飛 浩隆

「零號琴(れいごうきん)」

はるかな未来、特種楽器技芸士のトロムボノクと相棒シェリュバンは、大富豪のパウルの誘いで惑星「美縟」に赴く。首都「磐記」全体に配置された古の巨大楽器「美玉鐘」の500年ぶりの再建を記念し、全住民参加の假面劇が演じられようとしていた。やがて来たる上演の夜、秘曲「零號琴」が暴露する美縟の真実とは・・。

論理的な説明もそこそこに、いきなり不思議な空間に放り込まれました。奇しくも、嶋田堂がトロムボノクに語る言葉「ワンダの台本はとにかく気持ちがいいんですよ。いきなり劇の舞台に引き込まれ、そのあと全身をまかせてここにひたりたい、とにかくここに居続けたいと思わせてくれる」に、飛氏の小説の真髄があるのではないでしょうか。そして音楽や劇の独特の描写に、度肝を抜かれます。ひたすら描かれる壮大な空間に強烈に惹かれ、読み終えました。SFの中でも、マニアックなものではないかと思います。好きな人にはたまらない作品となりました。

飛浩隆

「自生の夢」

河出書房新社

2017.1.8

文字を変貌させる怪物「忌字禍(イマジカ)」を滅ぼすために、「わたしたち」はある男を放つ。話す力で人を死に追いやった、30年前に死んだ稀代の殺人鬼・・「自生の夢」
霧が晴れたとき、海岸に面した町が「灰洋(うみ)」に翻弄される。人も街も飲み込まれ形を変えられていく・・「海の指」
宇宙空間からぽんと切り抜いた「星窓」を、少年が買ってきた。いない姉が現れ時間が巻き取られていく・・「星窓 remixed version」
アリスは生まれてすぐ、文章で記録する装置「Cassy」を両親から与えられた。天才詩人となって生み出したもの、遺したものとは・・「#銀の匙」。「曠野にて」。「野生の詩藻」。
「われわれ」は、開発した「スウォームキャスト」で、宇宙のさまざまな場所で生命を育て、よりすぐりの生命体に原語基盤原語をインストールした。そしてその方角と距離の情報を収集する・・「はるかな響き」

10年ぶりの作品です。作家が生きている情報はありましたが、飛び上がるほどうれしいです。意識と皮膚感覚まで持っていかれるSFのおもしろさを味わえました。読者の想像力の限界を試されているようでした。思考を裏返され、地に潜らせられ、宇宙に放り出されるのです。時間を忘れ、言葉の裏表を探り、飛氏の世界を存分に楽しみました。10年前の世界の、甘美な毒を再び飲んでしまったわたしは、次の作品をまた待ち続けるしかありません。感性が衰えないうちに次を読ませてほしいです。

飛 浩隆

【象(かたど)られた力】

「デュオ」・・・交通事故でピアニストの夢を諦め、調律師をしているイクオは、双子の天才ピアニスト・デネスとクラウスを紹介された。身体的な障害に加えて、聴力がないという障害を負った彼らは、テレパスで会話をしているいう。だがイクオは、そこに潜むなにかの存在を感じ取ってしまう。
「象られた力」・・・かつて三つの星系が突然姿を消し、その星区は200年後も封鎖されている。だが、なにもないその場所から発信される『シジックの歌』と噂される通信があるという。その星系のひとつ『ユリウミ』が消失した1年後に、惑星シジックのイコノグラファー・ヒトミは、ユリウミの言語体系に秘められた謎の解明を依頼された。

4編の中編集です。SFをあまり読まないのは、現実からあまりにもかけ離れていて、ゲーム的に感じられるからです。しかし飛さんは設定はSFなのに、感性がとても悲哀に満ちているのです。人間のもろさ、はかなさ、そういうところを突いてくるのです。不思議な作家だと思います。これはいい出会いかも知れません。

飛 浩隆

【グラン・ヴァカンス 廃園の天使 I 】

美しい朝を迎えたジュールは、従姉のジュリーと鳴き砂の浜へ行った。そこは美しい硝視体の宝庫だった。仮想リゾートの一区画「夏の区界」は、ゲストの人間の訪問が1000年も途絶えていた。だが取り残されていたAIたちの世界が、突如「飢え」の蜘蛛の大群に襲撃を受ける。砦となったホテルで、最後の死闘が繰り広げられる。

飛さんの世界にすっかり入り込んで、溺れそうです。語彙の豊富さと、言葉の持つ想像力をかき立てる力は、すごいです。指先に感じる繊細な描写から、3次元から4次元の壮大な世界を、目や手など感覚のすべてを使って感じさせるリアリティは、SFの括りを尽き抜けています。心のあらゆる感情、官能を味合わせ、残酷な愛が表裏一体となって、迫ってきます。最後まで、緩むことなく描き切る構成力と、深く強い文体が、描かれる世界のもろさとしたたかさを、みごとに立たせています。こんな作家がいたのですね。知らなかった・・・。シリーズのようなので、早く次作を読みたいと切望です。

飛 浩隆

【ラギッド・ガール 廃園の天使 II】

現実世界の人間(ゲスト)が、その情緒的似姿を、仮想リゾート・数値海岸に送り込む。遊ばせるはずのネットワーク・システムが独特の変貌を遂げ、似姿が自らを深く傷つけ味わい尽くす区界を作り出す。あるいは致命傷のあとで、身体がなだらかに生を失っていく過程を堪能する区界がある。ゲストの訪問が長期間にわたってない、大断絶の真相が暴かれる。

待望の「廃園の天使 II 」に、思いっきり浸って読みました。連作短編の形ですが、長編として受け取りました。さりげない言葉が引き出す、いわば想像力で見せられる、官能の世界です。はかなく、淡く、しかもくっきりとした肌感触が、読み手に刻まれてしまうのです。美しい描写と、激しい感情の粟立ちにも、共震してしまいました。好みですね、飛さんワールド。文章に独特の味(癖)に、そりが合わない人もいるかと思います。寡黙な作家。ラストまで道は遠いのです。最後まで、読ませてください、飛さん。

高島雄哉

「ランドスケープと夏の定理」

橘 玲

「タックスへイヴン」

東南アジアでもっとも成功した金融マネージャー北川が、シンガポールのホテルで転落死した。自殺か他殺か。同時に名門スイス銀行の山之辺が失踪、1000億円が消えた。金融洗浄、ODA、原発輸出、仕手株集団、暗躍する政治家とヤクザ。東南アジアから北の国まで関わっていた。名門銀行が絶対に知られたくない秘密、そしてすべてを操る「トカゲ」と呼ばれる男の暗躍。北川の高校の同級生・古波蔵と牧島と紫帆が再会し、真相を突き止めようと動き出す。

頭脳明晰で鍛えた格闘能力を備えた古波蔵は、少し類型的なキャラになっているのが惜しいです。必要な役割ではありますが。金融、政治がいかにお金に動き動かされ支配しているかを、改めて認識させられました。確かにいまの世界情勢が映し出されていて、おもしろいです。牧島と紫帆の恋愛感情はこそばゆく、牧島の仕事キャラを矮小化して惜しいです。

橘 玲

「マネーロンダリング」

香港在住の工藤34歳。日本人を相手にオフショア関連のアドバイザーをやっている。かつて都市銀行、ニューヨークの投資銀行、ヘッジファンド運用会社を経て、金には困らないが暇つぶしでしていることだった。若林麗子と名乗るゴージャスな美人が現れ、オフショア会社、オフショア銀行、私書箱サービスを利用したスキームを提案。だが黒木が現れ、麗子は黒木が関係する50億円を日本から送金し、そのまま行方をくらましているという。秋生は自分がとんでもない深みにはまったことを知る。 日本と香港を行き来し全容を知った。50億円を巡り、人は人生を狂わせていく。

暮らしには困っていず、特にやりたいこともない秋生のキャラ設定が、全体に現実感の薄さを出しているのかも知れません。マネーロンダリングのやり方も、いまはもっと進化しているので、15年前の作品として読みました。人の本質を見抜く力は誰にでもあるわけではないのです。欲のない秋生には、必死な麗子に先を越されてしまうのです。しっかり調べて描いている点は評価できます。おもしろく読めますが、もうひとつ人間の深さがほしい印象です。

橘 玲

「ダブルマリッジ」

大手商社のエリート社員、桂木憲一は、妻、大学生の娘マリと幸せな家庭を築いていた。が、パスポート更新のために、戸籍謄本を取り寄せると、妻の里美と並んで「マリア・ロペス」というフィリピン人女性の名が書かれていた。憲一は20年前マニラ赴任中に、マリアと結婚式を挙げながら一人で帰国したままだった。役所はマリアからフィリピンの婚姻証明書が送られてきたから記載したという。さらに数日後、自宅に一通の封書が届く。妻が確認すると新たな戸籍謄本で、「長男」として「ケン」という名が書かれていた。

仕事優先で暮らしてきた憲一は、妻から離婚を切り出されてしまいます。憲一は、遺産分割も考え弁護士に相談し、フィリピンにマリアを探しにいきます。行動的なマリは友人を介して日本でケンを探そうとします。潔い娘と対照的に、決断を先延ばしする憲一にいらいらして読みました。思いと金が交錯してラストに向かいますが、少し安易な終わり方だと思いました。

天藤 真

【遠きに目ありて】

真名部警部が知り合った少年・信一は、重度の障害で車椅子に座っている。わずかに動かせる指でカナタイプを打ち、いくらかは話すことができる。じつに聡明な頭脳を持っていた。
滝の台団地で殺人事件が起きた。真名部が駆けつけると、目撃者が驚くほど多数いた。全部の証言を取るのに、すっかり手間取ってしまった。信一に事件の概要を話すことで、頭の整理をしていた真名部だったが、意外な盲点を指摘され、さらに謎をすっかり解明してしまったのだった。

25年前の作品が5話載っています。さすがに時代の違いを感じるものの、少年の環境を現在に置き換えてパソコンを据えるなら、充分魅力的なキャラでした。警察内部の軋轢もなく、いい時代だったのだなと思います。軽いユーモアミステリーというところです。

谷崎由依

「囚われの島」

誰か「罪」を犯したのか。盲目の調律師に魅入られた新聞記者の由良。二人の記憶は時空を超え、閉ざされた島の秘密に触れる。

盲目の徳田が飼っている蚕に魅入られた由良は、お互いによく見る夢の共通点に気付きます。彼の思考に近づこうと踏み出していきます。その特殊な空間の、空気感、皮膚感覚、聴覚、幻想的で美しいです。滅びた養蚕の村の戦争前夜の描写も、ラストまで捉えどころのない感覚世界を受け入れられるかどうかで、評価が分かれると思います。おもしろいけれど、もう一度この作家を読みたいとは思いませんでした。

田中啓文

【落下する緑】

テナーサックス奏者・永見緋太郎は、音楽以外に興味を持とうとしないところがある。唐島英治クインテッドのバンマスでトランペット吹きのわたしは、ときどき彼をあちこちに連れて歩くことにしている。宮堀画伯の、抽象画展覧会に来ていた。事件は何者かが絵を逆さまに、架けたことだった。誰がどんな目的でそんなことをしたのか。緋太郎は、鋭い推理を働かせ、思いもよらないことを暴きだしてしまう。・・・「落下する緑」

7編の短編集です。ひさしぶりに、思わず笑顔になって楽しめました。結末はおおよそ想像できてしまうのですが、暴き方がおもしろいのです。そして演奏シーンの描き方が、じつに楽しい。ジャズの掛け合いや、即興の雰囲気がよく出ていると思います。各章の後ろにある<「大きなお世話」的参考レコード>も、独断的にずばりと本質に迫った紹介文が、とにかくおもしろい。ほとんど知らない演奏家ばかりですが、古くから知っていたような気にさせてくれます。音楽好きにはたまらない1作です。

田南透

「翼をください」

弟・雅水と伯母の家に居候している景太は、密かに思いを寄せる陽菜から、医学部の高坂へのプレゼントの渡し役を頼まれるが、あっさり断られる。陽菜は愛らしい笑顔で人気の女子大生だが、男をいいように操る自己中心的な性格でもあった。陽菜に無言電話をかけ続けていた『ストーカー』は、そんな面を知り、ゼミ旅行の目的地である絶海の孤島で陽菜を殺害することを決意する。

おもしろかったですが、デビュー作なのでつい詰め込み過ぎてしまったようです。大学生活、台風と孤島、殺人、ストーカー、BL、嫉妬とあらゆる要素があり、どれも追い込みが足りません。ラストに落とすには不要な設定が多過ぎ、3作ほどに分けて書くべきかと思います。恨みや思い込みが殺人へと変わる瞬間と、思わせぶりで可能とは思えないラストとを描きたかったのかも知れません。ただ引き込み読ませる力は充分にあるので、次作に期待したいです。

高野和明

「ジェノサイド」

創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、急死した父から送られてきた不可解なメールを受け取った。わずかな手掛かりから、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、極秘の依頼を引き受けた。詳細不明の暗殺作戦で事前に明かされたのは、「人類全体に奉仕する仕事」ということだけだった。イエーガーはチームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入する。

「人間だけが他の生物を絶滅させることができる」という言葉が、印象的です。隔絶されたコンゴで奇妙な子どもが生まれ、合衆国大統領やCIA、FBIあらゆる機関を総動員して殲滅(せんめつ)させようとするのは、ある部分ではわかります。人類の恐怖を取り除くためという、大義名分ですね。日本、コンゴ、合衆国の人物に同じ発想と説明をさせ、ご都合主義な配置も鼻に付きいらいらしました。スピルバーグ好きな作者の壮大な物語という目論みはわかりますが、手に余ったのでしょう。ストーリーとしてはおもしろいのですが、読者は目が利きますから。

高野和明

「グレイヴディッガー」

中世の魔女裁判期の殺人鬼「グレイヴディッガー」をまねた、連続殺人事件が発生した。煮えたぎった浴槽に浮かぶ変死体を発見した八神は、謎の集団に追われることになる。今までの悪行を反省し、初の人助け「骨髄提供」をするため、八神は必死に逃げ病院へと向かう。カルト集団や公安警察の手をかいくぐっての逃亡劇は、都内縦断の長い旅になった。

ワルの八神の超人的な逃走は、あり得ないと思いながらも、ぐいぐい引きつけられます。都合のいい背景や設定が相変わらずですが、楽しめます。映像描写がうまいと思います。公安の真の闇も見せてほしいところです。

高野和明

「6時間後に君は死ぬ」

他人の未来が見えるという青年・圭史に、6時間後の死を予言された美緒は半信半疑のまま、殺人者を捜し出そうとするが、刻一刻と運命の瞬間が迫る。・・・「6時間後に君は死ぬ」
応募した小説が落選し落ち込んだ未来は、二十年前の自分と遭遇する。・・・「時の魔法使い」

5編の連作短編集です。肩すかしをくらった「6時間後に君は死ぬ」の表題作が、4作目の「3時間後に僕は死ぬ」に繋がるのがすごいと思います。未来は変えられるのか。過去は変えられないけれど、未来は確かに変えられるのかも知れません。そうだからこそ、いまをしっかりと生きなくてはと思わせてくれます。

高野和明+阪上仁志

「夢のカルテ」

銃撃事件に遭遇した麻生刑事は、夜毎の悪夢に苦しめられていた。心理療法を受けた彼は、女性カウンセラー・来生夢衣と出会う。やがて麻生は、夢衣が他人の夢の中に入ることができる特殊な力があることを知る。

いままでの高野さんに見られないやさしさは、阪上さんの持ち味でしょうか。刑事事件と心の治療という、一見対極にある両者をうまく描いていると思います。若干どっちつかずの感はありますが。それにしても男性の望む女性像というのは、どうしてこういうタイプになってしまうのでしょう。存在し得ない女性像です。

高野和明

【13階段】

酒場で喧嘩になった相手の打ち所が悪く、死亡した。三上純一は1年8ヶ月服役し、出所した。殺人犯の家族だと非難の目にさらされた、父の工場はかろうじて仕事を続けていたが、粗末な家に引っ越していた。被害者への賠償額7千万円を、まだ20年返し続けなければならなかった。そんな純一に、刑務官の南郷から仕事の誘いがかかる。死刑囚の冤罪を晴らす証拠を見つけるというものだった。

だが死刑囚は、犯行時刻の記憶を失っていた。わずかな記憶の「階段」を求めて捜査を始めるが、死刑執行までの期限も迫っていた。

キャッチに「宮部みゆき氏絶賛」とあったために、手に取ることをためらっていましたが、意外によくできたミステリーでした。しっかりと伏線を張り、緊張感を高め、盛り上げていくあたりもうまいです。人物もなかなか描写がいいですね。ただ、どこか新鮮さに欠けるというか、書くことの熱さみたいなものがほしいと思いました。たぶん、読者のわがままですが。3作は読むだろうとは思います。

高野和明

「幽霊人命救助隊」

浪人生の裕一は、天国への途中の断崖で3人の男女に出会った。老ヤクザ、気弱な中年男、アンニュイな若い女だった。そこへ神が現れ、天国行きの条件に49日間に自殺志願者100人の命を救えと命令する。幽霊の裕一たちは地上に戻り、怒涛の救助作戦を繰り広げる。

自殺願望のある人たちの心理描写がうまく描かれ、追い込まれた状況も伝わります。一筋縄ではいかない自殺志願者たちに、なんとか引き止める方法を探る幽霊たちの姿は、どこか滑稽でもあるのです。救助者の体に入り、気持ちを探ります。残された家族がいかに悲しむか、うつは病気だと声高に叫びます。けれどメンバーと似た状況の救助者に出会うと、途端にナーバスになるメンバーです。そこを乗り越えることに全員が力を合わせます。なかなか楽しめる構成でした。

高野和明

【グレイヴディッガー】

偽のオーディション詐欺や、保険証でサラ金からの借入などでしのいできた八神は、ドナーとして骨髄提供をすることになった。小金を貸してもらおうと、アパートの名義交換をし合った島中を訪れると、島中は浴槽で無惨に殺されていた。さらに押し入ってきた男たちに、追いかけられるはめになる。不気味な彼らの正体がわからないまま八神は、骨髄提供のために必死に病院を目指した。だが、行く先々で連続殺人事件が起こり、八神は容疑者として警察からも追われてしまう。

高野さん2作目。赤羽から六郷まで、都内縦断のアクションストーリーを描きたかったようです。しかし、シュワちゃん顔負けのシーンは無理があり過ぎ、猟奇殺人のカルト集団も存在意義がなさ過ぎです。パソコン知識に至っては苦笑してしまいます。それでも最後まで読ませるのは、なんでしょうね。

田山朔美

「霊降ろし」

近所付き合いの煩わしさに頭を悩ませる朝子は、通販でミニ・ブタを買い部屋で育てることにした。不機嫌な夫と娘と会話がなくても、ブタが慰めだった。そんな中、目障りな隣家の奥さんが姿を消し、夫の浮気相手が消えた。・・「裏庭の穴」

精神的に不安定になった母を心配していた高校生の友紀は、おばの庸子から頼まれて拝み屋の片棒をかつがされている。止めたいと思っているが、あるとき心の中に入ってくるものがあった。・・「霊降ろし」

平凡な日常の、わずかな亀裂から見える思わぬ深淵をうまくまとめていると思います。ただ、新鮮さが感じられないのが残念です。作者に、物語が壊れてもいいほどの熱い思いがあったら、すごい変貌を遂げそうな気もしますが。

知念実希人

「螺旋の手術室」

純正会医科大学附属病院の教授選の候補だった冴木真也准教授が、手術中に不可解な死を遂げた。彼と教授の座を争っていた医師もまた、暴漢に襲われ殺害される。二つの死の繋がりとは。大学を探っていた探偵が遺した謎の言葉の意味は。父・真也の死に疑問を感じた裕也は、同じ医師として調査を始める。

医療ミステリとして読みましたが、ご都合主義とキャラ立ちのなさに苛立ちました。途中で放りだそうとしたけれど、他の本がなく読み終えました。延々と言葉(会話)で説明をして、ラストは取ってつけたような締めでした。2時間の断崖絶壁解説ドラマを見ているようです。2度と手にすることはありません。

日明恩

「ロード&ゴー」

消防隊員・生田はベテランの運転手だ。二カ月前に異動してからは、慣れない救急車のハンドルも握らなければならなくなった。そんなある日、路上で倒れていた男を車内に収容したところ、突然、その男・悠木がナイフを手に救急隊員を人質に取る。同じ頃、警察とTV局に謎の男から犯行声明が入った。男は悠木の家族を人質にしていることと、悠木に爆弾を持たせていることを告げ、二億円を要求する。そして都内の救急病院を回るよう指示する。果たして犯人の狙いは何か。過熱するマスコミに追われながら、次第に追いつめられて行く救急隊員たち。

なかなかの緊迫感です。ハイジャックはすでに書き尽くされていたと思っていたのですが、こういう攻め方もありです。マスコミ車に囲まれながら暴走し、中継される救急車内の映像や、一人一人のキャラが、TV映像化をしてもおもしろいだろう感じさせます。夢中で読んで久々に、つい電車を乗り過ごしました。

日明恩

「鎮火報」

「お前みたいなバカは消防士にはなれない」「絶対なってやる」。仁藤との売り言葉に買い言葉で、雄大は消防士になった。軽蔑していた父と同じ職業に愛着など持てるはずもない。だが、いつしか雄大は消防士と いう職業に誇りを感じ始めていた。外国人アパートを狙う連続放火事件の消火にあたったことを境に、少しずつ変化が起こる。水をかけると燃え上がる不思議な現象。いつも「良い人」キャラの入局管理局の小坂がその場に居合わせる。なにかがおかしい。事件に振り回されるうちに気づかされた真実は、思いがけないものだった。

前作の救急隊に続く、消防署を、実によく調べて書いています。主人公があまり切れ者でない設定で、漫画的に軽く展開させていきます。それでいて、細かな描写が最後に収斂されていき、なかなか見事な書き方です。父と息子、そして関わる人間臭さが、鼻に着く寸前で押さえられています。ぐいぐい引きつけられる筆致には、脱帽です。次も読んでみたいです。

日明恩

「ギフト」

過剰追跡が原因で犯人の少年を死なせてしまった元刑事の須賀原は、レンタルビデオ店で働いていた。そこへ奇妙な少年がやって来た。毎日『シックス・センス』の DVDを見つめながら、ただ涙を流しているのだ。死者の姿が見え、声も聞こえるが、そのことを誰も理解してくれない少年・明生に、ほんの少し手を伸べた須賀原は、孤独に生きてきた明生の言葉を信じた。明生の体に触れると、須賀原も死者が見えるのだった。長い年月を漂い続ける死者の言葉を聞き、真の願いをやり遂げさせていった。

須賀原の抱えている孤独と罪悪感が、とても痛いです。自分への楽しみや笑いを禁じ、過去に縛られて追悼の思いを深くしていくのはつらいですね。駐輪場で出会った少年の霊と関わることで、須賀原と明生は新しい一歩を踏み出していくラストがせつないです。

日明恩

「やがて、警官は微睡る」

横浜みなとみらいに新規オープンしたホテルで立て篭もり事件が発生した。犯人は謎の多国籍グループで、20階のVIPフロアを急襲し、絵画取引をしていた客たちにある要求を突きつける。周辺の携帯基地局も爆破され、異常な事件の連続に警察も大混乱に陥る。非番でホテルに居合わせた警視庁刑事・武本は、新人ホテルマンの西島とともに館内を逃げながらも、かつての上司で潮崎警視と連絡をとり、戦っていく。

作者の警察小説の3作目です。2作目で大きく構成力が出て、今回の作でスピード感やアクション感が大きくなりました。450ページの長編を引きつけて読ませる、強靭な意志と筆力、そして人間に向ける目線の深さがあります。警察の仕事への、正義への、内面に向けての真摯な問いかけと信念があります。仕事に対する真っすぐな姿勢を、読ませてくれました。

日明恩

「そして、警官は奔る」

警視庁蒲田署に異動となった武本は、冷血」な刑事・和田と共に、不法滞在外国人を母に持つ幼女監禁事件を追った。かつての武本の上司・潮崎は、退職しキャリアとして警察の内部を変革しようと、国家公務員1種試験を通過し配属を待つばかりの時期にいる。武本の力になりたい一心で、独自に事件の調査を始める。そして彼らは、子供の人身売買や虐待の現実を突きつけられる。定年間近の穏やかな刑事・小菅も関わっている疑惑が浮き上がる。風俗で働く母親に代わり、一次的保育をするのぞみ、ひそかに治療に当たる医師、法律では裁ききれない闇で殺人事件がついに起きる。そして、のぞみの笑顔の下の顔と向きあうのだった。

警察としての正義、人間としての正義、両立しないときにどうするか。不器用だが真っ直ぐな武本。目の前の不幸な子どもたちを救おうとするのぞみたち。縦割りの警察組織内部の対立と、警察という仕事と自己の正義との葛藤、それらが絡み合い袋小路に追い詰められる一人一人を、丁寧に真摯に描かれています。問題に背を向けない、仕事への精一杯の努力をここまで深く書く作家は珍しいのではないでしょうか。読み終わって、すがすがしい作品です。

日明恩

「それでも、警官は微笑う」

無口で無骨な巡査部長・武本と、話し出すと止まらない、年下の上司・警部補は、特殊な密造拳銃の出所の捜査にあたる。たどり着いたのは5年前の覚醒剤乱用防止推進員の拳銃自殺という事件だった。だが、その背後には思いもしない悪が見えた。

武本と潮崎、麻薬取締官の宮田のキャラが立っていて、コミカルでいて捜査の執念の火種も見え、おもしろく読めます。 同じ説明を3度も読まされるのには少しくどくて、いらつきましたがデビュー作ということで、よしとしましょう。官僚組織を現場から変えるか、上(キャリア)から変えるか。永遠の命題という気もします。

タナダユキ

「復讐」

北九州の小さな町に赴任した若き中学校教師・舞子は、始業式の朝、ハルジオンを握っている暗い目の少年に出会う。教室で明るく優等生として振舞うその晃希には、犯罪事件の関係者という、舞子と共通の暗い過去があった。晃希が5歳、祇園大山笠祭りのとき、双子の兄・祐也が少年に殺害される。ショックから一時的に言葉を失ったために、晃希の人生は大きく変わり、家族にも言えない苦しみを味わうことになる。

傷を抱えて仮面を付けて生きる日常の困難と、未成年者の凶悪犯罪の法的制約、被害者と加害者の双方の家族を巻き込んでいく困難が見事に構築され、スリリングな結末へと走り込んでいきます。まるで蟻地獄でもがく姿をみるようで、一瞬も目が離せません。作者は映画監督であり脚本家でもあります。映画は見ていませんが、小説での新鮮な世界の魅力を出していると思います。

タナダユキ

「百万円と苦虫女」

鈴子とルームシェアをするはずだった友人が、男も連れてくる。翌日には二人は別れ友人は去った。友人の元カレとシェアするなんて真っ平だ。鈴子は部屋を解約をし男の荷物を処分したせいで、男から警察に訴えられ、前科ものになってしまった。家にいても所在がない。ならば所在そのものをなくしてみようと「百万円貯めては住処を転々とする」ことを決め、鈴子は旅に出た。

海の家でアルバイトをしピークを過ぎて、次の場所は、福島の桃農家。小さな都市のホームセンター。どこに行っても、人との関わりができてしまいます。関わらずに暮らして行くというのは、日本ではなかなか難しいことが伝わってきます。ラストはシニカルです。そんなものかも知れないと、ふっと肩の力が抜ける作品です。

谷口真由美

「日本国憲法 大阪おばちゃん語訳」

はじめから終わりまで、大阪弁のおしゃべり言葉で書かれています。子どものガッコのことから、夫婦の生活、集団的自衛権から護憲・改憲問題までを、「おばちゃん」目線の井戸端会議のノリで解説。

憲法学者の著作です。わたしはいつ憲法を読んだだろうと考えると、遥か遠い学生時代です。日常的に、政治的に何か話題になった時に、自分の目で読まなくては思い知らされました。大阪弁は読むのは苦手ですが、基本的にはわかりやすく書かれています。子どもたちにも読めると思います。いまだから目を通しておくことが、大切だと思います。

十市 社

「ゴースト≠ノイズ(リダクション)上・下」

高校入学から七ヶ月。一人の友達もなく、誰からも認知されない孤独な日々を送っていたぼくは、女子生徒から声をかけられた。文化祭の研究発表の準備を手伝ってほしいと言い、ぼくたちはときどき誰もいない放課後の図書室で落ち合うようになった。孤立からくる耳鳴りに苦しむぼくと、ぼくを利用し理由を語らず欠席を繰り返す彼女。校内では、連続動物虐待死事件の話題が持ちあがっていた。

ミステリーで、傷ついた少年少女が再生していくストーリーはありがちです。他の作品とわずかな雰囲気の、特有で読ませます。ただ他の作品まで読みたいとは思いませんでした。

谷甲州

「星を創る者たち」

月の地下交通トンネル、火星の与圧ドーム、水星の射出軌条、木星の浮遊工場。太陽系の開発現場で前例のない事故が起き、現場の技術者たちは知恵と勇気で立ち向かう。「宇宙土木」シリーズ、第1話「コペルニクス隧道」から四半世紀を経ての最終話。

ハードSFファンではないので、初めて読みました。地上での磨き上げた、熟練の技術者たちに共通する感覚が人間的です。ただ展開が慣れないせいか、途中で挫折しそうになりました。理系の土木は苦手かも知れません。

煖エ秀実

「男は邪魔!」

「かれこれ25年にわたって私はインタビューというものを続けてきたが、今更ながらしみじみ思うのは、男に訊いても埒が明かないということである。話をしても何ひとつ解明しない。それどころか、しばらく話を続けていると頭の芯のほうから何やらぼんやりしてきて、そもそも何を訊くために来たのか忘れそうになるのだ。 早い話、男はひとりよがり。ひとりよがりがひとりよがりを競るように社会をつくってきたから、日本は、いつまでも埒が明かないのではないだろうか。」

作者の文章の引用です。日頃の感想を書くにしてもあまりにも漠然として、笑ってしまうしかない独り言に聞こえてしまいます。一人の男の言葉として、女の一面を捉えたものに過ぎないとは思います。心療内科の海原医師の「強者の男の子はまわりが彼のことを察してくれる。人の話を聞いたり共感しなくてもいい。黙っていても察してくれるから表現しないくていい。弱者の女の子は常にまわりを察し、自分のことを察してもらえるよう一生懸命表現する。わかってもらおう、伝えようと努力するから表現力が身についていくんです。」 ズバリと決断する女性。結論を出せない男性。などなど、いまさら気がついたのかと思うけれど、この視点で書いた著者はいないでしょう。女性が読むと多少は溜飲が下がります。それでも現実的には社会を動かしている男だという暗澹たる状況に、一条の光が一瞬差し込んだ気はします。物足りないので、他の著書も読んでみます。

煖エ秀実

「素晴らしきラジオ体操」

なぜラジオ体操はこれほど日本人に親しまれているのか。各地のラジオ体操会場に赴き、「ラジオ体操人」に著者は突撃インタビューをする。さらに誕生と変遷の歴史を調べるうちに、ラジオ体操の意外な側面が浮かび上がってくる。昭和という時代の風景と日本人の姿。アメリカの保険会社の体操普及運動。郵便局簡易保険との結びつき。日本放送協会が、昭和3年に始めたラジオ体操の放送。国民への広がり。軍国主義との結びつき。様々な種類の体操の出現。GHQの圧力をかわし、あの手この手で存続に尽力した人々。

ラジオ体操になんとなく感じていたことを、インタビューで詳細によくここまで調べるものだと感心しました。いまでも毎日、録音ではなく生放送されていることに驚きました。どことなく感じていた、胡散臭さの正体も知りました。たぶんラジオ体操は、これからも続いていくのだろうと思いました。

煖エ秀実

「ご先祖様はどちら様」

自分って何者なのか。誰かの末裔かという疑問から著者は調べて行く。縄文時代を調べると、移籍台帳を図書館で見られるというので調べに行く。寺の過去帳をひも解く。家系図を辿って行くが、けっきょく足軽らしいというところで止まってしまう。一方、女性は戸籍制度で結婚して性が変わり、それ以前は家系図の中では「女」としかなく名前すら載っていないこともある。

以前、わたしの父の長兄が家系図を作成したことがありました。確かブームがあったような記憶があります。父の父の父の父の父(文化・文政の頃の当主=1804〜1829年・江戸時代)まで、寺の過去帳でわかりました。たぶん商家だっただろうということでした。かなりの時間をかけて作成したものの、だから何だという答があったわけでもありません。自己のルーツ探しで、今の自分の生き方・選択が変わるわけではありません。ただ、ずっと繋がってきた暮らしがあり、これからも続くのだと、悠然とした時間の流れを実感しました。
日本のすべての人とつながり、みな身内のようなものであり、他人と思えないという結論が著者らしいです。両親、ご先祖への感謝も書き記しています。ただ著者の思考回路が、理系のわたしにはまどろっこしくてかなり苛ついたのも率直なところです。

千澤のり子

「マーダーゲーム」

携帯の通信ゲームにも飽きた、小学6年生の杉田くんが提案し、8人は「マーダーゲーム」を始めた。自分の嫌いなモノの“スケープゴート”を学校内に隠すと犯人役が処刑してくれる。推理に心躍るゲームだったはずが、なぜかルール以上の処刑が開始される。分担して世話をしているウサギが殺された。麻生さんが学校帰りに髪の毛を切られる。岩本くんが教室から転落死する。犯人は、仲間のうちの誰なのか、親友さえも信用できなくなる恐怖に包まれる。

思った以上に楽しめました。保健室や教師たちや親と登場人物が多すぎるので、子どものキャラ立ちがいまひとつというところもありますが、小道具と心理作戦をしっかりと絡めて、おもしろく読ませます。後半に詰め込み過ぎなところがあり、バランスを取った方がさらにミステリとして読ませるものになると思います。

千澤のり子

「シンフォニック・ロスト」

北北園中学吹奏学部2年の泉正博は、吹奏楽のホルン奏者だ。「うまくなりたい」それだけを目指しひたすら吹く。定期演奏会はもうすぐだが、部内で囁かれていた「カップルができると片方が死ぬ」という噂通りに、先輩が謎の死を遂げてしまった。皆の疑いの目は、死体を発見した泉に向けられた。憧れていた先輩に陰で「気持ち悪い」と言われ、先輩の卒部で自分に回ってきたソロパートが下手だとおろされ、卒部した先輩がやってきてソロを奪われる。そして新たな殺人が起きてしまう。

なんとか読者をミス・リードしようという意図を感じながら、その違和感を土壇場まで引きずって読まされました。あちこちに張られた伏線とトラップに、幾度かページを戻って確認してしまいました。そういう理由で人を殺すのかという基本的な疑問はあるものの、騙される楽しさがあります。

千早茜

「森の家」

30歳過ぎの美里と、ひと回り歳上の恋人・総平さん、その息子で大学生のまりも君。まりも君は総平さんの本当の子どもかどうかもわからないけれど、受け入れ20歳まで育てることにしたという。緑に囲まれた家で「寄せ集めの家族」は、互いのことに深く干渉しない。その暗黙のルールで暮らす居心地のよさは、気ままなが作っているのではなく、佐藤さんの微笑みとまりも君の空気が作ってい。けれどふいに総平さんの突然の失踪で破られる。

毎年の庭仕事や家事をきちんとこなすことを条件に、祖母に守られるまりも君。恋人とは言えマイペースで飲んで帰るような美里。書斎に閉じこもる以外は、すべてを引き受ける総平さん。こんなにも希薄な疑似家族が、美里の中の眠っている血を起こします。母との確執の濃厚な関係が引き継がれていたのです。ラストは少し軽いけれど、わたしもほしい人間関係でした。

千早茜

「おとぎのかけら 新訳西洋童話集」

シンデレラ、白雪姫、みにくいアヒルの子など代表的西洋童話を現代日本に置き換えた短篇集です。

ほんとは怖いグリム童話的なものを期待したのが間違いでした。かなり現代に置き換えられていて、童話と銘打つ必要性があったのか疑問でした。暗いエロ・グロさに救いはありません。チョイスを間違えました。

拓未司

「蜜蜂のデザート」

神戸でフレンチスタイルのビストロを営む料理人・柴山は、店のにぎわいに溺れることなくいつも最高のものを出す努力を怠らない。デザートだけは自分でまだ納得がいっていなかった。そんな柴山に、声をかけてきた男がいる。それが次々に起こる事件の始まりだった。

おいしい料理を扱ったミステリの、新しい作家です。美味しそうな料理だけに、食中毒という嫌な題材がちょっと胃もたれしそうになりました。でも推理も展開もなかなかうまいのです。料理人のプライドがどこにあるのか、喜びがどこにあるのかが素直に伝わってきて、読後感はさわやかで救われます。次作に期待できそうです。

拓未司

「禁断のパンダ」

柴山幸太は神戸でフレンチスタイルのビストロを営む新進気鋭の料理人だ。妻の友人と木下貴史との結婚披露宴に出席し、中島という老人と知り合いになる。人間離れした味覚を持つ有名な料理評論家で、幸太のビストロを訪問することになる。一方、神戸ポートタワーで男性の刺殺体が発見された。捜査に乗り出した県警捜査第一課の青山は、被害者が木下の父が営む会社に勤務していて、さらには義明も失踪していることを知る。

披露宴フレンチの、幸太の料理の描写がみごとで、美味さ伝わってきます。けれど後半からは、食欲への尽きることのない好奇心に向けられ、気持ちが悪くなります。キャラがいまいち類型的なので、怖さも半端なホラーさ加減です。関西弁の会話が読みにくく、ストーリーへの情熱に引っ張られて読みましたが、苦手です。

辻村深月

【ぼくのメジャースプーン】

4年生の「ぼく」の小学校で、大事に育てていたうさぎが惨殺された。第一発見者は、当日当番の「ぼく」の代わりに行ったふみちゃんだった。ピアノが弾けて、動物好きで、出しゃばらないふみちゃんは、ショックで口がきけなくなる。「ぼく」は連絡帳と学校の話を毎日、届けていた。ネットで犯人・市川雄太の情報が伝わる。医学部の学生で、理由は「おもしろかったから」。逮捕されるが、「器物損壊」の執行猶予つきだった。許せなかった「ぼく」は、自分と同じ特殊な力を持つ秋山先生のもとへと通った。謝りにくるという市川に会うまでに、彼に与える罰の重さを計り始める。そして「ぼく」は決心した。

「ぼく」はもちろん、ふみちゃんや、母、秋山先生など一人一人のキャラがしっかりと描き込まれ、感情だけではなく思考そのものもここまで深く書けることに、新鮮な驚きがありました。特殊な力は『条件ゲーム提示能力』と名付け、その説明をする形を取りながらじつは、「生」を「殺」すのは、正しいのか。蚊を殺すのはいいが、蝶は、うさぎは、食べるための牛はいいのか。復讐とは、相手に何をすれば満足できるのか。突き詰めていきます。生と死が曖昧になっている者にとって、厳しい問いかけです。人は他者のために泣くのではなく、自身のためにしか泣けない。冷静に、だがはっとする激情もかいま見せる秋山先生は、貴重な存在です。また、いい作家と出会ったのが、うれしいです。

辻村深月

「ツナグ」

一生に一度だけ、死者との再会を叶えてくれるという「使者=ツナグ」の噂がある。突然死したアイドルが心の支えだった女性、年老いた母に癌告知出来なかった頑固な息子、親友に抱いた嫉妬心に苛まれる女子高生、失踪した婚約者を待ち続ける会社員などが、それぞれに再会を依頼する。

会いたい側と死者の両者が、会ってどうなるかはわからない点がおもしろいです。「ツナグ」の役割もなかなかしんどいものがありそうでした。映画化されるというので、久しぶりに読みました。ファンタジィの世界が楽しめます。わたしなら誰に会いたいだろうと、ちょっと考えました。

辻村深月

【凍(こお)りのくじら】

カメラマンの父・芦沢光が失踪してから、5年が過ぎようとしている。高校生・理帆子は、ガンで入院している母の病院に通うのが日課だった。父の世話を受けた恩返しといって、二人の暮らしを助けてくれるのは、音楽家の松沢おじさんだ。父が遺していった本の影響で、藤子・F・不二雄が好きな理帆子は、人を見抜く勘が鋭く「少し不思議なSF」を真似て、自身を「少し不在」と表す。「どこでもドア」を持ち、友人たちと関わりながらも息苦しさを感じていた。新聞部の「少しフラット」な別所あきらが、写真のモデルになってほしいと近づいてくる。司法試験のために勉強している元カレの若尾は、「少し腐敗」でストーカー気味だった。別れたはずなのに、「カワイソメダル」をつけた若尾から離れられない。

各章のタイトルが「どこでもドア」「先取りボックス」「どくさいスイッチ」などが、現実との微妙な距離を置こうとしている理帆子の心理をうまく表しています。それぞれの道具の説明とストーリーが、リンクしている書き方もおもしろいです。若尾よりも、理帆子の方が深い部分で「イタイ」を抱えています。ラストの思い切った ストーリー展開が、ドラスティックな収斂を見せてくれます。体言止めの文章が苦手でなければ、お勧めです。

辻村深月

【スロウハイツの神様 上・下】

脚本家として活躍する赤羽環の住む「スロウハイツ」には、作家のチヨダ・コーキを始め、漫画家を目指す狩野、エンヤ、映画監督になろうとしている正義、絵を描いているスー、コーキのマネージャー的な編集者・黒木が住んでいる。それぞれの夢に向かって、日々を送っている。環と妹は、母との凄まじい過去を背負いながら、気丈に生き抜いてきた。コーキは、10年前、彼の小説を真似て起きた大量殺人事件で筆を折っていたが、熱心な少女からの手紙新聞記事をきっかけに復活していた。だが、新しい住人・莉々亜の接近が不穏な気を漂わせる。

若いクリエーターとその卵たちの、じりじりとした心理の描写がいいですね。スロウに進んでいるように見える展開が、ふいに加速し劇的な変化を見せ、ラストが突き抜けていきます。キャラはよくある設定なのに、内面まで見えてきておもしろいです。小さなエピソードが、どれもきっちりとした伏線だったことが最後にわかります。心の動きや言動や、その裏にある真実を、深く描く世界にすっかり引き込まれてしまいました。視点が動きすぎるのが多少読みづらいですが、積み上げて行くピースの最後がはまった時、快感にも似た高ぶりが心地いいです。

辻村深月

【子どもたちは夜と遊ぶ 上・下】

D大学が「情報工学」に関する論文を募集した。関東地域の全大学から応募があった。副賞は、4年間のサンフランシスコ有名大学への留学の費用負担だった。だが結果は該当者なしだった。ただし「i」と名乗る学生が現れたら与えるという、衝撃的なものだった。木村浅葱が2位、3位は狐塚孝太だった。

2年後、男子高校生が血の付いた眼鏡のガラス片を残して消えた。家出か、事件かマスコミも騒ぐ中、浅葱に「i」から謎のメールが入る。「θ(シータ)へ 次は君の番だ」。子どもの頃虐待傾向のある母を殺した双子の兄・藍の記憶が夢に現れる。「i」が藍なら会いたいと、浅葱は4件の殺人を決意する。殺人ゲームのスタートだった。

事実、真実とは、その人間から見え感じるものにしか過ぎません。そんな固定しない人間の内面に、深く沈み込んで思考し、描き出していく辻村さんはすごいです。双子が離れていても引き合うとされる力と、心の二面性、双極性をうまく配置、設定した構成力も抜群です。事件そのものやキャラは、ある程度ありふれたものですが、それをどう切り取って読ませるかが作家の力でしょう。小さな伏線も最後にはきちんと収斂させ、ラストに少なからず驚きを感じさせてくれます。

辻村深月

【冷たい校舎のときは止まる 上・中・下】

雪の朝、登校した8人は校舎に閉じ込められてしまう。ほかには誰もいない、時間が止まった空間で、次第に不安と恐怖にかられる。2カ月前、学園祭最終日に校舎から飛び降り自殺した事件と関わっていると推測されたが、その生徒の名前を誰も思い出す事ができない。リストカットの傷を持つ深月。委員長の鷹野。停学処分が終わったばかりの菅原。自分の世界以外に関心を持たない景子。絵のうまいあやめ。充。梨香。昭彦。助けを求めるべき教師の榊はなぜ、不在なのか。

一人一人が事件の時に何をしていたのかを、話し出す。表面は普通の高校生の顔でいたそれぞれが、過去を辿るうち、自殺したのは自分ではないかと考える。時計が再び動き出し、事件の5時53分にまず充が消えた。次は自分なのか。

自殺したクラスメイトの名前が記憶から消えていて、思い出す事を強要されるという設定がうまいと思いました。登校して、早過ぎて誰もいない教室の空気が、とてもよく出ています。遠い昔の記憶が甦るほどです。事件を「なかったもの」「自分とは関わりのないもの」として、やり過ごそうとしていた8人が、過去をさまよう経過はイタいですね。第14章の「HERO」が印象的でした。辻村さんの心の中に深く入り込み、描き出す素質は特筆ものです。ラストの明るさに、救われます。

辻村深月

「名前探しの放課後 上・下」

藤見高校に通う男子高校生依田いつかは、タイムスリップで3ヵ月先から戻された。これから起こる「誰か」の自殺を止めるため、いつかは同級生の坂崎あすな、生徒会長を目指す天木、秀人と他校生の椿たちが動き出す。あすなのおじいちゃんの「グリル・さか咲」と、部室が話し合いの場に使われた。あすなが偶然見つけた「遺書」を書いたノートから、河野基が「いじめ」を受けていたことを知り、いつかとあすなは水泳の練習に誘った。

自殺を阻止しようとする動きと「いじめ」が、切迫感があり一気に引込まれて読みました。キャラのそれぞれが抱えている心の痛みと、一人一人のやり方で、明るく振る舞い関わっていこうとする姿勢が、いいですね。背景の描写やプールの水の匂いなどの感覚描写もうまく、複雑な人間関係の心理や絡ませ方ももたくみです。「グリル・さか咲」のおじいちゃんの存在感に味があります。ラスト近くで事件が終わりそうな頃、まだそのまま放り出されていた伏線も、もうひとひねりの結末にみごとに収斂していきました。構成力や切り取り方のうまさは、「ぼくのメジャースプーン」を越える作品かも知れません。

辻村深月

「ロードムービー」

小学生のトシとワタルは、家出をした。ワタルのいじめをかばったトシは、今度はトシがクラス全体からのいじめを受けてしまった。それでもずっと夢だった児童会長に立候補し、ポスターを破かれたり、妨害されながらも最後の演説会に臨んだ。いつもはおどおどしているワタルの、必死な応援演説が受け入れられた。それでも二人で家出をする 理由があったのだ。

3編のストーリーに、不覚にも涙が出てしまいました。辻村さんは、児童書を書こうとしたわけではなく、しっかりと子どもの心を描きながら、伝える目線はきっちりと大人に向けられています。子どもの頃の自分を思い出してしまいました。うまく言葉を大人に届けられない小学生や中学生と、その橋渡し役の大学生やおばあちゃんがいいですね。こんなに深く子どもの心を描く作家に、毎作やられてしまいます。次作も楽しみです。

辻村深月

「太陽の坐る場所」

高校卒業して10年のクラス会に集まった皆の話題は、どこか屈折している。いままで参加していない女優になった「キョウコ」を、次のクラス会へ呼び出そうとあれこれ方策を考える。高校時代の思い出は、悪意や恨みや様々な感情が吹き出し、一人一人にとって必ずしも楽しいわけではない。「キョウコ」にとっての障害を取り除くことで、果たして彼女は来てくれるのか。

大人になってしまったいまの自分と、高校生の頃の自分を、登場人物ひとりひとりの語りで話が展開していきます。女優として成功した同級生への嫉妬や、屈折した恋心や、不完全燃焼な自分への嫌悪、見えをはるためのうそ。特に女性の描き方にどうも共感できませんでした。わたしが苦手とする「女性」特有の空気があります。裏を読むとか、駆け引きをするとかに、関わりたくないのです。いままでの作品で途中で投げ出してしまいたくなった作でした。

辻村深月

「ふちなしのかがみ」

「踊り場の花子」ひややかな恐怖が胸に迫る、だれもが知っていた「花子さん」。 「ふちなしのかがみ」は深夜の鏡に願いを掛けた、恋占いの結末は・・・。

5編の「怪談」短編集です。学校の怪談をメインに、本当の怖さを読ませてくれます。「踊り場の花子」が特に、印象的です。日常の隣にある、異世界がふいに立ち上がってくる感じがうまいですね。タイトルがおもしろい「おとうさん、したいがあるよ」は、少し設定に無理があるかも知れません。「ふちなしのかがみ」は、鏡の怖さを改めて感じさせてくれます。辻村さんの別な顔を出したかったのかも知れませんが、わたしの求める方向性とは少し違う気がしました。

辻村深月

「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」

都会でフリーライターとして活躍しながら、幸せな結婚生活をも手に入れたみずほと、地元企業で契約社員として勤め、両親と暮らす未婚のOLチエミは、30歳という岐路の年齢に立つ、かつて幼馴染だった。少しずつ隔たってきた互いの人生が、重なることはもうないと思っていた。だが殺人事件が起き、何かに突き動かされるように、警察の手を逃れ今なお失踪を続けるチエミと、彼女の居所をつきとめようとみずほは行方を追う。

女性の心理を細かく描くストーリーが、どうも苦手です。途中で、放り出したくなりました。いえ、うまいのですが、これはあとは個人の好みということで、少し距離を置くことになりそうです。

辻村深月

「光待つ場所へ」

文学部二年生・清水あやめは、「感性」を武器に絵を描いてきたという自負がある。だが授業で男子学生・田辺が作った美しい映像作品を見て、生まれて初めて圧倒的な敗北感を味わった。・・「しあわせのこみち」
美人でスタイル抜群でガチに博識でオタクなチハラトーコは、言葉に嘘を交ぜて自らを飾る「嘘のプロ」だ。恩師、モデル仲間、強気な脚本家との出会い・・「チハラトーコの物語」
中学校最後の合唱コンクールで指揮を振る天木だが、本番一ヶ月前になっても伴奏のピアノは途中で止まり、歌声もバラバラ。同級生の松永郁也が天才的なピアノの腕を持つことを知った彼は、松永に伴奏を依頼する・・「樹氷の街」

論理的に胸の中をそこまで分析し、えぐらなくてもいいのにと、思うのはわたしだけでしょうか。題材的にはラノベで読めると思うし、無理に『文学』的にしてしまったのは、賞を意識する立場になったせいかも知れません。別な方向性を見つけてほしいと思います。次作はもう読まないかも知れない、残念な作家です。

恒川光太郎

【夜市】

裕司に誘われて、いずみは不思議な夜市に行った。海に近い森を入ったそこは、しんと静まり返った異世界の夜店だった。いずみは気味が悪いので帰ろうとするが、なにか買わないと帰ることはできないのだという。裕司は子どものころに来たことがあり、野球選手の器を買うために一緒に来た弟を売ったのだった。元の世界では、弟は存在していない状態になっていて、確かに野球がうまくなった。だが残された弟は・・・。「夜市」

12歳の夏休み、私はカズキと一緒に武蔵野の秘密の道を歩くことにした。未舗装の道路は、どんなに歩いても小金井公園にたどりつかなかった。古道の旅行者の青年・レンに助けられながら進んだが、コモリという男に襲われカズキが撃たれてしまう。「風の古道」

短編2作です。どちらにも異世界に踏み出してしまった子どもの、行き着く先にある悲しみが胸に残ります。異世界以上に怪しく、危うい現実世界を見るようです。ルールの説明が冗長ですが、展開は意外におもしろく、引きつけられます。何作か、読んでみようかと思います。

恒川光太郎

【雷の季節の終わりに】

外界から少しずれた空間にある穏で育った賢也には姉がいた。だが、雷の季節にオニにさらわれてしまう。孤独な私に、風わいわいが取り憑いたが、友人の穂高や遼運にも話すことのない秘密だった。あるとき、自分が外の世界から連れて来られたのだと知る。そして墓町で幽霊のヒナからナギヒサに殺されたと聞かされる。だが、ナギヒサを追ううち策略にはまってしまう。

異世界と下界との接する場所の設定が、じつにおもしろいのです。恒川さんの描く世界は、独特の持ち味があり、言葉や空間認識、展開が引きつけます。闇番の「大渡」、「風霊鳥」などキャラも雰囲気を作っています。作家の律義さが、よさでもあり、跳んでしまえない欠点にもなりそうです。書ける作家だと思います。

恒川光太郎

【秋の牢獄】

不思議な力が支配する領域の家に、ふと迷い込んだぼくは、翁の面を付けた男と住むことを交代させられる。身代わりを立てると家を出られることを知り、ぼくは喫茶店の看板を出し、入ってきた眼鏡男と交代した。だが元の世界に戻ったぼくは、思わぬニュースを目にする。・・・「神家没落」

ほかに「秋の牢獄」「幻は夜に成長する」の3編の中編集です。静謐な語り口が作風として、確立されてきた感じです。ただ、文章を削っていく作家のようなので、行き詰まらずに進んでほしいです。どの主人公も、ふと気づくと、ありそうでなさそうな不思議な世界に迷い込んでしまいます。どうしようもない何かの力によって囚われてしまった人の内面を、ていねいに描かれています。ラストのひねりは独特のインパクトがあります。

恒川光太郎

「草祭」

雄也は小学生のとき、春と一緒に不思議な野原に行ったことがある。悪ガキたちから逃れようと、水路伝いに階段を上ると、そこはあった。何かしら怖い空気があり、黒くぼやけた霧のようなもの(のらぬら)に追いかけられた。中学3年の初夏、春の父親から、春が行方不明になったと連絡を受けた時、その野原を思い出した。やはりそこにいた。だが、二人で見たのは雄也の母の死体だった。・・・「けものはら」

5編の短編集です。いままでの作品から一歩、怪しの世界に踏み出した印象です。恒川さんは真面目な性格なのではないでしょうか。しっかり描こうとするあまり、かえっておもしろさから遠ざかった気がします。現実と怪しの世界を楽しみたいと、わたしは思っていたのです。どこを目指すのか、ちょっと読みたい方向と違っていくかも知れませんね。

柄刀 一

【ifの迷宮】

遺伝子治療や体細胞移植などの最先端医療企業SOMON。宗門の一員の亜美が暖炉近くで両手や顔、さらに足に火傷を負い殺害された。
DNA鑑定の結果は、すでに死んでいた家族のものだった。ほんとうに死んだのは誰なのか。

刑事の朝岡百合絵たちは、死者がよみがえったとしか思えない事件の進展に、迷宮に誘われるようだった。

さっと衝動買いの本でした。おもしろい題材を扱い、設定にひかれました。ただ、人物像がはっきりせず、警察の描き方も部外者の視点を抜けられないため、構成がすっきりしない感じでした。
登場人物が多いなら、なおさら描き分けていかないとならないでしょう。また、文章の無駄が多く、もたつき感が残りました。題材がおもしろいだけに、惜しいですね。

豊島ミホ

「リテイク・シックスティーン」

高校に入学したばかりの沙織は、クラスメイトの孝子に「未来から来た」と告白される。未来の世界で27歳・無職だと言うのだ。イケてなかった高校生活をやり直せば未来も変えられるはずだと、学祭、球技大会、海でのダブルデートと、青春を積極的に楽しもうとする孝子に引きずられ、地味で堅実な沙織の日々も少しずつ変わっていく。

クラスの中の微妙な空気感が、グラデーションのように揺れ動いていきます。誰でも思う、人生をやり直せたらということをしているのに、孝子は修正のさじ加減の難しさに悩みます。沙織はそばにいながら、プライベートを口にしないお互いの関係に傷ついたり、喜んだり、不満をぶつけたり、まっすぐ前を見つめていきます。おもしろい設定だと思ったのですが、考えてみれば高校時代のどんなシーンも、自分キャラも、理想的な姿などありません。ほんの少しの選択の幅を広げるのさえ、大変な気がします。全体の構成が長過ぎて、せっかちなわたしはもっとザクザクと削りたくなりました。半分の量で押さえられるのではないでしょうか。

多島斗志之

【症例A】

精神科の榊は、新任の病院で少女の亜左美を診察することになった。周囲の人間を振り回し、嘘を重ねていく。榊は「境界例」ではないかと疑うが、臨床心理士・広瀬は「乖離性同一性障害」(多重人格)を主張する。

タイトルそのままに、受動的な性格で良心的な医師の榊の目に映る、人間関係、症例を描いていきます。構成力が弱いのでしょう。日記を読まされているようで、歯がゆかったです。(多重人格)への思い入れだけでは、小説として成立しないかと思います。

辻仁成&江國香織

【冷静と情熱のあいだ】BLU&ROSSO

二人の作家が同じ本を違う立場で書いていくという試みがおもしろいと思います。ひとつの恋愛が、男と女の両側から描かれています。「辻」作品、そして「江國」の順序で読みました。

フィレンツェで絵画の修復士をしている順正は、あおいのことが忘れられない。仕事に夢中になれて、現在の恋人芽実といながら。10年前にあおいと約束した日が迫ってくる。『ドゥオモで会おう』

過去をなぞる心の動きが、こんなに繊細でいいの?と思ってしまうくらい。スフォルツェスコ城、サンタ・マリア・デッレ・グラツェ教会、ラッファエッロetc...、イタリアのなつかしい響きが「須賀敦子」さんのあの感動的なエッセイを思い出させてくれました。

つづいて「江國」さん。ミラノで愛情をたっぷり注いでくれるマーヴと暮らすあおいのこころに、ふとしたことでさざ波が立つ。そして、順正からの手紙が届く。彼女もまた約束を意識から削れない...。

冷静な(!)わたしには絶対できないラブストーリーが展開するのです。確かにしゃれた映画になりそうな作品です。でも、どの部分もデジャビュという印象を拭えませんでした。やはり恋愛作品はだめでした。ミステリーに走ることにします。

辻仁成

【千年旅人】

自殺願望の男が、海岸を歩いていく。
捨てきれずに持っている携帯電話で、登録している友人の誰とも深く関わっていなかったのだと気づく。死に場所として最高のところだと思ってきたのに、ひなびてあまりにも寂しすぎる土地だった。
ゴンドラに乗りビル清掃のアルバイトをしていた男は、常に死の危険と隣り合わせていたのに、崖っぷちに立つと足がすくんだ。
民宿の少女は義足で、船が通るたび手旗信号を繰り返した。難破船を修理し、棺にしようとする瀕死の男がいた。
ぼうぼうとした心境が描かれていきます。死を前にした人間の、おろかな哀しいこころの淵を、かいま見る感じです。映画になっていたのですね、「砂を走る船」。ほか2編とも、死を見つめる作品です。

田口ランディ

【モザイク】

「アンテナ」「コンセント」そしてこの「モザイク」が3部作の最後になるという。確かに、『本』という形にした中で一番完成度が高く、もしかしてランディはすごい『作家』になれるかも知れないと思った。いままではネットから出た「書き手」だったから。だが、同時に書きたいものは書きつくした気がする。次にどんなテーマを探すのか。ランディは、どこへ行くのだろう。

渋谷の街に氾濫する携帯電話の電磁波が、世界を破滅させる?精神病院に移送中の少年が逃亡し、佐藤ミミは追いかける。人をわかること、世界を感じるのにいろんな方法がある。共鳴するモザイクをミミと少年は持っていた。

音と、そこから広がるイメージがとても心地よく感じた。わたしも、危うい世界に隣接しているのかも知れない。

田口ランディ

【できればムカつかずに生きたい】

前回の小説「コンセント」は、パワーがあった。初めての小説というのはこうでなくっちゃ、と思った。ネットの中で、ずっと文章を書いてきて、独特の思い切りのよさを持っている。

「できれば...」は、家族を書いているエッセイ。落ち着いちゃったな。と思った。好きなことを書いていたネットだけの時代と、出版社との関係が出てきたら、どこか違ってしまった。仕方のないことなのだけれど、読者としては、ちょっと離れて、これからどう変わっていくのか、見てはいきたいと思う。

武田麻弓

【ファイト!】

聴覚に障害のある少女が、きびしい母の特訓で普通に話せるようになった。でも、どこにいてもいじめられる。

ツッパッて生き、社会人になる。企業で仕事をしながらも、夜遊びが大好き。黒人ブラザーズとの付き合いから、風俗嬢に転身。ニューヨークへ渡り、危ない世界で知り合った恋人の子どもを出産。

純粋でストレートな生き方は好感が持てます。わたしの中では珍しい世界の本です。

辻井いつ子

【きょうの風、何色?】

視覚障害の子にピアノを教える。母親って、大変なことをやりとげるものなのですね。目が見えない。その子を育てることだけだって、胸の中でどれほどのつらさがあることだろう。

その上に、こどもの才能を引き出してしまう。乙武さんの場合と同じく、障害をその子のマイナスと考えずに進んでいる。この本から見える明るさは、なんだろう。不思議な感じがする。

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