梨木香歩

「エンジェル エンジェル エンジェル」

息子を忘れ、孫のコウコを忘れ横たわるおばあちゃんは、寝返りができ手伝うと トイレにもいける。にこにこして、ときどきは意味不明な歌も歌っている。ママは 「天使みたい」と、つぶやいた。

夜中のトイレの付き添いをすることで、コウコは熱帯魚の飼育を許可された。 サーモスタットの音で、覚醒するおばあちゃんの「さわちゃん」。梨木さんのこの 日常から、さりげなくズレていくストーリーの巧みさには、舌を巻きます。

おばあちゃんの少女時代の記憶が、旧仮名遣いで書かれていて、日本語の美しさを 思い出させてくれます。2重3重に含みのある「エンジェル」が、きれいです。

「りかさん」

ようこは、おばあちゃんから「りかさん」という人形をもらい、その世話をする ことになった。家族と一緒に食事をしたりするうち、りかさんが話しかけてきた。 ようこは、家のひな飾りの人形たちの、声が聞こえてくるようになった。「うる わしの背の君」と、泣き崩れる雛。三人官女も、五人囃子も、それぞれにしきり に訴え続けて騒々しかった。

仲良しの登美子ちゃんのうちは、お母さんが病気で寝ていた。それでも雛祭りく らいはと、ようこは招待された。登美子ちゃんの雛飾りは、もっと大変だった。 りかさんはスクリーンを出して、ようこに人形の記憶を映し出してみせた。

子どもの頃から人形は怖いと思ってきたのですが、「りかさん」の不思議な世界に は、するりと入っていけました。そこに展開したのは、あまりにも哀しい人間の 悲劇でした。いくつかの知っている事件も盛り込まれています。読ませ方がうまい 作家だと思います。

「裏庭」の続編のような、『ミケルの庭』が痛ましい。仕事をする「手」を持つ 人の選ぶ言葉の深さを、感じる作品です。

「裏庭」

バーンズ屋敷は子どもたちの間で、密かに『おばけ屋敷』と呼ばれていた。 レストラン経営に忙しい両親にかまってもらえない照美は、友だちの綾子のおじい ちゃんの丈次から、よく屋敷の話を聞いていた。

丈次は姉の手伝いで、屋敷に氷を運ぶことがあった。屋敷には、姉妹のレイチェル とのレベッカがいた。丈次はレイチェルに連れられ、階段下の大きな鏡の前から 「裏庭」の入り口に立った。だが、こわくて入っていけなかったという。

丈次が病気のとき、照美は誘われるようにバーンズ屋敷を訪れていた。荒れ放題の 屋敷は、照美を濃密な気配で包んだ。あの鏡の前に立つと、「フーアーユー?」の 声がしてた。霧が流れてきて、その向こうに草原が現れた。

テルミィは、その世界でいろんな人たちと出会う。元の世界に戻るために果たさな ければならない使命があるという。

すとんと、梨木さんのファンタジーに引き込まれてしまいました。場面の描き方が みごとです。本を読みながら、その光景の匂いや気配、音や空気までも感じることが できるのです。上橋奈穂子さんの『守り人』シリーズに近い、ファンタジーですね。 短いにもかかわらず、広がっていく世界の壮大さがすばらしいです。

「西の魔女が死んだ」

中学になってから登校するのが苦痛になった「まい」は、田舎のおばあ ちゃんに預けられることになった。ママもパパも仕事を休むわけにいかなかった。 まいと、小さい頃から好きなイギリス人のおばあちゃんとの、暮らしが始まった。

鶏の卵を取ってきたり、野菜畑のイチゴでジャムを作り、まいは生き生きとして いった。ある日、おばあちゃんはまいに「魔女を知っていますか?」と聞く。

すっと日常から入り込んだ、ファンタジイという印象でした。きめこまやかで 暖かいふんわりとした世界が、広がりました。日溜まりの縁側のお話のような 眠りに誘われそうな、すてきな物語です。

「からくりからくさ」

祖母あさこさんが亡くなった古い家に、残された人形のりかさんと一緒に蓉子は 住むことになった。染色を仕事にしたいと思っていたので、工房も兼ねていた。

下宿人として入ったのは、鍼灸の勉強にきているマーガレット、機織りの勉強を している美大の紀久さん。テキスタイルの図案の研究をしている与希子さん。り かさんを中心に、それぞれの生きる方向探しが始まった。

蓉子の師匠の柚木。祖母に頼まれて、りかさんと同じ澄月の人形の情報を持って 来た徳家。シルクロードを旅する神崎。糸が絡み合うように展開される、人間関 係の不思議さや、距離感、こころ遣い、自然との暮らしが描かれていきます。

梨木さんの文章はやさしいようでいて、しっかりとした意志を持って選ばれた 語彙によって構成されています。その言葉の積み重ねや奥行きが、不思議な空間を 作り出しているのです。香り立つような作品です。

「f 植物園の巣穴」

植物園に勤務する男は、治療に行った先の奇妙な歯医者夫妻と知り合った。治療を受けながら、男は 子どもの頃の記憶が呼び覚まされる。川の流れが、植物園の水と重なり、ねえやの千代がいつか妻の 千代と重なり、いつか男は流れのままに弄ばれていく。

久しぶりに読んだ梨木さんは、すっかり熟成した文章になっていました。水というのは形を取らない、 どうとでも姿を変える存在です。その中で、時間軸を揺らし、記憶を揺らしていく男の描き方が、独特の 世界を作っていきます。じつに怪しい時間を過ごしました。

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