高村薫

【マークスの山】

新刊を大幅に書き直したということだったので、読みました。
合田刑事の描写や、「マークス」の印象が変わったと思います。かな りの改稿だったと、その精神力に驚かされました。

南アルプスの飯場で、登山者が殺される事件が発生した。作業員の 岩田が逮捕され、終わったかに見えた。だが13年後、登山道で白骨 化した死体が発見される。
精神に「暗い山」を抱える「マークス」は、頭の中でわめく声に従い 刑務所から出所したあと、同棲相手の真知子のもとを訪れる。

都立大裏の道路で、頭部を損傷した暴力団組員の死体が発見された。 合田刑事は、複雑な思惑が入り乱れる人間関係の警察で、必死に犯人 を追っていく。だが、次々に殺人事件が起きていく。
やがて、地検を巻き込む情報が飛びかい、合田刑事は苦境に立つ...。

こんなに警察の中というのは、複雑な動きをする組織なのかと驚かさ れます。自分たちの部署に利することに、必死になるのですね。そこを 描いて見せ、なお現場にある「正義」が通ります。
精神に問題を抱えた側の、こころの動きを描くのはほんとうにうまいと 思います。『照柿』に通じる、ドストエフスキー的な執拗なまでの描写 は、すごいです。

【晴子情歌上・下巻】

3年ぶりの高村作品は、「神の火」以来の長編ミステリーのイメ ージを、がらりと変えたものでした。いわゆる「純文学」のよう な、人間の内面へと降りていく作品です。

赤道の海で漁をする息子へ、母晴子からの1年近くもかけて送ら れた300通もの手紙という形で2/3が物語られます。しかも 旧仮名遣いです。息子の彰之はその手紙から、戦前から戦後にか けた時代を生きた母の少女の頃からの一生に思いをはせ、母とい う別の人間を知ることになります。すべてを受け入れるしかない、 圧倒される母の意志によって。

ニシン漁で栄えた函館、青森県の野辺地・筒木坂などを舞台に、 漁場におかれた、孤独で、ある意味では自由な感性の晴子の目か ら見る世界は、厳寒の波しぶきの海を中心に繰り広げられる人間 たちの「なま」な姿です。

死と隣り合わせの生がくっきりとした時代が、決して溺れること なく描かれていきます。家族や仕事仲間、たくさんの同居人、そ して晴子自身をも、まるで晴子の目の水晶体からのぞき込むよう な描き方です。わたしもその視床下部で思考し、生きているよう な息詰まる感覚もありました。読み進みながら、たっぷりと時代 の空気に浸っていました。

ふっと井上靖・大江健三郎を思わせました。だが、なぜいま高村 がこの世界を書く必然性があったのかと考えていたら、新聞記事 に、阪神大震災を経験した高村が「死」を見つめる作品を書く、 ミステリーはもう書かないと言っていたと知り、やっと納得でき ました。その言葉通りの作品です。

格調の高さ、視点の確かさ、ストーリー展開のおもしろさ、文章 のうまさ、構成力、どれをとっても最高のレベルです。 おそらくなにがしの賞に値するものでしょう。これからこの路線 で進むのかも知れません。8日間通勤電車にハードカバーの重さ を圧して読ませてくれたのです。

でも、とあえてわたしの感覚です。大江の二人目にはならないで ほしいのです。「リヴィエラを撃て」「我がてに拳銃を(文庫版 李嘔・リオウ)」「照柿」「レディ・ジョーカー」を愛する読者 を切らないで。...なんだか、感想というよりラブレターになって きました。 -----高村薫ファンより、愛をこめて

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