中村文則

「去年の冬、きみと別れ」

ライターの「僕」は、ある猟奇殺人事件の被告・木原坂雄大に面会に行く。彼は二人の女性を殺した罪で死刑判決を受けていた。だが、動機は不可解。雄大の姉・朱里は、弟の撮る写真が怖いという。描く絵も怖いと。事件の関係者も全員どこか歪んでいる。この異様さは何なのか。それは本当に殺人だったのか。「僕」が真相に辿り着けないのは必然だった。なぜなら、この事件は真実は別なところにあった。

中編の短さにすいっと引き込まれてしまいます。言葉や動きの描写の、特有の間が不思議な雰囲気を作っています。本を書くはずの「僕」が流れに飲み込まれていく過程もおもしろいです。映画化されたらしいです。観に行くことはないですが、映像としての作品にも興味が引かれます。

中村文則

「土の中の子供」

27歳のタクシードライバーとして日々を送る私は、親に捨てられ孤児として日常的に虐待された日々の記憶に苦しめられていた。自己破壊衝動のような喧嘩沙汰を起こしたりする。

幼少期の虐待に目をそらさず、真っ正面から描く姿勢が作者の持ち味です。それと引きずり込まれるような筆致はいつもながら驚かされます。人間の醜い欲望を描きながら、最後にかすかな光が残るからまた次の作品を読みたくなるのでしょう。

中村文則

「悪意の手記」

血小板減少という大病に冒され、精神の錯乱もあり死を自覚した15歳の男が、奇跡的に回復に向かった。学校に戻ってもどこか別世界にいる感覚で、生きる意味を見出せずにいた。首を吊ろうとしたところに、心配した親友「K」が来た。話しているうち、全ての生を憎悪しその悪意に飲み込まれ、ついに「K」を殺害してしまう。だが警察は自殺として処理した。そして「K」の母親に憎しみをぶつけられ殺されそうになる。

三つの手記で構成されています。心の内にある「悪意」の正体を知りたくて、一気に最後まで読んでしまいました。作者の中にある「核」をつかみたかったのです。隔靴掻痒で、読み終わった後また次作に期待してしまいます。

中村文則

「私の消滅」

一行目に不気味な文章が書かれた、ある人物の手記。「このページをめくれば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない」それを読む男は、重度の鬱病の女性を診察をした精神科医だった。

精神科医の「僕」は小塚という新しい身分を手に入れ、早く逃げなければと思いつつ手記を読んでしまいます。そこに手紙が届き男に拉致され、病院に連れて行かれます。精神科医が患者の精神部分に入り込むという、催眠療法から先が踏み込んで描かれています。自分のアイデンティティが揺らいでいく過程が、本人が気が付かないうちに進むのが怖いですね。引き込まれる作家です。

中村文則

「最後の命」

疎遠になっていた幼馴染みの冴木から唐突に連絡が入った。しかしその直後、私の部屋で一人の女が死んでいるのが発見され疑われる。部屋から検出された指紋は「指名手配中の容疑者」冴木のものだと告げられた。

男性のある時期の性衝動の強さの描写が晒されます。冴木はそれを悪と感じ、常に「死」を意識つつ、欲望を増大させ、実行しようとします。「私」は潔癖に拒否し、幼い頃の強姦の記憶を否定しようとします。どちらも快楽には死がつきまといます。生命を次の世代につなげるはずの、性行為を真っ正面から描いた作品です。これも一気に読ませる文章力がすごいです。

中村文則

「銃」

雨が降りしきる河原で大学生の西川は、死体の傍に落ちていた銃を目にする。圧倒的な美しさと存在感を持つ「銃」に魅せられた彼はやがて、「私はいつか拳銃を撃つ」という確信を持つようになる

デビュー作です。まったくの偶然から銃を手に入れてしまった私は、日常が徐々に変化していきます。意識していなかったものへの憎悪が沸き上がる瞬間。地道な警察の捜査という社会を遮断し、深く深く自分を掘り下げていく作家に、久々に出会いました。ハマりました。

中村文則

「掏摸」

東京を仕事場にする天才スリ師。万引きをする幼い男の子を見かけ、庇ってしまう。指示した母親は最低の暮らし、考えをしていた。男の子に生き方を伝える。僕は「最悪」の男・木崎と再会する。かつて仕事をともにした闇社会に生きる木崎が、僕に囁く。「これから三つの仕事をこなせ。失敗すれば、お前を殺す。逃げればあの母子を殺す」。ひとつ目は裕福な独居老人宅の強盗。二つ目は書類をダミーと交換すること。そして三つ目は。運命とはなにか、他人の人生を支配するとはどういうことなのか。

構成も闇社会を知って書き切っているのがすごいです。引き込まれて読みました。女性が類型的なのは、作者の若さのせいで止むなしでしょう。猛禽類の五感と目を持った、鋭い作品です。

中村文則

「王国」

ユリカは男とホテルに入り、薬で眠らせ写真を撮って出て行く。組織によって選ばれた、利用価値のある社会的要人の弱みを作ることがユリカの「仕事」だった。かつて同じ施設にいた長谷川にデータを渡す。木崎という男の後を歩いていると、人ごみの中で見知らぬ男から突然忠告を受ける。「あの男に関わらない方がいい。化物なんだ」。不意に鳴り響くホテルの部屋の電話。ユリカに語りかける男の声。「世界はこれから面白くなる。あなたを派遣した組織の人間に、そう伝えておくがいい。そのホテルから無事に出られればの話だが」ユリカの逃亡劇が始まる。

自分以外を信用してはいけない闇の世界に、一気に引き込まれます。暗闇の中を自分の考え得る方法で、切り抜けていきます。ただ組織はあまりにも強大です。人生って誰かが設計した通りにしか、生きられないのかと考えると絶望的な気持ちになります。けれど希望があるのです。そこに救いがあります。

中村文則

「何もかも憂鬱な夜に」

拘置所の刑務官「僕」は、施設で育った過去を持つ。夫婦を刺殺した二十歳の未決死刑囚・山井を担当していた。なぜ控訴しないのか。一週間後に迫った控訴期限を前にしても、山井はまだ語っていない何かを隠している。仮出所後、すぐに逮捕された受刑者。先輩の刑務官が語る死刑執行の動揺。友人だった男の自殺。「僕」は、さまざまな深いところにある何かを見つめていく。

嫌でも重い気分に引きずられながら、犯罪を犯した者と自分との境界線の曖昧さを見つめようとする、姿勢に最後まで読ませられました。こういう仕事に携わって生きるというのは、大変なことだと思いました。幼い主人公が見たという、父と母の最後はすさまじいものがあります。それらをくぐり抜け、わずかな未来を必死に探ろうとする姿に、読む側も真摯にならざるを得ません。重いけれど、お勧めです。

内藤了

「ゴールデン・ブラッド」

東京五輪プレマラソンで、自爆テロが発生。現場では新開発の人工血液が輸血に使われ、消防士の向井圭吾も多くの人命を救った。しかし同日、病気で入院していた妹が急死する。医師らの説明に納得いかず死の真相を追い始めた矢先、輸血された患者たちも次々と変死していく。

消防士で救命で活躍する向井の立ち位置が、少し都合よ過ぎる感じがありますが、医療作品としてはなかなか読ませます。次作を読みたいとまではいきませんでした。

七河迦南

「七つの海を照らす星」

児童養護施設「七海学園」には、さまざまな事情から家庭で暮らせない子どもたちが暮らしている。保育士・北沢春菜は、子どもたちの間で噂になっている幽霊話を、確かめようとする。児童相談所の海王さんに相談すると、思いがけない真実が見えてくる。幽霊を見た子に真実を告げるかどうか。不思議を不思議のままに、受け入れてもいいのではないのか。

7話の不思議によって紡ぎ出される、子どもたちを通して見える大人の世界の複雑さと、それに振り回され傷つく子どもたちの心の描写がいいです。6つの不思議現象と、7話への収斂がみごとです。意外性もありながら、作者の誠実さが伝わってきます。それを見守っている大人の姿にも、生きぬこうとする子どもの姿にも、胸を打たれます。読みながら、優しい気持ちを自分の中に、見いだした感じがします。

七河迦南

「空耳の森」

まだ早い春の日、思い出の山を登るひと組の男女。だが女は途中で足を挫き、つかの間別行動をとった男を突然の吹雪が襲う。そして、山小屋でひとり動けない女に忍び寄る黒い影・・・「冷たいホットライン」。 孤島に置き去りにされた幼い姉弟の運命は・・・「アイランド」。 ある不良少女にかけられた強盗の冤罪をはらすため、幼なじみの少年探偵が奔走する・・・「さよならシンデレラ」。

9編の短編集です。別々の物語でありながら、関連している登場人物も重なっていきます。理解してのほしい人に伝わらない思い、信じていた人の別な顔、どの章もどこかとりとめのない気持ちを残したまま、読み手は放り出されます。もう少し明確な連作としての構成があったらと、惜しい感じです。

七河迦南

「アルバトロスは羽ばたかない」

児童養護施設・七海学園に勤めて三年目の保育士・北沢春菜は、多忙な仕事に追われながらも、春から晩秋にかけて学園の子どもたちに関わる四つの事件解決に奔走した。だが子どもたちが通う高校の文化祭で、校舎屋上からの転落事件が起きる。警察の見解通り、これは単なる「不慮の事故」なのか。

回想の形で進む展開が、視点のぶれを感じさせて落ち着きませんでした。思い込みの激しい子どもたちの言葉と、ショットカットのように差し込まれる会話シーンが読者をミスリードさせていきます。そこにトリックをしかけての、ラストのどんでん返しは、うまいけれど納得できないものがありました。引き込まれるけれど、余計な描写が多過ぎて読み飛ばしたくなります。素材もいいのに残念です。

永嶋恵美

「災厄 」

妊婦ばかりが次々と狙われる、連続殺人事件の容疑者は男子高校生だった。しかも夫がその弁護を引き受けることになった、妊娠5ヵ月めの妻・美紗緒の恐怖が始まった。周囲の視線が集まり、ポストに入れられる週刊誌や脅迫文やカミソリの刃で、外出もできなくなる。

連続妊婦殺害事件という禍々しい事件の犯人、弁護士とその妻、弁護士事務所のメンバー、妻のスイミング・スクールの主婦仲間など、それぞれの心の側から表裏一体の「殺意」が描かれています。犯人の心理がリアルで、怖くなります。でもそれ以上にごく普通の誰の心の中にもある優越感や劣等感が、憎しみや悪意、さらには殺意に変わる瞬間を、巧みに描いていてみごとです。すごい作家です。

永嶋恵美

「Wダブリュー 二つの夏」

20歳の大学生「ナナミ」は、成行きから駅で出会った施設からの家出中学生・セリを、一人暮らしの家に連れて帰ることになる。かつて起こした事件でネンショー帰りの元ヤンキー「クニコ」は、今は友人の死に責任を感じながら運送屋の助手をしている。そして長い間合っていない友人同士の「ナナ」とメールを交わしている。「ナナミ」と「クニコ」の生活は、定型のメール以外何の繋がりもないのだが。

家族を失った少女たちの、屈折した心理がやさしさを持って描かれています。入院中の祖母を見舞うナナミと、リュウ君の出会いもいいですね。複雑な人間関係も、一枚の布に織り上げられていきます。ラストで明かされる家族関係、人間関係の少し出来過ぎ感はありますが、それもまたアリだと思います。

永嶋恵美

「転落」

ホームレスになった「僕」は、小学生の女の子・麻由に食べ物をもらい、彼女のために近所でいたずらを起こした。次第に要求をエスカレートさせる麻由の首に、手をかけた。逃げた先は、かつての友人・高山の部屋だった。介護施設で給食員をしいる高山は、ある理由から匿うことにしたが、捜査の手が施設にまでのびてくる。

ホームレスの暮らしや、一人暮らしの女性が介護施設で仕事をしていく感覚などが、とても生々しいです。命をつなぎ止めるために食することに、ローアングルから迫った描写がすごいです。殺人事件に複雑に絡むそれぞれの思いが、緊張感を漂わせラストに一気になだれ込みます。描かれる世界は陰鬱で好きな世界ではありませんが、強く引きつける力があります。

永嶋恵美

「一週間の仕事」

高校生の恭平の、幼なじみ・菜加にはなんでも拾ってくる癖があった。渋谷の雑踏で拾った子どもを、家に送り届けるが、母親が帰ってこないので自宅に連れ帰った。翌日そのアパートで4人の集団自殺の遺体が発見される。こまった菜加はおぼろげな子どもの記憶する、祖母の家に連れて行こうとするが迷ってしまう。授業中の恭平に、連絡が入る。同級生の忍の手助けで学校を抜け出す恭平だが、思わぬ事件へと発展していく。

冷静に計画的に考える恭平と、方向音痴で突っ走る菜加が周囲を巻き込んでいくストーリーが楽しいです。授業のさぼりとか、保健の先生とのやり取りも懐かしい学校の雰囲気が出ています。そしてがらりと転調して突き止める結末まで、読ませてくれます。

永嶋恵美

「せん-さく」

ネットゲームのオフ会参加者は、年齢も服装もバラバラでおもしろかった。解散のあと専業主婦の典子は、家出希望の中学生「遼介」にしばらくつき合い足を伸ばすことにした。行き先を決めない小旅行だったが、流れのまま盗難車に乗った典子は人を跳ねてしまう。その頃、尚斗にハンドルネームを使われた遼介は、二人で立てた計画を裏切られ歯噛みをしていた。そこへ刑事が現れ、両親を撲殺した容疑で尚斗を追っているという。計画は大きく狂ったことを知る。

背景の10年前のネット環境の頃は、誰かと繋がりたい熱い思いに心をおどらせた時代でした。通信料を惜しんで、必死にサイトを覗きすばやく掲示板に書き込む、本来繋がるはずのない人と人が出会います。そこに潜む危険をじわりと、あぶり出していく描き方がうまいです。心に秘密を抱える主婦・典子は幸せな暮らしを願っていただけなのに、大きく外れていきます。中学生二人のそれぞれの像も、存在感があります。絶望的な展開も、ラストでわずかに明るさを残してくれるので救われます。

永嶋恵美

「明日の話はしない」

小児病棟に長期入院している真澄にとっては、明日という言葉は嫌な薬や検査があるから「明日の話はしない」と思い決めていた。真澄は、トコちゃん、ファドと仲がいい。ファドには双子の姉・ミドがよく見舞いにくるが、真澄たちはミドをきらった。追いつめられたミドがファドに「あんたの病気は治らなくて死ぬんだ」と言い放つ。自分の死が近いと知っている真澄はファドに一緒に死のうともちかける。

ホームレスの亜沙美はなんとか日々を送っていた。そこへ格安でエンコーをさせる高校生が現れる。

スーパーのアルバイトをしているユウは、狭い部屋に4人で暮らすことになった。ある日銀行強盗の計画を立て始めた。

3編の独立した物語がラストで、みごとにつながり収斂されます。一人一人の心の動きを描くのが、とてもうまいです。それもどこにでもいる子どもであり、生活者なのです。さりげない言葉や仕草が、臨場感を際立たせます。見え隠れしていたものが、ラストでふいに明確な色と形と本質を見せます。うまい作家だと思います。

永嶋恵美

「インターフォン」

市営プールで見知らぬ女に声をかけられた。昔、同じ団地の役員だったという。気を許した隙、三歳の娘が誘拐された・・・「インターフォン」。
頻繁に訪れる老女の恐怖・・・「隣人」。
暇を持て余す主婦四人組の「団地妻」。

団地をめぐる、10編の短編集です。最近の老齢化する前の、団地の物語です。狭い空間を共有する主婦たちだけに通じる感覚に、独特のものがあります。駆け巡る噂と罪の共有。下手をすると昼ドラになるところを、永嶋さんは登場人物との距離感がうまく、溺れず突き放さず観察して描いています。いろんな材料を描ける作家だと思います。

永嶋恵美

「彼方(ニライカナイ)」

新宿のレズビアン・バーで知り合った、晴菜のかけがえのない恋人・奈槻が沖縄の離島で殺された。奈槻の死に隠された聖なる島の謎とはなにか。二人の関係を知った警察は、アリバイのない晴菜を疑い、晴菜は窮地に立たされる。知らな過ぎた奈槻の姿を追い、晴菜は沖縄へと向かう。

レズビアンという特殊な世界のようでいながら、ごく普通に暮らしている女性なら充分にありうるのだと初めて知らされました。ただ女性の言葉と考えていることの落差などの嫌な面が強く出てしまい、読んでいていたたまれない感じになったのが残念です。ミステリとしてはよくできていると思います。

永嶋恵美

「白銀の鉄路」

猪苗代湖畔で発生した心中事件の再捜査の過程で、新米刑事の三尋由香里とベテラン警部・藤之木は、車中で老夫婦と偶然接触した。二人に対しての小さな違和感が、やがて猪苗代湖夫婦心中、北千住夫婦焼死事件と結びついていく。

事件を追跡していく地道な捜査で、派手な展開はないけれど心理をあぶり出していく描写が引きつけます。わずかな表情や仕草に、深い感情や犯罪心理を推理していくところは、さすがは永嶋さんらしい手腕が発揮されます。年老いてから終末をどのように迎えるのか、重い問題ですね。列車の路線や時刻表絡みは苦手なのですが、楽しめました。

永嶋恵美

「あなたの恋人、強奪します 泥棒猫ヒナコの事件簿」

このままじゃ、私殺されると、年下彼・英之のDVから逃げ回っていた梨沙は、ケータイに出ていたアヤシイ広告に飛びついた。「あなたの恋人、友だちのカレシ。強奪して差し上げます。」梨沙の依頼を受けた、「泥棒猫」ことヒナコが、英之の男心を「強奪」しに動き出す。恋のダークサイドの解決が爽快。

「鳥かごを揺らす手」の事件が、やさしく怖いです。お金持ちの優しい泊め男の、実はという事件です。どんな状況も対応するヒナコがカッコいいです。このシリーズは確かにおもしろいです。続いてほしいものです。

永嶋恵美

「別れの夜には猫がいる-泥棒猫ヒナコの事件簿」

「あなたの恋人、友だちのカレシ。強奪して差し上げます」。携帯で発見したアヤシイ広告にためらいを覚えつつ、オフィスCATに電話する女性がいます。DV男から逃れるため、恋人の心を傷つけずに別れるため、そしてもう一度「本当の彼」のところに帰るためです。皆実雛子(みなみ・ひなこ)が、もつれた恋愛問題を、解決したとき、自分でも気づかなかった本当に望んでいた結末を得るのです。

あまりどろどろした恋愛ものにならず、しっかりと依頼人の心を把握した皆実雛子のばっさりと下すひと太刀が小気味がいいです。軽い読ませ方ですが、なかなか心の深いところでハートを掴まれます。少し間が空いた作家ですが、おもしろさを再認識しました。このシリーズは初めてなので何作か読んでみたいです。

長沢樹

「消失グラデーション」

私立高校のバスケット部員・椎名康は、少女が校舎の屋上から転落する場面に遭遇するが、その後姿を消してしまう。監視カメラに見つめられた空間で、何が起こったのか。「少女消失」事件は自殺か他殺か。校内で姿を見られている、謎の男。学生と教師の複雑に絡み合った人間関係が、謎をさらに深くしていく。

姓と名。意図して使われているのがわかるので、おそらくこうなるだろうと途中で想像できます。それでもトリックを楽しめます。凶器は思いがけなかったもので、逆に多少無理があるかも知れません。バスケットに賭ける思いや、リスト・カットの描写もありそうな設定の範囲を出ず、最後は辻褄合わせの説明が長過ぎるのが、難点です。

中原みすず

【初恋】

学生運動一色に染まっていた新宿の、ジャズ喫茶"B"に出入りするようになったみすずは、常連の岸に誘われある完全犯罪に加わることになる。単車が乗れて、車を運転でき、口が堅い点を買われた。バイク屋の小父さんの特訓で、運転の腕を上げた頃、岸から現金輸送車襲撃を告げられる。それまで人に必要とされたことのなかったみすずは、喜んで白バイの警察官役を引き受けた。

30年以上前の「3億円事件」の犯人は、わたしかもしれない。という、書き出しがうまいです。大学生の初恋ゆえの行動が、振り返ってみると、消えることはない大きな傷になっているというのも余韻を持たせています。あの事件は、案外こういう単純な計画だったから成功したのではないかという説得力もあります。この作家の文章のシンプルさは短編向きで、さらりとし過ぎが、物足りなさがあります。図書館でティーンズ書架に並ぶのもやむを得ない、タイトルとペンネームが惜しいです。他の出版社から出てていたら、おもしろかったでしょう。

那須田淳

【一億百万光年先に住むウサギ】

便利屋サスケ堂のアルバイトをしている中学生・大月翔太は、元教授の足立先生宅の芝刈りを引き受けた。雑談の中で、ドイツにある樹齢500年の樫の木は、恋の願いを叶えてくれる「恋樹=こいのき」だという。この町にも、古い桜の木があり一億百万光年先からやってきたウサギの精霊がいるらしい。翔太の家は喫茶店で、サスケさんや苦手な放送部のケイがよく来ている。ある日、翔太は先生から同じ学校の留学生マリーへの手紙を預かった。

しっかりした大人の作家の目線が、好感が持てます。アルデバラン星の話、星磨きのウサギ、隠れたお汁粉屋、古いジャズとレコードという、ファンタジィの材料のひとつひとつが、光っています。そして足立先生、マリー、ケイたちの秘密も、それに振り回される哀しさが、人間味があっていいですね。設定は中学生ですが、レトロ感が大人にも楽しめます。雑多にも思えるエピソードを、セピア色に染めることで陰影が生まれ、うまくラストで着地させた感じです。

那須田淳

【ペーターという名のオオカミ】

ベルリンに住む14歳のリオは父とぶつかり、家出をしてチェロの小林先生のもとに行った。レッスンを受けにきていたアキラと出会った。大家の娘フランチェスカと、その叔父のマックスは犬のペーターを飼っていた。その頃街は、ノイマン野生動物研究所に輸送途中の11頭のオオカミが逃走し、大騒ぎになっていた。ペーターは仲間とはぐれてしまった子オオカミだった。群れは故郷へ向かって移動をはじめ、リオとアキラとマックスは、子オオカミを群れに戻すために彼らを追いかけていく。

随所で語られる東西ドイツの歴史の挿入が、秀逸です。ベルリンの壁に隔てられ、離れ離れになってしまったマックスの恋や友情、そして家族。決して「過去の歴史」ではなく、「いま」に繋がっていることを実感させます。美しい自然や野生と、人間との調和はありうるのか。加熱するマスコミ報道もすり抜け、GPS装置を駆使し、走る少年たちが爽快です。うまいですね、那須田さん。もっと前に出会いたかった作家です。装丁のミヒャエル・ゾーヴァがきれいですが、本の印象とは合わない感じがするのが残念です。

那須田淳

【スウェーデンの王様】

中学生のツカサと兄・オサムと、老犬・ビンペルは、家の改修のため一時的に叔父の家で暮らすことになった。作曲家の叔父はふらりと出たまま、チベットで行方不明になっていた。ツカサは、叔父の未完成のピアノソナタ「モーニング・グローリー」の楽譜と、作りかけのグラヴィコードのキットを見つけた。ピアノの先祖といわれる古楽器だった。興味を持ったツカサは、難解な英語のマニュアルに苦労しながら組み立て始め、音楽高校への受験を考え始める。

那須田さんのボキャの深さに、感心させられます。さりげない会話や説明分が、古楽器が作られた時代の空気までも、想像させてくれます。そして音楽が聞こえてきそうな、空気の振動が伝わってきます。こんな時代を過ごしたかったと、ちょっとうらやましくもありました。児童書の訳本も多いのですが、小説ももっと書いてほしいと思います。

那須田淳

【グッバイ バルチモア】

小学校の野球チームでタカシはピッチャーで、遼(りょう)とは仲が良かった。自分のことをロッキー・バルボアにちなんで「リッキー・バルチモア」と言っていた。中学は野球部がなかったため、揃ってワンダーフォーゲル部に入ったが、タカシは山で遭難死してしまった。夏のある日、遼は古いバッティングセンターで、タカシに似たロボットに出会い、なかなか打たせてくれないことで闘争心をかき立てられ、毎日通うようになった。だが、突然の営業 廃止でロボットたちは、分散したという。必死にロボットのバルチモアを探す遼は、見つけることができるのか。

バッティングセンターの管理人と猫。タカシの父。捜索を手伝う早苗や同級生たち。それぞれに抱える暮らしを想像させながらも、バルチモアの捜索に力を貸すという一点で結ばれるある種の友情が爽やかです。夏の終わりは、希望を持った新しい生活の始まりを意味するのでしょうか。

那須田淳

【ボルピィ物語】

夏休みにイサムは、ミュンヘンで仕事をしている父のもとを訪れた。多忙な父は、ヨゼフ老人とアンナの家にイサムを預けた。ピクニックに出かけたアンナとイサムは、ボルピィという小人に出会い追いかけるうちに、不思議な森に入り込んでしまう。湧き水を飲んで体が小さくなった二人を、ハンスというボルピィが村に案内してくれる。童話のような世界で、奇妙な病気が流行り始めた。アンナとイサムのせいだという不穏な空気が流れ始める。

小人たちの森で始まる崩壊と、再生があります。自然と人間との関係も、深く関わっています。小さな冒険物語が、それだけに終わらない奥の深さを感じさせます。20年近く前に書かれた作品だということを考えると、先駆的な作家だと言えます。なによりも、ボルピィたちやアンナとイサムがかわいらしい存在です。

那須田淳

【おれふぁんと -にっぽん左衛門少年期-】

10歳の万五郎は、祭りに夢中になっていた。祖父の来客は尾張の殿様の弟・徳川通春で、万五郎が祭りで会ったお侍だった。東海道のできごとを知らせる仕事を仰せつかった。その頃、清国の商人が将軍家に献上した象が、長崎から江戸へ向かっているという。万五郎が象使いの少年を助けたことから、思いがけない事件にまきこまれていく。

南蛮の楽器・リュートや象が、貿易が盛んだった時代の独特の雰囲気を出しています。10歳の万五郎は現代と比較するとはるかに大人の社会を知っているようです。人を見抜く目も、しっかりと持っています。機転を利かせて浪人や侍たちから、少年を救う活躍が頼もしいです。後日談で、義賊になった万五郎の「青年期」も読んでみたいです。

那須田淳

【ハローによろしく】

新任の若葉塾教師・浩平は、ラジオのDJもしていた。飼っている亀の「ハロー」を紹介したところ、同じく亀を飼っていて、散歩をさせている女の子からリクエストがあった。ペンネームは「ハローによろしく」だった。成績がいいのに登校拒否していた敦。失恋した相手の春奈。同じアパートで、がんばり屋の洋子。それぞれに、高校受験の目標があった。

受験の枠に沿ってしまった作品、という気がしました。どんなに一人一人のエピソードが描かれても、最後は合否になってしまうあたりが皮相です。医学部進学への金銭感覚の違いも現実は難しい夢ではないでしょうか。作者の生活感がはからずも、覗いてしまった作品でした。

中村弦

「ロスト・トレイン」

サラリーマンの牧村は、ふとした切っ掛けで鉄道マニアの平間と知り合い、平間のなじみの店「ぷらっとほーむ」で酒を交わした。携帯電話を持たない平間との連絡は、駅の伝言板だった。幻の廃線跡の噂があることを平間から聞いてまもなく、姿を見せなくなり、牧村が心配して訪れた家で、彼の弟から失踪したことを告げられた。知り合った頃にもらっていた名刺から、廃線マニアの菜月に会うと、一緒に探そうと言ってくれた。たどり着いたのは岩手県の霧古の森の草笛線だった。そこで二人は不思議な体験をする。

以前、鉄道博物館を見た時に鉄道ファンではなくても、引きつけられたことを思い出しました。全国の鉄道乗車を果たしたり、打ち捨てられた廃線跡を目にしたいというマニアの気持ちを、うらやましく思いました。そして幻想的な、霧古の森の草笛線にまつわる描き方は、究極のファンタジィです。想像が膨らみ映像的に浮かぶすばらしい描写でした。どこか懐かしくせつない、鉄道の魅力というより魔力に近い世界があります。丁寧な構築と進展がまどろっこしいけれど、ラストのための布石と考えれば納得もいきます。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に思い入れのあるわたしとしては、良質の作家との出会いがうれしいです。

中村弦

「天使の歩廊 ある建築家を巡る物語」

明治から昭和初期、天使によって人生を宿命づけられた孤高の天才建築家・笠井泉二は、依頼者が望んだ以上の建物を造る不思議な力を持っていた。老いた子爵夫人には亡き夫と過ごせる部屋を、偏屈な探偵作家には永遠に住める家を作った。そこに一歩踏み入れた者は、建物がまとう異様な空気に戸惑いながら、次第に酔いしれていくのだった。彼の手掛けた建築物は異空間に通じ、住人たちは現実と奇蹟の出会いに遭遇する。

明治はすでにわたしにとっては時代劇であり、読むのをためらった作品です。けれど読み進むうちに、人物が決して時代の書き割りに寄りかからず、深い心情をたたえて屹立していました。多少類型的な人物設定はあるのですが、現代に通じる視点の確かさを感じます。笠井の創造した美しく妖しく、人の人生を変える建築は、壮麗で幻想的な世界に引き込まれます。迷宮をさまよう心地よさとめくるめく美に、ためいきでした。時代や人物によって話し言葉がくっきりと違いが出ていて、建築造形への審美眼と共に、しっかりした知識と想像力が活かされています。力のある作家ですね。

中森明夫

「アナーキー・イン・ザ・JP」

17歳のパンク少年、シンジは、ウサン臭い霊媒師のところにいって、セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスを呼び出そうとした。だがなぜかそこに現れたのは、関東大震災の際に伊藤野枝とともに虐殺された、アナーキスト・大杉栄だった。シンジの体を使い大杉栄は、100年後の日本や世界の状況を知った。一方シンジは大杉栄の時代に遡行し、閉塞された中でアナーキーに走る気持ちを知って行く。

歴史が苦手なわたしなので、大杉栄や彼の近辺にいたアナーキスト、無政府主義者たちのエピソードが本当なのかどうかはわかりませんが、疾走する展開はとてもおもしろかったです。 ファッション・パンクに過ぎない少年が、覗き見た歴史と、いままさに現代を動かしている政治家のなさけない姿を見て、何かに駆り立てられいく心境はわからなくはありません。少年の兄が「人が本当に夢を見るのは、夢を失ったときだよ」という言葉が妙に印象に残ります。すべてを壊したからと言って新しい希望にあふれる世界が見えるわけではありませんが、草食系男子がもてはやされる社会で失ったエネルギーを、ほんの少し感じました。

中野順一

「想い火」

高校時代に巻き込まれた放火事件で崩壊した家族だった。火災原因調査員となった茜は、心から尊敬できる上司・刀根の下で働ける幸せを感じる日々も束の間、たったひとつの小さな炎が、平和な職場を一変させてしまう。自分の手で放火犯を捕まえたいものの、職業上、火災現場以外での活動は許されない。しかし、なりふり構わぬ茜は、捜査権を武器に嫌がらせをする警察とぶつかりながら、ついに「弔い」の調査をはじめる。

火災原因調査員という仕事の、おもしろさがあるのですが、ミステリとしては安易です。登場人物やタイトルから犯人がわかってしまいます。捻りもなく、淡々と読めます。もう少し考えた方がいいかも知れません。

詠坂雄二

「電気人間の虜」

言葉にすると現れて電気で人を殺すという「電気人間」の都市伝説そのままに、電気人間について調べていた人物やその関係者の間に発生する不審死が続いた。姉の死に疑問を感じた弟の日積は、様々に取材データを残していた姉・美晴の足跡をたどり始める。訪れた遠海市で秀斗という少年と出会い、不思議な地下壕を見いだす。

電気人間というあり得ないことをうまく題材に、料理に仕立ててしまった感じです。途中登場人物「詠坂雄二」とライターとの推理が、斜に構えてさらりとさせています。前半がおもしろかっただけに、多少肩すかしをくらった気分がありますが、楽しめます。

中山七里

「もう一度ベートーヴェン」

司法試験合格者が過ごすのは、司法研修所での1年4ヵ月。座学と実務を積み裁判官、検察官、弁護士へび道を極める。ベートーヴェンを深く愛する検事志望の天生と、法試験をトップの成績で合格した岬は出会う。天生は天才肌の岬の才能に羨望を抱き嫉妬しつつも、その魅力に引き込まれていく。実習で絵本画家の妻が絵本作家の夫を殺害したとし、妻を殺害容疑で逮捕した事件をはじめ、3件の殺人事件を取り上げる。天生が演奏会に強引に岬を誘ったことから、思わぬ事態を引き起こす。

音楽の描写はやはり抜群の力を発揮しますね、中山氏は。逆に、若い修習生を描くのに苦労している様子が伝わってきます。言葉使いや感覚に中年男性の顔がちらつきます。無理をして頑張っていますね。でもさすがに引き込み、ラストのどんでん返しまで引きつけます。おもしろかったです。

中山七里

「どこかでベートーヴェン」

県立高校音楽科の生徒たちは、9月に行われる発表会に向け夏休みも校内での練習に励んでいた。ピアノがうま過ぎて周囲から浮いている転校してきた岬と、実力差がありながら鷹村は気が合った。だが豪雨で土砂崩れが発生し、校内に閉じ込められてしまう。電話も電波も通じない。二人は救助を求めるため倒れた電柱を橋代わりに渡ろうとする。辛うじて岬が渡り切り、やがて救助隊が駆けつける。だが授業をサボっていた岩倉が何者かに殺害されていた。警察に疑いをかけられた岬は自らの嫌疑を晴らすため、素人探偵さながら独自に調査を開始する。

才能、努力、勇気、運。音楽だけではなく、スポーツやあらゆる分野で、努力だけではたどり着けない高みがあります。力のないものの妬みの深さを描き切り、目を背けたくなりました。そして小さな村の利権絡みの親と子の関係も心が痛かったです。初期の「ドビュッシー」に戻ったような、ピアノ演奏の描写シーンはすばらしいです。そこだけに酔っていたいと思わせるほどです。なお「もう一度ベートーヴェン」(仮題)の次作も読みたいです。いろんな分野を書き分ける作者の器用さは評価しますが、やはり音楽に惚れ込んでいるのが伝わる作品が好きです。

中山七里

「セイレーンの懺悔」

葛飾区で発生した女子高生誘拐事件。不祥事により番組存続の危機の帝都テレビ「アフタヌーンJAPAN」の里谷と朝倉多香美は、スクープを狙って奔走する。誘拐事件を捜査する警察官を尾行した二人が廃工場で目撃したのは、暴行され無惨に顔を焼かれた被害者・綾香の遺体だった。クラスメートへの取材から、綾香がいじめを受けていたという証言を得た。主犯格と思われる少女と成人男性の録音から、スクープとして他局を突き放した。だが里谷は何かが引っかかっていた。そして警察発表は別人の逮捕。誤報にショックを受ける多香美。里谷の降格。一人で追いかけるが。

メディアの側からの事件捜査をきっちりと描いてきています。メディアの矜持とはなにか。ただストーリー、題材には斬新なものがないのが残念です。現実事件が虚構を越えている今、ミステリで作家がどう生き延びるのか、難しい時代なのかも知れません。

中山七里

「ヒポクラテスの憂鬱」

「コレクター(修正者)」と名乗る人物から、埼玉県警のホームページに犯行声明ともとれる謎の書き込みがあった。直後アイドルが転落死。事故として処理されかけたとき、再び死因に疑問を呈するコレクターの書き込みがあった。関係者しか知りえない情報が含まれていたことから、捜査一課の刑事・古手川は医大法医学教室に協力を依頼。光崎老教授新米助教の栂野真琴は、驚愕の真実を発見する。その後もコレクターの示唆どおり、病死や自殺の中から犯罪死が発見され、県警と法医学教室は大混乱。やがて司法解剖制度自体が揺さぶられ始める。

TVドラマ化されると知り、読み始めるとまさに1時間もののストーリーです。刑事・古手川の描き方は秀逸でした。あとは類型的な、配役さえ浮かんでくる展開でした。

中山七里

「ヒポクラテスの誓い」

真琴は浦和医大の研修医だが単位不足のため、法医学教室に入ることになった。出迎えたのは法医学の権威・光崎教授と「死体好き」な准教授キャシーだ。超一流の解剖の腕と死因を突き止める光崎の信念に触れた真琴は、次第に法医学にのめりこんでいく。「既往症のある遺体が出たら教えろ」と、古手川刑事は光崎に依頼されていた。管轄枠を越えてまで光崎が解剖する遺体には、敗血症や肺炎などの既往症がある。偏屈な老法医学者と女性研修医が導き出した真相が、次第に明らかになる。

中山さん、しっかりと調査・体験されたのでしょう。解剖の描写のリアルなこと。臨床医と解剖。依頼要請書が届く前に解剖を始める光崎が何を考えているのか、ラストで明かされます。「生者と死者の区別なく、目の前の患者を治療する」なかなか言葉にする医師はいないのが現実でしょう。でも光崎の姿勢に救われます。描く世界がまた広がり続けていく中山さんの、次の作品がもう楽しみです。

中山七里

「ハーメルンの誘拐魔」

子宮頚がんワクチン接種の副作用による記憶障害で通院中の15歳の香苗が、帰路で母が目を離した隙に消えた。現場には「ハーメルンの笛吹き男」の絵葉書が残されていた。警視庁捜査一課の犬養が非公開捜査に乗り出す。数日後、父親がワクチン勧奨団体会長の娘・亜美が下校途中に行方不明になり、携帯電話と共に「笛吹き男」の絵葉書が発見された。さらにワクチン被害を国に訴えるために集まった少女5人が、マイクロバスごと消えてしまった。犯人像とその狙いが掴めないなか、捜査本部に届いた「笛吹き男」からの声明は、70億円の身代金の要求だった。声明はマスメディアにも届けられ、公開捜査に切り替えられた。

緻密に計算した作品でストーリーを楽しめます。文章もうまくなりましたし、いい作家だと応援しているのです。けれど最初のシーンのあちこちで伏線が見えてしまいます。香苗の誘拐、苦しい家計の香苗の母が、携帯で闘病のブログを開き情報を収集している辺りも違和感が拭えません。それをスルーして読んでも、身代金の受け渡しで翻弄される警察の設定も既視感があるし、犯人設定にも目新しさはありません。やはりミステリの読み過ぎかも知れませんね。と言ってしまうと身も蓋もありませんが。

中山七里

「嗤う淑女」

恭子のクラスに、従姉妹の蒲生美智留が転校してきたのは中一の秋だった。イジメと再生不良性貧血という難病から美智留に救われた恭子は、美智留の美貌や明晰さに憧れ心酔していく。やがてある出来事をきっかけに、二人は大きな秘密を共有する。27歳になった恭子は、「生活プランナー」の美智留のアシスタントとして働く。借金を抱える銀行員の紗代、就職活動に失敗した弘樹、働かない夫に困窮する佳恵。美智留は解決法を示唆するが、ダークヒロイン・美智留の罠に堕ちてゆく。

うまく構成していて、論理や伏線の破綻もなく読ませます。ただ、美智留の心に揺れる部分がなかったのか。ずるさの中にある哀れさがあったら、もっと地に足の着いた悪女になった気がします。男の視点からの勝ち続けるダークな女性像に、わずかなズレを感じたのが惜しいです。

中山七里

「追憶の夜想曲」

御子柴(みこしば)は、豪腕だが依頼人に高額報酬を要求する「悪辣弁護士」で知られていた。その御子柴が突然、夫殺しの容疑で懲役16年の判決を受けた主婦・津田亜季子の弁護を申し出た。因縁の相手、岬検事を驚かせる。亜季子の夫・伸吾はリストラに遭い、部屋に閉じこもりにわかに株の投資を始め、退職金を失い借金を作ってしまった。亜季子は娘二人をパート仕事で支え、義父・要蔵が時折訪ねてきて手助けをしていた。第二審が始まり、御子柴は驚くべき調査で弁論を繰り広げる。

法廷ものにありがちな論争だけではなく、弁護士はもちろん、検事、家族の一人一人の人物像の内面を強烈にあぶり出していきます。裏付けに奔走するやり方も、清濁併せ持つ御子柴ならではのものがあります。次々にひっくり返していく事件の真相は、最後のどんでん返しまで読者を引きつけて離しません。おもしろく、そして重いテーマを印象付けます。御子柴の内面が初めて明かされます。ただどうしても類型的な犯行と見えてしまう、ミステリの読み過ぎの読者であり、亜季子のある症状に似た感覚があるわたしは、途中でわかってしまう部分が残念です。

中山七里

「ヒートアップ」

七尾は、厚生労働省に所属する麻薬取締官だ。警視庁だけでなく一目置かれるおとり捜査を許された存在で、彼の特異体質が一役買っている。繁華街の若者チームの抗争が激化しており、数ヶ月前敬愛する同僚が殉職した。そこに絡んでいると思われる違法薬物「ヒート」の捜査を開始した。「ヒート」はドイツの製薬会社が、人間の破壊衝動と攻撃本能を呼び起こし、兵器に変えてしまう薬だった。進まない捜査に焦りが募る七尾に、広域指定暴力団の山崎から「ヒート」売人・仙道の捜索について、手を組まないかという接触があった。裏の狙いに気を付けながら情報を交換し共闘することを約束した七尾だったが、矢先に仙道が殺される。そして、凶器から七尾の指紋が検出された。窮地に陥る七尾だったが。

作者の大きな「ヒートアップ」となる作品でした。薬物取り締まりの現場の激闘シーンも、秘密裏に処理されたはずの研究所のリアリティもうまいです。約束、信用、組織、さまざまな人間の思惑の絡みをうまくまとめています。七尾がスーパーヒーローになるのも、やむを得ないところでしょう。ラスト近くの、研究所殲滅シーンはアクション映画そのものです。賞狙いか、映画化狙いか、路線変更か、出版社の思惑もありそうです。様々なジャンルを書ける、注目の作家です。

中山七里

「七色の毒」

「赤い水」「黒いハト」「白い原稿」「青い魚」「緑園の主」「黄色いリボン」「紫の献花」の七編の短編集です。

捻ってみせる。二転させる。三転させる。実在の事件をヒントにした話や、実在の人物をモデルにした話など、かなり練り込まれていると思います。ただそれが少し鼻に付くという気もします。短編よりはやはり長編で力を発揮する作家なのでしょう。多分次の作品が、年末の賞狙いのものになるような気がします。つまり、うまいけれどやっつけ仕事なのではないかと。好きな作家なので次作に期待したいです。

中山七里

「切り裂きジャックの告白」

東京・深川警察署の目の前で、臓器をすべてくり抜かれた若い女性の無残な死体が発見される。戸惑う捜査本部を嘲笑うかのように、「ジャック」と名乗る犯人からテレビ局に声明文が送りつけられた。マスコミが扇情的に報道し世間が動揺するなか、第二、第三の事件が発生。やがて被害者は同じドナーから臓器提供を受けていたという共通点が明らかになる。同時にそのドナーの母親が行方不明になっていた。警視庁捜査一課の犬養隼人は、自身も臓器移植を控える娘を抱え、刑事と父親の狭間で揺れながら犯人を追い詰めていく。

すっかり警察小説の本道を走り出した中山さん。設定、構成、切迫感、どれもうまいです。人物像にも工夫があり、ぐいぐい引きつけられて読みました。臓器提供した側の親族の心境を、いままで考えたことがなかったので新鮮でした。脳死状態での臓器摘出の、臨場感に震えます。日本的な心理なのでしょうか。提供を受けた側の、心理やメンテにも初めて思いが至りました。自分の親族でドナーカードを持っていたら、と考えさせられます。

中山七里

「いつまでもショパン」

ポーランドで行なわれるショパン・コンクールの会場で、殺人事件が発生した。遺体は、手の指が全て切り取られるという奇怪なものだった。コンクールに出場するため会場に居合わせたピアニスト・岬洋介は、取り調べを受けながらも鋭い洞察力で殺害現場を密かに検証していた。さらには世界的テロリスト・通称「ピアニスト」がワルシャワに潜伏しているという情報を得る。そんな折、会場周辺でテロが多発する。

伝統のショパンのピアノとは何か。家系のプレッシャーに揺れるヤンは、父と、音楽院学長で審査員のカミンスキと話しても悩みながら一次、二次、三次予選とコンクールを勝ち進んでいく。ロシアのガガリロフ。中国のリーピン。日本の岬と盲目の榊場。フランスのエリアーヌ。それぞれに優勝を目指しながら交わされる会話に、思いがにじみ出ます。ヤンが聴くコンテスタントの演奏の描写が、すばらしいです。音楽を言葉で伝える難しさをなんなく超え、陶酔していく演奏の中に一緒に引き込まれていきます。 爆発テロ事件が起き厳重警戒態勢の中、動揺を押さえ込んだコンテスタントたちの姿が、音楽の力を深く心に刻みます。ラストもみごとでした。

中山七里

「さよならドビュッシー」

ピアニストを目指す16歳の遥は、両親や祖父、従姉妹などに囲まれていた。だが、それはある日突然終わりを迎える。大好きな祖父と従姉妹とともに火事に巻き込まれ、ただ一人生き残ったものの、全身に大火傷を負ってしまった。だが彼女はピアニストになることを固く誓い、コンクール優勝を目指して猛レッスンに励む。ところが周囲で不吉な出来事が次々と起こり、やがて殺人事件が発生する。

熱でのどをやられ声を失い、皮膚が焼けただれ 多くを移植で賄い、自分のものじゃなくなったような、思い通りにならない体で、必死にリハビリを受ける辺りは、少しリアリティに欠けますが伝わるものがあります。天才ピアニストで探偵役の岬先生との、 レッスンの空気や、発表会の演奏の熱さが、物語を突き動かしていると思います。ミステリ要素は薄く、随所で伏線が強調されるので、おおよその予想がついてしまいますが、それでも引きつけるのは、ピアノを弾くときの演奏者の高揚感かも知れません。何物にも代え難い演奏しているときの感覚が、しばらくチェロを弾いていたわたしには、懐かしい心の記憶でした。成長していく作家かどうかは、微妙なところです。

中山七里

「スタート!」

助監督の映一は、TV局ディレクタ上がりの監督の下で映画を撮りながらうんざりしていた。それでも喰っていくためと諦めていた。そんな折り、気難しく完璧主義者、頑固一徹な天才・大森名監督の、いつもの映一たちのチームで製作されることになった。病気を抱えた体の監督と出資者側の競り合いが早くも始まるが、物凄い傑作になることは、誰も疑っていなかった。軽薄で無能なプロデューサー、スケジュール変更、クセものの俳優、さらには照明器具の落下事件が起きる。

映画製作現場を設定するとは驚きました。しっかりと勉強し、人物構築や絡み、事件、最後は監督が倒れる事態まで起きながら、ラストにタイトに収斂させる力はすごいです。これからも、いろんな分野の作品を書いてみて、方向性を決めようという意欲を感じます。この作品も映像的に印象に残るものですが、初期の「さよならドビュッシー」が映画化され、1月公開になるようです。

中山七里

「テミスの剣」

昭和五十九年、浦和市で不動産会社経営の夫婦が殺された。浦和署の若手刑事・渡瀬は、ベテラン刑事の鳴海とコンビを組み、若い容疑者・楠木への苛烈な聴取をする。犯行の自白を得るが、楠木は裁判で一転無罪を主張し渡瀬もどこか引っかかりを覚えていた。だがやる気のない国選弁護士で死刑が確定し、楠木は獄中で自殺してしまう。事件から五年後の平成元年。管内で発生した窃盗事件をきっかけに、渡瀬はその真犯人が他にいる可能性に気づく。渡瀬は警察内部の激しい妨害と戦いながら、過去の事件を洗い直していく。

若手刑事だった渡瀬は、当時のやり手の相棒の捜査が正義だと信じていたのです。けれど相棒が退職し自由に動ける立場に立った時、一人で再調査すると証拠ねつ造を見つけてしまいます。正義と、署内、検察、マスコミ、世論にどう対応していくのかが、見せ所です。ただ渡瀬への感情移入がいまひとつ薄く、隔靴掻痒感を抱いたのはわたしだけでしょうか。巧い作家で論理の破綻もないのですが。

中山七里

「静おばあちゃんにおまかせ」

神奈川県内で発生した警官射殺事件は容疑者も同じ県警捜査所属だった。警視庁捜査一課の葛城公彦は、容疑者となったかつての上司の潔白を証明するため、公休を使って事件を探り出すが進展がない。葛城が頼りにしたのは、的確な洞察力からかつて事件を解決したことがあった、女子大生の高遠寺円だ。円は中学生時代に両親を交通事故で亡くし、元裁判官だった祖母の静と二人暮らしをしている。静はいつも円相手に法律談義や社会の正義と矛盾を説いており、円の葛城へのアドバイスも実は静の推理だったのだが、葛城はそのことを知らない。そして事件が無事に解決していくうち、ふたりの恋が進展する。一方で、葛城は円の両親の交通事故を洗い直して真相を解明していく。

民間人に頼ることは実際にはありえないことだろうと思いますが、物語の設定としておもしろいです。葛城の私情とも言える行動も、鋭さのない捜査も、円を引き立てているのかも知れません。静おばあちゃんと円のシーンが、凛とした元裁判官の苦悩に裏付けされた明確な姿勢が見せ場だと思います。法曹界を目指す円の真っすぐな道が見えるようで、すがすがしいです。ラストのどんでん返しはご愛嬌でしょう。

中山七里

「要介護探偵の事件簿」

反骨精神と自己倫理で生きて来た香月玄太郎は、不動産会社を興し一代で成功を収めた社長だ。ただ下半身が麻痺し車椅子で「要介護」のため、介護士のみち子が派遣されている。しかしみち子にも呆れられる、強烈な個性の老人だった。彼の分譲した土地で建築中の完全密室の家の中から、死体が発見された。頭の回転が早く、口が達者、裏も表も人脈が広く、お上や権威が大嫌いな玄太郎は、警察が頼りにならないと感じ、みち子を巻き込んで犯人捜しに乗り出す。

完全密室の殺人、リハビリ施設での怪事件、老人ばかりを狙う連続通り魔、銀行強盗犯との攻防、国会議員の毒殺事件の5編の連続短編集です。リハビリで頑張る男性と応援する家族といういい関係のはずですが、同じくリハビリ中の玄太郎は男性のアイコンタクトでなにかを受け取り、行動を起こします。
通り魔事件を解決するため、小学校の運動会プログラムに「後期高齢者と障害者による車椅子四百メートル競走」をねじ込みます。「徒競走」が「みんなでヨーイドン」という、今どきの「平等」なプログラムの中で、親や子どもや教師に強烈なインパクトを与えます。みごと犯人も判明するのです。
またまた中山さんの別な一面が見られました。町内にはこんな頑固で偏屈なおじいさんがいたら、腫れ物に触るような姿勢の教師も変われるし、親も子どももしっかりした大人になれるだろうと思いました。しかもつい電車を乗り過ごしてしまったほど楽しいのです。中山さんは会社員のようですので、多作は難しいかも知れませんが、これはシリーズ化してほしいです。

中山七里

「連続殺人鬼カエル男」

口にフックをかけられ、マンションの13階からぶら下げられた女性の全裸死体。傍らには子供が書いたような稚拙な犯行声明文。街を恐怖と混乱の渦に陥れる殺人鬼「カエル男」による最初の犯行だった。警察の捜査が進展しないなか、第二、第三と殺人事件が発生し、街中はパニックに陥る。

「さよならドビュッシー」と同じ作者だとは信じがたい、サイコスリラーの展開で最後まで読ませます。二転三転する犯人探しは、海外作品を思わせる力作です。こういうハードな作品も書けるのはすごいです。 警察署の市民と警官の攻防はありえないしリアリティに欠けますが、デビュー作に近いことを考えると、これからの二つの異なる作風に興味が引かれます。作者が男性だと初めてわかりました。

中山七里

「贖罪の奏鳴曲」

あこぎな記者・加賀谷の死体を調べた警察は、弁護士・御子柴に辿りつき事情を聞く。だが、御子柴には死亡推定時刻は法廷にいた「鉄壁のアリバイ」があった。御子柴は保険金殺人事件の弁護のため、東條製材所を訪れる。父親が積載物落下で入院中に、母親が生命維持装置のスイッチを切ったという裁判だった。残された息子・幹也は脳性麻痺で、わずかに片手の指だけが動く重度の障害者だ。一方、渡瀬刑事たちは、金に汚いと言われる一方で損な国選弁護人を引き受ける御子柴の、過去を洗い出す。

どしゃ降りの中、死体遺棄のシーンから始まります。あちこちに巧みに伏線が張られ、御子柴の心情や思考を描き出すことで、なかなか見えない全体像を更に複雑にしていきます。製材所での相手の心理を見抜く目や、裁判シーンでの検察や裁判官の表情と心理が、抜群におもしろいです。ここまで人間の複雑な心理を描く作家は、なかなかいません。ミステリ要素も、読者をミス・リードする仕掛けも、憎しみというある意味では最も「人間的」な感情に突き動かされる殺人者の姿も、新しさを感じさせます。母親や家族との繋がりの希薄さが、わずかですが後味の悪さを残しました。

中山七里

「おやすみラフマニノフ」

秋の定期演奏会を控え、第一ヴァイオリンの主席奏者である音大生の晶は初音とともに、プロへの切符をつかむために練習に励んでいた。しかし完全密室で保管されていた、時価2億円のチェロ、ストラディバリウスが盗まれる。脅迫状も届き、さらに演奏会でピアノの巨匠・柘植学長が弾くピアノが、無惨に水をかけられる。晶たち団員は心身ともに、追い詰められていく。

前作に続く音楽を真っ正面に向き合った作品です。演奏者の音の世界への酩酊が、ここまでさらけ出して描かれたことはあまりないかも知れません。音楽を文字で表現するのはとても難しいことなのに、なんなく描き切っているのです。ミステリ部分は、あくまでも推測の域にとどまりますが、犯人探しより演奏会の方が気になる音大生たちの姿が自然です。新進ピアニスト兼ピアノ講師の岬先生の冷静な指導、推理も好きです。まるで全編を通して協奏曲を聴いたような読後感でした。ただ、ラストでそれで全部括るのかと、意図はわかるけれどいまひとつ捻りがほしいと思ったのは、読者の欲でしょうか。

中山七里

「魔女は甦る」

長閑な田園地帯で、肉片と骨の屑のようなバラバラ死体が発見された。被害者は現場近くにある製薬会社・スタンバーグ製薬に勤めていた桐生隆。仕事ぶりも勤勉で質素な暮らしを送っていた青年は、なぜ殺されなければならなかったのか。県警捜査一課・槙畑啓介は捜査を続ける過程で、桐生が開発研究に携わっていた「ヒート」と呼ばれる薬物の存在を知る。それは数ヶ月前、少年達が次々に凶悪事件を起こす原因となった麻薬だった。事件の真相に迫るほど、押し隠してきた槙畑の心の傷がえぐり出されていく。過去の忌まわしい記憶を克服し、槙畑は桐生を葬った犯人に辿り着けるのか。

いままでと全く違う分野を書くのかと、びっくりしました。ミステリ要素は甘くて、おおよそ想像がついてしまいます。けれど人物像が縦横無尽に描かれ、おもしろいキャラ設定です。二重三重の推理を、作者の方向に持っていくために、他の選択肢を論理的に閉じておくのは奥行きを消してしまいます。硬質な文章は効果的です。やや類型的なパターンですが、これからの作品を期待させます。

中山七里ほか30名

「5分で読める!ひと駅ストーリー 夏の記憶 西口編」

中山七里「盆帰り」から始まり、乾禄郎「死体たちの夏」で終わる、夏のショートストーリーです。季節柄か幽霊がテーマになっていたようです。いろんな立場の幽霊が、愛おしく思えてきます。人間臭く、まだ成仏できない幽霊たちの心の揺れが、さらりと描かれています。タイトルの通りのショートですが、全編を通して感じたのは、人間の生き方でした。心残りのない人生を生きる。なんと、難しい選択を常にしなければならないことか。それでも尚、残るかもしれないやり残したこと、あの人に言いたかったこと、そういうのが人生なのかも知れませんね。すべて満足して成仏するなどできないからこそ、人間なのでしょう。

貫井徳郎

「愚行録」

創元推理文庫

幸せを絵に描いたような家族に、突如として訪れた悲劇。深夜、家に忍び込んだ何者かによって、一家4人が惨殺された。隣人、友人らが語る数多のエピソードを通して浮かび上がる、「事件」と「被害者」。理想の家族に見えた彼らは、一体なぜ殺されたのか。

関わった周囲の人へのインタビューして集められた証言。隣人。付き合いのあった家族。などで、次第に被害者と加害者をあぶり出していくスタイルです。4章から、ふいに深い部分が姿を見せ始めます。住宅地の用地買収、会社の卒業大学の派閥、その家族たちの付き合い、その中に殺人に至るほどの憎しみを抱いていく過程から結末まで。みごとに構成された作品です。貫井さんの作品は長いのでデビュー作しか読んでいませんでしたが、いい作家ですね。

野崎まど

「HELLO WORLD」

本好きで内気な男子高校生・直実は、現れた「未来の自分」ナオミから衝撃の事実を知らされる。「お前は記録世界の住人だ」。世界の記録に刻まれていたのは未来の恋人・瑠璃の存在と、彼女が事故死する運命だった。悲劇の記録を書き換えるため、協力する二人。しかし、未来を変える代償は小さくなかった。

過去の自分に未来人が会う設定は、すでにさまざま読んできました。けれど野崎さんには独特の展開があり、筆致が見事です。一気に引き込まれて読ませてしまいます。伏線がきちんと収斂される新しい未来が、美しくはかない希望の象徴です。いいですね。この世界観にずっと浸っていたいと思ってしまいます。次作も期待しています。

野崎まど

「バビロン1-女」

東京地検特捜部検事・正崎は、立ち会い事務官・文緒とともに、製薬会社日本スピリと国内4大学が関与した臨床研究不正事件を追っていた。その捜査で正崎は麻酔科医が残した異様な書面と死体を発見する。さらに超都市構想「新域」を巡る政界に繋がる男を追うが、文緒が殺されてしまう。政治の裏に暗躍する陰謀と、それを操る大物政治家の存在に気がつくが、謎の女・曲世(まがせ)愛に阻まれる。

久々の野崎氏の作品は芯はそのままに、すっかり変貌していました。SF設定ではあるものの、しっかりとしたミステリです。展開のスピード感、無駄を削ぎ落とした構成、キャラ立ちしたストーリーは興味深いです。一気に読ませてくれます。このシリーズを読みたいと思います。

野浮ワど

「バビロン2-死」

64人の同時飛び降り自殺。超都市構想「新域」域長・齋(いつき)開化による、自死の権利を認める「自殺法」宣言直後に発生した。暴走する齋の行方を追い、東京地検特捜部検事・正崎を筆頭に、法務省・検察庁・警視庁をまたいだ、機密捜査班が組織される。人々に拡散し始める死への誘惑。鍵を握る謎の女・曲世(まがせ)愛の影。

キャラ立ちもよかったです。組織と個人名の説明が長く、入りに工夫がほしかったです。裏組織で貫こうとする、正崎の正義とはなんだろうと考えさせられます。正崎が自分の無力を内に蓄積していきます。齋より曲世の存在に力をいれている気がします。SFとは言え、バタバタと死者が出ているのにあまりにも感情がなさ過ぎます。もっともそれがスピード感のある展開に繋がるのですが。おもしろいです。

野浮ワど

「バビロン3-終」

日本の「新域」で発令された、自死の権利を認める「自殺法」に追随する都市が次々に出現。各国首脳が生と死について語り合うG7が、映像と通話方式で開催された。ホワイトハウスの特別室で、通信管理をする。その同時期に「新域自殺サミット」が開かれる。東京地検を辞めた正崎は、合衆国のFBI捜査官として活動を始めていた。何かが起きると予測し、見守る映像に曲世(まがせ)と思われる女の姿が出ると、大統領に異変が起きる。

世界各地に飛び火していく「自殺法」容認都市が、現象として怖いです。G7会議の首脳、通訳者、通信管理者の人物像に多くのページが使われていて、底流がなかなか見えない「新域」の動きが不気味です。煽りを抑える描き方が秀逸です。硬筆な文体も好きです。曲世の力のすごさを見せつけ、次回作に期待させてくれます。サブタイトルに「終」とありますが、まだ物語は中盤にもかかっていません。シリーズを早く読みたいです。

野浮ワど

「ファンタジスタドール イヴ 」

大兄(おおえ)は幼少期、ミロのヴィーナスと衝撃的な出会いをした。屋敷の女中と幼い悪戯を覚えた。小学6年で難しい問題を解き「学者になる」と思い、サイエンスにのめりこみ、ひたすら勉強をする。大学3年に出会った笠野と運命の友となり、世間知らずな一面を大兄は改めて知る。大学院の研究室で、国と提携する教授のチームで収入も得るようになった。笠野は就職し、後輩の女性・中砥と組むようになる。さらに頭脳明晰な遠智(おち)も加わる。大兄は遠智に心の深部を指摘されるが、かろうじて薄膜を保っていた。研究はアメリカの国防総省の人物ともつながり、飛躍的に理論を進めていく。

掌編とも言える159ページの、濃密で深い物理の世界をかいま見せる力量に脱帽です。心の中は論理で片付けられない、皮相な結末も盛り上がります。すっかりハマって読んでいます。新作が待ち遠しいです。

野浮ワど

「Know」

超情報化対策として、人造の脳葉〈電子葉〉の移植が義務化された2081年の日本・京都。情報庁で働く官僚の御野連レルは、情報素子のコードのなかに恩師であり現在は行方不明の研究者・道終常イチが残した暗号を発見する。その「啓示」に誘われた先で待っていたのは、少女・知ルだった。道終の真意もわからぬまま、御野は「すべてを知る」ため彼女と行動をともにする。それは、世界が変わる4日間の始まりだった

修学旅行生があふれる小さな街・京都で起きる、壮大な世界観を持った作品でした。社会情報・通信インフラを用いて、ヴァーチャルがリアルを加速する高度情報化世界で、人間はランク0から6まで見られる情報を制限されています。ランク5を持つ御野が、恩師の研究者が残したランク9の知ルと寺の大僧正や皇居の中にある書物などを「知る」のです。ラストまでしっかりした構成で、引き込まれました。しばらく追いかけてみたい作家です。

野崎まど

「2」

数多一人は、超有名劇団『パンドラ』の舞台に立つことを夢見る。入団試験を乗り越え、劇団の一員となった。遅れてきた応募者の女性・最原最早がテストのたったひと言の台詞を口にすると、劇団員はひとり、ひとりと自分の演技に自信を失い退団し、劇団は解散してしまう。最早から「映画に出ませんか」と誘われ、たった二人で映画を創るための日々をスタートする。監督として最早が撮ろうとする映画とはどんなものなのか、全ての謎を秘めたままとてつもないスポンサーをつけ、動き出す。

この作品「2」の前に、「[映]アムリタ」「舞面真面とお面の女」「死なない生徒殺人事件」「小説家の作り方」「パーフェクトフレンド」を読んでいた方が面白さが増します。天才が創作の果てを想像し見据えて、創作していきます。そこになにが生まれるのか。一人の天才のために周りの余計な出来事が徹底的にそぎ落とされて、その天才だけがみえる理想形のようなものに近づいていきます。創作とは何か、人間とは何か、愛とは何か、感動とは何か、哲学的でもあり根源的でもある問いに、答えはあるのでしょうか。ラストは少しSFだから許されるところだったのは、少しだけ肩すかしを食った感は免れません。全体としてはいい作家であり、いい作品だと強く印象付けられたのは確かです。

野崎まど

「パーフェクトフレンド」

4年連続学級委員の理桜は、担任に頼まれ去年から不登校のさなかの家へ行く。一緒のやややと柊子たちの前に現れたさなかは、飛び級で博士号も持っている数学者だった。友だちとは何か、何のために必要か、という問いに興味を持ったさなかは、小学校へ通学することになる。しかし、小学生の規格から外れたさなかは、理桜をからかいながら、型破りな行動を連発し、それまでの平穏な学級生活を慌ただしいものに変えてしまう。

理桜は、天才少女さなかと対等に渡り合うシーンがおもしろいです。「あんた、バッカじゃないの」と一刀両断にしてしまいます。一緒に、井の頭の七不思議的な秘密を探っていくなど、さなかは周りの友だちとの関わりで、論理的に数式では解けない答えを見出していきます。不思議探偵団ごっこ的な勢いで展開し、きちんと伝えることは心に残す作家です。

野崎まど

「死なない生徒殺人事件」

「この学校に、永遠の命を持った生徒がいるらしいんですよ」生物教師・伊藤が着任した女子校「私立藤凰学院」にはそんな噂があった。話半分に聞いていた伊藤だったが、悩み相談にきていた天名は、ベッシーというあだ名の識別という生徒と友だちになれない話をする。ふてぶてしい態度や言葉の、当人の識別が入ってくる。自分がその「死なない生徒」だと言ってはばからない彼女は、どこか老練な言葉遣いと、学生ではありえない知識をもって伊藤を翻弄するが、二日後、彼女は首を切られ殺害されてしまう。

学園生活が楽しく描かれ、よくある学校の怪談ふうの出だしから、底知れないあるものの存在に変わっていきます。真面目な生物教師・伊藤に「教えるとは命を永遠につないでいく行為」だと説きます。学校のシステムそのものの驚きの存在意義も知らされます。ラストで彼女が伊藤を信じる、いじらしさがなんとも哀しく切なく感じてしまいました。永遠の命という絶望と希望が交叉しました。

野崎まど

「小説家の作り方」

「小説の書き方を教えていただけませんでしょうか。私は、この世で一番面白い小説のアイディアを閃いてしまったのです」駆け出しの作家・物実のもとに初めて来たファンレター。それは小説執筆指南の依頼だった。半信半疑の物実が出向いた喫茶店で出会ったのは、世間知らずでどこかズレている女性・紫だった。50万冊の本を読み尽くしたが、ファンレター以外全く文章を書いたことがないという紫に、物実は「小説の書き方」を指導していく一方で、自分の小説について考えこんでいく。小説を作ることは、世界を作り、キャラクターを作ることであり、特にキャラ作りが得意な物実がたどりついた真実とは。

小説を作ることは現実の世界を認識し、キャラ、つまり人間像を認識していくことです。すでに膨大な知識を持っている紫に欠けているものは、体験することだったのです。物実との共有時間でそれを手にしていきます。ラストの二度三度のどんでん返しもうまいです。この作家の世界、文体に、わたし自身も共振していくようです。さらりとしているようで、深い世界観の作家です。

野崎まど

「舞面真面とお面の女」

工学部の大学院生・舞面真面(まいつらまとも)は、ある年の暮れに叔父の影面(かげとも)からの呼び出しを受け、山中の邸宅に赴く。そこで頼まれたこととは、真面の曽祖父であり、財閥の長だった男・被面(かのも)が残した遺言の解明だった。「箱を解き 石を解き 面を解け よきものが待っている」従姉妹の水面(みなも)とともに謎に挑んでいく真面だったが、謎の動物の面をつけた少女が現われたことによって調査は思わぬ方向に進み始める。

名前の通り「まとも」な思考回路をする大学院生・真面は、水面と一緒に開かない箱を開けるのに苦心し、巨大な石をどうしたらいいのか思案します。そこへユニークな面をつけたみさきは、尊大な態度で二人に接触してきます。わずかな違和感から真面が仕掛けた罠に、誰がどうハマるのか、ラストまでおもしろく読みました。根底の世界観の確かさを感じさせます。

野崎まど

「[映]アムリタ」

芸大生の二見遭一は、自主制作映画に参加することになった。その映画は天才と噂される最原最早の監督作品だった。監督担当の「天才」最原最早のコンテは二見を魅了し、恐るべきことに二日以上もの時間、読み続けさせてしまうほどであった。二見はその後、自分が死んだ最原の恋人の代役であることを知るものの、彼女が撮る映画、そして彼女自身への興味が先立ち、次第に撮影へとのめりこんでいく。しかし、映画が完成したとき、最原は謎の失踪を遂げる。ある医大生から最原の作る映像の秘密を知らされた二見は、彼女の本当の目的を推理し、それに挑もうとする。

しっかりとした世界観を持った作家の作品は、分野の好みを越えて受け止められるものでした。リアリティのある大学生活と、虚構である映画の中にあるものとの境界が入り組んでいきます。ホラーめいた設定と、さりげない仕掛けがとんでもない結末を呼び寄せます。それが作家の思惑だったと読み終わってから気付くのです。心地よいSFでした。

野崎まど

「なにかのご縁」

お人好しの青年・波多野ゆかりは、喋る謎の白うさぎと出会った。「うさぎさん」は、自慢の長い耳で人の『縁』の紐を結んだり、ハサミのように切ることが出来るらしい。そして「うさぎさん」は、ゆかりにその『縁』を見る力があると言う。やがて恋人や親友、家族などの『縁』をめぐるトラブルに巻き込まれていく。

ファンタジィと言うには、少し違和感があります。受け皿を広げて読むなら、アリです。

夏川草介

「神様のカルテ -2」

東京の大病院から帰郷した友人・進藤医師が抱える難題、相変わらず減らない患者と、睡眠を削っての栗原の病院だったが、そんな時、大先輩医師・古狐先生が倒れてしまう。その頃、留川トヨさんと孫七さん夫婦の死が続く。古狐先生のベッドの傍らで静かに見守る千代夫人の姿に、栗原の妻・ハルさんがとんでもない計画を立てる。

漱石口調はややトーンダウンしましたが、立地点は変わっていません。患者の死に落ち込む栗原の、人間的な姿に心を打たれます。医師もこんなに弱いのだと思い知らされました。進藤と若い看護師がぶつかり合っていたところをみかねて、栗原が進藤の頭にコーヒーを掛けるシーンや、古狐先生の最後の夢を叶えるシーンが、映像的にも大変印象的で美しいです。少ないスタッフで忙殺される戦場のような医療現場も、逆にいい病院だなと思ってしまいます。現実ではありえないからこそ、心に残ります。映画のキャストとは違う俳優をあれこれ当てはめてみたのも、わたしとしては珍しいことです。

夏川草介

「神様のカルテ」

栗原一止は夏目漱石を敬愛し、冬山を歩く妻のハルさんを愛する信州の小さな病院で働く内科医である。古いアパートの住人たちとお酒を飲むのが、ほとんど唯一の楽しみだった。救急指定を受け入れながら、常に医師が不足している。専門ではない分野の診療をするのもごく当たり前で、睡眠を三日取れないことも日常的にある。そんな栗原に、母校の医局から誘いの声がかかる。大学に戻れば時間的に楽なり、最先端の医療を学ぶこともできる。だが悩む一止の背中を押してくれたのは・・・。

栗原の夏目漱石の口調には苦笑いでしたが、読み進めるうちにあまりにも過酷な医師の状況に引き込まれました。個性的な栗原の、底にある人間的な悲しむ心、笑顔に癒される心に、久しぶりに素直な気持ちで読めました。イケメンでもなく(おそらく)、体力的に限界まで頑張る姿に、看護士たちが信頼を寄せていることが感じ取れます。現実には、患者が感謝してくれる医師など、そうそうはいないでしょう。だからこそ、読者も心が洗われるのですね。アパートの住民のキャラも、楽しいです。

沼田まほかる

「ユリゴコロ」

亮介が実家で偶然見つけた「ユリゴコロ」と名付けられたノート。それは殺人に取り憑かれた人間の生々しい告白文だった。創作なのか、あるいは事実に基づく手記なのか。そして書いたのは誰なのか。謎のノートは亮介の人生を一変させるものだった。

手記の夢のようでいてリアリティのある描写に、引きつけられました。次第に両親や祖父母の、心の奥底を 覗いてしまい、現実の自分の存在がリアリティを失っていく亮介も、しっかりと描かれています。亮介の弟が現実的で冷静な人物像なのが、バランスを取っていました。おもしろい強烈に引かれる作家になったようです。何作か読んでみようと思います。

沼田まほかる

「九月が永遠に続けば」

高校生の一人息子・文彦が、ゴミ出しに降りたまま失踪してしまう。母・佐知子の周囲で次々と不幸が起こる。愛人の電車事故死、別れた夫・雄一郎の娘の自殺。息子の行方を必死に探すうちに見え隠れしてきた、雄一郎とその後妻の忌まわしい過去が、佐知子の恐怖を増幅する。必死に文彦の帰りを待ち探す佐知子を見かねて、同級生のナズナとお節介なその父はなにかと面倒を見る。

引き込まれて読んでしまったが、美しい少女の設定やお決まりのかつての少女暴行事件を、膨らませて1作にする力量は確かにあります。うまい作家だと思います。けれど、どのシーンも読んだことのある出来事ばかりの、積み重ねに感じられてしまうのです。読み終わったあとに、残るものが少ないのはなぜでしょうか。ミステリの読み過ぎなのかも知れませんね、話題の本ですが。

沼田まほかる

「痺れる」

12年前、敬愛していた姑が失踪した。その日、何があったのか。老年を迎えつつある女性が、心の奥底にしまい続けてきた瞑い秘密を独白する「林檎曼陀羅」。別荘地で一人暮らす中年女性の家に、ある日迷い込んできた、息子のような歳の青年。彼女の心の中で次第に育ってゆく不穏な衝動を描く「ヤモリ」。いつまでも心に取り憑いて離れない、悪夢。

9編の短編集です。現実や日常から、ふと転げ落ちる怖さがあります。切り口がいいです。

沼田まほかる

「猫鳴り」

ようやく授かった子供を流産し、哀しみとともに暮らす中年夫婦のもとに一匹の仔猫が現れた。モンと名付けられた猫は、飼い主の夫婦や心に闇を抱えた少年に対して、不思議な存在感で寄り添う。まるで、すべてを見透かしているかのように。そして20年の歳月が過ぎ、モンは最期の日々を迎えようとしていた。

夫婦と少年の一人一人の心の奥を覗く視線が鋭いです。心に抱える闇が、深く、心に残りました。

ナンシー関 編・著

【記憶スケッチアカデミー】

カタログ雑誌「通販生活」誌上で、テーマを決めて投稿を募った作品の紹介です。作品=症例と言い換えることができますと、編集者を言わしめるスケッチに、思わず笑ってしまいました。人間の記憶って、こんなに曖昧だったのですね。例えば「カエル」。 鳥の足だったり、けだるく横たわった裸婦像みたいだったり。

話題になった時、電車の中で読まないこと、と騒がれた訳が納得です。周りの人に、絶対に怪しい人に思われてしまいそうな爆笑集です。そして、自分で書いてみると更におもしろいでしょう。笑った後に、かすかな哀しみが残るのがいいですね。

ナンシー関 編・著

【記憶スケッチアカデミー II 】

「通販生活」誌で募った作品第二弾です。スケッチで人間の記憶が、いかに曖昧かを改めて思い知らされます。「人魚」「らくだ」「大仏」「カッパ」「カメ」などなど。長い髪と下半身魚の「人魚」を、あなたはどんなふうに描くでしょうか。イブニングドレスになってしまったり、4本足だったりで、思わず笑ってしまいます。「亀」でさえ、甲羅がおかしいのがたくさんあるのです。
そのスケッチに、描いた人の暮らしの空気がなんとなく見え隠れするのが、なんとも言えず人間的なのです。あとで、自分でも描いてみようかと、秘かに思ってしまいます。

長嶺超輝

「裁判官の爆笑お言葉集」

話題の作品です。裁判官が主文を言い渡す際に付け加えた、人間味のある言葉を集めています。数行の裁判官の言葉と、1ページ足らずの解説では、なかなか伝わってこない歯がゆさがあります。事件の背景を想像する相当の力と、裁判所の事例への知識がある読者を設定しているのでしょうか。これだけでは、物知り顔の断片を見せられているだけだと思います。

軒上泊

「点線のスリル」

2歳の時施設の前に捨てられていた今村文人は、友人の譲のアパートに遊びに行く途中で、車椅子の白髪の女性と知り合った。アルツハイマーで記憶を無くしているという。文人は白いままの自分の記憶を重ね合わせてしまう。ぼくは何者なのか。点線の記憶をたどりながら、自分は捨て子なのか、それとも誘拐され捨てられたのか。生い立ちを 探っていくうちに、思い出していく過去の出来事が思いがけない展開を見せる。

白い雪原を彷徨うような描き方でいながら、論理的に着地させようとする点が、奇妙に読み進ませる力があります。いくつもの人生の欠片が集まり、ジグソーパズルになり1枚の絵が完成するという印象です。多少結末はありきたりな感じはありますが、おもしろかったです。

新津きよみ

「ユアボイス 君の声に恋して」

岡里菜は、新任の中学の美術教師としてスタートした。初めて受け持った生徒で、思いがけない「声」を耳にする。2年前に殺された、恋人と同じ声だった。美術部に入部してきた五十嵐は、絵画の中に入っていけるという特殊な能力が備わっていた。その力を使えたら恋人を殺した犯人に迫れるかもしれないと、里菜は考えてしまう。

のびやかな筆致で描かれていて、心地よく読めるミステリ仕立てです。わたしも好きな声にこだわりがある方なので、興味深く読みました。ただ設定に少し無理があるのと、あまりにも教師として自分勝手過ぎるので後味が悪かったです。書き手は楽しかったようですが。

西川美和

「ゆれる」

東京でカメラマンとして活躍する猛は、実家でガソリンスタンドを経営し父親の世話に明け暮れる兄・稔と久しぶりに再開した。幼なじみでガソリンスタンドの従業員として働く智恵子と、山奥の吊り橋に出かける。だが、稔と智恵子が二人でいるときに智恵子が吊り橋から落下する。事故か、殺人か・・・。

猛をはじめ登場人物の視点から描かれ、真実が混沌としていく展開がおもしろいです。少し粗い文章と、ラストの独りよがり的に感じてしまう行動には、疑問が残ります。キャラが類型的な域を出ていないのが残念です。

西川美和

「きのうの神さま」

狭い村から脱出する唯一の方法は、大きな町の高校に受かることだった。そのため、わたしは不便なバスで塾通いをしていた。バスから降りると、自転車と男の人が倒れていた。村を「パトロール」するシゲちゃんだった。運転手の一之瀬は1時間はかかるだろう救急車を呼びに行った。見ていてと言われたわたしは、シゲちゃんのそばでじっと待っている。・・「1986年のほたる」

5編の短編集です。交わされるわずかな言葉と、主人公の心の中で揺らめく様々な思いが、そこで生きてきた人々の人生の断片を鮮やかに見せてくれます。映像的でいて、そのシーンに含まれる世界の広がりが、すごいと思います。「ディア・ドクター」で村の新しい医師に見せる、ほろ苦い味わいは秀逸です。

法月綸太郎

【密閉教室】

梶川笙子は登校して教室に入ろうとしたが、ドアが開かなかった。通りかかった担任の大神が強引に開けると、中町圭介が血の海で死んでいた。そして48組の机とイスが、姿を消していた。僕(工藤順也)はその推理力を森警部に買われ、捜査に加わることになる。

まるでジグソーパズルのように、147のパーツに分けられた文章は、きっと読者の想像を分断させるために違いありません。けれど簡単に予想がつく仕掛けと、書き方が吸引力を感じさせません。よくできてはいるのですが。

法月綸太郎

【雪密室】

1作目に文句を言いながら、2作目です。法月警視と、作家で息子の綸太郎シリーズです。雪による密室。誰かのをもう読んでいますね。どうしても比較してしまいます。法月警視があまり鋭くない人物設定なので、展開も目新しさがなくスローです。こちらも仕掛けが想像できてしまい、どうもいけません。初期の作品なので、どこかで化けてくれたらいいのですが。

永井するみ

「ボランティア・スピリット」

市民センターで開かれる外国人のための、日本語教室は講師はボランティアでまかなわれている。勤務先でのぼや騒ぎ。教室での財布の盗難騒ぎ、ストーカー事件などが起きる。

小学生レベルの推理が並びます。こんなに狭い世界の作家だったのかと、がっかりです。購買意欲を刺激する、キャッチがうま過ぎます。下手な金魚すくいで、破れた紙ですくったのが極小1匹という、読後感でした。

中町 信

「模倣の殺意」

アパートの3階から飛び降りた駆け出しの推理作家・坂井は、毒を飲んでいた。自殺か、他殺か。警察は自殺説に傾いていた。新人賞受賞後の第一作目の創作に、苦しんだ末の自信作「七月七日午後七時」が、師と仰ぐ文豪・瀬川の盗作ではないかという疑念が浮かぶ。

同じ作家の津久見と、出版社に勤める中田秋子の視点から進められるストーリーは、あくまでも素人の推理展開の狭い範囲です。平坦な描き方もあるので、おもしろさに欠ける感じがします。中町さんは数字が苦手なのか、つまらないところで引っかかります。<4階建て25の部屋で、広大な駐車場を囲むコの字に建つアパート。>うーん。わたしの想像力が不足でしょうか。

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