伴名練

「なめらかな世界と、その敵」

いくつもの並行世界を行き来する少女たちの1度きりの青春を描いた「なめらかな世界と、その敵」/ 「ゼロ年代の臨界点」/「美亜羽へ贈る拳銃」/「ホーリーアイアンメイデン」/ソ連とアメリカの超高度人工知能がせめぎあう改変歴史ドラマ「シンギュラリティ・ソヴィエト」/未曾有の災害に巻き込まれた新幹線の乗客たちをめぐる「ひかりより速く、ゆるやかに」。6編の短編集。

何の説明もなく物語が始まり、いきなり異世界に放り込まれました。どんな世界なのか捉えようとすると逃げられたりして楽しみました。真っ当な人間像がある、基本はしっかりしたSFです。それぞれの作品に個性があっていいですね。長編ができるのを待っています。

広川純

「一応の推定」

保険調査事務所の村越は、定年間近の身だった。電車事故でホームから転落して死亡した原田の調査を命じられた。自殺であれば保険金の支払いはなく、事故であれば支払われる。家族からの話を聞くと、孫の海外での心臓移植手術に多額のお金を必要としていた。仕事上の借金もあった。周囲からの自殺説を心から追い出し、無心に事件を追いかけていった。

丁寧な論理の積み上げ方が見事です。派手さはどこにもなく、ひたすら聞き取り調査を続ける展開ですが、引き込まれて読ませるものがあります。転落した場面を誰も目撃していない状況から、いくつもの推定が考えられます。だからラストがひと際印象的で、光り、読後をさわやかにしてくれます。

橋本紡

「毛布おばけと金曜日の階段」

お姉ちゃんのさくらは毎週金曜日、階段の踊り場で“毛布おばけ”になる。高校生・未明(みはる)とさくらの彼氏・和人と3人で過ごすこの金曜日は、父と母を失い姉妹だけで生きていく未明にとって、家族を実感できる心地よい時間だった。お菓子をむさぼるように食べ、和人と他愛ないおしゃべりをすることで、心のわだかまりを融かすヒントをつかんだ。親友の真琴との別れ、和人のバイト、断れずにつき合ってみる都筑とのぎくしゃくした関係。未明は、考えながら進んでいく。

はっきりと意見を言えない未明の、無理せず、ちょっとづつ大人になっていく物語です。心を見つめる視点がいいですね。頑張らず、でも希望を持って先のことを考えられるようになるという、読後感がいいです。

橋本紡

「ひかりをすくう」

グラフィックデザイナーの智子は、仕事を辞めることにした。評価もされていたが、多忙の生活を送るうちに、パニック障害になってしまったのだ。職場で知り合った哲ちゃんはひと足先に仕事を辞め、料理の上手なパートナーとして家事をこなしている。ふたりで都心から離れ、家賃の安いところで生活することにした。心が休まった頃、不登校の女子中学生、小澤さんの家庭教師を始めた。そして拾ってきた猫のマメとの生活は穏やかに続く。そんなある日、哲ちゃんの元妻から電話が入る。

柔らかい文体が心地よいですね。物語としては大きな山場も、日常のほんのちいさなできごとです。二人の暮らしと視点は、ふんわり、ほっとします。智子が手のひらで光をすくうシーンが美しく、印象的です。全編を通して美しい語感に浸れる、幸せ感がなんとも言えません。何かに悩み、迷いを抱いているとき、すっと心の中に入ってくるかも知れません。

橋本紡

「月光スイッチ」

恋人で不倫相手・セイちゃんの奥さんが子供を産むために実家に帰っているという。香織はセイちゃんの管理マンションの1室で、仮の新婚気分を味わうことにした。待ち望んでいた二人だけの穏やかな日々のはずだったが、落ち着くのは広めの押し入れだけだった。離婚するつもりもなく、香織とつきあっていきたいというセイちゃんを、複雑な思いで見つめていた。ある日、住人のシングルマザーの吉田さんの子・ハナちゃんと一緒に出かけることになった。

日常のなにげない動作や風景の描写に、詩のような美しさを感じさせる橋本さんの文章に惹かれています。無理をして頑張る暮らしとは正反対の、ゆるゆるとした時間の心地よさが魅力です。わたしにはできない「仮の穏やかさ」を味わいながら、ときどき、登場人物にしっかりしろよと言いたくなったりはするのですが。

橋本紡

「流れ星が消えないうちに」

手作りのプラネタリウムで愛を告白された奈緒子は、恋人・加地君が、異国で女の子と事故で死んでから、1年半がたった。奈緒子は、加地の親友だった巧と新しい恋をし、ようやく「日常」を取り戻しつつあった。だが、玄関でしか眠れなくなってしまったことは誰にもいえなかった。離れて住んでいる家族とも連絡が薄れがちだった。そんな折、家出してきた父と、追いかけてきた妹から聞かされる崩壊寸前の家族の話に、またもや心が揺れ動く。

一人一人の心の動きが丁寧に描き込まれていきます。ゆっくりと彼女の内面で何かが動いてい過程に、歯がゆいけれど無理がなく納得できます。さりげない日常の連続を描いているのに、不思議と胸の深いところに届いてくるところが、橋本さんの味わいだと思います。プラネタリウムの光の美しさが感動的です。読み終わったら夜空を見上げて、あなたも星に願いをかけてみてください。

橋本紡

「空色ヒッチハイカー」

勉強もスポーツも万能で、東大に余裕で合格し、国家公務員試験にも合格し、財務官僚となるはずだった兄が、 突然、弟の前から消えてしまった。18歳の夏休み、弟彰二は受験もすべて投げ出し、 川崎から九州を目ざして旅に出た。兄の残した年代物のキャデラックと免許証があれば怖いものはない。ヒッチハイカーの、ミニスカの謎の美女・杏子ちゃんが、旅の相棒になった。個性あふれるヒッチハイカーたちと出会いを繰り返しながら、彰二はひたすら走り続ける。

いままでの作品は静かに心の中へ入っていくものでしたが、今回は外に出てあらゆる人間たちと関わっていきます。青春の無謀さと、関わりを通じえて得るかけがえのない何かが、彰二を変えていきます。ちょっぴりの胸の痛みと、希望を感じさせるラストもいいですね。

橋本紡

「九つの、物語」

両親が海外旅行に出かけ、一人残った大学生のゆきなの前に、2年前死んだお兄ちゃんが幽霊として戻ってきた。どこから見ても、生きているように見えるお兄ちゃんと料理を食べ、音楽を聴き、小説の話をした。恋人の香月くんにも、普通の兄として紹介した。だが次第に、お兄ちゃんの伝えたいことがわかってくる。

泉鏡花「縷紅新草」太宰治「待つ」などの9編の小説を、ゆきなが読んでいきます。それは兄が古書店から購入したもので、ストーリーとなにげなくシンクロして、うまい構成だと思います。おいしそうな料理のシーンひとつひとつのも、意味付けがあり、ゆきなの心理描写も丁寧です。心に残るラストが、いいですね。ケレン味もなく、静かな雰囲気ですが、好きです。

橋本紡

「橋をめぐる」

深川を中心にした周囲の6本の橋をめぐる短編集です。隅田川の花火が、地元の人にとっては昔からあるお祭りのひとつだというのは、新しい発見でした。家を出て東京で仕事をしていて、ふと戻ってきた姉と、迎える弟の話。元銀座一のバーテンが営む、小さなバー。志望校を家庭の事情から諦めるしかないのかと悩む高校生と、幼なじみたちが渡る堤防の上の風景。両親の不仲から祖父に預けられた小学生が、地域ぐるみの繋がりのある地で感じる 温かい人と人との関係。

そんな忘れかけた、育った街の空気がとてもうまく伝わってきます。もしかしたら、大切なものはもうすでに失われているかもしれないけれど、手に握りしめていたいと思わせてくれる暖かなストーリーです。

橋本紡

「もうすぐ」

ネット新聞を担当する由佳子は、産婦人科医逮捕事件を取り上げることになる。苦悩する不妊治療の女性や、関わる産婦人科の医師や看護師たちのがんじ絡めの医療制度への絶望感。そんな中、怪しい宗教まがいの団体も現れる。そして友人が深夜、出産を迎える。

出版社での由佳子の視点で物語が進み、全体を面白いものにしています。個々の件は、妊娠と出産をめぐる現実の厳しさを描きながら、心の見つめ方がやさしく描かれていて救われます。現実はもっと厳しいのかも知れません。逮捕事件や「お産難民」など深刻で解決の糸口さえ見えない、難しい問題だと思います。そういう現状を切り取り、波紋の一滴を落とした作品だと思います。いままでのファンタジックな作品とはがらりと違った、けれど橋本さんらしい視点が見えて、ほっとしました。

橋本紡

「彩乃ちゃんのお告げ」

素朴で真面目で礼儀正しくて、一見ふつうの5年生だけど彩乃ちゃんには、周りの人のちょっとした未来が見えている。幸運をよぶ少女と、日々小さなことで迷っている人たちのひと夏のファンタジィだ。
ボランティアで石段を掘り起こすことになっ高校生のた辻村は、じりじりと夏の熱に灼かれながら、ひとりで苦悶し自分の道を探していく。そこへお使いでおにぎりを届けにくる彩乃ちゃん・・。「石階段」

3編の短編集です。教祖さまの彩乃ちゃんは、ほんの少し行く道が見えます。周囲の人たちが、彩乃ちゃんを通して自分の内面を見つめ直していくようすは、少し苦く、そしてほほえましいです。さらりとした描き方は少し物足りないけれど、読後感のいい作品です。

橋本紡

「猫泥棒と木曜日のキッチン」

あっさりと普通に、お母さんが家出した。残された高校2年生のみずきは、だからといって少しも困ったりはしなかった。弟コウちゃんと、淡々と日常生活を送る。将来高校を卒業するまでのお金は残してあるし、木曜日には、怪我でサッカーを奪われた同級生の健一くんが来て、一緒に食事をしコウちゃんと遊ぶ。だが道路でひき殺された子猫の死骸をみつけたみずきは、庭に穴を堀り埋める。子猫たちが捨てられる原因を見つけたみずきは、健一くんと一緒に猫たちの救出作戦を企てた。

さらりとしているようで、実は濃い内容だと思います。揺れる心と、母親をいつの間にか許してしまうみずきの懐の広さに、惹かれます。この年齢でそこまでの覚悟をせざるを得ない、優しくはなかった過去を想像させられます。「是非もなし!」。いい言葉です。猫救出は突っ込みたいところもあるけれど、目の前のできることからできる範囲で進めことには賛成です。

橋本紡

「半分の月がのぼる 上」

いつ死ぬか分からない意地っ張りのヒロイン・里香と、バカだけど里香のために必死になる主人公・裕一。そこには奇跡はなく、あるのは現実ばかりで、やがて2人の幸せが終わる時が迫っている。

原作ラノベの1巻から3巻を改稿した486ページは、持ち歩いて読むにはつらいので、休日一気読みにしました。ありふれた物語で悲しい過去を持つ医師・夏目や、元ヤンキーの看護婦の亜希子さん、裕一の親友・司といった脇役も限界があります。読んでいてイライラしてしまいました。下巻はスルーしようと思います。

秦建日子

「殺人初心者」

婚約破棄された上に、ダニ研究をしていた製薬会社をリストラされた桐野真衣は、民間の法科学捜査研究所に入った。勤務早々から、顔に碁盤目の傷を残す連続殺人に遭遇する。個性的な同僚に囲まれながら事件に迫る。

交通事故の遺体写真を見せられた面接で採用された真衣は、事件のデータべース入力から始まります。そこへ碁盤目の傷を残す連続殺人が発生し、捜査に加わっていきます。現場と証拠分析から、犯人に迫る負けず嫌いの力を発揮していきます。アクティブな展開と、熟練した文章が簡潔です。構成にも無駄がなく、読みやすいです。シリーズ化するようです。

羽田圭介

「盗まれた顔」

警視庁捜査共助課の白戸は、指名手配犯たちの顔を脳に焼き付け、新宿の街角に立っていた。一日で百万もの「顔」が行き交う雑踏で、記憶との照合作業を密かに行う。犯人の名前と罪状と、覚えた顔を見つけるだけの「見当たり捜査」だった。不意に目の奥に親しみを感じる顔が目に飛び込んでくる。手帳を確かめる。指名手配されている男だ。3人でチームを組み、逮捕に向かう。見つける側の白戸が見つけられる側に転じたのは、一人の中国人マフィアを歌舞伎町で逮捕した時だった。

人の顔の特徴をなかなか覚えられないわたしには、驚きの連続でした。多少の整形手術をしても基本的に見分けられるという説明にも、連続30日見つけられないときに感じる焦りや見誤りも、説得力があります。本格警察小説でいて、特殊な仕事の設定がうまいです。デビューから10年だそうで、いままでの酷評を払拭するおもしろさです。

春畑行成

「僕が殺された未来」

ミスキャンパスの小田美沙希が誘拐された。一方、彼女に思いを寄せていた高木の前に、六十年後の未来からやってきた少女・ハナが現れた。高木と小田美沙希は誘拐犯に殺され、事件は迷宮入りするという。半信半疑ながら、自分たちが殺されるのを防ぐため、高木は調査を開始するが。未来の捜査資料を駆使して、高木は自らの死亡予定時刻までに犯人を捕らえることができるのか

軽いタッチのラノベです。楽しめます。自分に置き換えて読むと、どう動くか想像するのが楽しいです。少し片思いの恋を美化し過ぎかも知れません。

葉山アマリ

「29歳の誕生日、あと1年で死のうと決めた。」

29歳の派遣社員の「私」は、結婚を考えた人に振られてから恋人もいない。友人も趣味もない。一人暮らしの生活費も乏しく、孤独な29歳の誕生日を迎えた。悲観した「私」は死ぬほどの力もない。ふとテレビで見た、華やかさの象徴・ラスベガスで豪遊してから死にたいと思った。そのために、残りの1年を生きることにした。 アルバイトを掛け持ちし必死にお金をため始めた。

日本感動大賞大賞受賞作品です。たぶん編集部の大幅な手の入った作品ですが、シンプルなほどの真っすぐさが爽快です。練習したブラック・ジャック(トランプゲーム)を、ラスベガスで賭けるシーンは、ハイテンションな心理が読み手にも伝わります。アルバイトや派遣の仕事のポイントも押さえていて、楽しめます。「感動」かどうかは受け取る人によって違うと思いますが、20代だからこそできる熱さが伝わってきます。

ヒキタクニオ

「不器用な赤」

高校2年生の利沙の父親は広告代理店を経営しており、離婚した利沙の母親に多額の慰謝料と養育費を振り込んでくる。母親は若い男に夢中で高級惣菜をテーブルに並べるだけだった。窒息しそうな毎日、利沙はチェ・ゲバラの著書に出会った。自分の閉塞感を感じさせているものは何か、敵をはっきりと見つけたい、周りを取り囲み息苦しくさせている敵の姿を露わにしたい。ピスト・レーサーに乗り、たった一人の友人・知恵とともに赤いペンキを商業主義の象徴の看板に投げつけた。だがすぐに塗り替えられてしまうことに満足できず、壮大な破壊計画を考え抜く。

日本でもっとも危険な女子高生の物語です。利沙と知恵は非常に不器用で学校に溶け込むこともできず、ただそのストレートな感情を吐き出すため、激しく追い求め行動に移します。いっそ小気味がいい二人に、モグリのブランド商品買い取りをする伊勢爺が、少しだけ助言をし自己犠牲を払うのです。爆破計画と準備にリアリティがあり、案外もろいかも知れない都市機能が垣間見えます。鉄が好きなヒキタさんらしいピスト・レーサーという、自転車の仕組みを初めて知りました。ここまで行動力のある女子がうらやましかったです。もう一度20代を生きられたら、などと夢想してしまいました。少し前の作品ですが、ヒキタさんの新しい面を見ました。

ヒキタクニオ

「遠くて浅い海」

1972年本土復帰の沖縄で生を受けた天願圭一郎は、若くして新薬の開発に成功し、巨大な富を得る。相棒の蘭子と滞在していた、将司は、沖縄でその天才を消す依頼を受けることになった。依頼主の小橋川が付けた条件は、彼を殺すのではなく、自殺するよう仕向けてほしいというものだった。ほしいものに囲まれ、欲のない圭一郎を、消し屋の将司はどうやって追い詰めていくのか。

正面からプロの殺し屋と名乗って圭一郎に近づき、猛スピードで走らせたバイクでチューブを駆け抜ける遊びに、将司もおもしろがって参加するところがおもしろかったです。チタンのインゴットで作ったバイクや、チューブの特殊な金属の説明も楽しめるし、自分がバイクで疾走していく感覚まで味わえました。圭一郎の過去を挿入するスタイルも、いいセンスだと思います。16歳で暴力団組織を潰したのも、心理作戦を駆使しての「遊び」でした。記憶は脳に蓄積され、取り出す方法さえあればコンピュータ以上の記憶がある、というくだりや、脳の驚異的な働きも新鮮でおもしろいです。ヒキタさん自身が、天才なのかも知れませんね。

ヒキタクニオ

「My name is TAKETOO」

2060年、第18回「ペルフェクション」は、精神と肉体の限界が試される過酷なバレエ・コンクールだ。5年間その頂点に立ち続けるフィリップ・K・武任(タケトウ)に、魔の手が静かに忍びよる。

設定を近未来とさせたので、インプラントや完璧に管理されたドーピングなど、肉体に関わる極端な要素が無理なく感じられます。瓶割刀とか日本刀を使ったインプラントが、じつに鋭角的に金属の触感が伝わり、痛覚を遮断する機械がありながら、肉体が受ける傷や痛みが読んでいて自分のことのように痛いです。トップであり続ける葛藤、年齢的な肉体の衰え、次世代の台頭、そして陰謀が渦巻く世界は、現実の世界そのままです。強靭な意思を持つ武任の心の動きは、強烈です。芸術としての究極の美のバレエは、コンクールのステージが、まるで決闘の場のような臨場感と緊迫感に満ちています。すごい作家ですね。

ヒキタクニオ

「紅い三日月」

父を銃殺した杉山に、ちょうど帰宅した塔子は重傷を負わされてしまう。一命を取りとめ半年間の昏睡状態の後、奇跡的に快復した。杉山への判決に納得がいかない塔子に、担当刑事の犬伏は、「捜査に強い圧力がかかり、十分な捜査ができなかった」と告げる。さらに犬伏は、警察も捜査できない事件を扱う文目屋(あやめや)という「殺しの集団」の存在を塔子に明かした。塔子は殺人の訓練を受ける。

登場人物の造形や、心理の微妙な変化、シーンの描き方が、さすがヒキタさんです。力が入っています。それにしても、それぞれにドラマがありそうな魅力的なキャラ揃いです。銃を手にしたら、実際こうだろうなと説得力があります。いまの警察組織の限界と、殺しの集団も現実感があり、現実に仕事を頼みたい人が大勢いるだろう社会を思ってしまいます。

ヒキタクニオ

「負の紋章」

石渡宗介は妻・由美子と小学生の・佳奈との平凡な三人暮らしだった。ところが留守番中の佳奈が行方不明になり、全身に無数の噛み傷が残る異常で無残な死体で見つかった。アキバでオタクたちの実態を目にし、復讐を決め、知り合ったポリ子とその仲間たちと探すうち、犯人は警察に逮捕されてしまう。塀の中の犯人にどうしたら復讐できるのか。

暴力とは縁のないサラリーマンが絶望し、死の淵から立ち上がり復讐を誓う姿が、壮絶です。オタクたちのキャラが類型的で都合がいい設定過ぎる難点はありますが、それでもおもしろいです。オタクたちにも様々な種類の人間がいて、初めて知る部分もありました。最終的に取る手段にも無理がありますが、ラストまで引きつけられて読みました。ヒキタさん。すごい。

ヒキタクニオ

「焼印なき羊たち」

はぐれ者城ヶ崎たちの現金強奪計画は万全だった。マカオのカジノの地下金庫に眠る46億円相当の香港ドル収奪のため、「ザビエル・ホール」という抜け穴を伝い、セキュリティーシステムを突破し、みごとに成功する。だが取り戻そうとする香港の黒社会、カジノ配下の組織・帝亀に付け狙われる。裏切りもあり、一人、また一人と、仲間が消されていく。46億円が双方の間で奪い奪われる攻防戦が繰り広げられる。

いやー、ハードボイルドです。「焼印のない羊」城ヶ崎のキレのよさは最高です。なかなか本当の仲間として認めてもらえない、俗っぽい伊沢もいい味を出しています。「道具屋」の老女の銀子と、若い殺し屋理智も、魅力的なキャラです。一人一人の人物像がわずかな言葉から深く立ち上がり、絡み合っていくのがすごいというしかない、ヒキタさんならではの筆力です。攻防戦も、映画にしたらおもしろいだろうと思わせる、想像力を換気する言葉で埋められています。ラストのせつなさがいいですね。ひさびさにいいものを読みました。

ヒキタクニオ

「ベリィ・タルト」

アイドルになってみないかと元ヤクザでプロダクション社長・関永にスカウトされ、時代の寵児となった美少女リン。金の成る木と化した少女を巡って、すさまじい争奪戦が始まった。

アイドルを目指し体をしぼっていく少女の、肌の美しさや妖しいほどの目の美しさに引き込まれます。リンを始め周囲のキャラが濃厚で際立っています。カリスマ美容師でオカマの仁が、すごい人物造形です。未成年のリンの契約には親の承諾が必要で、母親をオトす小松崎のテクニックは唸ってしまいます。そこがラストの壮絶さにつながるのもすごいです。ヒキタさんのこだわりが随所に描かれ、独特の世界に浸ることができます。

ヒキタクニオ

「跪き、道の声を聞け」

裏社会専門の探偵・時園は、関東を二分する組織の頂点を見据えた若頭補佐・君島から、失踪した今切会長捜索の依頼を受ける。断れない状況を作りガード兼監視役の菅田を付けられた時園は、君島をも疑って捜査を始める。

ハードボイルドを超えて、ノワールですね。どんな人間にも弱点があり、すべてを嗅ぎ取る力と力の抗争は、組織で動くと派手ですが、一対一のときに真価が問われると思いました。体のどの骨がどこを動かし、どんな痛みになるか知り尽くしています。前作に続き、消し屋の老女がカッコいいです。プロ野球のピッチャーだった時園の、マウンドに立った心理や、手を染めずにいられなかった投球が、熱く伝わってきます。野球の裏側を深く覗き見た感じがします。海外勢力との関係がどうも説明的になったのが、ヒキタさんらしくなく惜しかったです。

ヒキタクニオ

「影桜、咲かせやしょう」

窮屈な武家社会が嫌いで、武士であることを捨て長屋暮らしの赤木十四郎は、彼を「哥(あに)ぃ」と慕う大道芸人の伊三次と、うまい飯を食い湯屋で汗を流す暮らしをしている。だが裏の顔は贋屋と呼ばれるニセ物作りの名人だった。人の心を踏みにじる悪党どもを相手に、精巧な贋作をでっち上げて悪巧みを暴き、地獄へ突き落とす。

連作短編集です。伊三次の女房が切り捨て御免で殺され、その復讐をする話からスタートします。角界、南蛮渡来の鍋、寺での怪談話、心中、歌舞伎、火付盗賊改の役人など趣向を凝らしています。時代の細部の描写がリアリティがあり、時代物が苦手なわたしも興味深く読めました。相変わらず想像をかき立てられ、読むのに時間がかかる作家です。悪の心が現代に通じるものを感じさせます。それにしてもダークでノアールなシーンがありながら、微妙に後味が悪くなかったのは、伊三次の軽妙なキャラと、作るシンプルな食事がおいしそうなのが救いになったのかも知れません。

ヒキタクニオ

「俺、リフレ」

俺はスウェーデンで作られ日本に渡り、作家の伊作家に買われた。でかすぎて収まらない冷蔵庫だ。伊作夫婦が、幼い天才ヴァイオリニストを預かってから、この家の雲行きが怪しい。「才能」を巡るバトルが始まったのだ。仕事と才能に悩み、ぎくしゃくする家族に、崩壊の危機が迫っているってことを俺は知っている。

視点が冷蔵庫という設定での、新しい発見も特にはなく魅力が欠けると思います。ラストを持ってくるための、設定はわかるのですが、ヒキタさんは、どうしても設定に懲り、それを細部に至る書き方に魅力があるので、引きつけられて読むけれど、後に残るかどうかというと難があるかも知れません。家族の様々な行き違う心理描写は、とてもうまいです。第三者の視点の方が、もっと深く一人一人を書けたと思います。

ヒキタクニオ

「凶気の桜」

「ネオ・トージョー」を名乗り、薄っぺらな思想ととめどない衝動に駆られ渋谷の「掃除」を繰り返していた山口、市川、小菅の3人は、いつのまにか筋者の仕掛けた罠にはまっていた。

ヒキタさんのデビュー作です。バイオレンス物は苦手ですが、金属製の戦闘服やプロの殺し屋の描き方がすごいと思います。冷徹になり切れない部分を持ちながら、すべてが道具であり、人を使い、人を殺す。そういう人間の存在感に、圧倒されました。独特の美的感覚など、ヒキタさんの他の作品の凝縮された原点が、確かにありました。

長谷敏司

「BEATLESS ビートレス」

今から100年後の未来では、社会のほとんどの仕事をhIEと呼ばれる人型ロボットに任せている。人類の知恵を超えた超高度AIが登場し、人類の技術をはるかに凌駕した物質「人類未到産物」が生まれ始めた。17歳の少年アラトは、美しい少女の人間型ロボット「レイシア」と出会い、オーナーになる。人間そっくりの彼女にアラトは戸惑い、疑い、翻弄され、そしてある選択を迫られる。信じるのか、信じないのか。彼女たちはなぜ生まれたのか。彼女たちの存在と人間の存在意義が問われる。アラトの決断は・・。

硬派なSFでいながら、アラトのほのかな恋も描いています。人間と人型ロボットや、頭脳と兵器を用いた迫力のある駆け引きが、臨場感と迫力があります。超高度AIを操って世界を手に入れようとする、本当の悪は誰なのかを、納得のいく筆致で最後まで読ませます。映像で見たいと思いました。魅力的な世界観の作家です。

長谷敏司

「楽園」

青く深く広がる空に、輝く白い雲。波打つ緑の草原。大地に突き立つ幾多の廃宇宙戦艦。千年におよぶ星間戦争のさなか、敵が必死になって守る謎の惑星に、ひとり降下したヴァロアは、そこで敵のロボット兵ガダルバと少女マリアに出会った。いつしか調査に倦み、二人と暮らす牧歌的な生活に慣れた頃、彼はその星と少女に秘められた恐ろしい真実に気づいた

宇宙戦艦の墓場化している星から見える流星は、星間戦争で破壊された戦艦と戦士たちの最後のきらめきです。敵のロボット兵と元の戦隊に戻るために、機体の修復作業に夢中になる二人はもはや戦友でしょう。失敗が続き、諦めた時に見た少女の役割がせつないです。

長谷敏司

「あなたのための物語」

西暦2083年。人工神経制御言語・ITPの開発者サマンサは、ITPテキストで記述される仮想人格「wanna be」に小説の執筆をさせることによって、使用者が創造性を兼ね備えるという証明を試みていた。そんな矢先、サマンサの余命が半年であることが判明。彼女は残された日々を、ITP商品化の障壁である「感覚の平板化」の解決に捧げようとする。いっぽう「wanna be」は徐々に、彼女のための物語を語りはじめる。

死に直面した研究者が人工知能と向かい合い、死とは何かを見つめていくといき、硬質で無機質なSF世界が好きです。死に向かうには、何をすればいいのかを考えさせられます。

廣嶋玲子

「千弥の秋、弥助の冬 妖怪の子預かります10」

弥助に対しては過保護だったが、最近度が過ぎるし、千弥の様子がおかしい。物忘れも激しい。心配する弥助に対し、千弥は何でもないの一点張りで、ふたりは初めて激しい喧嘩をしてしまう。以前千弥は月夜公に執着する女妖の魔手から弥助を救うために、ほんの一時のことだったが妖怪の誓いを破った。その報いを受けねばならないのだ。

千弥の下した決断は悲しく切ないです。弥助を傷つけないために、鈴白山に棲む冬の妖・細雪丸に氷に閉じ込めてほしいと依頼します。飛黒は弥助を暖かい衣に包み、玉雪と空を飛んでいきます。氷の中の千弥に必死に呼びかける弥助。小さな希望が差してきます。こういう結末を用意するとは。廣嶋氏はうまいな、と毎回思います。最終章なので、別な物語を読みたくなります。

廣嶋玲子

「妖たちの祝いの品は 妖怪の子預かります-9」

体力が戻らない弥助を心配した兎の妖怪・玉雪は、弥助に食べさせる雪を探すうちに、鈴白山に棲む冬の妖、細雪丸の子守歌を聞く、「玉雪の子守歌」。鈴白山をさまよう幼い姉妹の亡霊は子供を守る妖怪うぶめに出会う、「うぶめの夜」。初音姫の出産を前に、祝いの品を贈ろうと奔走する妖たち。津弓の、右京と左京の、王蜜の君の、そして弥助が考えた末に選んだ贈り物とは。

弥助を過保護に大事にする千弥(白蘭)の、あんまになる過程が明かされるくだりがおもしろかったです。祝いの品「櫛」にまつわる悪霊が凄まじい。このシリーズは毎回楽しめ、次が待ち遠しくなります。

廣嶋玲子

「弥助、命を狙われる 妖怪の子預かります8」

「おまえの愛しいその子を奪ってやる」脱獄した女妖・紅珠がそう告げて姿を消して以来、弥助は養い親である千弥の過保護ぶりに息が詰まりそうだった。結界が張られた長屋から出ないことを条件に、普通の暮らし、妖怪の子預かり屋もやりたい弥助の願いを、千弥もしぶしぶ聞き入れたが。命を狙われた弥助を見て、千弥はついに助けを呼ぶ。

奉行であり大妖の月夜公と、烏天狗たちの包囲や、結界の間隙を縫って入り込んだ悪の手で、弥助は死にかけます。ひととき大妖(白嵐)の姿に戻る千弥。月夜公と千弥は力を合わせて、紅珠の捕獲に乗り出します。その決死の覚悟とパワーのぶつかり合いが、最大の見せ場でした。迫力がありました。時々は白嵐に登場してほしいと思ったりします。次作まで待ち遠しいです。

廣嶋玲子

「妖怪奉行所の多忙な毎日 妖怪の子預かります7」

妖怪奉行所では烏天狗一族がお役目を一手に引き受けていた。飛黒はその筆頭で、奉行の月夜公の右腕だ。ある日飛黒が双子の息子、右京と左京を奉行所に連れてきた。双子も将来はお役目につく身、今のうちに見学させておこう考えた。大忙しの奉行所、だがその陰で月夜公の甥の津弓、妖怪の子預かり屋の弥助を巻き込む、とんでもない事件が進行していた。

烏天狗の双子のかわいらしさ、対照的な月夜公や弥助の養い親・千夜の、悪に立ち向かう凶暴なまでの雄々しさに圧倒されました。妖しの世界の想定以上の面白さが、次作への期待をさらに高めていきます。もう次作が待ち遠しいです。

廣嶋玲子

「白の王」

廃墟の塔が林立する「塔の森」。孤児たちは、塔に棲む魔鳥が盗んできた物を集めて暮らしていた。あるとき彼らのもとに、魔鳥に盗まれた宝石を取り戻してほしいという男タスランがやってくる。孤児のひとりアイシャが宝石を見つけたものの魔鳥に襲われ塔から墜落。気がついた時には宝石は彼女の胸にはまっていた。宝石をえぐり取ることもできず、アイシャはタスランに連れられて旅に出ることになる。

氏のファンタジーは、心地よいのです。心が救われる印象です。たくさんのとんでもない出来事も、想像でき楽しめます。

廣嶋玲子

「猫の姫、狩をする 妖怪の子預かります6」

気まぐれな猫族の姫である王蜜の君が、長屋の弥助のところに居候することに。弥助べったりの千弥がいい顔をするはずはなく、小妖の玉雪は大妖の気にあてられて、弥助の家に近づけなくなる始末。そんな中、弥助の周辺で猫絡みのおかしな事件が頻発、おまけに仔猫を狙う不気味な女が出現する。猫の守り手たる王蜜の君は、放っておけず事件の裏を探り始める。

相変わらずの楽しい展開と、今作は猫の世界がかなり突っ込んで描かれています。はらはらさせながら、落としどころをわきまえています。読む手が止まりません。毎回、妖怪の心情にハッとさせられます。そこが魅力です。自作をまた、首を長くして待ちます。

廣嶋玲子

「妖怪姫、婿をとる 妖怪の子預かります5」

千弥と穏やかな暮らしをしている弥助は、久蔵からさらわれた許嫁の初音を取り返すのに手を貸してほしいと頼まれる。初音は妖怪だという。千弥は妖猫族の姫、王蜜の君を紹介する。初音の住む華蛇族の屋敷に忍び込んだ久蔵だったが見つかり、初音の乳母の妖怪から難問を出される。

このシリーズはあっという間に読めて、楽しいです。案外、人と妖怪の心理の裏表が見え隠れします。今作、久蔵を中心にしたのは、弥助ではネタに行き詰まりが出たせいでしょうか。それでも次作が楽しみです。

廣嶋玲子

「半妖の子 妖怪の子預かります4」

梅雨の夜、太鼓長屋に養い親の千弥と住む弥助のもとに、化けいたちの宗鉄と名乗る男が訪ねてきた。娘を預けたいという。女の子の名はみお、白い仮面をつけ、父親だけでなくひたすら周囲を拒絶していた。山奥で暮らしていたが、母親が亡くなりどうにもならなくなったという。だが、弥助のもとに預けられる子妖怪達と接するうちに、みおに変化が現れる。

シリーズのいつものキャラが楽しいです。みおの変化も興味深かったです。ただ、もう少し長い物語で読みたいと思いました。キャラはもうできているので、作者は長編はいまは書けないかもしれませんが、じっくり心に迫る描写がほしいです。というのは読者のわがままでしょうか。

廣嶋玲子

「妖たちの四季 妖怪の子預かります3」

妖怪に花見に誘われた弥助と千弥。ふたりの後をこっそり尾けていた久蔵は、不思議な場所に出た。・・『春の巻』。千弥と月夜公の過去の因縁の物語・・『冬の巻』。ついに明かされる千弥の過去。四季と公募で選ばれた妖怪編。

妖怪が生まれる過程にぞっとしつつ、望みが哀れでもありました。千弥と月夜公の過去が一番知りたかったところだったので、引きつけられたいい話でした。千弥の奥深い痛みに共感しました。壮大な描写がアニメ映像化してほしいと思ったほどです。このシリーズはとにかくおもしろいです。

廣嶋玲子

「うそつきの娘-妖怪の子預かります2」

うぶめに気に入られ、正式に妖怪の子預かり屋となった弥助は、相変わらず千弥とべったりの暮らしをしている。そこへ持ち込まれる三味線になった母を探す子猫の妖怪、千弥を婿にと望む華蛇族のわがまま姫。千弥の助けも借り、弥助は次々妖怪たちの問題を解決していく。そんな折、妖怪の子どもたちが行方不明になるという事件が発生。行方不明の子妖怪を探しに浅草にいった弥助は、そこでひとりの少女に出会った。

元妖怪だった美しい千弥と、弥助が子どもから少年へと成長していく過程が、ほのぼのと楽しめます。事件は凄惨な描写もあるのですが、後味の良さがいいです。また読みたくなる作品です。

廣嶋玲子

「妖怪の子預かります」

12歳の弥助は、親代わりの目が見えず按摩で生計を立てる千弥と、貧しいが平和に暮らしていた。ある夜いきなり誘われ妖怪奉行所に連行される。前夜悪夢を見た弥助が鬱憤晴らしに割った石が、子預かり妖怪うぶめの住まいだったという。妖怪の御奉行から「罰としてうぶめに代わって妖怪子預かり屋になれ」と命ぜられる。次々とやってくる子妖怪に振り回される弥助。どじょうの妖怪は血をほしがり、カミキリバサミの妖怪は髪の毛を食べたがる。

ひんやりとした空気をまとう千弥が魅力的で、弥助とコミカルな妖怪たちとの展開が楽しいです。千弥が心の暖かみを取り戻す辺りが、うまく絡ませていて和みます。

廣嶋玲子

「青の王」

砂漠に咲く奇跡の都ナルマーン。王宮の上空では翼をもつ魔族が飛び交い、水が豊かで魚や竜の姿をした魔族が泳ぐ。王は神に選ばれ、魔族を操る力を持つ。孤児の少年ハルーンが出会ったのは、不思議な塔に閉じ込められた少女だった。自分の名前も知らない、青い血を持ち「贄の子」と呼ばれ魔法の足かせをかけられた少女を助け、ハルーンは塔を脱出する。だが彼らを、魔族と王宮軍が追いかけてくる。

広がりのあるファンタジィで、美しいアニメを見ているような映像的な描写が好きです。醜悪な王宮族や魔族たちも、助けてくれた空を駆ける船を操るアバンザの毅然とした姿も、ストーリー展開もいいです。楽しめます。この作者には是非、大人の物語も書いてほしいです。

廣嶋玲子

「銭天堂1」

駄菓子屋があった。路地の壁にはりつき商店街から隠れている。だが店先には、色とりどりの菓子が並んでいる。真由美は首をかしげた。もう何百回と通っている道だけど、あんな店見たことないと思ったが覗いてみる。

6編の短編集です。女店主・紅子のほしい銭とお客の要望が合ったときに、不思議なことが起きます。約束を守らないときのちょっと怖い目に遭う、ピリ辛の話は新鮮です。シリーズになっているのですが追いかけるのは止めておきます。ハマり過ぎそうです。

原 

「それまでの明日」

探偵の沢崎。沢崎は金融会社の支店長から、料亭の女将の身辺調査を依頼される。融資案件についての調査だが、派閥抗争にからむので会社には極秘で、と支店長は告げる。調べると、女将はすでに死んでいた。ところが経過を報告しようにも、支店長と連絡がつかない。勤務先の金融会社を訪ねると、強盗事件が発生し、沢崎は巻き込まれてしまう。

前作から14年ぶりの寡作の原氏。前作とほぼ同じ展開のハードボイルドですが、喫煙の様子はさすがに近年に合わせています。緩やかな展開の中の緩急と、巻き込まれるポイントもきっちりと想定がされていて、思考を刺激されました。好きな人にはたまらない文章だろうと思います。

原 

「愚か者死すべし」

大晦日。沢崎の探偵事務所を尋ねて来たのは、旧相棒「渡辺」を頼って来た依頼人だった。殺人事件で身代りとして自首した父親を助けて欲しい、と。沢崎が面会したい依頼人を新宿署へ送り届けた際に、 移送される依頼人の父親が肩を撃たれる現場に出くわす。沢崎が咄嗟に犯人の車に追突し命を救う。だが2発目が刑事に当たり死亡する。複雑な狙いや裏の組織に命を狙われながら、

14年前刊行作品ですが、ハードボイルド全盛期でしょうか。暴力団、警察とのつながりのある探偵像が、意外に新鮮でした。日本にもしっかりした探偵ものが存在していたのですね。淡々とした描き方が暗い闇の深さを感じさせます。今年新作が出るという寡作な作家のようです。ちょっと読んでみたいと思いました。

東野圭吾

「白夜行」

1973年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋の主人が殺された。容疑者は特定されず、事件は迷宮入りする。暗い眼をした被害者の小学生の息子・桐原亮司と、ガス事故で死んだ「容疑者」の母の娘の美しい少女・西本雪穂は、その後、別々の道を歩んで行く。二人の周囲に見え隠れする、幾つもの恐るべき犯罪が起き、担当刑事は執拗に事件を追いかけていく。20年後、ついに事件に近づいた。

あくまでも刑事が目撃者の証言や、現場検証などから推理はするものの、実際に何があったかは読者に想像させます。美しく成長した雪穂と、表に出ない亮司、20年も執拗に追う刑事の姿が秀逸です。幼い二人の殺人事件そのものさえ、雪穂の策略だったのではないかと思えてきます。初期作品とは思えないうまさです。たまたま見た再放送のドラマでは、亮司と雪穂の強い結びつきの純愛映画になっています。

東野圭吾

「容疑者Xの献身」

暴力を振るう元夫が、靖子と娘の美里のアパートを嗅ぎ付け上がり込む。追い返そうと争ううち、美里が花瓶で頭を殴りつけ、靖子はコタツのコードで首を絞めてしまう。隣室の石神がそっと訪れ助力を約束する。天才数学者でありながら高校教師に甘んじる石神は、完全犯罪を目論む。刑事を友人に持つ天才物理学者・湯川は、石神のかつての親友でもあった。湯川は事件を推理していく。

捜査の裏を読み、刑事の質問やアリバイまで、細かに構築し母子に指示していきます。警察が疑い崩せない現状を、湯川がさまざまな論証を重ね、事件の間隙をついに見つけます。ただそれは友人の石神の論理を崩し、切ることでもあったのです。最後に明かされる石神の感情は、天才ゆえの人間的欠落部分を現実に足を立たせる効果的なものでした。この作品も以前読んでいて、ドラマの再放送も見ていました。

樋口明雄

「ミッドナイト・ラン!」

ネット心中を計画した5人の男女が山中で練炭に火を点け、睡眠薬を飲む間際に、ヤクザに追われている少女を助けてしまう。自殺は延期するしかなかったが、山を下りると、自分たちが少女を誘拐、指名手配されたことを知る。警察に追われ、ヤクザに撃ちまくられても、ひたすら突っ走る。

死ぬ決心を中途半端に棚上げにして、お互いをHNでしか知らない関係が、いつしか自分を見つめることになります。ドタバタ喜劇風でありながら、ちょっぴり生きる意味を感じさせてくれます。死ぬなら一人で、周りに最小限の迷惑の範囲で実行すればいいと思うわたしです。死=最後すら甘いです。小説としては成立しないのでしょうけれど・・・。

平山瑞穂

「マザー」

バイトをしながら佐川夏実は夢に向け、吉祥寺でストリートライブをしている。演奏する『不在証明』では、おぼろげな記憶の彼のことを歌う。彼との写真もあるが、それが誰なのか夏実には思い出せない。怪し気な中年の自称ギタリスト外間と、レコード会社の落合が近づいてくる。夏実をライブで知った伊神雄輝は、大学のサークルで「都市伝説」を追っていた。そこへ伊神に「理想の人物を作れる」という携帯ソフトが送られてくる。ではあの不釣り合いな友人カップルは、このソフトを使ったのだろうか。理想の人物が生まれるということは、消える人物もいるということなのか。謎は深まっていく。

SFすれすれの辺りで、物語をうまく展開しましたね、平山さん。おもしろくて、つい電車を乗り越しそうになりました。バイト先の人間像やレコード会社の人物像や大学生たちの群像も、しっかりとキャラ立ちしています。人間の記憶という曖昧なもの、人間の存在という曖昧なものを、新しいタッチで切り結んでいると思います。だからこそ、切なさが胸に痛いです。ラストはそうするしかないだろうと、納得させてくれます。すでに3作読んだ平山さんが男性だったことは、初めて知りました。

平山瑞穂

「プロトコル」

縁遠い大手ネット通販会社の有村ちさとは、「膨大な文字列をひとめで記憶できる」という類い稀な能力を持つ反面、人並みの恋愛にはうとかった。父から習った「英語の綴りをどう読むか」に強いこだわりを持ち、論理的な思考回路の持ち主だが、社内で妙な噂が広がり、恐れられていることにショックを受ける。情報システム管理部の花守部長の指示で、一人のネットアクセスログを調べ、アダルトサイトに4時間もひたっている報告をした。それが社内の派閥争いに利用されてしまった。さらに個人情報漏洩事件が起き、ちさとが上司の許可を得てサンプリングデータを業者に渡したものだと思われた。会社はすばやく記者会見で謝罪をし、人事異動を行った。

不器用でまじめな主人公ちさとの設定が、おもしろいです。家族を置いてブラントン将軍と一緒に海外を放浪してる父親と、ずっと待つ母と遊び人の妹・ももかのキャラも、複雑に物語を進めていく展開です。仕事という縦糸と、家族や会社の人間が横糸に織り込まれ、人の心に深く潜むモチベーションを見つめていきます。システム管理や、顧客情報流失などの事件の後処理に、にやりとさせられます。「寝た子を起こすな」。父親の像も、たぶんそうかなと考えた設定ですが、見せ方がうまいです。

平山瑞穂

「有村ちさとによると世界は」

前作『プロトコル』以後のちさとの変化と、あやうい恋のゆくえ。破天荒な父親・騏一郎のアメリカ放浪譚。ちさとの新入社員時代の上司・村瀬瑛子の周辺事情。妹・ももかの少女期のエピソード。・・・などからなる『プロトコル』のアナザーストーリーだ。

個人情報漏洩事件に翻弄される生真面目会社員・有村ちさとを取り巻く、個性的かつ魅力溢れる人々のそれぞれの事情が描かれます。理系思考の論理的な考証の仕方が、納得ができます。わたしの思考回路もこうなるろうと思うのです。ラストは意外なハッピー話でしたが、心がふっと緩みます。理系女子の思考回路を覗いてみたい人にはおもしろく、理解不能という人には、合わない作品かも知れません。

平山瑞穂

「シュガーな俺」

片瀬喬は33歳で突然糖尿病を発症した。サラリーマンの喬が遭遇するのは、決して甘くない出来事だった。飲み友の亜梨沙と飲み納めをして、入院した。その後教育入院に移行するが、妻・奈津は激務の仕事人間で分担していた家事も、病人食を作る喬の負担が次第に増えて行く。転院を余儀なくされ、医師による対処の違いにも迷わされる。なぜか大病院では推奨されてるアルコール消毒。教育入院にやってくるほかの患者のやる気のなさ。糖尿病の現状がわかる。

糖尿病小説ということで敬遠していましたが、完璧な患者でありながら破滅型の性格を描いたうまい小説だといます。亜梨沙の独特の言葉遣いのキャラと、完璧主義な喬、そして奈津の心の動きも伝わってきます。笑いながら読んで、追い詰められていく部分に共感してしまいました。ラストの幸運で救われます。ただ会社人間としての喬の造形は、いまひとつです。作者は経験がないのかも知れません。

平山瑞穂

「偽憶」

15年前のキャンプに参加した27歳の男女5人が、キャンプ主催者の遺言執行者と名乗る女性弁護士から招集された。この中の「或る事をした」1人が、遺産31億円を相続するというとんでもない話だった。該当者確定のために、5人はキャンプの詳細レポートを出すことになる。事実を捻じ曲げて独り占めしようとする者、分割して相続することを望む者、少額でも掠め取ろうと策略を練る者、あまり関心がない者とさまざまだった。5人は遠い夏の記憶を手繰り寄せる。

5人の遺産への極端な執着はないため、どこか自分の人生とは関わらず日々が過ぎていくというのは、現実に近いかも知れません。そこを描きたかったのではなく、心の中にある人を傷つける心理や罪の意識に、片寄り過ぎているようです。遺産が高額過ぎて想像もできない話という設定と、15年前の記憶を思い起こすことに、気持ちが乗っていくかどうかで作品への感想は変わるでしょう。竜頭蛇尾で、ラストの恋愛感情の描写はありきたりなのが残念です。

平山瑞穂

「全世界のデボラ」

ヒロは地図帳で目に止まった栗早湖を見に行こうと、すでに結婚している塔子を誘った。宿だけを押さえた行き当たりばったりのぶらり旅を楽しもうと思った。だが目的の湖にはなかなかたどり着けず、どこか奇妙な村人たちの態度が気にかかる。やがて優柔不断な自分の性格を思い知らされることになる。・・「十月二十一日の海」

7編の短編集です。ひとつひとつに、とても濃密な世界がありました。設定はなんとも言えない突き抜けた設定でありながら、リアリティがあり、不思議さがあり、描き出したい世界がしっかりと構築されています。人間の心の深いところにある感覚が、引きずり出され突きつけられるようですが、決して不快ではありません。おもしろい作家です。

平山瑞穂

「忘れないと誓ったぼくがいた」

大学受験を目指している高校2年生のタカシは、メガネ店でバイトをしていたあずさと出会った。初デートの日、フランスで暮らす両親と離れて一人暮らしをしていることなど、あずさを知れば知るほど惹かれていったが、途中でふいにあずさは消えてしまう。焦燥感にさいなまれた一週間後、あずさから驚くようなことを告げられる。「わたしはいずれフェードアウトする」と。次第に「消える」時間と間隔が長くなっていくあずさと、自分のあずさの記憶も消えていくタカシは、記録しておこうと必死になる。カメラやビデオを撮ると、写真もDVDも機材そのものが消えてしまう事態に、顔さえ思い出せなくなるあずさを、タカシはノートに記録していく。

受験を失敗しても今やらなければならないことを選択するタカシは、痛ましいまでに必死になります。大切なものを記憶するというのは、設定は違っても、生きていてなかなか難しいことですね。周囲の家族や友人たちも絡ませて描きながら、ぐいぐい読ませていきます。おもしろいです。

平山瑞穂

「ラス・マンチャス通信」

姉の体の上に息荒くのしかかるアレに手を下した。僕のせいではない。でも、なぜか人は僕を遠巻きにする。刻印された黒い染み(ラス・マンチャス)のように。施設に収容され、理不尽な仕事でこき使われ、ついに流れ着いた山荘で見た衝撃的なもの・・・。

主人公はいわゆる損なわれた人として描かれていますが、その世界の中で次第に成長していくのです。彼が対峙している世界そのものとの、どうしようもない周囲の視線と、うまく自分を表現できないことへのもどかしさと諦めが、混沌とした空気をかもし出しています。それでいて、不思議に引きつけるうまさがあります。

百田尚樹

「永遠のゼロ」

終戦から60年目の夏、出版社に勤める姉と一緒に健太郎は死んだ祖父・宮部久蔵の生涯を調べていた。「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた久蔵は、戦闘機乗りとしては天才だが臆病者と言われたという。想像と違う人物像に戸惑いつつも、何人かの戦争を生き抜いた老人たちの話から、新しい人物像と戦争の構造が浮き彫りになっていくのを感じていく。祖母は招集直前に久蔵と結婚し、戦後にいまの祖父と再婚していた。

いくつもの戦争に関する本を読んできたわたしに取っても、最前線で知る「特攻隊」の別な面を知った衝撃的な作品でした。生存者が少なくなり語り継ぐ者も亡くなっている今、軍隊の細部の描写とともにその作戦を立て命令した上級幹部たちへの言及は的確です。さらには戦争をあおり立てたマスコミのペンの暴力へ批判もあります。軍隊は官僚組織と同様だという指摘は鋭いです。すさまじい戦場の描写と、心情の深さを、 取材という限られた方法で描いたものとしては、いい作品だと思います。いままで戦争を知らなかった読者層を、広げた功績は大きいでしょう。これをきっかけに、戦闘員、幹部、軍隊、米軍、原爆、天皇制などの、一人一人、ひとつひとつを、深く描いた作品を読んでくれたらいいですね。

東川篤哉

「謎解きはディナーの後で」

国立署の新米警部・宝生麗子が事件の話をするうちに真犯人を特定するのは、宝生家のお嬢様・麗子のお抱え運転手兼執事の影山です。本当は、プロの探偵か野球選手になりたかったという影山は、謎を解明しない麗子に時に容赦ない暴言を吐きながら、事件の核心に迫っていく。「失礼ながら、お嬢様の目は節穴でございますか?」

装丁のイラスト通りのキャラ設定で、執事キャラが苦笑ものです。ショートな謎解きで軽く楽しめます。話題になり過ぎている理由は、その執事の毒舌でしょう。確かに、にんまりです。

東川篤哉

「ここに死体を捨てないでください!」

有坂香織は、妹の部屋で見知らぬ女性の死体に遭遇する。動揺のあまり逃亡してしまった妹から連絡があったのだ。妹に代わって誰にも知られないように死体をどこかに捨ようとした。考えあぐねて、窓から外を眺めた香織の目に入ったのは廃品回収のトラックだった。会ったばかりの二人が、死体を積み込んで奇妙なドライブに出かけた。

バカバカしい展開なのですが、どこか引きつけて読ませます。漫画の楽しさがあります。トリックも、それはないだろうと思う力技でした。執事もの以外は、読まないと思います。

東直子

「ゆずゆずり」

仮住まいのマンションでくらすイチ、サツキ、ナナ、そしてシワスたちは、新しいマンション探しを始めることにした。仮の住まいに移転してくるまでの思いや、不動産業者、引っ越し業者への思いが、シワスの視線で描かれる。

小説でありエッセイ風であり、4人の関係も曖昧なまま、日々の思いがおもしろい着眼点で繰り広げられます。ふんわりと、無理をしない暮らし。時間の進行がゆっくりになったような雰囲気が、読み手の力みもなくしてくれます。その空間に同じように漂っている、もしかしたら貴重な時間かも知れません。

藤井太洋

「オービタル・クラウド」

流れ星の発生を予測するWebサービス〈メテオ・ニュース〉を運営するフリーランスの制作者・和海は、衛星軌道上の宇宙ゴミ(デブリ)の不審な動きを発見する。それは国際宇宙ステーションを襲うための軌道兵器だという噂が、ネットを中心に広まりりつつあった。アメリカでも、北米航空宇宙防衛軍のダレル軍曹が、このデブリの調査を開始した。その頃、起業家のロニーは民間宇宙ツアーのプロモーションを行うために、自ら娘と共に軌道ホテルに滞在しようとしていた。和海はある日、イランの科学者を名乗る男からデブリの謎に関する情報を受け取る。ITエンジニアの明利の助けを得て男のデータを解析した和海は、JAXAに驚愕の事実を伝えた。それは、北米航空団とCIAを巻き込んだ、前代未聞のスペース・テロとの闘いの始まりだった。

壮大なスケールの作品です。宇宙理論、宇宙工学やネット技術理論が作品をしっかりと支え、多くの登場人物のキャラもハイスキルな人物です。彼らを動かし、細部への描き方にもこだわり、ストーリーを展開していきます。背景の国際関係がごく近い将来設定で、リアリティがあります。次々に出される難関も、国という組織ではなく個人が解決していく展開がおもしろいです。一介のWeb制作者が、世界を動かし、地球とその周りを守るという、爽快感が残ります。前作から格段に筆力が増し、調査資料も膨大に頭に入っていることを窺わせます。この作品は予算をかけた3D映像で見たくなります。次の作品が楽しみです。

藤井大洋

「ビッグデータ・コネクト」

公立図書館と私企業との提携を進めるエンジニア・月岡が誘拐された。警察に、月岡の切断された指が送りつけられる。サイバー犯罪捜査官・万田警部と一匹狼のハッカー・武岱(ぶだい)が個人情報の闇に挑む。武岱はかつてXPウィルス配布の容疑で逮捕されるが、無罪となっている。立ちはだかったのは行政機関と民間会社の闇だった。

SFだけではなく、警察小説も書くのですね。おもしろい展開です。ネットの中は、ある意味ではSFの世界に近いかも知れません。現実の事件と巧みに絡ませ、違法すれすれのところで捜査にのめり込んでいく男たちの姿はインパクトがあります。命を削ってまで、システムの危険性を回避し圧力に屈しない姿勢が、破滅型ではあります。読者をミスリードさせながらの推理と捜査は、読ませます。多少ネットの説明が多いのはやむなしでしょう。

藤井大洋

「アンダーグラウンド・マーケット」

2018年、出稼ぎを求めて急増した海外からの移民と政情不安定な国からの難民であふれ始めた街東京。たび重なる増税は、日本に「地下経済」の爆発的流行をもたらした。当局に把握されないで税を回避できる商取引は、電子決済の一般化とともに社会に浸透。個人間電子決済の一般化と外国人労働者の流入。増え続ける移民と、開く格差が利用人口をさらに増やしていた。WEB周りのなんでも屋として企業の間を渡り歩く巧は、地下経済の恩恵を受けるフリーランスだ。仲間の恵、鎌田とともに請けたWEB開発案件はもちろん地下経済がらみで、早くもトラブルの匂いを漂わせていた。

極近未来世界を思わせるリアリティに、舌を巻きます。殺伐とした世界に、逞しく適応していく才能を持つ若者たちが頼もしいです。スピーディーな展開と、明確なキャラ設定がややライトな感じにしているのは、惜しい気がします。Web小説からのスタートと紙媒体小説との狭間に、作者は挑戦者として進んでいきます。応援したくなります。

藤井太洋

「Geme Mapper -full build-」

拡張現実が広く社会に浸透し、フルスクラッチで遺伝子設計された蒸留作物が食卓の主役である近未来。遺伝子デザイナーの林田は、L&B社のエージェント黒川から、遺伝子設計した稲が遺伝子崩壊した可能性があるとの連絡を受け、原因究明にあたるためホーチミンを目指す。現地のテップ主任とハッカーのキタムラの協力を得た林田が黒川と共に見た農場では、作物化けした稲と不気味なバッタが大量発生していた。

遺伝子工学と拡張現実が切り開いた、リスクとチャンスに満ちた世界が、繰り広げられます。200メガバイトの膨大な情報量のバッタは、地球を滅亡させる脅威であるとともに、問題解決の「ツール」でもあったのです。不確実な未来の世界を、人間を信じて「パンドラの箱」を開ける林田の決断と行動がすごいです。近未来のSFは好きです。拡張現実も映像として想像できるし、苦悩も人間的で一人一人がきちんと立っている姿勢がいいです。

作者は電子書籍の自己出版で、彗星のように登場し、コボ、キンドル両電子書籍ストアの、ジャンル別売り上げランキング1位を獲得したということです。本作は紙ベースにするために大幅な改稿が行われたと知り、ついにそういう時代になったのだと感慨深いものがあります。

大森望・日下三蔵[編]/藤井太洋

「さよならの儀式 年間日本SF傑作編」/「コラボレーション」

宮部みゆき・藤井太洋・草上仁・小田雅久仁・門田充弘他16名による、短編集です。藤井太洋「コラボレーション」を読みたくて手に取り、他の作品も読んでみていつもは手を出さないSFもおもしろいなと、新鮮でした。

新しい時代のトゥルーネットの世界で、古いネットワークのデータを持っている高沢は、陳に新しい組織に誘われる。構築していくシステムの魅力に、うまく乗せられる高沢。予想通りおもしろい・・「コラボレーション」 他にも数作、興味を持ちました。軽く、SFを読んでみたくなりました。

大森望編集/藤井太洋

「NOVS+バベル」/「ノー・パラドクス」

河出文庫

2015.1.15

藤井大洋/宮内悠介/円城塔/月村了衛/西島伝法/野崎まど/長谷敏司/宮部みゆきたちによる、短編集です。それぞれのおもしろさがあります。ハードSFは少し敬遠したくなりました。

自由に時間旅行ができる世界。去年の自分と、今の自分が同時に存在できる。過去に戻って金儲けをしたい旅行者に、できること、できないことを説明し送り出す。お金は持って帰れないので、その時代で裕福に暮らすしかない。あるいは今を楽しむか。
時空空間管理者が必要なまでに、自由になった世界を修正するなどの思考の先の先がおもしろいです。人間の発展には、限界があるのですね。SFは奥が深いことを痛感しました。

早見和真

「イノセント・デイズ」

放火によって奪われたのは、元恋人の妻とまだ1歳の双子の命だった。確定死刑囚・田中幸乃の人生は不運と悪意に支配され、暴力と裏切りにも会う。小学校の「丘の探検隊」という遊びのグループの一人一人が、を信じていた。関わった周囲の人間から見える幸乃の人間像と人生を浮き彫りにしていく。死に至る病の幸乃は、生きることを止めようとしていた。

周囲の人間関係を克明に書けば書くほど、幸乃はひどい仕打ちを受けていたことが明らかになります。けれど、その執拗さの中に含まれている人間の心の中の冷酷さや打算に埋め尽くされて、読んでいてあまり気分はよくありませんでした。悪意によって悪人になると言いたかったのか。人間の嫌な面を暴くことに力が入り過ぎています。それにしては小学校の友人との繋がりに、寄りかかり過ぎています。ラストも想定範囲で終わります。新鮮さに欠け、残念です。

藤谷治

「船に乗れ! (I)〜(III)」

音楽一家に生まれ、物心つく前からピアノの前に座り、中学からチェロを弾く津島サトルは、芸高受験に失敗し、不本意ながら新生学園大学附属高校音楽科に進む。練習に明け暮れる一方ではツルゲーネフやニーチェを読み、己を「高貴な人」だと思いこむような小生意気なガキだった。フルート専攻の伊藤慧やヴァイオリン専攻の南枝里子と出会ったサトルは、夏休みのオーケストラ合宿、初舞台、ピアノの北島先生と南とのトリオを結成し、文化祭、オーケストラ発表会と、慌しい一年を過ごした。順風満帆に見えたサトルが、2カ月のドイツ留学により大きく変貌していく。つきあい始めたばかりだった南が離れていき、絶望的な状況に突き当たる。演奏にも自信を失い、公民の教師に八つ当たりをしとんでもない事態を招く。

出だしはライトでしたが、次第に演奏の波に飲まれ、引き込まれて読みました。サトルが過去を振り返る形で描かれるので、高校生の頃にはわからなかった心理の奥にあるものまで、しっかりと伝わってきます。ソロで弾くのとは違い、オーケストラでは全員が音を合わせる大変さや一人一人の音楽に向かう心の違いがある合奏の空気も、とてもよく描いています。(II)章での喪失感と自暴自棄は、読みながらハラハラし、立ち直れと応援したくなりました。なんとか3年間の演奏生活を送って、出した結論胸が痛みました。演奏の描写が抜群にうまく、チェロを弾いていた頃のあまやかな感傷を思い出してしまいました。印象に残るニーチェの「船に乗れ!人それぞれの生き方や考え方を認めるとしたら、それは人に、どのような影響を与えるだろう?・・・悪党も、不幸なものも、つまはじきにされる人間も、自分の哲学、自分なりの正当な権利、自分の太陽の輝きを持つべきなのだ!」と、それを伝えた公民の教師が人間臭くて深い味があります。クラシックは聴かない人も、是非読んでほしい作品です。

藤谷治

「世界でいちばん美しい」

雪踏文彦。彼のことを親しみを込めて「せった君」と呼ぶ。語り手であり親友である作家・島崎も。小学校からいつもどこかぼんやりしているせった君は音楽にだけ執着し、音楽の英才教育を受けていた島崎が嫉妬するほどの才能を持っていた。中学、高校と違う学校に通った二人は、あまり会うこともなくなった。大きな挫折をしたばかりの島崎を、ある日偶然、目の前に現れたせった君のことばが救ってくれる。やがて彼がピアノを弾いている一風変わったバーで、一緒に作曲をするようになった。音楽のことしか考えていないせった君が、恋をし音楽にも変化が見られ始めた。そんな彼らの前に、せった君の恋人・小海のモトカレがバーに来るようになった。そして、事件は起こった。

思入れのある作者自身の経験が、大元にあるのでしょう。かけがえのない人、音楽が跡形もなく失われた激しい喪失感と自責の念が、胸に痛いです。少し雰囲気の違う特別な人物像はよく出ていますが、音楽の魅力が伝わってきにくかったのと、細かい事象を書き過ぎ冗長になってしまったのが残念です。ラストは展開も早く、よかったです。

藤谷治

「アンダンテ・モッツァレラ・チーズ」

全身奇妙な洋モノのタトゥの女・由果は、勤務先の同僚であるへんてこりんな博識男・健次と同棲をしていた。二人は、へたくそな下北沢路上弾き語りを続ける美形の京一や、彼に恋してしまったキリスト絶対主義の令嬢・千石、運転が世界一うまい映画マニア・浩一郎といったクセ者揃いの同僚たちと車通勤をしていた。どれだけバカで笑える話をネタとして供せられるか、に命をかけて車中を過ごしていた。そこへタトゥ偏愛営業部長が策略を起こし、事態は思わぬ展開を迎える。

由果の3歳の子ども・猛助が、大人顔負けのボキャと論理的思考という設定が不思議な雰囲気でした。語り口がまるで漫談のようにテンポよく、疾走します。好き嫌いが別れる作品だと思いますが、生きていることの実感を素直に味わえます。とんでもない話が楽しめます。これがデビュー作とは驚きです。

藤谷治

「ぼくらのひみつ」

「ぼく」の時間は2001年10月12日金曜日の午前11時31分で止まってる。喫茶店でコーヒーを飲む、部屋に戻り昼寝をする、起き上がってぼうっとする、文章を書く、顔を洗う、町を歩く、これだけしてもずっと11時31分。背中に小さな麻袋みたいなものが貼り付いている。そんな自分を誰かに知ってほしいとノートに書き、バス停に置くようにした。ノートはなくなり、誰かが読んでいるかも知れないと思うとほっとした。仕事にいかなくてもよくて、お金は盗んできた、つかまることはないから。ある日、京野今日子と出会うと「ぼく」のせいなのか、彼女も11時31分にとどまることになってしまった。やがて「ぼくら」は思い立って、脱出計画を考え歩き出す。

パラレル・ワールドの設定としてもおもしろい書き出しでした。周囲の風景は動いているのに、時間が進まない状況で人はどんな行動を起こすのか興味深かったです。時間が止まっているのに体が次第に動けなくなり、このラストはあってほしくなかったです。後味の悪さが残ってしまいました。

藤谷治

「遠い響き」

台風の夜に多摩川の橋の上で、得体の知れない全身ずぶ濡れの男が話しかけてきた。「私の話を聞いてください」男が語り出す。秋葉原の小さなコミック販売店に就職し、極悪エロ同人誌を売っていたが、次第にそんな職場環境に慣れていく。ネット通販の責任者のようになり、会社は業界でも大手同人誌販売会社になっていた。男はカヴァリエ睦月というアキバ系アイドルと出会いファンになったが、落ちぶれた彼女は河原でホームレスになっている。そして少し前に川に流されてしまった。いや、流されたのはオラウータンかもしれないと言い出した。

話す男自身がこうなった原因が何か考えるために、何が余計なものか判らないからすっかり話させてくれと言います。ひと癖ありそうな作者の意図が読めないまま、男の過去を知らされます。けれど、狭いアキバ系「文化」を丸呑みにして生きてきた男がいたことが伝わっただけです。とらえどころのない作品でした。

藤谷治

「ヌれ手にアワ」

「あれさえあれば、世界一の金持ちになれる」 そう言い残して、渋谷モヤイ像の前で、一人の老人が昏倒した。 偶然そこに居合わせた5人の男女は色めきたった。リストラ男、借金地獄夫婦、スキャンダル政治家秘書など、負け組人生一直線のワケアリ連中。行き詰まった人生を打開するチャンスとばかりにお宝探しに乗り出した。しかし、搬送中のトラックから闘牛15頭が脱走し、東京の街は大混乱。5人はそれぞれお宝を独り占めしようと、あの手この手を繰り出すが、「金のなる木」への道のりは激しく険しく遠かった。

ドタバタのコメディです。お宝情報が目の前にあったらどんな行動を起こすのかを、極端なキャラ設定で書いています。いっそのこと、想定の範囲内からもっと突き抜けてほしかったですが。

堀晃

「バビロニア・ウェーブ」

太陽系から3光日の距離に発見された、銀河面を垂直に貫く直径1,200キロ、全長5,380光年に及ぶレーザー光束「バビロニア・ウェーブ」。いつから、なぜ存在するのかはわからない。ただ、そこに反射鏡を45度角で差し入れれば人類は膨大なエネルギーを手中にできる。傍らに送電基地が建造された。だが、搭乗員の極秘の計画が進行していた。

壮大な宇宙の中にある、見えない何ものかの存在を感じました。物理的にも想像の果ての果てにある、宇宙の一端に触れたような気がします。しかしそこで繰り広げられる小さな人間の野望も、まったく通用しない宇宙の摂理があるような、そう感じることすら無に等しいスケールにただ浸ることができました。いい宇宙空間ですね。

堀晃

「遺跡の声」

恒星系に浮かぶ無人観測基地のシステムからの、異常を伝える連絡を受け、遺跡調査の任務の私が派遣された。調査船で向かう途上、巨大な太陽ヨットと遭遇する。その浮遊物を捕獲し、生物と思われる結晶体を無人基地に持ち帰ろうとした。

成長させ調査の知識を持たせた結晶体が、一人での調査船でのいい相棒になります。孤独の解消と危険の感知、膨大な計算の処理などをしてくれます。新発見の遺跡で主人公が見ることになる星の姿は、滅亡した遺跡だからこその悲惨さ、凄惨さです。相棒の結晶体が自分の意志を持ち、行動を起こすラストが印象的です。いままでSFはあまり読んでいませんが、ミステリと通じるおもしろさもありそうです。

古野まほろ

「群衆リドル Yの悲劇'93」

浪人中の元女子高生・渡辺夕佳のもとにとどいた「夢路邸」内覧パーティの誘いがあり、恋人の東京帝大生・イエ先輩こと八重州家康と連れだって訪れた。雪の山荘に集っていたのは、個性的でいわくありげな招待客たちだった。謎めいた招待状。クローズドサークル。犯行予告。ダイイング・メッセージ。密室。生首。鬼面。あやつり。見立て。マザー・グース。そしてもちろん、名探偵。本格ミステリのあらゆるガジェットを駆使したストーリーが始まった。

夕佳と一緒に行ったイエ先輩のキャラが最初から魅力的でした。絶対音感を持ったピアニストで、屋敷内に響くあらゆる音の変化を聞き分けていたり、登場人物の名前が微妙におもしろく、よくキャラが立っていておもしろく読めました。音楽方面に関する造詣も深いのと、「マザーグース」の知識も相当もっていて、なかなか凝った作品だと思います。これだけ広げたラストに明かされる動機が、ある病気の症状や悲劇にするには現実にはあり得ないものだけにコケました。惜しいですね。

本城雅人

「シューメーカーの足音」

斎藤良一は、紳士靴の名店が軒を連ねるロンドンのジャーミン・ストリートで注文靴のサロン兼工房を経営する靴職人。彼が作る靴は、英国靴の伝統を守りながらも斬新なデザインに仕上げることで人気を博していた。さらなる成功を目指し、計略を巡らせる斎藤。狙うは、「英国王室御用達」の称号。だが、そんな斎藤の野望を阻む若者がいた。日本で靴の修理屋を営む榎本智哉。

立ち読みで出だしに惹かれて手にしました。靴作り、靴職人の物語としては充分楽しめました。設定もおもしろかったです。ただ斎藤の心理には共感できるのですが、榎本の方は表面的で深みがなく小手先の作戦にしか見えません。成功したかに見えますが、むしろ落ちぶれた斎藤のラストが活きています。惜しい作家です。

本城雅人

「紙の城」

200万部の全国紙を発行する東洋新聞が、新興のIT企業に買収されようとしている。社会部デスクの安芸稔彦は、同僚たちと買収阻止に向けて動く。タイムリミットは2週間。はたして買収を止められるのか。

紙メディアとネット情報の対立に見えますが、足で記事を書く新聞へのエールになっています。ネットにあまり深い掘り下げがなく、新聞社のコストに力が置かれ過ぎ、違和感を感じます。問題の本質に迫っていないのです。若い層の活字離れ、ニュースがどこも同じ政府御用達記事に、もっと切り込んでほしかったです。筆致も饒舌でさっくりと削り取りたくなりました。

本城雅人

「ジーノ」

篠塚隆哉は、祖父が衆議院議員で元国家公安委員長、父も参議院議員の名家に生まれたが、不正献金の疑いをかけられた父が謎の死を遂げた。篠塚は渋谷の不良グループを率いるが、ベテラン刑事の影響で改心し警察官になった。渋谷署組織犯罪対策課刑事として配属された直後、ドラッグ「グレイゴースト」を吸引した者たちが死亡し、正体不明の売人を追うことになる。

キャラ立ちがいまひとつなのは、作者が人物に入れ込んでしまうからでしょう。TVドラマの元本としては使えますが、新鮮さが感じられません。些末なことが饒舌で整理してポイントを絞る必要があるのではないでしょうか。

堀川アサコ

「幻想郵便局」

なりたいものもはっきりわからない、就職浪人中の安倍アズサはアルバイトを始める。勤務先は、山の上にぽつんとたたずむ小さな郵便局だった。優しい赤井局長、郵便配達の登天さん、姿を見せない鬼塚さん。アズサは郵便物を預かる仕事に着いた。だが「功徳通帳」を記帳するお客さんは個性的だった。怨霊の真理子さん、オジサンでオネエ言葉の青木さん、大富豪の「大奥様」の楠本さん。翌日「辞職願」を出そうと電話は通じず、どこからもFAXもできず、ATMで現金を引き出すと郵便局からの給与の振込みがあった。

ゆるゆると受け入れてしまう、不思議な世界が美しく、キャラがアニメのように際立っています。探し物は郵便局と神社との土地にまつわる、木簡に書いた起請文で、みんなで探しまわります。すべてが夢の世界のように優しく、はかなく、哀しく、結末も余韻があっていいお話だと思います。ジブリアニメで映画で見てみたいと思いました。

ほしおさなえ

「空き家課まぼろし譚」

海市にある風変わりな組織「海市協会空き家課」は、誰も住まなくなった建物に再び命を吹き込む仕事だった。そこに勤務する間宮明は気弱で、仕事で扱う古い建物から古いアルバムを蒐集する癖がある。ある日、明の仕事に課長の娘・三上汀がついてくることに。そこで汀の能力が目覚め、空き家の謎を解く。・・・「ロイヤルサンセットローズ」「まやかし師」「オルガン奏者」「百五十年祭」

連作短編の作りがうまいです。印象的なのは「オルガン奏者」でした。移転に伴い、全寮制の女子学園の寮の再利用を依頼されますが、幽霊が出るという噂の真相を確かめておくことになります。古いオルガンが何台も維持保管されている場所が、実際に演奏がされた音が耳に聞こえるようでした。幽霊の謎もせつなく美しいです。最初は汀を引き立てるしかない存在感のなく、このキャラは不要かも知れないと思った間宮ですが、ラストで生きてきます。

ほしおさなえ

「オレンジの陽の向こうに」

真の家に居候することになった棗(なつめ)だったが、なぜかお互いに会えなずケータイもつながらない日が続く。なにかがおかしいと思ったが、眠りから覚めると、ばったり居間で遭遇する。互いを探しあっていたことを知る。棗は真の同僚から、彼が事故に巻き込まれて死んだことを聞く。死んだ本人ですら気付かないほどリアルな「死後の世界」の秘密を、死んだはずの彼と一緒に解き明かしていく。

パラレルワールドのような出だしに引かれました。けれどあの世とこの世をつなぐのは、「イワフネさん」と呼ばれる地衣類が出てくると展開が大きく変わります。なんとか不思議と現実との整合性をつけようとして、ありえない、それでいて当たり前過ぎる結末になってしまいました。惜しいですね。ちょっと手を広げ過ぎたのでしょう。

ほしおさなえ

「夏草のフーガ」

母親とふたりで暮らす・夏草は、志望校した中高一貫のミッション系の女子校・望桜学園で、大好きな祖母の出身校に合格した。だが喜んでくれるはずの祖母が突然倒れてしまう。救急で命をつないだ祖母だったが、目を覚ますと自分を中学1年生だと言い出す。そして入学したばかりのクラスで起こった事件をきっかけにいじめに遭い、学校を休んでいる夏草は、祖母と昔作ったヒンメリを作り始める。祖母が呟く言葉から、失った祖母の記憶を取り戻そうと調べ出す。

家族、仕事、信仰にまで手を広げ過ぎた嫌いはありますが、なんとかまとめあげています。別居中の父と母の対話がすぐ喧嘩になってしまう様子が、妙にリアルです。12歳の祖母の過去がひも解かれ、真剣に思い悩んだ姿が浮き上がります。女性3代に受け継がれていくものが、印象的です。3.11大震災後の東京という設定も、作品全体にふわりと被いかぶさり、大切なもののメッセージが伝わってきます。ヒンメリというスウェーデンの伝統のモービルがとても美しいと感じ、ネットで調べてしまいました。器用であれば作ってみたいと思わせるすばらしいものです。

ほしおさなえ

「恩寵」

風里は引き寄せられるように入った大学付属植物園で、研究室のアルバイトとして働くことになった。植物の標本整理をして、家に帰ると植物の刺繍に熱中していた。引越してきた古い一軒家の庭は草が生い茂り、少しづつ手を入れていくと古い井戸があった。不思議な少女と出会い、高名な書家の娘と天才建築家の、愛の物語を知ることになる。

3代に渡る天賦の才を備えた家系の、歴史が現在に生きる風里と絡み合います。時系列、視点も入り組み、奇才とも言われる書の世界、夢の建築の世界、そして精緻な刺繍の美の世界が伝わってきます。たっぷりとその世界に浸ることができました。登場人物の名前も象徴的で、強烈でいてもろい構築した世界がとても美しいです。歴代の世界のすべてによって生かされているという意識が、ラストの風里の心に届くまでが壮大です。ただ広げ過ぎた感があり、もう少し絞った方がいいのではないかと惜しいです。

ほしおさなえ

「天の前庭」

自動車事故で柚乃は意識不明となり、そのまま九年間眠り続け、奇跡的に目覚めたときすべての記憶を失っていた。父は同じ事故で死亡、母は柚乃が子供の頃、ドッペルゲンガーを見たと言った翌日に失踪していた。そして今、柚乃はパソコンに残されたかつての自分の日記の中に、自分にそっくりな少女に出会ったという記述を見つける。その頃高校の工事現場で、女性の白骨死体と日付を刻印したボールペンが発見された。柚乃と仲のいい4人の記念のペンだった。

複雑な時系列を器用に使いながら「記憶」というものの曖昧さを、認識させられます。生きていることのアイデンティティを求めている姿が、いいですね。ミステリでありSFであり、という立ち位置の微妙さで、なんとか描き切っています。ただラストの説明的な部分を、もう少しテンポよくフェイドアウトしてほしかったです。

ほしおさなえ

「ヘビイチゴ・サナトリウム」

女子高で生徒が屋上から墜落死した。先輩の死を不思議に思った海生は、友人の双葉と一緒に真相を探りはじめる。様々な噂が飛び交う中、国語教師も墜死した。小説家志望だった彼は、死んだ女生徒と小説を合作していたが、直前に新人賞受賞を辞退していた。海生たちは、雑誌で作中の文章と同じものを発見した。その文章の作者は誰なのか。テキストとP・オースターの小説『鍵のかかった部屋』。教師の自殺した妻が残した「ヘビイチゴ・サナトリウム」というウェブ・サイト。錯綜する情報が海生たちを迷わせる。

デビュー作です。作者の持ち味の源が、よく出ています。ひとつの事象が、周りの一人一人の視点からはまったく別のものに見える、という捉え方がうまいです。読者をミス・リードさせられる力があります。ただ、ラストでの解析が会話で進むため猥雑で分量が多く、それまでの流れが停止してしまいます。展開の中に含ませてラストでどんでん返しという方が、効果的だと思ったりします。

深水黎一郎

「ストラディヴァリウスを上手に盗む方法」

若き天才女性ヴァイオリニストの凱旋コンサート会場からこつ然と消えた、時価数十億の伝説の名器。突如容疑者と化した1800人の観客。場内の不満が最高潮に達した。犯人が用いた、驚くべき犯行手口とは。

タイトルに惹かれて読みました。「音合わせに440ヘルツのA音で始まる」のっけから、つまづきました。最近のコンサートは442ヘルツが主流です。より華やかにするため443ヘルツにする欧州オーケストラもあるほどです。本題ですが、盗まれたヴァイオリンの謎を、刑事の瞬一朗が解き明かして行きます。興味深い音楽の蘊蓄がたっぷりです。確かに音楽好きにはおもしろいですが、わずかなことで音色が変わってしまうヴァイオリンを、結果として使い物にならない楽器になるかも知れないこの方法で盗むでしょうか。奏者が職人のようにできるかも疑問です。もっと繊細な楽器だということがわかっていないのではないでしょうか。

深水黎一郎

「五声のリチェルカーレ」

「昆虫だって擬態に失敗したら、当然待っているのは死、なんだから。人間だってそれと同じことだよ。生きていたから殺した」昆虫学者を夢見るおとなしい少年・昌晴による殺人が起きた。素直に犯行を認めながら、なぜか動機だけは言いたがらなかった。少年院送りが妥当と思われるケースだった。家裁調査官の森本が接見から得たのは「昆虫だって・・・」という謎の言葉だった。

昆虫が好きで追いかけている少年が、クラスで「いじめ」の対象になってしまう当たりは、胸が痛みます。子どもってほんとうに残酷な言葉を放ちますね。少年の昆虫に対する膨大な知識があるだけに、少年の視点での読み方もできるし、家裁調査官の大人の思考もわかります。とても興味深く読みました。

併録されている短編「シンリガクの実験」もおもしろいです。相手の思っていることを見抜く力を持った少年が、表には出ずに教室を、そして学校全体を動かしていく展開には驚かされます。転校生によって、その行為を止めるというラストは、片方の唇に苦笑を浮かべたくなりますが。

深水黎一郎

「美人薄命」

大学の論文のフィールドワークとして、ボランティアをすることになった総司は、一人暮らしの老人宅に弁当を配達する仕事に着いた。様々な性格の老人たちと接するうち、家族を失い片方の目の視力を失い、貧しい生活を送る内海カエと話すようになった。出征で恋人を見送った想い出を胸に、ずっと一人待ち続けているというカエの昔語りを聞くようになった。特攻隊のように讃えられることもない、「アマガエル」と呼ばれたベニヤ板に貧弱なモーターを付けたボートで、敵の戦艦に体当たりしていったという。教科書では習わない話に、総司は自分の目標もなく生きている暮らしを振り替えさせる力があった。

アパートの火事に巻き込まれたカエを救出した総司は、カエからのとんでもない申し出を受けます。想い出話で知る歴史と、ぼんやりと大学生活を送っていた暮らしに活を入れられた総司は、人間の哀しさに涙します。女は死ぬまで女ということわざを思わせる、60年以上の世代の違うカエの描き方も見事です。深水さんの視点の確かさとユーモアも感じさせる作品です。

深水黎一郎

「ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!」

新聞に連載小説を発表している作家のもとに1通の手紙が届く。その手紙には、ミステリー界最後の不可能トリックを用いた「意外な犯人」モノの小説案を高値で買ってくれと書かれていた。差出人が「命と引き換えにしても惜しくない」と切実に訴える、究極のトリックとは・・・。

「本を読んでいる読者」が作中人物を殺害するなんて事はあり得ない訳で、それを納得するためにはかなり無理強引なトリックになるだろうと、その点で興味が引かれました。そして実際「読者に殺されるためのある条件」が被害者に設定され、「この本を読んでいる読者」が犯人とは微妙に言い難いのですが、おもしろく読めました。

深水黎一郎

「ジークフリートの剣」

世界的テノールである藤枝和行が念願のジークフリート役を射止めた矢先、婚約者・有希子は「幸せの絶頂で命を落とす」という老婆の予言どおりに列車事故で命を落とす。ジークフリート同様に「恐れを知らず」生きてきた和行だが、失って初めて彼女の献身的な愛に気づく。彼女の悲願の舞台に立てなかった夢を実現させるため、遺骨を抱いて歌うことを決意した。そして和行の前に現れた佳子は、難民キャンプでの医療活動に参加する医師だった。世界のどん底の現実と、和行の世界との絶対的な距離に衝撃を受ける。

ワーグナーのオペラ「ニーベルンゲンリング」のジークフリート役を前にした和行の住む世界・オペラ、音楽、声楽についての描き方も多少生半でですが、わかりやすく描かれています。その中に小さな伏線がちりばめられ、現実の事件とリンクしているかのような感覚になります。有希子が死後も和行を守ってくれるラストシーンがうまいです。和行のキャラが少し馬鹿っぽさが強く、もう少し設定を変えてほしかった気がしました。

深水黎一郎

「人間の尊厳と八◯◯メートル」

たまたま入ったバーで、男から「八〇〇メートル競争しないか?」と奇妙な「賭け」を持ちかけられる。量子力学や進化論までぶちかまし、突然「人間の尊厳を賭ける。その証明に負けたら土地の権利書をやるよ」 という。5万円の賭けで土地が手に入るのか。

5編の短編集です。題材は、表題作が酒場で持ちかけられた賭けだったり、北欧を旅する青年が遭遇した話とか、ハネムーンの夫婦とかで、特異なものではありません。ただそこに漂う強面の雰囲気は、独特のものがありました。文章の間に見え隠れする作者の、剣呑な姿勢と言うのでしょうか。読後の印象がとても暗く、人間の心の闇をすくい取った印象が残ります。今までと違い、好き嫌いが分かれる作品ではないでしょうか。

深水黎一郎

「言霊たちの夜」

大手ゼネコンに勤務する田中は、学生時代にボクシングをしていたせいか、耳の聞こえが悪い。そのため誤解から家を出た恋人の友人宅に電話をしても、「嫁は寄生虫(帰省中)」などと聞き違えてしまう。そして同じく勘違いのはなだたしい自称・カリスマ日本語教師。尊敬する作家のワープロを使う男。ベタな言動にアレルギー反応を起こす男。

4編の短編集です。1作目は思わず電車の中で吹き出してしまい、周囲を気にして口元をハンカチで被い笑ってしまいました。仕事を聞く「おつとめは何を」に、「いえ前科はありません」というやりとりが溢れています。いままでとはがらりと変わった本作を読み、ネタが尽きたのか、某パスティーシュ作家の路線を進むのかと思ってしまいました。

深山亮

「読めない遺言書」

平凡な教師の竹原は、警察から父の孤独死を知らされる。いつか我が家に帰ってくると思っていた父だった。だが見つかった遺言書は「全遺産を小井戸広美に遺贈する」という、知らない人物に宛てられたものだった。家族を捨てた事への憤りとやりきれなさを胸に、広美を追い始めると尾行、盗撮、放火と立て続けに事件に巻き込まれる。怪しい「ピースフロア」という団体も立ちふさがる。竹原は遺言書を握りしめ、父が残した「謎」を追う。

かなりくだけた文体で親父くさいギャグや妄想にあふれ、途中で読むのを止めようと思ったほどです。かろうじて繋いだのは、ホームレスになった父がどんな思いで生きてきたのか知ろうとする竹原の姿勢でした。ラストもありえない終わり方で、どうにもいただけませんでした。

深町秋生

「ダウン・バイ・ロー」

山形、南出羽市は大型ショッピングモールに客足を奪われ、貧困と荒廃が進む街だった。それに追い打ちを掛ける震災の発生が希望を失わせる。高校生・真崎響子は、幼なじみの遥から小遣いをまきあげ、憂さを晴らす日々だった。その遥が目前で線路に突っ込み自殺してしまう。自殺の原因を疑われ、煩悶を続ける響子だったが、さらに連続しておこる不可解な事件と、謎の人物が登場する。死んだはずの遥が響子の耳元にささやき、響子は事件の泥流に絡め取られていく。

古くからの商店街で細々と営業している、店主たちと家族たちの息詰るような暮らしが浮かんできます。明るい未来のない高校生たちが、必死に足掻いています。密かに探りを入れる警察官が関わり、暗い組織が近づいてきて、ラストで弾けさせます。慣れた作風という作りで印象が薄かったのが残念です。山形弁が少しわかりづらかったです。

藤野恵美

「ハルさん」

(瑠璃子さん。今日はね、ふうちゃんの結婚式なんだよ。まさか、この僕が「花嫁の父」になるなんて・・・)。結婚式の日、人形作家・ハルさんは、娘の成長を柔らかく彩った五つの謎を思い出す。心底困り果てたハルさんのためにいつも謎を解き明かしてくれるのは、天国にいる奥さんの瑠璃子さんだった。ある日暗くなってもふうちゃんが帰らず、あわててハルさんや知人が探しに出る。そこへハルさんの姉から電話が入る。ふうちゃんは北海道に行っていたのだ。

日常の小さな謎を、解き明かすために天国の妻に話しかけるハルさんが、頼りなさ過ぎる気がします。それがハルさんの心から出るのだとしても。ふわふわと実在感がなさ過ぎるのです。ファンタジィか児童書という印象です。ささくれ立った日に読むといいかも知れません。

誉田哲也

「インビジブルレイン」

姫川玲子が新しく捜査本部に加わることになったのは、ひとりのチンピラの惨殺事件だった。被害者が指定暴力団の下部組織構成員だったことから、組同士の抗争が疑われたが、決定的な証拠が出ず、捜査は膠着状態に陥る。そんななか、玲子たちは、上層部から奇妙な指示を受ける。捜査線上に「柳井健斗」という名前が浮かんでも、決して追及してはならないというのだ。単純な殺人事件が、幾重にも隠蔽され、複雑に絡まった事件に姿を変える。

TVドラマがワンクールで終わったので、原作を読んでみました。ドラマのキャラを思い浮かべないと、文章からだけでは人間が浮き彫りになってきません。事件の展開も目新しさはなく、これはドラマ化を待つしかなさそうです。

堀江敏幸

「燃焼のための習作」

雷雨がやむまでもうしばらくと、探偵事務所の枕木の言葉に、依頼人・熊埜御堂(くまのみどう)氏が頷きます。インスタントコーヒーを飲みながら、助手の恷qさんも加わりとりとめのない会話が続く。

雨の湿気が室内を埋め、レトロなおんぼろなたたずまいに、終わらない謎解きや会話が溶けていきます。緩やかな糸をたぐるような曖昧さと、直接関わりのない生なシーンがところどころにあり、不思議な本です。語りのリズムに乗れるかどうかで好き嫌いが分かれそうです。わずか217ページが長かったです。

藤村いずみ

「あまんじゃく」

折壁嵩男は有名大学病院の外科医だったが、同僚の不可解な死に関わり弁護士の横倉に出会いスカウトされる。横倉の仲介で医療ミスや金のことしか考えない医者に「殺された」家族から金を貰い、被害者が苦しめられた方法で復讐を請け負うことになる。「半殺しにして」と突然切り出すお下げ髪の女子中学生。妹が受けたのと同じ苦しみを味わわせてくれ、と乳ガン専門医の殺害を依頼する男。元外科医の殺し屋はクライアントの希望に添った驚愕の方法で依頼を遂行していく。しかしかつての恋人・梶睦子との再会から嵩男の足元は揺らぎ始める。

短編10編の構成で次第に嵩男とそこに繋がる裏の顔を、浮き上がらせていきます。殺しの顔と裏腹の、亡くなった祖母から教わった雨の描写が、叙情的で美しいです。乾き切ったキャラにしたくなかったのでしょうか。「必殺仕掛人」的な部分は、ある意味で溜飲が下がるところもあり、おもしろく読ませます。ただ、ラストの組織の話はリアリティなさ過ぎで、陳腐でしょう。匂わせておいて、シリーズものにした方がよかったのではと思いました。

藤村いずみ

「ルート246 華麗なる詐欺師・倉田梨り子1」

親友、恋人、会社の上司に裏切られた失意の倉田梨り子は、ホームレスの善さんや「おばちゃま」と知り合い、失踪した伝説の詐欺師の父から受け継いだ才能に目覚める。「憂さ晴らし、承ります」他人の復讐に手を貸す「仕返しビジネス」を生業とするマダム・リリーは今日も国道246号沿いの事務所で依頼人を待つ。

詐欺だとわかっていても深みにはまっていく、弱い人間への視線が意外と暖かいです。単なる詐欺師でもなく、人情話に終わらないおもしろさです。人物のそれぞれのキャラも、いい味を出しています。失踪した父への、思いがけない痛烈な感情に気付かさせられる梨り子が、抜群の作戦と行動力で、裏のまた裏をかく展開が楽しめます。

藤村いずみ

「ルート246 華麗なる詐欺師・倉田梨り子2」

梨り子が「仕返し代行ビジネス」を始めて約1年が過ぎた。伝説の天才詐欺師だった父・寛治の知り合いと称するおばちゃまや研介に支えられて、ビジネスは順調。振り込め詐欺に泣く女性の風変わりな願いを叶えたり、孤独に付け込まれた老人のために奮闘する。しかし、行方不明の父にはいまだ会えない。そんなとき、梨り子はおばちゃまの「秘密」を目撃してしまう。

相談を受けた梨り子が「おばちゃま」と峯田研介と策を練り、見事に仕返しをするのは痛快ですね。わたしだったら、誰をターゲットにするだろうと考えてにやりとしてしまいました。それと絡ませて、人情味のあるキャラとの距離感もいいです。

藤村いずみ

「闇に抱かれて眠りたい」

敏腕弁護士・畿内の事務所に「殺してやりたい」と願うと、殺人事件が起きると駆け込んできたのはテレビ局のワイドショーの人気司会者・村崎美津子だった。秩父、多摩川、新宿で起こったピストルによる三件の猟奇的な連続殺人事件がそうだと言う。しかも美都子には、アリバイがないのだった。まもなく美津子が勾留され、畿内は調査していくうちに、意外な犯人像と犯行動機を目にすることになる。

苦手なタイプのキャラの美津子が、抱えている内面と、犯人の実像の描き方が濃厚でした。弁護士は突っ込みを入れたくなる甘さでしたが、読ませる力がありますね。おもしろかったです。

藤崎慎吾

「祈望」

母と姉が白昼、惨殺された。逃げるのが面倒だからと逮捕された犯人は、まだ少年だった。少年法に守られた犯人と、センセーショナルな事件で社会の好奇の目に晒され、二重に苦しむこととなった遺族の私と父、弟の生活は一変した。逃げるように暮らした。20年後、認知症で入院した父が記した3冊のノートを見つける。それは、父が事件を自分なりに調べ、医療少年院に送られた少年に迫ろうとした軌跡だった。父は殺人犯に接触していたのか。そして私には殺人衝動が生まれてた。殺人衝動という負の連鎖は繰り返されるのか。

何故、人を殺すという一歩を踏み出してしまったのか。その原因は、本人のせいなのか、脳の個人差によるものなのか、それとも外因によるものなのか。犯罪を犯す人間と、犯さない人間との間に一体何があるのか。言い尽くされたテーマではあるけれど、現代的なアプローチをしている真摯な姿勢の作品を、久々に見たような気がします。他の作品も読んで見たいです。

藤崎慎吾

「ストーンエイジCOP」

2032年。警察機関の一部が民間に委託され、大手コンビニに雇われる滝田は、警備員兼警察官、通称「コンビニCOP」だ。強盗を企てた家出少年・健一が、奇妙な話を滝田に語った。三日ぶりに帰宅すると、家に自分の偽者がいて、母・美紗子に追い出されたというのだ。健一が寝起きをする公園には、「山賊」と称する集団と「漁り」という集団に別れて子どもたちが暮らしていた。集団を束ねるオジイは、最近不思議な少年たちが混じってくるようになったと言う。独自の調査を進める滝田は、上部からの圧力で停職処分になる。身の危険に晒されながらも真相に迫ろうとする滝田は、バイオ技術の進歩した臓器売買の闇世界に巻き込まれてゆく。

個人情報機器やDNA鑑定の隙間を突いた子どものチェンジが、興味を引きます。ミニ整形の手軽さで、顔も臓器も簡単に交換し、好きなキャラの顔に変え、常に体の若さを保つことができる世界のなんとも言えない不気味さが、そくそくと伝わってきます。希薄な人同士の繋がりが、人間の存在が必要なのか、鋭く問われている気持ちになりました。滝田自身が4年以上前の記憶がない、アイデンティティの揺らぎを持つ心情も共感できます。家族の繋がりが希薄な近未来の姿が、現在に繋がっているようです。SFでありながら、「いま」を描いている姿勢が好感度が高いです。おもしろいです。

藤崎慎吾

「クリスタルサイレンス 上・下」

火星の北極冠で、高等生物と思われる死骸が発掘された。地球外知的生命の遺物である可能性に、生命考古学者のアスカイ・サヤは火星へ向かう。だがそこは、開発先進国と後発国の緊張が高まり、謎の疫病が蔓延する危険な世界だった。採氷基地での調査を開始したサヤら学術調査団にも、何者かの攻撃が加えられる。

現在の感覚と繋がった先の未来感が、リアルです。現実世界と仮想世界の境界があいまいになったという設定も、説得力があります。ひとクローンに加えて、ネットワーク上の仮想空間に繰り広げられる、有形無形の存在の交流または闘争に、ぐいっと引きつけられます。住居コロニーに成長する不可解なクリスタルフラワーは美しい外観とは違い、光も曲げられず誰もそこから抜け出せない不思議な球体で、次第に狭まっていきます。次々に繰り広げられる世界に、たっぷりと浸ることができます。デビュー作だとはすごいですね。いままで苦手だった、他のSFが読みたくなってしまいました。

藤崎慎吾

「ハイドゥナン 上・下」

西暦2032年。大規模な地殻変動で南西諸島に沈没の危機が迫っていた。地球科学者の警告によって政府特別機関が設立されるが、目的は領海の海底資源喪失を見越しての既得権確保にあった。政府の対応に憤る植物生態学者・南方、地質学者・菅原ら6人の科学者は、独自の「ISEIC理論」によって地殻変動を食い止めようと、極秘プロジェクトを開始する。
一方、色を聞いたり音を味わったりすることができる共感覚をもつ伊波岳志は、南方らに同行して訪れた与那国島で、巫女的存在の後間柚(こうまゆう)と出会う。「琉球の根を掘り起こせ」という容赦しない神の声を聞いたという彼女は、大地の怒りを鎮めるため、岳志の協力で海中の遺跡ポイントで祈る。だが地中世界を垣間見た柚は、「大地の炎が琉球を焼き尽くす」という神の予言を聞く。海底資源を狙う中国の干渉が激化するなか、ついに海底火山が噴火する。

2段組み上下960ページの大作です。政府の描写が押さえられ、人物が描き分けられているので、柚と岳志を軸に一気に読み進みました。島々を救おうと煩悶し、そして自らの幸せを願う率直な姿も好感を持ちました。海底遺跡の謎に秘められた、与那国島に伝わる悲しい楽園伝説も彩りを添えます。深海掘削船や地球内部のさまざまな噴出現象や、地殻のマントル内微生物も興味深いです。科学ジャーナリスト出身の作者の豊富な知識と綿密な取材と、なにより豊かな想像力が壮大に広がり、自然描写の細やかさと色彩感覚の豊かさがあり、海の青い世界を泳ぎ回ることができました。ハイドゥナンについて、もう少し物語の途中で描写があったらラストがもっと効果的だったかも知れません。

藤崎慎吾

「鯨の王」

日本近海の深海底から未知の鯨類と思われる死骸が発見され、その調査に乗り出したアル中の鯨類学者・須藤とライス博士が、幻の巨大ダイマッコウという新生物を捜索する。太平洋マリアナ海域で米軍の攻撃型原潜が襲われた。ダイマッコウが超音波を用いて、人間の頭を吹き飛ばしたというとんでもない情報だった。女性パイロット・ホノカは、最新鋭の装備を整えた潜水艦でその謎を追う。

深海という謎の世界を探知機で探っていくストーリーが、楽しめます。イルカの脳を利用しての操船は、多少無理がありますが、SF的にありそうです。巨大な白い壁に見える生物の存在感が魅力です。テロなど、材料を詰め込み過ぎですが、ラストでまとめてくれます。

藤ダリオ

「ミステリー・ドラマ」

ミステリ映画の巨匠と呼ばれる檜市監督が、生放送ドラマ本番スタート直前に倒れてしまい、フロアから指示を出すという。放送会場の建物全体は、ドラマが終わるまで完全密封されている。だがドラマが始まってすぐ、監督室にいたはずの檜市が廊下で殺されてしまった。さらに探偵役の主演男優が誘拐され、このままドラマを続けなければ 彼の命はないという犯行声明が口に差し込まれていた。自分も殺されてしまうかも知れない恐怖が襲う。演出プランが知らされていない出演者が生放送ドラマを、アドリブでまさに命がけで仕立てていく。

密室殺人でありながら、テレビで生放送されるという設定がおもしろいです。いくつかの伏線が、読めてしまうところもありながら、最後までスリリング感を維持して読ませてしまいます。ラストが少しあっけなさがありますが、楽しめます。

藤ダリオ

「出口なし」

命がけのゲームのために監禁された男女5人が5組。「あなたたちが無事にお家に帰るには、クイズの答えを探して、ゲームに勝つしかありません」というメールが、置かれていたパソコンに届く。完全な密室で、そして残された酸素は12時間だった。クイズに不正解の場合は、命が危うい恐ろしいお仕置きが待っていた。

映画やゲーム好きな感覚で、描いています。小道具の使い方も、うまいなと思わせますが 、収斂しないまま放置されたり、結末も途中で予測ができてしまいます。確かに出口のないゲームですね。

福田和代

「プロメテウス・トラップ」

天才ハッカーと謳われた「プロメテ」こと能條良明は、平凡な一プログラマーとして生きていた。能條に謎の男からICチップ解析の依頼が舞い込んだ。一見簡単に思えたその仕事が、アメリカを脅かすサイバーテロ組織との闘いに導いてゆく。パスポート偽造、ソーシャル・ハッキング、スーパーコンピュータでのチェス対決、政府機関へのハッキング等、強大な敵に次々と挑む。

ネットワーク上の知恵比べの設定がいいです。十年前ならハッカーもの大好きなわたしとしては、いいと思いますが、あまりインパクトがなく、プロメテ、パンドラ、村岡、シャオトン、登場人物のキャラも、まるでパソコン上の造形で魅力に欠けます。文章には読ませる力があり、そこそこ楽しめます。

福田和代

「オーディンの鴉」

「私は恐ろしい」。不可解な遺書を残し、閣僚入り間近の国会議員・矢島は、東京地検による家宅捜索を前に謎の自殺を遂げた。真相を追う特捜部の湯浅と安見は、ネット上に溢れる矢島を誹謗する写真や動画、そして、決して他人が知り得るはずのない、彼の詳細な行動の記録を目にする。匿名の人間たちによる底知れぬ悪意に戦慄を覚える二人だが、ついに彼らにも差出人不明の封筒が届く。

防犯カメラに写らず生活することは難しい社会であり、メール、ネット、クレジットカード、IC乗車カード、Twitterでのつぶやき、mixiでのおしゃべりなどの履歴には、すべて個人情報が含まれています。その個人情報がネットに流れたらほんとうに怖いです。自分も家族も丸裸で社会から抹殺される恐怖です。福田さん、うまくなりましたね。やはりコンピュータ関連の作品が面白いです。

福田和代

「リブート!」

ふたつの銀行が合併し、ひびき銀行となった。旧2行を結ぶ取引システム『リンカー』の保守を担当する横田は、深夜の電話に起こされた。『リンカー』のサーバーがダウンしたのだ。誤振込が起き、取引が途中でキャンセルされるタイムアウトも発生した。懸命の復旧作業も実らず、ATMにはエラーメッセージが出て客からの苦情も続いていた。社員は睡眠を惜しんで仕事をしていた。

物語には起承転結が必要ですが、ミステリではないためか「転」となるものがありません。多少の人事絡みも、狭い範囲の心理をわずかに描いただけにとどまりました。システムを一般の読者にわかりやすくする効果はあります。ただ、ある程度コンピュータを知っている読者には、意外性も新しいトラブルもなく想定内のストーリーです。力のある作家だと思い読んできましたが、どこか肩すかしを食らってばかりで残念です。

福田和代

「TOKYO BLACKOUT」

周防刑事は、娘が妻の運転する車で轢かれたと聞かされ病院に急ぐ。その頃、東都電力は一部の鉄塔の倒壊により、関東で大規模な停電が発生していた。テロの可能性も含め、警察は非常事態に対処していく。殺人事件、強盗事件。あらゆるものが、一人の男をあぶり出していく。

全体の構成が竜頭蛇尾という印象です。パニック物にするには筆が足りないし、テロリストに迫るには底が浅く、家族の再構築にもならず、星空が見たいというロマンは陳腐に終わってしまいます。最後まで読ませる力はあるのですが残念ながら、この作家の資質には合わないテーマかも知れませんね。

藤原伊織

【蚊トンボ白鬚(シラヒゲ)の冒険 上・下】

心臓に問題を抱えランナーへの夢を捨て、水道職人として日々を送っている達夫の頭の中に、奇妙な蚊トンボ『シラヒゲ』が入ってくる。記憶力が高まり、筋力が瞬間的に強くなる不思議な存在だった。ぼろアパートの隣人・黒木が暴力団に襲われるのを、その能力で助けてしまう。株で巨額の損失を与えたらしい。増築で水道回りの工事をしている家の娘・真紀は、達夫の部屋に押しかけ、積極的にアプローチしてくる。

暴力団は黒木だけではなく、達夫や真紀まで巻き込んでしまう。敢然と立ち向かう達夫に、新たな敵・赤目のカイバラが現れる。

久々に興奮させられました。藤原さんは、「テロリストのパラソル」「ひまわりの祝祭」を読んでいましたが、こんな作風も書けると思いませんでした。金融、日本の経済システムまでかなり詳しく調べていながら、それを飽きさせずに物語の舞台にしてしまう力は、すごいです。まして、ごく普通の水道職人を暴力団との対決も辞さない、気概を持たせ、蚊トンボを宿すことで思考能力、筋肉能力まで高めてしまうとは。テンポもいいし、人物たちがじつに魅力的に描かれています。職人の親方や、心の痛みも伝わります。最後まで引きつけて離しませんでした。電車だけでなく、深夜まで続きを読ませてしまうおもしろさです。

広瀬正

【ツィス】

神奈川県C市の病院の医師・秋葉は、耳鳴りの症状を訴えるのり子の話を聞く。絶えず、557ヘルツのツィス音(ドの#)が鳴っているのだと言う。秋葉は友人の紹介で音響学の日比野教授に相談すると、特別の探査装置を製作し調査を開始することになった。次第に音量が増していく音を、日比野はTV番組で取り上げてもらい、市民からの情報を収集した。毎日の帯番組で音は東京にも広がり、レベル数値1から6へと向かって行った。ついに政府も動きだし、首都圏住民の大規模な、地方への疎開が決まった。その中で、耳に障害のあるイラストレーター英秀と内妻オイネは防音壁に囲まれた家に、残るつもりでいたが・・・。

書かれた時代が30年以上前のため、身体精神差別用語や表現が気になりましたが、全体としておもしろく読みました。音という目には見えないものを相手に、次第に社会的不安が高まって行く過程もうまいし、一方で変わらない日常を過ごす市民の姿も納得できます。そして巧妙に描くことをしていない部分への、想像もかき立てられます。ラストは少しあっけない感じはありますが、「だまし絵」を見せられたようで、うまくしてやられたと、苦笑いをしてしまいました。

広瀬正

「鏡の国のアリス」

美容整形外科医のもとを訪れた木崎浩一の相談とは、不思議なものだった。銭湯で確かに男湯に入っていたのが、突然女湯に変わってしまい変態扱いされて逃げ出した。アパートに戻ろうとしたが、アパートがない。知っている場所の左右の位置が逆に見えた。目にする文字がすべて鏡文字に見える。刑事の口利きで、左利きの研究をしている朝比奈の家に世話になることになった。数人の家族も左利き(浩一にとっては右利き)だった。「鏡の国のアリス」のことを教えられた浩一に、朝比奈は元の世界に戻る方法を教えてくれた。だが・・・。

まさに「鏡の国のアリス」の世界を体験する男の話が、朝比奈により論理的に説明されていくことにより、読者は一層迷わされることになります。左利き用のサックスにより、その世界でのアイデンティティを確立していく過程も、楽しめます。ラストの提示は、さらに世界が曖昧な存在だと考えさせてくれます。おもしろい世界ですね、広瀬さん。

広瀬正

「マイナス・ゼロ」

空襲を受けた時小学生だった俊夫は、隣に住む大学教授から死の間際に依頼されたことを実行するため、31歳なったある日、かつて住んでいた家の隣を訪れた。及川は自由に使っていいと研究室のドームを貸してくれた。約束の12時にドームのドアを開くと、教授の娘が戦時中当時のまま現れた。二人で話し合ううちドームがタイム・マシンだと気付き、操作をすると昭和7年に飛んでしまった。

マシンの設定もおもしろいです。時間逆行のパラドックスも、うまく取り入れられています。前作からの想像から、騙されまいと思いながら読んでしまいましたが、それでもやられたなという印象があります。細部の描写の巧みさが、どんな設定も「有り」な気分にさせられます。うまい作家です。

深谷忠記

「無罪」

息子と妻をシンナー中毒の通り魔に殺された新聞記者の小坂は、ある大学准教授の家を見張っている女性に出会った。准教授の妻は11年前、我が子2人を殺しながら心神喪失と判断され、無罪判決を受けていた。愛する息子と妻を通り魔に殺された男、我が子を殺しながら、心神喪失で無罪となった女。刑法第39条の壁で隔てられた、被害者、加害者双方の苦悩と葛藤。

題材に引かれました。ただ文章がくどく重複し、肝心のストーリー展開がもたつきます。基本的に長編作家ではないのでしょう。途中から飛ばし読みをしてしまいました。ラストもなんだかなという感じでがっかりでした。

氷川 透

【人魚とミノタウロス】

推理小説家志望の氷川透は、高校の同級生・生田と偶然出会う。精神科の医師になっていた生田を訪れることになった。だが、面接室で火災が起き、損傷の激しい焼死体が発見される。氷川には信じられることではなかった。

町田医局長。臨床心理士の船橋。狛江看護士。看護婦の喜多見などなど。それぞれの視点で見える事件の発生時間帯と、複雑な人間関係が垣間見えてくる。

「論理的に」解明しようとして、不可解な心理の「論理」の深みにはまっていく氷川が、キャラとしておもしろいです。決して鋭い展開ではないのも、好感が持てます。まともなミステリーという感じです。人間の心理も心得ています。麻耶さんとの比較でも興味深く、読みました。

それにしても、作中の氷川に「原稿を持ち込んだ講談社の反応は思わしくない」などと、語らせるあたり、思わずにやりです。いや、ちゃんと計算があってのことでしょうけれど。

氷川 透

【逆さに咲いた薔薇】

殺害したあとに、左足の小指を切り取り赤い靴下を履かせるという、連続殺人事件が発生していた。警視庁捜査一課の巡査部長・椎名梨枝は、部下の鳥山と解決しようと捜査を始める。

氷川さんの2作目です。主人公が、警視庁捜査一課の巡査部長で若い女性で、という描き方に無理があるのではないでしょうか。捜査技術も犯人追及も、どうしても素人っぽさが見え過ぎでつまらないのです。読者に軽く読ませようとしたからでしょうか。

氷川 透

【最後から二番目の真実】

「お嬢さま大学」と言われる聖習院女子大学の、住吉教授から意見を聞きたいと招かれた推理小説家・氷川は、研究室を訪れた。そこへ同僚の反町助手が現れ、さらに住吉講師、学生の早苗と大倉、奈保子、美帆が加わり『法月論文』議論が始まる。終わったあとに食事ということになるが、セミナー室で警備員の死体が発見される。ついで研究棟の外壁に吊るされた死体が。

すべてのドアの開閉記録が残り、出入り口はカメラで撮影される防犯システムが完璧な『密室』でのわずかな時間に、どういう方法で殺人は行われたのか。高井戸警部は捜査情報を氷川に流し、推理をさせようとした。

十数人のキャラを大胆に描き分け、推理と人間関係や利害を絡ませ、氷川さんは楽しませてくれます。展開のスピード感と、推理の緻密さとがおもしろいです。

初野 晴

「1/2の騎士」

アーチェリー部主将で喘息持ちの女子高生・マドカが出会ったのは、最も無力な騎士、男子高生の幽霊「サファイア」だった。走ると息が上がってしまうマドカが、彼の力も得て必死に犯人と立ち向かっていく。「幸運のさる」を見つけた中学生が次々と姿を消していく・・・「もりのさる」。 盲導犬は飼い主の前で無残に殺されていく・・・「ドッグキラー」。 目的不明の家宅侵入者に狙われた女性たち・・・「インベイジョン」。 花を使う毒物散布犯を追う・・・「ラフレシア」 1,000度の炎を自在に操る犯人とは・・・「グレイマン」

しっかりした構成と伏線の張り方と、頼りないけれどマドカを守る「サファイア」を始めとする、それぞれのキャラも立ち個性的で印象に残ります。走り出すと周囲が見えなくけれど、考えをめぐらせようとするマドカの姿勢が好きです。こんなふうに青春時代を生きてこれたらいいなと、うらやましくなりました。引き込まれて読んでしまいました。以前読んでからしばらくぶりに手に取り、すっかり大物作家になっていて新鮮な驚きを覚えました。また何作か読んでみたいです。

初野晴

「ノーマジーン」

終末論が囁かれる荒廃した世界で、孤独なシズカのもとに現れたのは、言葉を話す不思議な赤毛の猿・ノーマジーンだった。シズカは革製品の修理で細々と生きながらえている。二人で一日一杯のミルクを分けあい、収穫を待ちわびながらリンゴの木を育てる。だが、ノーマジーンの生い立ちを知ってしまい二人の間は壊れていく。

一章の二人の心のやりとりは、閉じられた世界の宝石のように美しいです。極貧ではあっても、いつまでも続いてほしいと思いました。ノーマジーンの生い立ちが、知らずにいるから成り立っていた繊細な暮らしを暴力的に崩してしまい、胸が痛みます。二章は唐突過ぎ、最終章に持っていくための理由付けとしては、無理があります。壊れかけた世界でしか存在し得ない、美しい物語です。

初野晴

【水の時計】

暴走族「ルート・ゼロ」のリーダーの一人・高村昴は、芥という奇妙な男に声をかけられる。警察から逃れさせる代わりに、1,000万で仕事を依頼したいというのだ。脳死と判定されながら生き続けている、葉月という少女のために維持されている病院の一室に案内された。臓器移植を望んでいる人を選んで分け与えてほしいと、特殊な機械で葉月は発声し、昴に頼んだ。

冒頭にオスカー・ワイルド「幸福の王子」があり、子どもの頃に強烈な印象を受けた物語を、奇しくも読み返してしまいました。とても残酷な話でもあります。
目、腎臓、心臓と、次々に運ぶ昴が、友人、警察官などとの関わりがありながら、追いつめられていきます。途中から話がスベリながら、なんとか終わらせたあたりを評価したいですね。文章も、人物もなかなか魅力があります。2作目がどう出るか、興味の惹かれるところです。

初野晴

「退出ゲーム」

高校の文化祭を前に、1年のチカはフルートで吹奏楽部、幼なじみのハルタと共に化学部から盗まれた猛毒の硫酸銅の結晶を探すことになった。校内の掲示板には脅迫状が張り出された。このままでは文化祭が中止になる。部活の存続を賭けて、二人は必死になっていく。

4作の連続短編集です。細かな伏線やひねりも考えてあり、楽しめます。軽く読めてしまい、チカに振り回されながらも謎を解いていくハルタのキャラもいい設定だと思います。

初野晴

「トワイライト・ミュージアム」

祐介は養子縁組直前に亡くなった大伯父の教授が残してくれた、博物館のオーナーになった。養護施設から祐介に会いに来た幼いナナが交通事故に合った。そのことを巡り、秘密裏に行われているプロジェクトを知ることになった。唯一ナナを助ける方法だと言われた。それは精神の時間旅行だった。博物館で仕事をしている枇杷と手をつなぎ、「命綱」の役割をすることになった。祐介と枇杷が飛んだ先は、ナナがいる1640年頃のイングランドだった。

魔女裁判という時代設定にはかなりの飛躍がありますが、楽しめます。現代と過去を「行き来」することで情報を持ち帰り、博物館で分析した情報を持って二人を救い出すというのはうまい方法だと思います。その時代の人の体を借りて行動するというのが、おもしろいです。この分量でまとめるための無理はありますが、軽く読めシリーズにしてもいいかも知れません。

樋口有介

「風少女」

大学生の斎木亮は、義父の最期に間に合うように帰省した。到着した駅で偶然を装った、中学時代の同級生・麗子の妹がいて、1週間前に姉は事故死したと告げる。義父の葬儀のあと、同級生たちの話を聞くうち、麗子の風呂場での事故死への不自然さを感じた。県警に勤務している叔父から情報を聞き出し、さまざまに推理していく。

そんなに親しかったわけでもない麗子の事故死への疑問を、無理なくきちんと調べていく描き方は好感が持てます。家族や他の登場人物も狭い地域で暮らしている生活感があり、それでいて亮の重くならないストーリー展開もうまくまとめています。

福井晴敏

【川の深さは】

「Twelve Y.O」と、つい比較してしまうのは、悪い癖でしょうか。前作がおもしろかったから、つい手を出したけれど、また辛口になりそうです。

元警官でいまはやる気のない警備員の桃山剛は、ふとしたことから、傷を負い追っ手から逃れてきた少年・保と少女・葵を匿ってしまう。引きずり込まれたのは、底なしの川を思わせる闇の世界だった。

魅力的で豊富な素材を持ちながら、人物が描ききれていないために、おもしろさがいまいちでした。説明に苦しくなると、別な人物の視点で描いてしまう。受賞できなかった作品であれば、なおさら全面書き直してほしかった気がします。

福井 晴敏

「人類資金1〜5」

詐欺師・真舟雄一に仕事の依頼が入る。「報酬は50億。仕事の内容は、M資金10兆円を盗み出すこと」。リーマン・ショック。EU危機。大震災。福島原発事故。それでも、自分の尻尾を食ってでも成長し続けろと仕向けられている「俺」たち。誰も幸せになれない「ルール」を適用した何者かに戦いを挑み、暴走する「資本」という魔物に手綱を付けるチャンスは、いましかない。大貧民ゲームのようなこの世界を、変えることはできるのか。「お金のルール」とはいったい何か。日本、ロシア、アジア某国、そしてアメリカへ。この世界を陰で牛耳る何者かと繰り広げられる頭脳戦と肉弾戦。危険な旅の果てに、遭遇するものとは。

いかにもリアリティのある「人類資金」の存在を追いかけていく真舟が、見ることになる国を動かす者の正体の一端を知ります。壮大な設定がおもしろく読み始めましたが、登場人物がキャラ立ちしていません、追いついたかと思うとまた手をするりと抜けていく、一向につかめない正体が次第にいら立ちに変わってきました。しかも「6・7」はまだ先の出版だと言います。あとは結末だけ立ち読みして終わろうと思います。出版を待つというのは性格的にどうしても合いません。

本多孝好

【ALONE TOGETHER】

フリースクールの講師のアルバイトをしている柳瀬は、卒業した大学の教授から、奇妙な依頼を受けた。

教授は安楽死を幇助した件で、逮捕が間近い。その患者の娘で中学生の立花サクラの精神的な庇護者になってほしいと。柳瀬は生徒の一人・ミカを通して接触を試みるが、当然構わないでくれと言われる。やむなく、ある「力」を使い、彼女の心にシンクロしてみる...。

読者対象が若い人だろうなと思いながら、不思議に静かな文章に惹かれて読んでしまいました。殺人事件も、すべてに一定の距離感があり、あるがままに受け入れ無理をしない。そんな姿勢のあり方が、読み手の心を落ち着かせるのかも知れません。心地よい作品でした。

本多孝好

【MISSING】

自殺未遂の男が目を開けたとき、少年がいた。焚き火をして暖めてくれていたのだ。ただ口は悪い。「ここが自殺の名所と評判を落とさせんといてくれ」と。

わたしは20年前、この土地でのことを少年に話していた。交通事故で両親を失い伯父夫婦に育てられ、高校の教師になり、教室での事件をきっかけに、一人の生徒と親しくなってしまう。そして海に行きたいという生徒を車に乗せ、交通事故を起こしてしまう...。

いやな言い方をすれば、題材がありふれていて新鮮さが欠けている。それなのに読ませてしまう、真摯な文章が魅力でした。小さな世界で、泡立つような感情の揺れ。たぶん、20歳くらいの時持っていて、すでに失った感覚が懐かしかったのでしょう。初々しい作品だと思います。

姫野カオルコ

「昭和の犬」

昭和33年、滋賀県のある町で生まれた柏木イクは、幼い頃から、いろいろな人に預けられていた。イクが両親とはじめて同居をしたのは、風呂も便所も蛇口もない家だった。父親はシベリアからの復員兵で、気に入らないと咆哮し、周りと折り合いが出来ない。イクが犬に咬まれたのを見て奇妙に笑う母。母は父を避けているが娘にも冷たい。それでもイクは、淡々と、生きてゆく。やがて大学に進学するため上京し、貸間に住むようになったイクは、たくさんの家族の事情を、目の当たりにしていく。そして49歳、親の介護に東京と滋賀を往復するなかで、イクが家族との過去を振り返る。

ひとりの女性の45年余の歳月から拾い上げた写真のように、昭和から平成へ日々が移っていきます。好景気も不景気も社会の大事件も、遠いこととして周囲のことだけを見ていきます。小さな喜び、悲しさ、その心の傍に犬と猫が、そっといるのです。姫野さんのいくつかの作は読んでいますが、自己懐古録のような突き放した作品です。それでいて、いくつかのシーンが鮮明に印象に残り、世間から見ると悲惨な環境も、やり過ごしてきたしたたかさを感じさせます。

姫野カオルコ

【整形美女】

美容整形という言葉は、どことなく後ろめたさを隠しています。
最近はプチ整形などというのもありますが、二重まぶた、鼻を高くする、胸を大きくする、あごを削る...全身の手術が可能ないま姫野さんは、美しさとは何か、その目的は何かということに鋭く女性のこころを描いて見せてくれます。

20歳の甲斐子は大曾根医師に、全身の整形手術を依頼した。だが大曾根から見ると、甲斐子は美人だった。それなのになぜ手術をしたがるのか。甲斐子は、その「計画」を話した。
阿倍子は、普通の美容整形をした。美人になるために。
その二人がある時、出会うことになる...。最後に幸せになるのは、どちらの方か。

多数の人に『美人』と感じるのは、どんなイメージでしょうか。人によって好みの違いはあるが、改めてなぜ『美人』でなければならないか、考えさせられました。

深緑野分

「オーブランの少女」

数百年も続く豊かな緑の地で、村人たちは穏やかに暮らしている。色鮮やかな花々の咲く、比類なく美しい庭園オーブランは、老姉妹が管理していた。表の庭は解放されいつでも美しい花をながめられる。ただ立ち入り禁止の奥の庭だけは鉄扉で閉め切られている。作家の「私」は娘と散歩をしていたが、異様な風体の老婆に女管理人が惨殺された現場を見てしまう。その妹も一ヶ月後に自ら命を絶つという痛ましい事件が起きる。奇妙な縁から手に入れた管理人の妹の日記には、オーブランの恐るべき過去が綴られていた。かつて重度の病や障害を持つ少女がオーブランの館に集められたこと。彼女たちが完全に外界から隔絶されて、規則に縛られていた。そしてある日を境に、何者かによって次々と殺されていったという。楽園崩壊に隠された驚愕の真相とは。

5編の短編集です。中世の北欧の時代設定で、毒のあるエキセントリックな文章が独特の雰囲気をかもし出しています。1編は日本ですが、明治時代の良家の高等女学校も同じ味がします。閉ざされた世界の濃厚密な悪意や憎悪が渦巻き、闇に覆われたような物語です。けれど登場する人間たちの、なんと率直な「生」への執着を感じさせることか。人間の本質はここにあるのだと、さらりと見せてしまうのです。好き嫌いが別れると思いますが、不思議な魅力に満ちた作家です。2作目はどんなものを見せてくれるのか、楽しみです。

フジ子・ヘミング

【魂のピアニスト】

2月にNHKTVで放映された「フジ子・ピアニストの軌跡」で大反響を呼んだのをおぼえているかな?彼女の描いた絵と文章。

一時耳が聞こえなくなったことや、国籍を持たなかったエピソードなどが、不思議な口調で書かれている。悲惨になりそうなことが、たんたんと。

でも、何よりも彼女を語っているのは、演奏なのだ。文字よりどんなトークより雄弁だと思う。

普照大督

「声を出してはいけない授業」

黙っているだけで望みのものがもらえる授業。チラシを見て応募した年齢も職業もばらばらな6人に、奇妙なルールが説明される。声を出さずに講師の質問に答えるというものだった。講師のあおる発言に思わず声を出した者が、次々に退場させられる。

タイトルのおもしろさに引かれて読みました。一人一人の視点が、必ずしも効果的な描写ができていないのが残念です。設定も悪くはないのに、底の浅さが致命的です。

春口裕子

【炎群の館】

桐野夏生さんの絶賛という帯に惹かれて、読みました。「ホラーサスペンス大賞特別賞」(新潮社)。

弁護士を目指す明日香と、会社員の真弓が二人で借りたマンションでの生活がスタートした。だが、奇妙な空気が明日香の気持ちを波立たせる。止めたはずのシャワーが、留守の間に出しっ放しになる。恋人・秀の舌が無気味になる。野菜の虫。

次第に恐怖が大きくなったある日、浴室で真弓が死んでいた...。

都会の暮しの中の不安をうまく描いている。読みやすく、人物像も。くっきりしているが、ホラーとしては物足りなく、背景も道具も、ある意味使い古された感じが拭えないのが残念だ。

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