に、相談してみる。

二つの家族それぞれの視点から、起きていることを描き分け、複雑な過去の記憶も、自殺の件も、次第に明らかになっていきます。けれど絡まった人間関係が、まったく別な表情を見せていくのが、構成のうまさと相まって収斂されていきます。裏の裏の裏。道尾さん、やりますね。

道尾秀介

「向日葵の咲かない夏」

小学4年の1学期最後の日、休んだS君の家にプリントを届けにいったミチオは、S君の首つり死体を見つけてしまう。ところが学校に知らせに行き、岩村先生や警察が行くと形跡は残したまま死体が消えていた。ミチオは母親から嘘つきと責められるが、蜘蛛の姿をしたS君が現れ自分の死体を探してほしいと言うのだった。

いままでの作品とはひと味違う、ホラーっぽさを持っています。動物の惨殺死体がそう感じさせるのかも知れません。蜘蛛のS君や妹のミカの存在で現実との境界を曖昧にしながら、百葉箱の検針のアルバイトをしている泰造老人の視点と交差させる手法が、いくつもある想像・仮定の選択を広げるのに効果的だと思います。ちょっとダークですが、おもしろさを増したこの作家の方向を見ていきたいと思います。

道尾秀介

「片眼の猿」

盗聴を専門とする探偵・三梨は、メーカーの谷口楽器からライバル会社・黒井楽器がデザインの盗用をしているのではないかという調査を受けた。盗聴を続ける三梨は、サングラスの女性と知り合い、同業者から引き抜きに成功する。二人は黒井楽器から書類を盗み出すが、殺人事件に巻き込まれてしまう。

冒頭からキャラのイメージを、読者の思い込みをたくみにミスリードしていきます。トランプを使った謎かけや、同じアパートの住人たちの怪しい雰囲気が、おもしろい雰囲気を出しています。ミステリとしても捻りの捻り、という遊びもありゲーム感覚で楽しめます。

道尾秀介

「ソロモンの犬」

雨に降られて、立ち寄った喫茶店に、偶然メンバーが揃った。その時、男子大学生の秋内は自転車便のアルバイト中で目の前で、大学女性助教授の小学生の息子・陽介が散歩させていた犬が、突然車道へと飛び出し大型トラックに轢かれてしまった。見ていたはずの京也の言葉に、嘘があるのではないかと考えていく。おかしな動物生態学の助教授の助力も得て、次第に事件の真相に迫っていく。

登場人物の一人一人の言動を突き詰めていくおもしろさに、引かれました。秋内の心の中や、京也の思いがけない陰の部分、女友だちの思い。それらを受け入れようとする姿勢に、好感が持てます。青春のほろ苦さがいいですね。

道尾秀介

「背の眼」

作家の道尾は静かな東北の白峠村を訪れた。民宿温泉・あきよし荘の主人・歌川は気さくで食事もおいしかった。数年間に子どもの誘拐事件が多発していると言う。子どもの頭部が見つかったという滝の河原を歩くと、亡くなった子どもの祖父・糠沢と出会う。妻も亡くしていて二人暮らしだったと歌川が教えてくれた。そして幻聴に恐怖を感じ、帰京した。心霊現象探求所の同窓生の真備(まさび)に相談すると、助手の北見と共に白峠村に再び行くことになる。そして事件の真相が次第に見えてくる。

道尾さんのデビュー作です。ホラーのジャンルになっていますが、ミステリで括られる作品だと思います。張り巡らせた伏線や細部の描写や、人物を深く描き出し、ラストまで引っ張る筆致は見事です。ラストがどうしても説明になったのはやむを得ないところでしょう。村の天狗伝説や狐憑き、東海道五十三次の絵、殺人事件との絡みもうまいです。2作目からの絞ったストーリーの原点として、おもしろいです。

道尾秀介

「カラスの親指」

武沢は鍵開けの腕を持つテツさんと組んで、詐欺で暮らしていた。かつて武沢は、会社の同僚の借金の保証人になりヤミ金から多額の債務の取り立てを受け行き詰まった。ヤミ金から雇われ、「わた抜き」と呼ばれる債務者の最後の金を脅して取り立てた。だがその女性が自殺したことを知り、債務情報を持ち出し警察に自首した。摘発を受けたヤミ金のヒグチからの脅迫が始まった。

軽いタッチのいままでの作品とは別な、しっかりした手応えがあります。賞を狙っていますか?道尾さん。執拗なヤミ金業者からの放火や、追い詰められていく人の心理が、重くならずしかし深く描き読ませます。ラストの捻りも、さらなるどんでん返しも納得のいくおもしろさでした。少しづつ繋がる人間関係や、見える顔とほんとうの顔。それらが引き起こすストーリーが、一気に読ませます。

道尾秀介

「鬼の跫音」

6編の短編集です。子どもが飼い始めた鈴虫が、男の過去を蘇らせてしまう。..「鈴虫」教室で嫌がらせを受ける少年が、不思議な女性と出会い、秘密が守れるなら助けると言われた。・・「悪意の顔」

ごく普通の暮らしの中に、ふと見える人の心の奥にあるものを鬼と捉え、うまくまとめていると思います。ただ道尾さんは長編に向いているのかも知れません。自分の中にも何かあるのではないかと、覗いてみたくなるようなきっちりとした作品ですが、物足りなさが残りました。

道尾秀介

「龍神の雨」

蓮と中学生の妹・楓は、義父をうとましく思いながら暮らしている。義父の楓への危険が迫っていると感じた蓮は、湯沸かし器をつけっ放しにし、寝ていた義父が死んでくれたらと願いながら仕事に出かけた。一方、義母とうまくいかない中学生の辰也と弟の圭介は、蓮の勤める酒屋で万引きに失敗する。店長の半沢は不在で、蓮は諭すだけにした。大雨の中、蓮が帰宅すると楓は義父の死体を指し示す。乱暴されそうになったので抵抗したら死んだと言う。蓮は必死に考えを巡らす。

全体に降り掛かる雨を感じ、雨の飛沫を浴びているような印象が残ります。うまいですね、道尾さん。やはり長編で力を発揮する作家だと思います。心理に添って描いていくので、登場人物の視点でつい読んでしまいます。次第に多方面から姿を現す事件の真実が、やはりラストで捻りがありました。題材の悲惨さを感じさせずに、巧みに描く素質があると思います。おもしろいです。

道尾秀介

「花と流れ星」

霊現象探求所の真備は、売れないホラー作家の道尾とバーで会ったマジシャンに、彼が過去に彼自身の右手首を消し てしまったトリックを言い当ててみろ、と迫られた。 もしできなければ、二人の右手を消す、というのだ。・・「モルグ街の奇術」
霊現象探求所には、傷ついた心を持った人たちがふらりと訪れる。友人の両親を殺した犯人を見つけたい少年。拾った仔猫を殺してしまった少女。自分のせいで孫を亡くした老人。彼らには、誰にも打ち明けられない秘密があった。

5編の短編集です。道尾さんの短編はいままであまりストンと落ちてこなかったのですが、今回はうまいと思いました。秀逸は強烈な印象を残す「モルグ街の奇術」と、ラストの悲哀に満ちた「花と氷」です。長編だけではなく短編がうまいというのは、切り取り方が鮮やかになった証だと思います。

道尾秀介

「球体の蛇」

17歳の友彦は両親の離婚により、隣の乙太郎さんと娘のナオの家に居候していた。奥さんと姉娘サヨは7年前、キャンプ場の火事で亡くなっていた。どこか冷たくて強いサヨに私は小さい頃から憧れていた。だが彼女が死んだ本当の理由を、誰にも言えずに胸に仕舞っている。乙太郎さんの手伝いとして白蟻駆除に行った屋敷で、友彦はサヨによく似た女性に出会う。彼女に強く惹かれた私は、夜ごとその屋敷の床下に潜り込み、老主人と彼女の情事を盗み聞きするようになる。だがそれは、さらなる悲劇を引き起こす。

道尾さんはすっかり大作家に成長した印象です。初期の作品とは違う世界を書いてきています。どこまで人間の感情を表現できるかということを真摯に追求した作品だと思います。他人を想うからつく優しい嘘・狡い嘘、偽善・・・などが絡み合い、登場人物それぞれが抱える秘密の数々は、いくつもの顔を見せ、変貌していきます。題材としてはあまり好きな分野ではないのですが、巧みな心理展開に引き込まれてしまいました。決して過去に戻ることができない、切なさが胸に残ります。痛いです。

道尾秀介

「光媒の花」

印章店を細々と営み、認知症の母と二人、静かな生活を送る正文は、ようやく介護にも慣れたある日、幼い子供のように無邪気に絵を描いて遊んでいた母が、決して知るはずのない笹の花を描いていることに驚く。三十年前、父が自殺した日、母は何を見たのだろうか。・・「隠れ鬼」

共働きの両親が帰ってくるまでの間、内緒で河原に出かけ、虫捕りをするのが楽しみの小学生の兄妹は、ある恐怖からホームレス殺害に手を染めてしまう。・・「虫送り」

6編の短編集です。なにかの賞を受賞を目指していると強く感じさせるほどの、道尾さんの変化に驚かされます。いままでと同じく、底に流れる人間の暖かさを描いているように見せながら、ぞくりとする氷を飲まされた感触があります。深層に眠っていた閉じ込めていた記憶の、真の姿に愕然としました。悪意や殺人、性的虐待、貧困、孤独に目を背けることができない現実が確かにあることを、突きつけられます。ラストで救われるのでほっとしますが、どこかはらはらさせる危険な匂いが残ります。

道尾秀介

「月の恋人 Moon Lovers」

冷徹にビジネスを成功させる家具の会社レゴリスの青年社長・葉月蓮介が、夜の上海で巡り合った、ただの派遣社員だった弥生の物語です。蓮介が自分を見つめ直していく過程で、美貌の中国人モデル・シューメイや、部下の社員らを巻き込んでしまう。

恋愛ものが得意ではない、道尾さんの作品と言えばそれまでですね。なんとか花火の美しさや懐かしさで色づけして、崩壊を免れた感じです。よくある使い回されたシチュエーションは、なにやらドラマのために・・・という裏事情が透けて見えてきます。

道尾秀介

「月と蟹」

小学生5年の慎一はクラスになじめず、家でも母親に感じる異性の影にわだかまりがある。唯一の友だち・春也と、よくヤドカリを捕まえて遊んでいるけど、春也にも父親の虐待を感じさせる家庭環境がある。つらくても、悲しくても、子どもだからどうしようもない。無力な二人は、いつしかヤドカリを「ヤドカミ様」として祭り、願いを込める。ねじれた祈りは大人たちに、そして少年たち自身に、不穏なハサミを振り上げる。

クラスにとけ込めない慎一は、机の中にいじめにも似た手紙を入れられます。子どもの世界の心理的な関係が抜群に切れ味よく描かれています。子どもだからこその残酷さは、ライターの炎で焼かれるヤドカリに端的に象徴されます。しかし大人の作る環境、現実から逃げられない、その追い詰められた感じは胸に突き刺さるように痛いのです。やっかいなものを抱えていそうな鳴海という女の子が入ることで、慎一と春也の関係にもヒビが入り嫉妬が湧きます。何ともいえない嫌悪感、このざわざわとした気持ちのまま引き込まれるように読み続け、ラストで跳ね上げられるように救われます。道男さんの作品で、ここまで深くえぐる作品は初めてかも知れません。死んでほしいと願う慎一の、気持ちの葛藤と行動が秀逸です。

道尾秀介

「カササギたちの四季」

店員2人の「リサイクルショップ・カササギ」は、赤字経営の店だ。店長の華沙々木は、謎めいた事件があると、商売そっちのけで首を突っ込みたがるし、副店長の日暮は、売り物にならないようなガラクタを高く買い取らされてばかりだった。だが、入り浸っている中学生の菜美は、居心地がいいらしく帰ろうとしない。ある日、店の倉庫に泥棒が入り鳥のブロンズ像の台座に放火されてしまう。

事件が起きると、華沙々木が間違った推理をする。それはそれで決着したように見えますが、語り部である日暮がヒロインである菜美を「落胆」させないために裏工作をして辻褄を合わせているのです。ふんわり心暖まる作品ですが、道尾さん。力抜き過ぎじゃありませんか。まるで初期の「いまいち」作品に戻ったようです。

真梨幸子

「ふたり狂い」

女性誌「フレンジー」の人気連載小説「あなたの愛へ」に登場するその主人公が、自分だと思い込んだ同姓同名の川上孝一は、思い余って著者の榛名ミサキを刺してしまう。それに端を発して起こる、デパ地下惣菜売り場での異物混入事件、ネットでの企業中傷事件、そして郊外マンションでの連続殺人だが、その背後に見え隠れする謎の女マイコとは。

いまの社会に蔓延しているクレーマー、ストーカー、盗聴、ネット上の悪意など、日常から一歩踏み出したわずかな狂気を見せてくれます。それらが連鎖する、あるいは意図的に繋ぐとどこに行きつくのでしょうか。作為的過ぎるのと、ホラーまではいかない少し後味の悪い印象が残ってしまいました。

真梨幸子

「四〇一二号室」

タワーマンションの最上階、四〇一二号室に暮らす、人気作家の三芳珠美の本は売れまくっている。珠美が取材のために「裏町」と呼ばれていた、所沢の花街を訪れる。一軒の古本屋の老婆の話から暗い過去を知る。一方、根岸桜子は、珠美と同時期にデビューした売れない30代の小説家で、安マンションで妬ましく思っていた。ある日、大停電が起こり珠美がマンションから転落し植物状態になる。その日から桜子の運命が逆転した。次々にヒット作を出し、珠美の四〇一二号室を手に入れる。編集者の西岡から、所沢の花街をテーマに書くことを求められる。

病院のベットに横たわる女性が、意識だけがあり記憶を取り戻していくという、一人称の記述が読者をミスリードしていきます。さらにマンションの案内人の「訳あり物件」の語りが、不気味な味付けを出しています。花街に置かれた暗い女性の恨みは、テーマとしてはありふれていて新鮮さに欠け、奥行きや掘り下げのなさが残念です。

室積光

「史上最強の内閣」

北朝鮮が、日本にむけた中距離弾道核ミサイルに燃料注入の報が入る。支持率低迷と経済問題で打つ手なしの政権与党・自由民権党の浅尾総理は危機に直面し、「本当の内閣」に政権を譲ることを決意した。アメリカをすら「あないな歴史の浅い国」と一蹴する京都出身の二条首相たちは、ド派手な登場をする。龍馬ふうの坂本外務大臣、山本防衛大臣、高杉総務大臣、忍者ふうの官房情報調査室長たちの創意のもと「鉄砲玉作戦」を発動した。笑って笑って、涙する、史上初の内閣エンタテインメントだ。

アメリカを交渉の場に引き出し支援を引き出そうとする北朝鮮の姿は、2年前に書かれたものですがタイムリーな作品です。いまの日本に「こんな内閣があったら」さぞ痛快だろうと思います。北朝鮮書記長の次期候補と見なされる男性の、日本での破廉恥映像すら利用し、TV女性アナウンサーを笑い飛ばします。教育問題への皮肉もあります。自国内で国民が飢え膨大な死者を出したことがない、アメリカの本音と感覚への洞察力、北朝鮮へ残していたスパイとの情報交換、そのしたたかな対応と哀しみはなかなかです。彼らの言う、日本人の戦争への深いところの反戦感覚への信頼を、わたしも信じたいです。架空の内閣ですが、ぱっと出てさっとやってササっと幕を引く、まさに明治維新の勇者の集まりです。時期が時期だけに、笑い飛ばせたらいいですね。

汀こるもの

「リッターあたりの致死率は THANATOS」

まわりで次々と人が死ぬ「死神」体質で魚マニアの少年・立花美樹が、観賞魚展示会に出かけた。会場の客が毒殺され、お守り役の高槻刑事の身にも異変起きる。混乱の中、美樹が誘拐されてしまう。美樹の双子の弟・高校生の真樹が、毒殺の真相、誘拐の意外な背景に迫る。そして美樹と誘拐犯の運命はどうなるのか。

伏線が張られ、ラストまで持っていく構成力がいいですね。誘拐された美樹が、読経をしたり犯人たちに向けて話すその一見むちゃくちゃな論理展開の話がおもしろいです。魚の生態、歴史、生命誕生、そしてさりげない仲間割れの誘いに、犯人たちが誘導されてしまうなど、思いがけないところで楽しめます。ラストはなかなかシニカルです。

汀こるもの

「赤の女王の名の下に TANATOS」

情報漏洩、そして少年犯射殺の責任を問われ閑職に回された警察官僚・湊俊介は、エリート街道復帰めざし、警察トップにも影響力ある財閥の婿選びパーティに、高校生探偵・立花真樹と参加する。だが館で令嬢が殺害される。家名に傷がつくことを厭う遺族、自己保身に走る湊、大人の事情で事件はあらぬ方向に処理されるが惨劇は続く。

高校生探偵・立花真樹と双子の兄・美樹は「死神小僧」と呼ばれ、彼の現れるところに死体があるといいます。双子と、湊の掛け合いのうんちくが全開し、にやりと笑いながら楽しめます。ミステリ要素より、イェイツの英文詩や日本のミステリ作家、熱帯魚の飼育までばか話に近いものが、妙にわたしのツボに入るようです。

汀こるもの

「完全犯罪研究部」

ミステリについて語り合い、校内で発生した事件を推理する醍葉学園「推理小説研究部」。だが顧問教師・由利千早は就任早々知ってしまった。部員・杉野更紗の姉を殺した犯人をはじめ、悪人の始末を目論む「裏の部活動」を。ある日、完全犯罪テクを研究する部員たちはそれを武器に大暴走を始める。

高校生の部員らの行動、アイデンティティに揺れる様子は、思春期特有のものでイタいです。それを上回るとんでもない行動力が、救いかも知れません。キャラ設定がきちんとしていて、おもしろいです。

宮下奈都

「よろこびの歌」

御木元玲は著名なヴァイオリニストを母に持ち、声楽家を目指していたが音大附属高校の受験に失敗してしまう。新設女子校の普通科に進むが、挫折感から同級生との交わりを拒み、母親へのコンプレックスからも抜け出せない。しかし、おなじくどこか挫折感を抱えたクラスメイトの千夏、早希、史香、佳子、ひかりたちと過ごし、合唱コンクールを機に、頑なだった玲の心に変化が生まれる。

高校生の頃の自分がどんな感情を抱えてたのか、忘れていた部分を思い出した気分です。彼女たち一人一人の物語が、心の揺れが、繊細に丁寧に積みあげられ、最後の1話で、みごとに収斂されます。感情に走らず冷静でいてきちんと書ける貴重な作家かも知れません。出だしはよくある話なので、読むのを止めようかと思いながら次第に引き込まれて読みました。児童書(高校生の)としてもきれいな作品です。

宮下奈都

「スコーレNo.4」

麻子、七葉、紗英の三姉妹は、一人一人の個性の違いがある。骨董品店の父が、麻子に見せる品物はどれも忘れられない美しいものだった。祖母の厳しく毅然とした姿勢は、受け入れるしかない完璧さだ。ささやかな憧れのような恋は、麻子はそこに、何かを、誰かを、ほんとうには愛することができない苦しさを知ってしまう。

麻子の、自分より華やかな名前と容姿の妹、七葉にコンプレックスを抱くこども時代の描写が印象に残ります。こんなに丁寧に書き込める作家は久々の感じです。伏線とも違う、散りばめられた物や人が、必ずしもラストで収斂するわけではないのですが、作者のこだわりが感じられます。そのステップを踏まないと先に進めない、そして気付くと走り出している物語があります。

宮下奈都

「遠くの声に耳を澄ませて」

息子が世界中を旅したいと言って、一人暮らしをしている母の元に届く絵はがきには「ここにも猫がいる」という短い文章だった。・・「どこにでも猫がいる」

12編の短編集です。錆びついた缶の中に、おじいちゃんの宝物を見つけたり、幼馴染の結婚式の日、泥だらけの道を走った記憶や、大好きなただひとりの人と別れたことなどが、看護婦、OL、大学生、母親の普通の人たちがひっそりと語りだす、大切な記憶なのかも知れません。短すぎてうまく伝わらないものもあります。書き出しの独特の空気感が、印象に残ります。

宮下奈都

「メロディ・フェア」

大学を卒業した小宮山結乃は、田舎に戻りショッピング・モールのビューティーパートナーになった。だが先輩の馬場さんと違いお客は思うように来ず、家では化粧嫌いの母と妹との溝がなかなか埋まらない。ある日、いつもは世間話しかしない女性が真剣な顔で化粧品カウンターを訪れた。

なにも変化のない日々の積み重ねの中で、劇的に変わるポイントがあるのかも知れません。化粧品の販売という地味なのか華やかなのか曖昧な仕事で、ふっと自分の思いを重ねてしまいました。「あなたはそのままでいいんです」そう言われた時、何を感じるでしょうか。受け取る側の立ち位置で左右されますね。など、読みながらふんわりとした世界を味わっていました。

宮下奈都

「誰かが足りない」

予約を取ることも難しい、評判のレストラン「ハライ」に、10月31日午後6時に、たまたま一緒にいた客たちの、それぞれの物語。認知症の症状が出始めた老婦人、ビデオを撮っていないと部屋の外に出られない青年、人の失敗の匂いを感じてしまう女性など、「ハライ」の予約をするシーンまでの物語りが詰まっている。

レストランで来る予定の人がまだ座っていない席というのは、かなり手持ち無沙汰ですよね。そこに着眼した物語は、それぞれの人生を切り取って見るようです。ふんわりとマシュマロのようなファンタジィです。物足りなさは作者の方向性としては、やむを得ないところでしょう。

宮下奈都

「たった、それだけ」

笑顔で優しくて出勤する夫・正幸は、生まれてきた子にルイと名付けるはずが「涙=ルイ」と書いて出生届を出したことに、妻は衝撃を受ける。一生を涙を背負う人生を歩かせることになる、子どもの未来が見えないのだろうかと。会社からは海外営業部長の夫が、贈賄行為に携わっていたことを知らされる。さらに浮気相手が押し掛けてくる。そして戻って来ない夫。夫のことを何も知らなかったことを痛感する妻の絶望。

ひどく重くてやりきれなさが、これでもかと押し寄せてきます。その描写が妻の心理に寄り添い過ぎて、読んでいて頭が呆然としてきます。社会的に周りも見えず、家庭の中でしか思考が広がらない優柔不断さに、浸食されそうでした。自分なりの答を見つけ出す結果にも、なんとも言えない後味の悪さが残りました。作者が、論理的思考ができない病気にでもなったのかと思うほどです。この作品は、無しでした。

三浦しをん

「船を編む」

玄武書房に勤める馬締光也は営業部では変人として持て余されていたが、新しい辞書『大渡海』編纂メンバーとして辞書編集部に迎えられる。個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく。しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか。

いまさらですが読みました。部員たちを突き動かしていくのは、言葉への愛着といういうか、執念ですね。そうやって完成させた辞書が、現代ではどの程度活用されているのか。新語をどう取り入れていくのか。日本語自体がどう変貌していくのかを想像すると、後を追っていく仕事で歴史を刻む仕事なのかと思います。

水原秀策

「メディア・スターは最後に笑う」

天才ピアニスト瀬川恭介は誘拐され、放り出されて発見されたとき、ポケットには切り取られた指が入っていた。それはかつてピアノを指導したことのある堂上亜紀のものだった。復帰をかけたコンサートは間近に迫っていたが、恭介は警察とマスコミ攻勢に翻弄される。テレビ局記者の奈緒は、恭介犯人説に疑問を抱き独自に調査を進める。

鼻持ちならないエゴイストの恭介と、俗物だらけの家族やマスコミ関係者と警察の猥雑さに、辟易しながらも読んだのは、ピアノ演奏と深い理解を感じさせる描写があったからです。出だしも車のトランクで聞くピアノの音であり、ラストのピアノ演奏のシーンもうまいです。

両角長彦

「ブラッグ 無差別殺人株式会社」

ワンマン社長の命令に従って、社員が殺人を遂行する。それが株式会社ブラッグ社の業務内容だ。当初は無差別殺人が理想だったが「請負制」への移行を主張する反社長派の台頭で、社内抗争が激化。やがて明らかになる、ブラッグ社と国家権力との意外な関係・・。

掌編、ショートと、切れ味のいいメリハリのあるブラックな作品になっています。ジョークっぽさが、実際の黒さを軽くしています。仕事として請け負う殺人と、勝手に殺し合う場合の、定義がないので怖さを感じさせます。こういう作風も書くのかと、両角氏を見直しました。いまさらで、すみません。おもしろかったです。

両角長彦

「ハンザキ」

競馬解説者の娘の誘拐事件、弟分がヤクザに持ち掛けられた高額のポーカーゲーム、ルーレットに耽溺する政治家に仕掛けられた罠。破天荒な凄腕ギャンブラーの半崎が、地下格闘技で「命」を賭けたゲームに挑む。

短編とショートの組み合わせが、前作に続きうまいです。長編より向いているかも知れません。1時間のドラマにしてもおもしろそうです。余計な描写は削除されていながら、スリリングな心理が伝わってきます。

両角長彦

「便利屋サルコリ」

失言議員がいれば辞職の危機から救い、自殺志願者がいれば思いとどまるよう説得し、行方不明者のブログ代筆や替え玉受験、切腹する男の首の切断まで引き受ける。便利屋の破天荒3人が巻き込まれていく。

7つのミステリーと5つのショートストーリーで、歯切れよく構成されています。シニカルな笑いと、ブラックな展開が楽しめます。

両角長彦

「デスダイバー」

FA社は、バーチャル・リアリティが日常の娯楽として定着しつつある中、究極のアミューズメントとして期待のかかるVD(バーチャル・デス)を開発していた。開発に成功した日本企業FA社が原因不明の爆発を起こし、VDの関係者ほぼ全員が死亡した。事故か、破壊工作か。事故調査委員会から協力を要請されたUAI(未確認事象捜査官)藤森捷子が見たのは、常識では考えられない異様な爆発現場だった。調査を進めるうち、VD開発の裏で隠され続けてきた暗部が次々に明らかになっていく。もはやアミューズメントの域を超え、人類の「在りかた」そのものを変えようとしているVDの真の機能とは何か。

早いテンポでの展開が、近未来の世界に引き込まれておもしろいです。脳死から生還した少女・凛はデコーダーとして繰り返し実験に参加させられる、過酷な実験動物扱いをされます。拝島記者は同じ実験に加わることにしますが、その裏には密命を課せられます。死者と生者の世界を繋ぐという設定も興味深かったです。軽く読めますが、考えさせられるテーマが意外にあとでボディブローとして効いてきました。

両角長彦

「大尾行」

押田探偵社に勤める村川は、尾行能力に長けていて、数年前にヘッドハンティングされた。最新システムを駆使し、司令官・南の指示で動くうち、尾行の対象者が、なぜか追跡者の目の前で自殺する数が多いことに気づく。ほかのメンバーたちが必ず見失ってしまうという女性を追跡する。都会の雑踏で十数人で囲む中でさえ、ロストしてしまった。ある製薬会社の元社長宅に通う彼女を追ううちに、事件に巻き込まれていく。その女性は製薬業界の地図を塗り替える大合併の成否を握り、予測できない行動に村川は翻弄される。

勝つのはハイテクか、アナログか。ロストのタイムラグの謎とはなにか。製薬会社の宿命。前作だけで終わるかもと思っていた作者が、コンパクトな中にたくさんの要素を詰め、読者をミスリードし、着地しました。文章の荒さや漢字のバランスの悪さや視点のぶれなどの傷はあるものの、読ませました。もちろん編集担当者の頑張りがあったのだとは推測しますが、これで次作へ繋がったならおもしろい作家に化けるかも知れません。

両角長彦

「ラガド」

私立中学校に刃物を持った男が侵入する。女子生徒・藤村綾が、彼の行動を見て叫んだ。「みんな逃げて」。綾は果敢に男に立ち向かうが、刺し殺されてしまう。逮捕された犯人はその時の記憶がないと供述した。警察内で秘かに行われたシミュレーションで、いくつもの生徒たちの行動が浮かんでくる。犯人・日垣はモンと呼ばれ、娘の里奈が自殺したのは「いじめ」によるものだと思い込んでいた。強力な父親の後ろ盾から、クラスのボスと言われている生徒の存在、綾への教師からの驚きの指示が明らかになる。物語が二転三転していくなかで暴かれる真相とはなにか。

文章の下の教室の図解で、番号化された生徒たちの行動とその思考が明確になっていきます。ナンバーを顔に貼りつけて監督の指示通り動きだし、犯人との会話や、生徒同士の会話のときはカメラがズームアップするという、まるで芝居の鳥瞰図のようです。多人数を必要に応じて浮かび上がらせる手法は、逆に考えると都合がよ過ぎるという弱点にもなりますが。題材は書き尽くされたものですが、展開がおもしろいです。幾通りもの事件の裏で起きている学校と生徒の関係や、教師も含めて絡み合う人間関係を、しっかりと構想を練って描いた作品です。こういう書き方もあり、ですね。なかなか楽しめます。

森 晶麿

「ホテル・モーリス」

芹川准は叔父の会社の社員だったが、突然ホテルの支配人を任された。期間は6日間、ギャングたちの大宴会までだった。客数の減少と予算不足と問題が山積みのホテルで、准はオーナーのるり子、コンシェルジュの日野たちと仕事を始める。初日から早速、怪しげなカップルと奇妙な少女とギャング、世界的バレリーナまでもがチェックインした。「お客様の心に寄り沿った最高のおもてなし」をする伝説のホテルを、維持できるのかさえ危うい状況だった。

おもてなしと裏の顔のスタッフたちが痛快です。必死に乗り越えようとする奮戦が、読んでいて楽しいです。ちょっとしたシニカルなやりとりもいい雰囲気です。

森深紅

「ラヴィン・ザ・キューブ」

初出荷記念式典も予定されていた、最新型の建設ロボットの不具合に水沢依奈は工場に駆けつけ、すばやく間違えた部品を見つけ、180体の部品交換を指示した。その力を見込まれ、依奈は特別装備機体室に異動になった。アンドロイドのアリーに偏執するヤンを始め、個性的な天才たちの集まりだった。仕様の異なる10体のアンドロイドを、わずか20週で製造する新たなプロジェクトが、スタートした。

少し未来の世界という設定です。そぎ落とした鋭角な言葉のリズム感が、心地よい作家です。思考回路が数学的なところが好きです。それでいてどこかに人間くささを愛している空気があります。後半が少し息切れしたのか、ラストが惜しいです。長編を書いていくと、おもしろい作家になりそうです。

森深紅

「安全靴とワルツ」

オリオン自動車の浜松工場工務課に勤める敦子は、突然本社への出向を命じれられた。同じ工場に勤める恋人の里谷は、行って欲しくなかったらしい。赴任すぐに敦子は、小型車シンシアのモデルチェンジのチームの一員に任命された。秒刻みのスケジュール、本社と工場の板挟み、海賊騒動、悪夢のようなフランス出張、あげくの果てには、中国の企業が大きく立ちはだかる。パンプスのヒールを折った敦子がたまたま入った靴店で、赤い靴を買うことになる。敦子は、颯爽と仕事する上司の京子やまじめな智江、意地悪で女っぽいマナに囲まれながら、多くの困難を正面突破していく。

仕事のことになると全力疾走してしまう敦子に、つい共感してしまいます。猛勉強して身につけた知識や人脈を駆使して、課題をやり遂げていくのはなかなかできることではありません。3人の女性たちの迷いも伝わってきます。赤い靴を履いた少女が死ぬまで踊り続ける童話が引き合いに出されるのは、仕事をする女性がいまも置かれている状況を表わして妙だと思います。名前だけ男女同権、現実の男社会、その中でのたくましい女性たちに拍手です。

森 深紅

「アクエリアム」

深い森の中に建つ、全寮制の女子校・遠海学園の校則は、「外出の禁止」「制服着用」「男女交際の禁止」。三つ校則を、自分たちの境遇を童話と重ね合わせた少女たちは「人魚姫の禁忌」と呼んでいた。中等部二年生の少女・瞳子は、同級生の遊砂から「夜の水族館を見に行かないか」と誘いを受ける。瞳子には、たとえ規則を破ったとしても夜の水族館を訪れたいと願う理由があった。過去にも禁忌を犯したと噂される、自由奔放な遊砂の真意はどこにあるのか。 瞳子だけが知る、水族館の魚たちに課せられたルール探しがたどり着く先とは。

他の世界を知ることができない狭い学校の中だけの息苦しさと、それを受け入れて行く生徒と、どこかで叛逆し脱走を試みる生徒が出ます。管理システムのほころびを見つけ、逃走した瞳子と遊砂がたどり着いた場所もまた、多少の違いはあるが閉ざされた場所でした。おそらくSF的に想像できる外の世界から、安全に隔離された学校ですが、どこにでも反逆児はいるのです。見出すのが絶望だとしても、進もうとする強い意思は人間の持つ生命力でしょうか。見えない世界が現実の社会を表わし、なんとも皮相です。おもしろいです。

森見登美彦

【太陽の塔】

ファンタジーという分類になるらしいですが、京都大学生の、日常の手記という形での小説だろうと思います。

わたし(森本)は、水尾さんにはかない恋心を抱いたが、袖にされた。友人の飾磨(しかま)の夢玉(タイムカプセル)を開けたら、別人の書き付けが入っていた・・・。

森見さんのボキャの不思議な力が、最後まで読ませてしまうのです。明治の文豪たちが好んで使うだろう言葉が、ちりばめられ、全体をひとつの物語世界に作っていきます。
籠絡、非難囂々、陋屋、闊歩、魔手、邪眼、融通無碍、など。読者がそう取るだろうという、受け止め方を知った上での冷静な書き方は、思わずにやりとさせられます。

森見登美彦

【夜は短し歩けよ乙女】

わたしは大学のクラブの後輩の彼女に、一目惚れした。彼女は一人で、先斗町界隈を歩いた。ひたすらお酒を飲みたかった彼女は、錦鯉を商売にしている東堂さんや、李白さんなど奇妙な人たちと知り合い楽しく飲みあかすのだった。そして古本市や学園祭へと彼女が出かけると聞くと、わたしは追いかけた。なんとか近づこうと必死なのだが、彼女は本に夢中な上に、怪しい知人や本屋の店主たちが放っておかない。

「わたし」と「彼女」の二人の視点から描かれていく、古い京都の昭和初期の雰囲気が漂う、アニメタッチの作品です。酔ったときの、モノクロからスタートしたはずが、ふいに強調気味のカラーの世界に変わるのが印象的です。「偽電気ブランのお酒」、李白さんの「三階建電車」、神出鬼没の小さな「だるま」、「韋駄天コタツ」、背負って歩く「緋鯉」など、人物も小道具も効果的です。想定外な展開とスピード感で、微妙なバランスを取っていて、不思議な魅力の作品です。

森見登美彦

【きつねのはなし】

古道具屋「芳連堂」ナツメさんの使いで、アルバイトの武藤は天城さんの家を訪れた。ナツメさんの品を壊して責任を感じていた武藤は、依頼の品と交換に、天城さんに使い古しの電気ヒーターを渡すことになった。次にヒーターを返してもらうために、狐の面を所望された。武藤は次第に、恋人の奈緒子とナツメさんもろとも、天城の思惑に引き込まれて行く。・・・「きつねのはなし」

4編の短編で、1話目が秀逸です。怪しい屋敷の空気や、狐の面、黒塗りの盆、幻灯機などが、そのまま目の前に浮かび上がるような気がしました。ぬらりとしたカエルや金魚が、まるで手で触れて動いたような感じで、色鮮やかな妖しさがあります。静かな展開で、時間軸をねじ曲げたような雰囲気がよく出ています。夏の夜の、ぞくりとした怪談話の趣向が、いいですね。

森見登美彦

「新釈 走れメロス」

「走れメロス」(太宰治)「桜の森の満開の下」(坂口安吾)「山月記」(中島敦)「藪の中」(芥川龍之介)「百物語」(芥川龍之介)という古典を大胆リメイクした作品です。

5編それぞれの味わいが違います。特に、「走れメロス」「桜の森の満開の下」が印象に残ります。登場人物や舞台背景が2作品以上にまたがって描かれているなど、きちんと計算した設定も、ストーリー展開のおもしろさにつられているうち、意識せずに読ませてしまいます。かなり強引に森見ワールドに話を引き込んでしまう、作者の奔放さに感心したり、多少あきれたりしました。そしてちょっぴり物悲しさを残す、森見さんらしさがあります。原作を読んでいない方は、読後に読みたくなると思います。

森見登美彦

「有頂天家族」

人間・天狗・狸が暮らす街・京都に、狸の下鴨四兄弟は一族が暮らしていた。天狗の赤玉先生に、読み書きから化け方の心得まで学んだ。狸汁にされて亡くなった父の威光が消え、二男は身をはかなんでカエルになり、井戸から出てこない。なんとか一族の誇りを保とうと、長兄は狸界の頭領に名乗りを上げるが、邪魔が入る。敵対する夷川家、半人間・半天狗の「弁天」を相手に、京都の街を縦横無尽に駆けめぐる。

破天荒な展開と、奇想天外なキャラ設定が以前より壮大になり、それでいて構成がしっかりしていると思いました。奔放に飛び廻る描き方もうまく、映像化したらさらにおもしろそうです。作家として存外骨太な印象を強くしました。

森見登美彦

「美女と竹林」

竹林を愛してやまない登美彦氏は、知り合いの所有する竹林の整備を買って出る。竹取物語から始まる、竹林への妄想を膨らませる登美彦氏は、重労働に懲りもせず作家として締め切りに追われながら、なんとか伐採や筍取りに出かける。

キャラ登美彦氏が、どこまで作家本人と重なるのか、苦笑しながら妄想に付き合った感じでした。いままでの作品とは別な、困った顔がちらりと見えたような気がしました。作品としては残念ながら、あまりおもしろいとは言えないのですが、読ませてしまうのです。

村上龍

「オールド・テロリスト」

福島の原発事故から7年後、フリーライター・セキグチも40代後半だが、週刊誌は売れなくなり仕事を失い、充実感を失い、家族を失い、誇りを失い、ほぼホームレス状態だった。不安になると精神安定剤や睡眠導入剤を、酒とともに常用し寝落ちする。予告テロ事件が相次いで起き、なぜかセキグチは命がけの取材をするはめになる。商店街で知った書道教室で、魅力的で不思議な女性カツラギと出会った。アメーバ的な老人たちの組織の、リーダー格のミツイシとの接触がセキグチを更に深みへと追い込む。

新幹線車内での炎上自殺が起きた現在、村上さんはどんな視点で見ているのだろうと気になって読みました。現実に起こりうる事件で恐怖に捉えられ、流されていく情けないセキグチを容赦なく描いています。精神科医アキヅキとの奇妙な会話、ミツイシとの会話、消え入りそうな細いつながりが、かろうじてセキグチを老人たちと向かい合わせます。けれど満州国、対戦車砲、発射実験と矢継ぎ早の老人たちには、おそろしいほどのリアリティがあります。彼らの静かな怒りの前で、嘔吐し動けなくなるセキグチがいまのわたしたちでしょう。包囲され排除される老人たちが、ラストでにやりとした表情のしたたかさはかすかな希望を残したと思います。的確な現実への切り込みですが、現実は小説より更に速度を上げて進んでいます。アメリカへのゴマすり戦争法案が国会で成立しそうな、危うい時期です。村上さんはどこまで現実のスピードに食らいついてくれるでしょう。

村上龍

「希望の国のエクソダス」

2002年、失業率は7%を超え、円が150円まで下落した日本経済。アフガンゲリラに参加した16歳の少年をきっかけにして、日本の中学生80万人がいっせいに不登校を始める。彼らのネットワーク「ASUNARO」は、ベルギーのニュース配信会社と組んで巨額の資金を手にし、国際金融資本と闘う。少年犯罪の凶悪化、学級崩壊など、さまざまな教育問題が噴出し「学校」「文部省」「親」と責任の所在をたらい回しにする世間を尻目に、子どもたちは旧来の前提に縛られた大人の支えを必要としないことを立証する。やがて北海道に移住し、地域通貨を発行するまでに成長していく。

設定の子どもたちの「物質的になんでもあるが、希望だけがない」という言葉はいまも状況は変わっていません。さらに悪い事態も迫っています。村上さんの作品からはずいぶん遠ざかり、しかも15年前の作品ですが、インパクトがありました。激しい感情の発露のない子どもたちの表情が、近未来だとすると背筋がぞっとします。希望を見出し続けられるのでしょうか。「ASUNARO」崩壊の予感がわずかに描かれているままに終わります。最近の作品も読んでみたいと思います。

村上龍

【悲しき熱帯】

フィリピン、ハワイ、グァムなどを舞台に、男は旅をする。そこに暮らす人間や鳥や動物たち。
魚眼レンズを通して見るような、なまなましい存在感のある世界を描いていきます。さらに生き物を包む雑多な匂い、空気までもが息苦しいほどの濃密な世界です。
会話と地の文が同じように書かれているので、一層強調されているように思います。皮膚感覚までが、ねばねばと同調していくのです。不思議な世界です。
そして、くぐり抜けてみるとひ弱な自分という存在があることを認識させられる。それもまた「生」のひとつの形だと、受け入れるしかないのである。不条理な世界を強調することで、現在の自分の置かれている生ぬるい暮らしを、なんとかしようと立ち上がらせようとしているのか。
辻さんの「千年旅人」と、続けて読むことでなにか共通するものが見えてきたように思います。男性の「生」のせつなさや、哀しさみたいなものが...。

町田 康

「パンク侍、切られて候」

盲目の娘は、歩き疲れて座り込んだ老いた父を木の根元で休ませていた。牢人・掛十之進は、いきなり父親をばっさりと切り捨てた。声をかけた長岡主馬に理由を聞かれ、父親は『腹ふり党』の一員であり、『腹ふり党』が各藩に流行すると国は滅亡するからだと言う。主馬に取り入り、仕官の橋渡しをさせた。そしてまんまと城内に入ったが、十之進は次々と騒ぎを起こした。

舞城さんを思わせる文節の長さで読者を巻き込み、時代小説の中に現代文をためらいもなく放り込み、どこに着地させるのだろうかと最後まで読ませてはくれます。言葉によって、既成の時代小説の殻を破るために、書かれた作品なのでしょうか。すべてを否定する。だからあのラストになるのでしょう。ただ、おもしろいかとなると微妙で、馴染めない感じが残ります。

枡野浩一

【ハッピーロンリーウォーリーソング】

ネットの「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載された短歌を文庫化したものです。タイトルが「あしたには消えてる歌」。

こんなに短い言葉で、こころにしみてくる歌があるんですね。これは、ぜひお勧めです。ちょっと生きていくことに、立ち止まったり冷たい風を感じた時に。

『階段をおりる自分をうしろから突き飛ばしたくなり立ちどまる』『とりあえずひきとめている僕だって飛びたいような気分の夜だ』

森岡浩之

【夢の森が接げたなら】

社内言語、個人言語などがあふれる世界で、電子標準語との翻訳ソフトを駆使する言語デザイナー・矢萩織男は、亜佳理との結婚を間近にしていた。だが彼女の弟が、新しい人工言語の虜になり意志が通じなくなったという。欠陥言語ではないのか?矢萩は、調査を進めていく...。
『夢の森が接げたなら』

総合メディア企業の取材記者の美樹は、バイオテクノロジー会社の社長・植野に呼びつけられた。植野は膨大な投資をして開発した「アレ」を食べるのだという。取材した美樹は『愛』にこころを奪われる。そんな残虐なことは、許せないと正義感に燃える...
『スパイス』

短編集ですが、全体でひとつの長編としても読めます。ここまで人間を描くSF作家がいたことを、初めて知りました。人間という存在の限界を感じさせられます。人間の怖さをかいまみるようです。

森真沙子

【化粧坂KEWAI-ZAKA】

変化に乏しい銀行の仕事に飽きていた美和子が、ふと誘われた古典の読書会。鎌倉時代からの旧家の篠宮瓔子の美しさと、花の香りに包まれた家のたたずまい、物語の魅力に惹かれて通ううちに、美和 子は不思議な体験をする。

鎌倉時代の後深草院ニ条の書いた物語を、古典調で分かりやすい文章で挿入し、一層のあやしい雰囲気を盛り上げている。その赤裸々な愛欲の物語が、美和子のこころにクロスしていく...。

しっかりとした構成、臨場感を持たせる人物、背景などなど、見事な小説です。映画化してもおもしろい視覚的な印象が残ります。

森真沙子

【邪視-東京ゴーストストーリー】

3人の友情の証として中学の校庭に埋めたペンダント。廃校になり高層ビルが建築される前にと、一美はシャベルで土を掘り出そうとする。学校のプールで溺死した元子、大学受験に忙しい夏子。それぞれに、もうここへはこられない。

基礎工事が始まっているビル建築の責任者の貴部は、現場で起きる不思議な現象に次第に巻き込まれていく。校舎あとでの少女の死、作業員の相次ぐ不審な事故に加え、現場には遺跡が埋もれている可能性があるという理由で、教育庁からのストップがかかる...。

やはり、うまいです。森さんは。一気に読ませる力があります。欲をいうなら、結末をきっちり書き過ぎることかも知れません。

森真沙子

【快楽殿】

ネット古書店「書肆ロルカ」の店主・矢城は、富豪の漆原から本探しの依頼を受ける。耽美と贅の限りをつくした古書「快楽殿」を求めて動きだしてすぐ、周囲に異変が起こる。情報をもらうために行った先で死体と遭遇する。想像もしていない裏の世界へと、引きずり込まれていく...。

森真沙子は、構成力がありストーリーもおもしろい。人物が善悪人を問わず、個性的だ。レベルの高さはさすが、と思わせてくれます。ただ読者のわがままを言わせてもらうなら、作者の琴線に触れる部分が見えないこと。キングふうにいうなら、おもしろがって書いていない...。

宮部みゆき

【R.P.G】

ひさしぶりの宮部みゆきです。ネット上の家族の「お父さん」が、殺された。疑いはその「家族」たちに向けられる。取調室という限定された舞台設定です。ネットをされない宮部さんの目から見る、ネットの世界。ちょっと違うかも知れません。仕掛けも、それはないんじゃないかな、という感じが...。

残念です。出版する本すべてがおもしろく、というのは無理でしょう。「模倣犯」は大作だったようですが。

yui-booklet を再表示

inserted by FC2 system