桐野夏生

作品名から詳細を表示
作品名出版社
アンボス・ムンドス文藝春秋
冒険のない国新潮文庫
I'm sorry, mama.集英社
残虐記新潮社
玉蘭朝日文庫
グロテスク文藝春秋
光源文春文庫
ローズガーデン講談社文庫
リアルワールド集英社
ダーク講談社
天使に見捨てられた夜講談社文庫
ファイアボール・ブルース文春文庫
ファイアボール・ブルース2文春文庫
水の眠り灰の夢文春文庫
ジオラマ新潮文庫
錆びる心文春文庫
顔に振りかかる涙講談社文庫
OUT講談社

【アンボス・ムンドス】

7編の短編集です。キャッチの「天国と地獄」に惹かれて読みました。最後の「アンボス・ ムンドス」が桐野さんの持ち味ですね。全編に流れる、家族や周囲の人間との思いのすれ違いが、 しっかり見つめて描かれています。ただ、短編の中に桐野さんの良さを生かすのは、至難の業 でしょう。どうしても、人間性がはしょられているようです。ひとつひとつを長編にしたいと、 思ってしまいました。


【冒険のない国】

永井美浜は31歳。寂れた街の、建設会社の出張所で電話番という気楽な仕事をしていた。 姉と両親と一緒に、シンデレラ城の見えるマンションで暮らしている。新しく入居してきた 住人たちから、どこか浮き上がっている気がしている。
美浜は思いがけず、不動産会社の森口と出会う。かつて家族ぐるみでつき合い、10数年前 自殺した森口の弟と親しくしていた。

過去を引きずったまま、未来のない、どこか欠けている美浜とその家族。会社の同じビルに 入っている人間もまた、華やかなディズニーランドとは遠い暮らしをしています。森口の出現で 否応なく過去を見つめ直し、前を向こうとし始めます。
桐野さんの「すばる文学賞」最終選考に残った作品の、改稿作です。作家の原点というのは、 いつもどこか「痛い」のはなぜでしょうか。


【I'm sorry, mama.】

かつて児童福祉施設に勤めていた美佐江は、そこでかわいがった25歳年下の稔の卒園を待って 結婚し、20周年記念に二人で焼き肉屋に入った。稔は腕の悪い大工で、常に美佐江を母親 代わりにしていた。店員の顔に見覚えがあった。施設にいたアイ子だった。美佐江はアイ子を カラオケに誘った。その夜、美佐江夫婦は、原因不明の火事で焼け死んだ。

美佐江夫婦の葬儀に、施設に関わった人々も集まっていた。里親としてアイ子を引き取っていた 時期のある隆造は、娼婦の館で育ったアイ子はお金に執着し、盗癖もあったと思い出す。

桐野さんの書くキャラに、迷いがなくなり、くっきりと立ってきました。アイ子を知る人物の 視点から見えてくるシーンも、映像としてみごとです。他人の目からは「悪魔」のように写る アイ子も、その心理にそって描くと奇妙に納得してしまいそうになるのです。計画性がなく、 目先の問題にこころを奪われていき、「片付ける」のです。そうやってしか、生きていくことの できない女性を、同情せず、突き放さず、じっくりと描いた桐野さんの姿勢に、拍手を送りたい です。


【残虐記】

高校生でデビューした作家・景子が失踪し、夫・生方から編集局宛に届いたのは、 『残虐記』という作品だった。10歳で誘拐され1年あまり監禁された経験を、出所 した犯人・健治から22年後に送られてきた手紙から、始められていた。

団地住まいでいながら、本格的な隣町のバレエ教室に通っていた景子は、いつも周囲 から疎外感を味わっていた。バスで帰る途中、寄り道をし誘拐されたのだった。ケン ジの働く工場の2階、窓を塞がれた一室に、監禁された。

なぜか景子を「みっちゃん」と呼び、社長の奥さんが作る食事の半分を、分け与えら れた。昼は景子の裸体を見て自慰をするケンジ。夜は、やさしい4年生の「ケンジく ん」になる。だが逃げ出そうと、隣室の「ヤタベさん」にコンタクトを取ろうとする が、耳が聞こえないと言われる。そして暴力を振るわれた。やがてなじんでいく、時 間の流れ・・・。

克明に描いていくのは、景子のこころの中です。ケンジを観察し、部屋を、そして 自分のこころの中を解明しようとし続けます。解放されてからも、押し寄せるマスコ ミや警察の調査にも、一切語ろうとしない「空白の時間」。

すごい。桐野さんは、作家の立ち位置を確立しました。「グロテスク」から、さらに みごとに変貌しました。周囲が解明しようとすればするほど、真実から遠ざかっていく 皮肉。景子自身でさえ、いくつもの物語を作ることができるという真実。言葉にでき ない真実が、景子を追いつめていく。

1年が多少削られた気がするのですが、構成配分からやむを得ないところでしょう。 とにかく、すごいのひと言です。


【グロテスク】

桐野さんは、サナギから蝶へと変ぼうを遂げました。前作の「ダーク」では、まだ ダークに成り切れずにいましたが。作者の呼吸や気配をみごとに消し去り、作品と して完成させたと思います。材料としてはある意味でありふれた、美しい妹を持った 姉の学生時代のいじめや、売春です。「どう書くか」そこを読者にしっかりと読ま せ、なおも自分の主張を貫き、おもしろいと思わせてラストまで引っ張っていって くれました。

スイス人の父と日本人の母の間に生まれたわたしは、怪物的な美貌の妹・ユリコと 比較される苦痛を小さい頃から味わい続けた。事業に失敗しスイスに戻る両親と ユリコから、離れる絶好のチャンスだった。わたしは盆栽作りをする祖父と暮らし、 必死に勉強し名声の高いQ女子高に受かった。

裕福な家庭の生徒からの、差別。なんとか努力でその仲間に這い上がろうとあがく 和恵。医学部を目指しながら、やしさを持ったミツル。こころの中まで傷付くような 学校社会。そこへユリコが転校してくることになった。

少女期から生の終わりまでと、長編なのであら筋は止めておきますが、徹底的に人 間のこころの中の悪と善をあばき出してみせてくれます。表面に見える容姿への執 着。その姿に翻弄されるこころ。生まれながらできることと、できないこと。鋭い 視線が、くっきりとした世界を見せています。「すごい」という形容しかできない のが、もどかしいです。


【玉蘭】

東京での暮らしから逃れ、上海に留学した有子は、粗末なベッドでの毎日を不眠症 に悩まされていた。傍らには玉蘭が香っていた。月の夜現れたのは、70年前に死んだ 伯父の質(ただし)の幽霊だった。

世界の果てに来てしまったと語る質の物語と、寮の中で起きた人間関係にも傷つく 有子の物語がシンクロナイズしていく。

桐野さんの「グロテスク」の、原型がここにありました。時代を超えた生きることの 苦しみ、非力な人間。奥の奥まで見つめて、描いた作品です。少し重いけれど、芯の ある作品です。


【光源】

寝たきりの元名監督・笹本の妻でプロデューサーの玉置優子から依頼され、 カメラマンの有村は新人監督・薮内に関わりなく「自分の光」を撮ろうと思った。 主演の高見は俳優のプライドを見せる。共演の佐和がヌード写真を出し脚光を浴び、 強く自己主張を始めた。

薮内は怒り、高見は役を降りると言い出し、優子は出資した予算を必死に守ろうと する。現場はこう着状態に陥る。

愛憎、怒り、名声、あらゆる感情があぶり出されて行く展開は、映画撮影現場の おもしろさと絡み合い、人間臭いドラマを見せてくれます。人間を突き動かす 「光源」とは、どんなものなのか。強く惹かれます。
ラストの高見の描き方は少し類型的過ぎるのが難点ですが・・・。


【ローズガーデン】

博夫は、出張でジャカルタのマハカム川をボートでさかのぼりながら、妻・村野 ミロをから逃れたつもりだったが、より深く引きずられているのを感じていた。

出会ったのは高校2年生だった。手入れをせずに荒れ放題の庭に薔薇が咲いていた。 ミロは広い家に義父と二人暮らしだという。義父のベッドで若い欲望に突き動かさ れるまま、博夫はミロに溺れていった。義父に激しく嫉妬しながら。

「ローズガーデン」を初め、ペットを巡るトラブルを描いた「漂う魂」などの 短編集です。自分のこころや欲望に正直であろうとする女を、関わる人間の側から 描いて見せてくれました。
桐野さんの作品に登場する村野ミロの、別な顔の発見がありました。


【リアルワールド】

私立高校生「トシ」は、塾にも通う普通の暮らしに嫌気がさしている。
隣の家の男子高生「ミミズ」が、母親をバッドで殴り殺し逃走したという。 警察やマスコミが騒ぐ中、「トシ」と「テラウチ」「ユウザン」「キラリン」 は、携帯電話と自転車を「ミミズ」に渡し、関わりを持ってしまった。 「ミミズ」がどんな気持ちで母親を殺したのか、興味を覚えたのだ。

社会の喧噪の中で、自分を見失うまいとする高校生たち。彼らの視線で物語を 描いているので、薄っぺらになりそうな会話なりがちですが、桐野さんはうま くかわし、切り込んでいると思います。
部分的には体験らしい挿話が際だったり、彼女たちのこころがよく描かれてい ます。だが肝心の「ミミズ」を描ききれなかったようです。もっと、『ダーク』 なものがあるはず。
破綻のないうまい作品だが、物足りなさが残ります。


【ダーク】

新刊で4.5センチの厚さに迷いましたが、なんとか腕は持ちこた えてくれました。
『天使に見捨てられた夜』の村野ミロが登場します。『ファイア ボール・ブルース』の中での<女にも荒ぶるこころがある>とい う、桐野さんの印象的な言葉があります。
今回の「ダーク」は、それを更にアップしたダークを描こうとし ています。全力疾走した文章が、心地よい作品です。

6年前、村野ミロは愛し憎んだ成瀬を刑務所に送った。ミロの幼 なじみの正子を殺し、ミロを裏切ったから。
その成瀬を探偵稼業を続けながら待っていたミロに、思いがけな い人物から、刑務所の中ですでに自殺していたことを知らされる。
隠していたのは義理の父・村野善三だった。盲目の久恵と暮らす 善三を訪ね、心臓発作で苦しむ場で、見殺しにした。すべてがそ こから、ミロの運命を<ダーク>な部分へと傾斜させていく...。

日本と韓国との間を行き来し、拳銃、麻薬、暴力を描いていくが 表面ではなく、描こうとしたのは、ミロの深くにある怖れと強気 の狭間に揺れる<生>を見つめる、こころのありようだと思いま す。
その凛とした姿勢が、桐野さんの魅力です。また次の作品を待ち 望ませる力なのだと思います。


【天使に見捨てられた夜】

探偵の村野ミロは、失踪したav女優・一色リナの捜索を依頼され る。依頼人の渡辺房江は彼女の人権問題を、告発するというが...。

次第に明らかにされていくリナの暗い過去が、思いがけない人物と 関わっていることがあばかれていく。

探偵の村野の人物像がとても魅力的です。いわゆる「女くささ」が なく、思考展開が論理的で小気味がいい。人との距離感の取り方も プロの探偵の存在感を裏づけしている感じです。行動的で失敗もあ るけど、その汚点の取り戻し方も知っています。いいですね〜。


【水の眠り灰の夢】

地下鉄爆破事件の現場に居合わせた、週刊誌の記者・村野は、草加 次郎事件も担当していた。

取材するうちに、有名デザイナーの坂出 のあやし気なパーティーに出くわす。その場から救い出した甥と、 その友だちのタキと名乗る少女が、村野を殺人容疑者にされるきっ かけになる。高度成長をかける時代を背景に、村野が暴き出したも のとは何か...。

硬質な文章で、読ませてくれますね。初期の「顔に振りかかる涙」 「OUT」から、離れていたのですが、なかなかの作品です。


【ジオラマ】

ひとつひとつの作品が、よく書き込まれている短編集です。

人間関係の煩わしい銀行の社宅を抜け出し、9階のマンションを手 に入れた溝口と、妻の美津子は窓からの景色に満足していた。

二人の子どももそれぞれの世界で遊んでいる。すべて順調に思えた 暮らしに、影が忍び寄ってくる。8階から、騒音の苦情を言いに来 た女は、髪を炎のような赤に染め、原色のファッションの派手さが 目を引いた。エリートしか入れないはずのマンションに似合わない 存在だったが、溝口は関わってしまう...。(ジオラマ)

人の心の中に住む、無意識な部分に光を当てたおもしろい作品です。


【錆びる心】

きっちりと構築された短編集です。そして、イメージが印象に残り ます。こんないいものを書いていらしたんですね。

『虫卵の配列』劇壇ゴルジの主宰者・阿井と恋愛中の瑞恵の話を、 わたしは聞くことになる。ファンレターから始まった手紙を、劇中 の台詞に取り上げてくれ、ついにタイトルになったという。つまり ほとんど会ったことのない相手との、最も深い愛情に結ばれている のだと。二人で上演される演劇を見に行くことに...。

こころの孤独と、ひりひりした痛みが伝わってきました。


【ファイアボール・ブルース】

プロレス、まして女子プロレスなんていやだなと思っていました。 それが抵抗なく、トップに立つ「ファイア・ボール」と呼ばれる・ 火渡抄子という人の存在感、胸に抱える『女にも荒ぶる魂がある』 その表現としてのプロレス。圧倒されました。

火渡抄子の付き人の近田は、一勝もできない新人。そんな二人は、 試合で手合わせをした外人選手の失踪事件に巻き込まれていく。

とにかく、惹かれる人物像です。


【ファイアボール・ブルース2】

女子プロレスラーの一人一人がきわだつ短編集の趣もあるストーリー です。

入門テストを受けに来た新人たちの裏にあるものは何か。そして、 人気のある与謝野ミチルに送られてきた脅迫状が、試合をスリリン グなものにしていく。レフェリー・ミッキーの早いカウントで、大 事な試合を負けた火渡抄子は怒りを見せる。

これもおもしろい作品です。レスラーたちの心理やファン・レフェ リー、経営者それぞれの思惑が見えてきます。描く世界は特殊だけ れど、そこにある孤独な魂は同じでした。

ページの上へ

yui-booklet を再表示

inserted by FC2 system