梓崎優

「リバーサイド・チルドレン」

カンボジアの地を彷徨う日本人少年・ミサキは、現地のストリートチルドレン・ヴェニィに拾われた。「迷惑はな、かけるものなんだよ」過酷な環境下でも、そこには仲間がいて、笑いがあり、信頼があった。しかし、ゴミの山からペットボトルや空き缶を拾い集めた、ささやかなお金で得られる安息は、突然破られる。動機不明の連続殺人が彼らを襲う。日本のホームの職員や名前も知らない旅人からのヒントで、ミサキが苦難の果てに辿り着いた真相とは、決して夢ではなく現実だった。

デビュー作から3年待った甲斐がありました。ミステリ・フロンティアの海外ものを思わせる、空気感と展開や文章は、次作でどんな変貌を遂げるか期待が持てます。また3年待ちはちょっと辛いですが、本人が納得できる作品を読みたいです。大胆でいながら怯えて暮らす少年たちの一人一人が描き分けられ、ちょっとしたあだ名を付けて、ミサキは結束を固めます。実の父との離別の理由には少し無理があると思いますが、ミステリとして骨の太さを感じさせます。よく取材をしている中で、得たものは大きかったのではないでしょうか。

梓崎優

「叫びと祈り」

灼熱の砂漠を行くキャラバンを襲った連続殺人。スペインの風車の丘で人が消えた。ロシアの修道院で起きた列聖を巡る悲劇。雑誌記者・斉木が世界各国で遭遇する、数々の謎を解き明かしていく。

「砂漠を走る船の道」「白い巨人」「凍れるルーシー」「叫び」「祈り」5編の連作集です。それぞれに異なる雰囲気の作品でいて、ラストできれいに収斂されます。エボラが発生したアマゾンの集落を舞台にした・・「叫び」が強烈な印象でした。どの編も粒ぞろいで、その風景、舞台設定の中に自分も立っているような描き方がうまいです。しかもラストの「祈り」の、不思議な1人称の語りがおもしろいのです。他の人の脳の中に入り込んだ感じがします。こういう新しい書き手が出てくるといいですね。ぜひ長編を読んでみたい作家です。

垣谷美雨

「七十歳死亡法案、可決」

高齢者が国民の3割を超え、破綻寸前の日本政府は「70歳死亡法案」を強行採決。施行まで二年、東洋子は喜びを噛み締めていた。我侭放題の義母の介護に追われた15年間。自分勝手な夫、引きこもりの息子、無関心な娘。ようやく義母の介護から解放される喜びが、思わぬ方向に進む。早期退職し、夫は友人と世界一周旅行に行くと。

国民が自主的に年金返上、子どもたちへの寄附、医療費全額負担宣言、ボランティアなどの自然発生的なシステムができていくのがいいですね。仕掛人もいて、ほくそ笑んでいます。かつてのキャリアを忘れていた東洋子が、家を出て仕事を始めると、家族が変わっていきます。笑って読ませる早い展開と、法案のラストがありそうでおもしろいです。

片桐はいり

「グアテマラの弟」

グアテマラの弟を訪れる、さらりとしたエッセイです。語彙が(ボキャと言わずに)豊富ですね。細かいことにこだわらない弟と奥さんとの、やりとりもなにか心に染みてきます。食や文化の違いをお互いに受け入れていき、ずっと住んでみたいと思うところまで作者は心を開いていきます。ラストのコーヒーの話が家族と繋がり、いい終わり方でした。

垣根涼介

「借金取りの王子」

村上真介の仕事はリストラ対象となる人物と面接して自主退職を勧めることである。リストラを請負う会社に勤めている。デパート、サラ金、生保会社で、泣かれたり、殴られたり修羅場を日々くぐり抜けている。恋人陽子は、気の強い女性だが、これ以上の相手はいないとも思っている。旅館の下見に陽子を誘い投宿するが・・・。

真面目でまともで一生懸命に生きているが、リストラ対象になって悩み、そして決断する過程が、やや甘いけれど描ききっています。今の不況では失業が地獄に落ちるけれど、その少し前の背景でしょう。全く違う業界の設定もきちんと捉えられ、人物観察もおもしろく、読ませます。中でも、消費者金融という厳しい世界に似つかわしくない優男の宏明と、元上司の美佐子の話は、真介たちともかぶり、なかなかいい話です。村上の社長である高橋の切れ者加減と、これからが気になる終わり方であるいはシリーズ化するのでしょうか。

垣根涼介

「君たちに明日はない」

リストラを専門に請け負う会社に勤めている真介の仕事は、クビ切りの面接官だ。大手メーカー、銀行などどんな職種も事前調査の上、臨む。泣きつかれ、コーヒーをかけられ、ときには殴られる。それでもやりがいがあり、気性のはっきりした恋人ともうまくいっている。ある計画は頭の中にあるが、果たしてうまくいくだろうか。

思い切り嫌な仕事だという設定に引かれて、読みました。恋人や上司のキャラもうまく絡ませながら、会社における人の評価とは何か、納得のいく進め方に共感しました。クビを切られる側の、心理までなかなか読ませます。

海堂 尊

【ナイチンゲールの沈黙】

医学部付属病院・小児科の看護士・浜田小夜は網膜芽腫の子ども・瑞人とアツシを担当していた。ある夜、緊急外来に幻の歌手・水落冴子が運び込まれる。一方、手術を拒否している瑞人の父親の指定で、小夜は自宅に説得に出向く。

雑多な材料がまき散らされ、都合よく登場人物が増えていき、視点が移動します。それぞれは放置したまま進みます。些末な日常会話が延々と続いて、ストーリー展開が遅いです。仕事の設定に無理があり、奇妙な歌へのこだわり、殺人事件の犯人はバレバレ。という、朝通勤に持って出なければ、読みやめたかったです。

川瀬七緒

「紅のアンデッド 法医昆虫学捜査官」

都内の古民家で、大量の血痕と3本の左手の小指が見つかった。住人の遠山夫婦とその客人のものと思われたが、発見から1ヵ月経っても死体は見つかっていない。岩楯警部補は相棒の鰐川と近所の聞き込みを始めるが、いっこうに捜査が進展しない。法医昆虫学者の赤堀は、法医昆虫学と心理学分野、技術開発部の三つが統合された新組織「捜査分析支援センター」に配属されていた。事件現場に立ち入れなくなったものの、同僚のプロファイラーと組んで難事件に新たな形で挑戦をする。

赤堀は、わずかな違和感を持った指の一点を徹底して追求し、家の周りの虫の生態系が壊れている原因解明をする様子はすごいです。岩楯に自分の過去を話したのは、これからの布石か気になります。アルコール依存症が、ここまで家族を巻き込むのはすさまじかったです。毎回、期待を裏切らない赤堀と岩楯、鰐川を味わえます。これからプロファイラーが加わわるのは、わずかにしてほしいです。

川瀬七緒

「フォークロアの鍵」

羽野千夏は、民俗学の「口頭伝承」を研究する大学生。「消えない記憶」に興味を持ち、認知症グループホーム「風の里」を訪れた。出迎えたのは、「色武者」や「電波塔」などとあだ名される、ひと癖もふた癖もある老人たち。なかでも「くノ一」と呼ばれる老女・ルリ子は、夕方になるとホームから脱走を図る強者。ほとんど会話が成り立たないはずの彼女が発した「おろんくち」という言葉に、千夏は妙な引っ掛かりを覚える。記憶の森に潜り込む千夏と相棒の大地。

認知症グループホームのカリキュラムに縛られていた老人たちと職員という、よくある現実。失われた記憶と、無意識に言葉に出る記憶の欠片。耳を傾けて言葉から想像と推理で、老人の過去を探る千夏の行動力に驚かされました。「おろんくち」の衝撃的なラストがうまいです。興味深い作家です。

川瀬七緒

「潮騒のアニマ 法医昆虫学捜査官」

伊豆諸島の「神の出島」でミイラ化した女性の遺体が発見され、警視庁から岩楯警部補が派遣された。首吊りの痕跡から、解剖医は自殺と断定。死亡推定月日は3ヵ月以上前とされた。第一発見者によれば、島のハスキー犬がミイラを引きずってきたらしい。遅れて島に入った法医昆虫学者・赤堀涼子は、現場周辺を調べて遺体に「昆虫相」がないことに目を留めた。

赤堀のキャラがいきいきして、周囲が目に入らず突き進む性格が好きです。次第に感化されていく岩楯警部補に、にやりとしました。登場人物や設定も変化を持たせて飽きさせず、いいシリーズになりましたね。別な作品も読んでみようかと思います。

川瀬七緒

「女學生奇譚」

フリーライターの八坂は、オカルト雑誌の編集長から妙な企画の依頼をされる。「この本を読んではいけない」から始まる警告文と古書を、竹里という女が持ち込んできたのだ。その古書の本来の持主である彼女の兄は数ヶ月前に失踪、現在も行方不明。このネタは臭う。八坂はカメラマンの篠宮、そして竹里とともに謎を追う。

構成もうまいし、八坂の想像力と感覚の鋭さを持つライターとしてのキャラが活かされています。竹里の不審な挙動など、小さな伏線までが結果をひっくり返す予兆を感じさせながら読ませます。おもしろい作家です。少し追いかけてみたいです。

川瀬七緒

「メビウスの守護者」

西多摩で、男性のバラバラ死体が発見される。岩楯警部補は山岳救助隊員の牛久と組み、捜査を開始した。捜査会議で、司法解剖医が出した死亡推定日に、法医昆虫学者の赤堀が異を唱えるが否定される。村での聞き込みを始め、息子に犯罪歴がある中丸家と、食物アレルギーの息子を持ち街から転居してきた一之瀬家が孤立していることを知る。その息子の治療をする調香師ちづると、怪しい住人たち。虫の観察結果からの死後経過の謎と、残りの遺体も不明。果たして赤堀たちは真実に近づけるのか。

調香という新しい世界を、川瀬さんは楽々と越えて描いてみせました。死臭に引き寄せられる虫たちの存在。香りや匂いを科学成分で特定していく赤堀の鋭い勘も働き、特殊な殺人の動機と犯人が見えてきます。けれどそれは、壮大な復讐劇の始まりでもあったのです。ラストまでおもしろく読ませてくれます。安定した筆力があり、キャラ設定もシリーズ物レベルになってきています。香りというと井上夢人の「オルファクトグラム」が今も鮮明に印象に残っています。それに迫るいい作品だと思います。

川瀬七緒

「シンクロニシティ」

東京・葛西のトランクルームから女性の腐乱死体が発見された。捜査一課の岩楯警部補は、月縞刑事と捜査に乗り出した。損傷が激しく、検屍で判明したのは手足を拘束されての撲殺で、殺害現場が他の場所という2点だった。起用した法医昆虫学者の赤堀涼子は、ウジの繁殖状況などから即座に死亡推定日時を割り出し、また殺害状況までも推論する。さらに彼女の注意を引いたのは、現場から発見された「サギソウ」という珍しい植物の種だった。

虫の描写がさらりとしているので、読み手としても慣れてきました。警察と法医昆虫学者が、がっちりと組んでの捜査は、前作より視界が広がり全体的なバランスもよくなったと思います。地道な捜査を丹念に潰していく先に見える、臓器移植の壮絶な現状は、人の心をそこまで追い込むのかと息を飲むものがあります。次作も楽しみです。

川瀬七緒

「147ヘルツの警鐘 法医昆虫学捜査官」

全焼したアパートから1体の焼死体が発見され、放火殺人事件として捜査が開始された。遺体は焼け焦げ炭化して、解剖に回されることになり、その過程で意外な事実が判明する。被害者の腹腔から一部は生きた状態大量の蠅の幼虫が発見されたのだ。混乱する現場の署員たちの前に、法医昆虫学捜査官が導入される。日本では始めての試みで赤堀涼子という学者により、一課の岩楯警部補と鰐川は昆虫学の力を存分に知らされるのだった。さらにハッピーファームという怪しい団体が浮かんでくる。

殺害現場と時刻の特定に、虫の存在が絡む初めてのストーリーでした。虫が苦手のわたしですが、突き放した客観的な分析で救われます。川瀬さん、前作から格段にうまくなりました。全体の構成、細部の調査、捜査官たちの心理も多少の揶揄も込めて軽く描きながら、ラストでしっかりとまとめてスマートです。できれば虫はシリーズ化しないで、他の作品を書いてほしいです。

川瀬七緒

「水底の棘」

法医昆虫学者の赤堀涼子は、東京湾・荒川河口の中州で遺体を発見した。虫や動物による損傷が激しく、身元特定は困難を極めた。捜査本部の岩楯警部補と鰐川は、被害者の所持品の割柄ドライバーや上腕に彫られた変った刺青から、捜査を開始。赤堀は自分の見解を裏付けるべく科研から手に入れた微物「虫の前脚や棘」によって推理を重ねていった。

赤堀の強烈な個性感が相変わらずで、好感度です。岩楯と鰐川もキャラ立ちしています。どの手がかりからどんな展開になるのかが、楽しめます。虫嫌いのわたしが読めるのは慣れのせいでしょうか。川から海へと捜査が広がり、ラストは少し物足りなかった感じがします。悪が弱く、悪者に徹していない犯人像を、もっとえぐり出してほしいです。

川瀬七緒

「桃の木坂互助会」

のどかだった町は、移り住んできたよそ者たちの度重なるトラブルに頭を抱えていた。桃ノ木坂互助会会長の元海自曹長・光太郎は、町に害を及ぼす人物を仲間たちとともに次々と町から追放する。次のターゲットは、大家とトラブルを起こしていた武藤だった。だが男を狙っていたのは光太郎たちだけではなかった。「幽霊代行コンサルタント」の沙月は、DV元夫のストーカー行為に悩む女性から、代行依頼を受けていた。対象者の隣に部屋を借り、動きを監視していたのが武藤だ。

悪を「排除」することが「正義」なのかという深い認識のないシニアの作戦が、一線を越えようとする危うさにはらはらします。タッチが重く、ストーリー展開と微妙に合わないのは、新しい分野への気負いか、元から身に付いている真実を見極めようとする資質でしょうか。もう少し軽めのエンタメにした方がよかったかも知れません。

川瀬七緒

「よろずのことに気をつけよ」

殺された被害者の孫・大学生の佐倉真由が、文化人類学を研究を専門にする文化人類学者・仲澤に調査を依頼する。変死体のそばで見つかった「呪術符」を手がかりに、殺人事件の真相に迫っていく。

タイトルに引かれて手に取りました。怨念・呪詛という分野は苦手だったのですが、コーヒー好きな仲澤の軽妙なキャラでつい読まされてしまいました。構成や展開はよくあるパターンを抜けきれません。強引なラストの幕引きも「昼ドラ」には合うかも知れない印象です。デビュー作ですから、これからに期待というところです。

上遠野浩平

「アウトギャップの無限試算」

生命と同等の価値のあるものを盗む「ペイパーカット」の予告状が投稿動画サイトにアップされた。手品の一場面だった。サーカム保険の調査員・伊佐俊一と千条雅人は演技者を訪ねた。だが、そのマジシャンは「ペイパーカットの秘密はいただく」という不敵な宣言を残し姿を消す。やがて男は密かにマジックショーを企画していた。狙いは何か。浮上する伝説の歌手との因縁。謎の怪盗と男の関係は。ライバルの女手品師、トリック作りの天才少年も巻き込み、世紀のマジックショーの幕が開いた。

なぜ手品をするのか、見たがるのか、マジック好きなわたしにとって、裏側の心理や人間関係がとてもおもしろかったです。演ずる側の心の迷いや、プライド、大人以上にすべてを見据えている天才少年も、女手品師の変化も、キャラ立ちしています。最近活躍しているマジシャンの、仕掛けが見えてしまうことにシラケていたのですが、別な視点で見直してみたいです。

上遠野浩平

「私と悪魔の100の問答」

高校生の紅葉は、親の事業が失敗してマスコミに叩かれ世界のすべてが敵に回っていたときに、人形のハズレ君(シンプルハート)と、助ける代わりに100の質問に答える契約をした。常識的な思考回路の紅葉は、意味のわからない質問に振り回される。

悪魔との一方的な会話なので深く考えると意味不明ですが、読み進めるうちに自分の価値観や判断基準の、根拠を探りたくなってしまいます。人形のハズレ君の怪しい動きと、だからこそ操作する者の存在に引きつけられてしまいました。友人の舞惟(まい)の不思議と、ラストの急展開と、オチが印象に残ります。おもしろいです。

上遠野浩平

「酸素は鏡に映らない」

「それはどこにでもある、ありふれた酸素のようなものだ。もしも、それを踏みにじることを恐れなければ、君もまた世界の支配者になれる」ひとけのない公園で、奇妙な男オキシジェンが少年・健輔に語る、その裏に隠されているものとはなにか。宝物の金貨、未来への鍵、禁断の邪悪な扉を開けてしまう。

ちょっと寂しい姉弟と、謎の男が巡り会い「ゴーシュ」の秘宝を探し求めて、不思議な冒険をする物語です。うらぶれた公園のブランコがきしむ音、鏡に囲まれた不思議な美術館の空気が印象に残ります。ストーリー的には少年の視点から描かれるためシンプルですが、しかけを楽しめました。文章に煩わしくルビをつけているのは読者年齢が小学生設定なのでしょうか。多少文章の粗さはありますが、次の作品を読んでみたいです。

上遠野浩平

「ぼくらは虚空に夜を視る」

普通の学生のはずの兵吾は、底無しの空間が永遠に広がる絶対真空の虚空で、戦争するハメになった。無限に襲いくる敵を、兵吾が駆る超光速戦闘機(ナイトウォッチ)で倒さねば、人類は終りだというのだ。「精神安定機能によって視ている世界」の外で活動している本当の人類が、宇宙で戦争をしている。ますます混乱する兵吾の前に現れたのは、悪夢のような「虚空牙」と呼ばれる侵略者と、人間に科せられた苛烈で空虚な現実だった。

上遠野さんらしい、きちんとした描写は人間の中にある大切なものに触れてきます。SFという設定ではあるのですが、描かれている姿は凛としています。このシリーズから入る人は、別なおもしろさがあるかも知れません。

河合莞爾

「デビル・イン・ヘブン」

2020年、世界的なスポーツの祭典と同時に創設された「カジノ特区」で、雑居ビルから老人が転落死する。現場には「黒い天使」のトランプが落ちていた。刑事・諏訪は犯罪と見て謎を追うが、直後、カジノ特区「聖洲署」への異動命令が出て捜査できなくなる。聳えるタワー、巨大歓楽街、謎の自衛集団、死神と呼ばれる男、そして青眼の天才ギャンブラーの伝説などの暗部には、巨大な悪意がうごめいていた。君臨する「天使」に審判の刃を向けるべく、凶弾迫る中、刑事・諏訪は汚濁の檻に挑む。

まるで8年後の東京オリンピックを、想定して書かれた作品のようです。高齢化した老人たちからお金を吸い上げ、底なしに貸し付ける金融機関、闇金融への資金提供する仕組みなど、じつにうまくできています。現にカジノまでは行かないけれどゲームセンターやパチンコなどに、ハマっている高齢者たちがいるの聞きます。高支持率の政府と新都知事がどういう政策を持っていくのか、現実になっていきそうで薄ら寒くりました。おもしろい作家ですね。

門井慶喜

「おさがしの本は」

和久山隆彦は図書館のレファレンス・カウンターだ。利用者の依頼で本を探し出すのが仕事だが、行政や利用者への不満から、無力感に苛まれる日々を送っていた。「シンリン太郎」と読み間違えてくる学生に、「森 林太郎=森鴎外」だと話し、卒論資料集めの相談に乗る。だが後日学生から「林 森太郎」という作家だったと知らされ、本の奥深さを思い知らされる。ある日、財政難による図書館廃止が噂され、和久山の心に仕事への情熱が再びわき上がってくる。

本への造詣の深さがプライドとなる和久山が、少しユーモラスなキャラの作品です。市議会での図書館廃議案の参考人招致で、図書館の必要性を説くシーンが山場で楽しめます。思いがけない展開をしてみせるのです。素直に本が好きなのです。図書館の必要性やあり方を、ちょっぴり考えさせられます。

川村元気

「世界から猫が消えたなら」

30歳郵便配達員。余命あとわずかだった。アロハを着た陽気な悪魔が現れ、僕の周りにあるものと引き換えに1日の命を与えると言う。僕と猫と陽気な悪魔の摩訶不思議な7日間がはじまった。今日もし突然、チョコレートが消えたなら、電話が消えたなら、映画が消えたなら、時計が消えたなら、猫が消えたら、そして僕が消えたなら。世界はどう変化し、人は何を得て、何を失うのか。

タイトルの「猫」に反応して読んでしまいました。まずは電話が消え、携帯電話のない電車に乗り彼女に会いにいきます。彼女との1,000時間の携帯での会話で繋がっていた心が、なぜ壊れたのかを映画で思い出します。次に消すのは映画です。というふうに、けれど一緒に暮らしてきた猫はどうしても消すことができません。軽いタッチの笑いの中に大事な涙があり、生きることがどんなにすばらしいかを、死の間際にようやく知る主人公に、思わず「よかった」と言いたくなります。自分が死ぬ時は「おもしろい人生だったよ」と、言い残したいです。

河合二湖

「バターサンドの夜」

学校の友人や両親、祖父との近づけない距離感で息苦しい中学生の明音の心の支えは、「ロシア革命」のアニメの主人公の衣装を着て戦うことだった。自分を変えたい明音に、智美から「モデルやらないか」と誘いの声がかけられた。明音は、一人でブランドを立ち上げようとする智美に、つい手助けをしてしてしまう。

弁当を食べるのにもグループがある、学校の様子が読んでいても息が詰まりそうです。一人暮らしの祖父との、わかりあえる空気が救いです。アニメの衣装を着たいために、胸にさらしを巻くシーンはつらいです。家族を含めた人間関係の中で、痛い目に遭いながらも大切にすべきものを見極めていく姿勢がいいですね。わたしの、自己嫌悪と自意識過剰を持て余していた頃が甦ります。

河合二湖

「深海魚チルドレン」

中学入学とともに襲ってきた「尿意」との、孤独なたたかいをつづける真帆は、ずっと親友だと思っていた美園ともなんとなく離れていく。ふと目にした丘の裏に立つ小さな喫茶店「深海」に出会い、引き寄せられていく。店主の素子さん、写真を撮る娘のナオミ、裏山から貝を掘り出す幼いユウタくんと、心地よいときを過ごす。

全体が深海にたゆたう空気感が、詩のようです。少ない文章の間に、揺れ動く中学生の繊細な心の動きが浮かんできます。押し付けたり過剰に語らないから生まれる、不思議と、奇跡の関係と、わずかな時間が、宝石のようです。コーヒーとチョコレートケーキがおいしそうで困りました。こんな喫茶店に入ってみたいです。

風野潮

「クリスタルエッジ 決戦・全日本へ!」

母に反対されながらも、和真はフィギュア・スケートを続けていた。無口な和真が唯一自分を表現できるのが氷の上だった。非凡な才能に気がついた桜沢コーチは、和真を自分の家に居候させ、1年以内に大会で優勝できなかったらスケートをやめさせると約束した。そして、約束の1年の期限の迫った大会が迫る。

フィギュア・スケート好きとしては、読みたいと思って手に取りました。ただシリーズ(3)という途中の作品のためか、感情移入ができませんでした。よく見聞きするスケートの裏話を、読みやすく物語にしたという印象です。いい人ばかりで「悪意」の欠片もない設定が、スベってしまうのでしょう。

木地雅映子

【氷の海のガレオン/オルタ】

11歳の斉木杉子は、クラスの中で浮いている。嫌な級長役を押し付けられるのは、いつものことで、慣れっこだ。休憩時間は、一人で本を読むことにしている。だが、いじめられっこのまりかが、すり寄ってくる。音学教師の多恵子さんが、唯一同じ言葉でわかりあえた。家に帰ると、兄の周防、弟のスズキ、庭の畑で野菜作りをするママと、どんな仕事をしているのか不明なパパ。不思議な家族だ。家の中には両親が集めた、図書室もある。そして杉子が気持ちを開いて語りかけるのは、庭の木「ハロウ」だった。

<わたしはわたしの言葉を、文学とパパとママの言葉で培ってきた。考えごとも、すべてはその言葉たちで組み立てられる>・・・(引用)

杉子のこの部分が、ずっとわたしの中にあった周囲との違和感でした。文学の世界の言葉が、わたしの言葉だったのです。同じ世界の匂いの本と出会うと、イタかった過去と向き合うことになります。

玄侑宗久

「阿修羅」

精神科医・杉本が担当していた、軽いうつ傾向の実佐子が夫の知彦と旅行に行った南の島で、友美と名乗る別人格が現れ霊能者に会う予定だという。危険と判断した杉本は、臨床医師を目指している娘の沙也佳と島に向かった。そこは亡くなった妻との思い出の島でもあった。実佐子と話すうち、奔放な友美のほかに落ち着いた絵里という人格も現れた。子どもの頃に何があったのかを慎重に探り出していく。

幾つもの人格が解離し、しかも同居する「解離性同一性障害」という心の病いを奇病扱いせず、丁寧に描いています。この材料の小説はいくつか読んでいますが、医師がさまざまな思考方法で、記憶と意識、情念と無意識の人間の心の不思議を、真摯に受け止めている点が好感が持てます。医師も夫も、妻との関係をより深く考察する辺りも、作品に深みを作っています。ラストはうまくまとめ過ぎているようには思いますが、これはこれで作者はテーマを描ききったのではないかと思います。

貴志祐介

「新世界より 上・下」

新世界220年。早季は遅れたが呪術を身につけ、好きな瞬たちと同じ上の全人学級へ入学できた。町長の父も図書館司書の母も喜んだ。幼い頃から子どもたちは悪魔と業魔の教訓を教えられ、決して町周囲の八丁標から出ては行けないと知っている。それでも日常的にはバケネズミやフクロウシ、風船犬を見かける。早季はいつも瞬、真理亜、覚、守の5人で、夏季キャンプも一緒に行動した。八丁標から出て利根川を下るうち、図書館の備品だと名乗るミノシロモドキをつかまえ、全く知らなかった暗黒の人間の歴史を知ることになった。それでも平和な暮らしは続き、町をあげての夏祭りを迎える。だが悪魔と業魔が策を弄した地獄が待っていた。

魔の世界という分野の作品として2作目です。こんなに引きつけられて読むのはなぜだろうと、途中何度も自分に問いかけてしまいました。想像力が刺激され、容赦のない殺傷も壮大な仕掛けもあっさりと受け入れてしまうのです。基点がどこにでもいそうな人間くささと、呪術との落差もおもしろいです。そして地獄の戦いを戦い抜いた後に見えてくる、絶望的な人間としう存在に残されているわずかな希望や未来のほの明るさに救われるのです。おもしろいですね。

貴志祐介

「ダークゾーン」

情報科学部学生で日本将棋連盟奨励会に属する、プロ棋士の卵である塚田は闇の中で覚醒した、十七人の仲間とともに。場所も状況もわからぬうちに始まった壮絶な闘いは、人間が異形と化した駒となる。闇の中、廃墟の島で続く戦いの、奇妙な戦術条件、昇格による強力化、七番勝負などは、将棋に似ていた。現実世界との連関が見えぬまま、赤軍を率いる塚田は、五分で迎えた第五局を知略の応酬の末に失い、全駒が昇格する狂瀾のステージと化した第六局は、長期戦の末、引き分けとなった。果たして生きて帰れるのか。

プロ棋士を目指す現実世界の戦いと、ダークゾーンでの戦いがクロスし、次第にその全容が見えてくるという展開は、やはりうまいです。将棋をほとんど知らなくても、引き込まれて読ませます。バトルの激しさと、考えて戦陣を組むなどの知的な要素もあり、おそらくゲーム好きにはたまらないと思います。わたしには少し重過ぎましたが。

貴志祐介

「悪の教典 上・下」

学校という閉鎖空間に放たれた殺人鬼は、高いIQと熱意のある教師の顔を持っていた。生徒からも同僚や校長からも絶大な人気と信頼を誇る英語教師・蓮實(愛称=ハスミン)は、生徒の悩みを解決し、学校のため、可愛いクラスの生徒たちのため一生懸命にやっている。スポーツもでき頭脳は明晰、他人の心理をよく読み要領よく立ち回り、人を操ることにたけている。だが毎朝、家の庭でうるさく鳴いていたカラスを、何の躊躇いもなく殺す。

蓮實の視線で物語は描かれます。頼れる教師なのだけれど、ちょっとした行動に読者は次第に疑惑を感じていきます。刹那的行動が目立ち、他人の痛みを自分の痛みとして感じることが出来ないのです。ただ持ち前の頭脳で心理学を研究し、ある状況下において最も効果的に自分を見せることの出来る表情や仕草をとれるよう、自分を訓練したことに、違和感が募っていきます。『生徒を殺す自分』と『生徒のことを思っている自分』の間に齟齬を感じる能力が欠如している怖さが、背筋をじわじわ這い上ってきます。
サイコパスの気持ちになり切って描かれた、作品です。饒舌なまでの会話で繋いでいく展開の、文字の間から立ち上がってくる怖さがじわりと背筋を寒くさせます。構成は作者のたぶん強い意図で、計算されたキャラ設定があるのだろうと思いました。殺戮のシーンはまるでゲームのようです。見た目の厚さ440+410ページは結構な量がありそうでしたが、あっというまに読めます。エンタメとしておもしろかったです。

貴志祐介

「鍵のかかった部屋」

防犯コンサルタント榎本の本職は泥棒だ。天然系の弁護士・純子と二人で、依頼された事件の調査をする。

4編の短編集です。密室物の謎解きですが、小手先で進めるだけで人物像も心理も見えて来ず、だまされた気分です。やはり長編を読みたいなと思います。

貴志祐介

【硝子のハンマー】

警備システムが完ぺきなはずの、ロクセンビルの最上階。ベイリーフ社の社長が、殺害された。ゴンドラで窓拭きをしていた、清掃員が発見したのだ。エレベーターも暗証番号なしでは、フロアにすら上がれない。監視カメラ、警備員の監視。隣室の秘書や専務たちが、疑われた。だがそれぞれに、微妙にアリバイが成立するのだ。密室殺人を解決しようと、青砥弁護士は防犯コンサルタントの榎本に、相談を持ちかける。

時系列で各部屋の動きを描いていき、舞台劇のようなおもしろさがあります。榎本のキャラが怪しく、存在感あります。設定も、人間像も、なによりもミステリーとして、うまいです。「ll 章」の出だしが、流れを切ってしまうのが惜しいです。なかなか、力のある作家なのですね。

貴志祐介

「青の炎」

高校生の櫛森秀一は、電車代の節約のため愛車のロードレーサーで通学していた。家計を担う母と、妹の遥香との暮らしだった。そこへ母が10年前再婚しすぐに別れた曽根が突然、居座った。妹へまで手を出そうとする危険を感じた秀一は弁護士や警察にも相談するが、追い出すことができない。秀一は自らの手で曽根を葬る「ブリッツ」計画を立てた。完全犯罪を目指した。

10年前の作品で、いまさらという時期ですが読みました。学校での友人たちとのやりとりと、ガレージにこもり殺人計画の準備をすることのギャップが、新鮮でした。じつに細やかな心理描写がリアルで、それでいて危うさを感じさせます。読みながら、視点が秀一と同調してしまいます。気になったデティールがラストで、やはり明かされてしまいました。第2の殺人が必要だったのか。一人目の殺人の線を越えたとき、その時点で別な領域に入ってしまうのでしょうか。結末や殺人を肯定するわけではありませんが、うまい作家ですね。

貴志祐介

「狐火の家」

女性弁護士・純子と、防犯探偵・榎本が「密室」の謎を解いていく短編集です。硬質な文章が好きです。ただ、謎解きに力を入れて、人間像が掘り下げられていない感じがします。長編の見事さを思うと、どうも物足りなさが残ります。

貴志祐介

「天使の囀り(さえずり)」

死を恐れる傾向にある恋人で作家の高梨がアマゾン探検隊に参加し、精神科医・早苗のもとに現地人とのトラブルのメールが入った。心配する早苗の前に現れたのは、別人のようにポジティブで精力的になった高梨だった。だが小鳥のさえずりが聞こえるという、気になることを話した。そして大量の睡眠薬と酒を飲んで突然自殺してしまう。さらに探検隊の参加者が次々に不可解な死を選んでいく。アマゾンでなにがあったのか。早苗はジャーナリストの福家と連絡を取りながら、、調査を進めていく。

動物や薬剤に関する専門的な言葉が出てきますが、理解できるような描き方に工夫が見られます。ホラーは苦手なのですが、映像ではないので読み終えられました。どのキャラも丁寧に描かれ、取りこぼしもなく、ラストの微妙さに人間の心の危うさと正義を残すのも、効果的です。10年前の作品ではパソコン事情の変化が、多少古く感じさせてしまうのが惜しいです。現在のパソコンや通信事情が10年後どうなるかを予想して書くのは難しいでしょう。

貴志祐介

「黒い家」

若槻は生命保険会社の京都支社で、保険金の支払い査定に忙殺されていた。顧客の家に苦情で呼び出され、期せずして子供の首吊り死体の第一発見者になってしまう。ほどなく死亡保険金が請求されるが、顧客の不審な態度から他殺を確信していた若槻は、独自調査に乗り出す。

たまたま続いた保険金事件です。作家の初期の作品で、ホラー展開は一部分です。執拗に保険会社に来て支払いの催促をする男は、凶暴ではないから一層、いつ臨界点に達するかも知れない怖さを感じさせます。その妻の他者に対する心がない人間像というのは、なかなか強烈なキャラでした。何より怖いのは人間です。そんなことを考えさせられました。

貴志祐介

「クリムゾンの迷宮」

藤木はこの世のものとは思えない異様な光景のなかで目覚めた。視界一面を覆う、深紅色の奇岩の連なりだった。「火星の迷宮へようこそ」ゲームの表示で、開始された。9人が2〜3人でチームを組み、死を賭した戦慄のゼロサムゲーム。生き抜くためにどのアイテムを選ぶのか。その選択が明日の運命を決める。藤木はパートナーとなった大友藍とともに、ただひたすら状況を把握し、謎を解き、悩みながら、ひたすら生き残ることを目指す。

緻密に計算されたストーリーが、ぐいぐい引っ張っていきます。設定やデティールはいろんな本で読んでいるのに、全体として新鮮な驚きがあります。ポイントごとにゲットするもの、それを使い進んでいくRPGゲームは、アイテム一覧表やゲームブックなどの複線的なアイテムなどがあり、まさにゲームです。でもそこを駆け抜けるのは人間であり、さまざまな思惑のぶつかりが悲惨な状況を作ってしまいます。ゲームから抜けたいと切望してしまいます。貴志さん、おもしろいです。

北國浩二

「夏の魔法」

童話作家の夏希は9年ぶりに、少女の頃の思い出の島を訪れた。病気のため、22歳にも関わらず老婆にしか見えない体はガンの宣告も受けていて、もうすぐ人生を終えようとしていた。最後の作品も書き上げるつもりでパソコンも持ってきていた。かつての初恋の相手・洋人はたくましく聡明な青年になり、コテージでアルバイトをしていた。イルカを観光として賑わう島の美しさと、洋人との交流に願う哀しい思いとは。

年老いた体と、22歳の心の夏希の切ない思いに胸を打たれます。童話の持つ残酷さも知りながら、作品を仕上げようとする葛藤もうまく描かれています。洋人や島の人々の、やさしさも夢のようです。だからこそ、夏希の心に吹き上げた激しさが引き起こす、ラストの思いがけない展開が、単なる美しいストーリーで終わらせませんでした。年齢、体の外観を受け入れがたい精神年齢とのギャップ。まるで自分のことのように読んでしまいました。美しく、哀しく、切なく、けれど足元はしっかり地面を踏んでいる作家のようです。次作に期待したいです。

北國浩二

「リバース」

プロのバンドを目指すギタリストの省吾は、ライブの手応えを感じていた。だが恋人の美月は医師の篠塚と付き合い始め、あっさりと振られてしまう。心臓移植手術の募金に応じるやさしさもある美月を、忘れられなかった。美月の友人で心理カウンセラーの妙子は、そんな省吾に軽薄な女を忘れろと言う。だが連続殺人事件が起き、篠塚に疑いの目を向けた省吾は、すべてを投げ打って美月を守ろうとする。周囲からストーカー扱いされても、納得のいくまで止められなかった。そんな中、墓地で美月が襲われた。

未練たっぷりの省吾は、女性を見る目がないなと思いながら読んでいくと、心臓移植という大きなテーマも取り込んでしまいます。布石がちりばめられ、ラスト近くの犯人像と、そこからの捻りもあり頑張って書いていると思います。ミステリの定石を踏まえ、終わり方も美しいのですが、途中で先が読めてしまうのが残念です。でもおそらく大きく成長する作家だと思います。

北國浩二

「サニーサイド・スーサイド」

小此木は高校のカウンセラーだ。幼なじみのすみれが、生徒の誰かが自殺すると予言した。カウンセリング・ルームを訪れる、誰が死んでもおかしくないと小此木は思った。イボ発症でいじめを受け、心が壊れていく野球部の忍。モンスターペアレントの母親を抱えている秋穂。偉すぎる父親からのストレスに悩まされ、秀才の奴隷とされてしまう秀一。さらにはリスカ・マニアの友里。などなど。さまざまに苦悩する生徒たちに、自殺を止めようと推理するがまったく役に立たなかった。

モチベーションを上げるための予言は、設定には必要なかったかも知れません。現代のいじめの構造や、若者の不安感や不信感を徹底して描こうとしている姿勢が、いいと思います。読者を巧みにミスリードさせての、ラストのどんでん返しはうまいです。もっと解決までの過程を突っ込んでほしかったです。あっさりし過ぎたという、読者の欲張り願望です。「だれでもいいから、気づいてほしかった」というラストの言葉が、しんと胸にしみ込んできます。

北國浩二

「アンリアル」

命の恩人である兄に負い目を感じて生きてきた高校生・サトル。夢中になれることもなく、だらだらした日々を送っていたある日、兄が申し込んだ体感型オンラインゲーム「アンリアル」に一緒にログインすることにした。殺戮と戦いの坩堝である虚構の世界の予想以上のリアルさに次第にハマっていく2人だが、ある村でサトルはノンプレイヤーキャラクターでありながら「心」を持ってしまった謎の少女・イーヴと出逢う。彼女は「ハートホルダー」と呼ばれる存在だった。「イーヴ狩り」を目論む兄たちから、サトルは彼女を守ろうと決意するが・・。

リアルでの暮らしと、ゲーム内でのストーリーが交差していく描き方が、シンプルでわかりやすいです。サトルが冷静にゲームの世界だと認識していながら、その中での「心を殺すのは人間として犯罪なのか」と考えていくところが、リアル世界に通じる視線を感じさせます。理論的な構築をしてしまい、破天荒な面白みに欠け、たぶん本格的なゲーマーには物足りない作品かも知れません。

北國浩二

「ルドルフ・カイヨワの憂鬱」

新生児に先天的な脳障害を引き起こす新種のゲノム・ウイルスによって、甚大な被害を被ったアメリカでは、自然出産を禁止し、体外受精や胎児のDNAスクリーニングが義務化されようとしていた。そんな中、遺伝子関連問題を専門に扱う弁護士ルドルフ・カイヨワは、ある病院の不正卵採取疑惑を調査するうちに、大きな陰謀に突き当たることとなった。彼は友人の私立探偵オタや、依頼人の美女ローラらとともに謎に迫るが、やがて自らの出生にまつわる秘密にもかかわることとなっていく。

SFというよりミステリっぽさがあります。近未来を描きながら、着々と進化している先進医療も先にあるものをリアルに描いています。天才ハッカーだった教授や9.11貿易センタービルの同時多発テロ なども登場し、うまく機能させています。なかなか深い思索と作者の強い思い入れを感じさせます。

北國浩二

「嘘」

絵本作家の里谷千紗子は、かつて幼い息子を水難事故でなくした。父・孝蔵との間には確執があり、絶縁状態にあったが、認知症になったため、田舎に戻ってしぶしぶ介護をはじめることになった。久しぶりに再会した旧友・久江と町で飲んだ帰り道、久江が少年を車ではねてしまう。久江の飲酒運転をかばうため、千紗子は少年を家に連れ帰った。だが記憶を失った少年の身体に虐待の跡を見つけた千紗子は、自分の子供として育てることを決意し、認知症が進行する父親の三人の生活は、豊かな自然のなかで新しい家族のかたちを育んでいく。

ひとつの「嘘」によってはじまる少年と千紗子と久江の設定が、ありきたりで新鮮味に欠けます。父親の描き方も深くはなく、どの登場人物にもドラマによくある類型的なキャラで、途中で読むのを何度か考えました。ただこの作家にいままで期待してきたので、なんとか読み終えましたが、ラストも想定内という残念な結果でした。次作は読まないと思います。

北林一光

「ファントム・ピークス」

半年前に失踪した妻の頭蓋骨が見つかり、周平は絶望していた。しかし、なぜあれほど用心深かった妻が、山で遭難し、しかも現場と思われていた場所から、遙かに離れた場所で発見されたのか。さらに沢で写真を撮っていた女性が、恋人が一瞬目を離した隙に行方不明になる事件が発生した。妻の事故との類似点に気づいた周平は、捜索を手伝う。だが恐怖の連鎖のきっかけに過ぎず、次々と起こる惨劇が人間をあざ笑う。山に潜む凶悪なモンスターとは・・・。

著者の自然への造詣と経験を活かしたストーリーです。ただ、早い時点で結末がわかってしまい、安曇野の山と動物を映像化したかったのだろうと思いますが、ミステリとしてもパニックものとしても新鮮みに欠けました。

木内昇

「茗荷谷の猫」

江戸時代の染井吉野の桜造りに心傾ける植木職人、乱歩に惹かれ世間から逃れ続ける四十男、開戦前の浅草で新しい映画を夢見る青年。それぞれが自分の理想に近づこうと必死に生きる。幕末の江戸から昭和の東京を舞台に、百年の時を超えて、名もなき9人の夢や挫折が交錯し廻り合う。

思い込みの激しさや奇行とも見える強烈な個性が、この時代ならではの書き割りに合っていると思います。ただ、とても重くて暗いのです。途中で投げ出そうかと思いながら、展開のうまさと文章力に引っ張られました。時代劇は手が出せませんが、おもしろいかも知れません。

黒川博行

「後妻業」

91歳の耕造は妻に先立たれ、69歳の小夜子を後妻に迎えていたが、実は内縁の妻だった。住民票を移して、家具を搬入。親戚、近所に顔見せすることにより内縁の事実を確定させていた。耕造が倒れ、小夜子は結婚相談所の柏木と結託して早々に耕造の預金を引き出す。さらに公正証書遺言を盾に、遺産のほぼすべてを相続すると耕造の娘たちに宣言した。娘の知り合いの弁護士が調査員に調査を依頼することで、小夜子と柏木のとんでもない犯罪歴が明るみに出てくる。

黒川氏の無駄のない筆致と、大阪弁のユーモア感が一致して、キャラ立ちがうまいです。結婚相談所の元マル暴刑事の調査員が詐欺事件を追い詰めていく過程も、罪の意識のない女のふてぶてしさがいっそ気持ちがいいです。それにしても現実が小説を越えていると思う日々です。

黒川博行

「繚乱」

大阪府警を追われたかつてのマル暴担当刑事、堀内と伊達。競売専門の不動産会社で働く伊達に誘われ、東京で暇を持て余していた堀内は、大阪へと舞い戻る。再びコンビを組み、競売に出る巨大パチンコ店「ニューパルテノン」を調べるふたりは、利権をむさぼる悪党たちとシノギを削ることに。警察OB、ヤクザ、腐敗刑事を敵に回し、ふたりは大阪を駆け抜ける。

しばらく作者と離れていましたが「後妻業」がおもしろく、他の作品も読んでみようと思いました。けれど多少期待したものとの温度差を感じてしまいました。暴力が日常にあり過ぎて読み進めるのがわたしには辛かったです。構成も展開もキャラも文句の着けようがありません。こういう路線で確立しているのですね。単にわたしと肌が合わなかったとしか言えません。あとは読まないと思います。

黒川博行

「悪果」

堀内は防犯課の刑事として上昇志向もすでに失い、情報屋から多少の旨味ももらい餌も撒き、小さな事件を解決していた。二つの暴力団がらみの賭博情報をつかんだ。これで上手くいけば、美味しい金額を手に入れられると踏んだ。

正義感や矜持もなくした刑事の、末路は哀れです。作家の意図する情報を得るための餌撒きや繋がりに、何を書こうとしたのでしょうか。シリーズ1作目だそうです。5作目で直木賞受賞だそうですが、たぶん手に取ることはないでしょう。

黒川博行

「離れ折紙」

遺品整理のお礼にアールヌーヴォー期のガラスレリーフを貰った洛鷹美術館の澤井は、ひと商売思いつく。・・『唐獅子硝子』
刀剣収集が趣味の医者・伊地知は、パチンコ屋の徳山から、刀を担保に金を貸してほしいと頼まれるが・・『離れ折紙』
大阪の骨董通りに店を構える立石には、素性不明だが、持ち込むものは逸品ばかりの仕入れ先がいた。・・・『老松ぼっくり』

6編の短編集です。骨董の世界の、真贋を逆手に商売をする古美術商人たちが、自分も騙された時にどういう行動に移るかが興味深いです。更に自分が騙す側に回り、けれどその上をいくものたちだけが、大金を手にしていきます。人を食ったような軽妙さがあります。作者の中ではごく軽い作品です。

熊谷達也

「調律師」

成瀬玲司は国際コンクールで優勝し世界で活躍するピアニストだったが、10年前の交通事故で引退しピアノ調律師で生計を立てていた。成瀬は、音を聴くことによって香りを感じる「共感覚」を持つ。「共感覚」は、もとは色で見えていたが、同じ「共感覚」の調律師だった妻の死後に、香りとして認識する変化が起きたのだ。学校や家庭の嫌な匂いを持つピアノに向かうと、的確な微調整ができる他に演奏者の心の陰にも気付き、アドバイスができた。ただ所属事務所からはコンサートチューナーとしての、仕事を期待されていたが、あえて避けてきた。それでも断り切れなく向かった仙台で、大事故と遭遇する。

ごく限られた人間が持つ色の「共感覚」は知っていました。設定がおもしろいのは、静かに調律をしている中でピアノを弾いている人間の心も、感じ取るところだと思います。単に正確な周波数に合わせるのではない、小さなドラマがあるのです。成瀬自身も抱えている心の内が、1台づつのピアノと共に変化していく過程が丁寧に描かれています。きちんと人間を見つめる作者だから、執筆の途中に起きた東日本大震災で、作者も内容を変更せざるを得なかった、というのも納得できます。いい作品です。

梓崎優

「リバーサイド・チルドレン」

カンボジアの地を彷徨う日本人少年・ミサキは、現地のストリートチルドレン・ヴェニィに拾われた。「迷惑はな、かけるものなんだよ」過酷な環境下でも、そこには仲間がいて、笑いがあり、信頼があった。しかし、ゴミの山からペットボトルや空き缶を拾い集めた、ささやかなお金で得られる安息は、突然破られる。動機不明の連続殺人が彼らを襲う。日本のホームの職員や名前も知らない旅人からのヒントで、ミサキが苦難の果てに辿り着いた真相とは、決して夢ではなく現実だった。

デビュー作から3年待った甲斐がありました。ミステリ・フロンティアの海外ものを思わせる、空気感と展開や文章は、次作でどんな変貌を遂げるか期待が持てます。また3年待ちはちょっと辛いですが、本人が納得できる作品を読みたいです。大胆でいながら怯えて暮らす少年たちの一人一人が描き分けられ、ちょっとしたあだ名を付けて、ミサキは結束を固めます。実の父との離別の理由には少し無理があると思いますが、ミステリとして骨の太さを感じさせます。よく取材をしている中で、得たものは大きかったのではないでしょうか。

垣谷美雨

「七十歳死亡法案、可決」

高齢者が国民の3割を超え、破綻寸前の日本政府は「70歳死亡法案」を強行採決。施行まで二年、東洋子は喜びを噛み締めていた。我侭放題の義母の介護に追われた15年間。自分勝手な夫、引きこもりの息子、無関心な娘。ようやく義母の介護から解放される喜びが、思わぬ方向に進む。早期退職し、夫は友人と世界一周旅行に行くと。

国民が自主的に年金返上、子どもたちへの寄附、医療費全額負担宣言、ボランティアなどの自然発生的なシステムができていくのがいいですね。仕掛人もいて、ほくそ笑んでいます。かつてのキャリアを忘れていた東洋子が、家を出て仕事を始めると、家族が変わっていきます。笑って読ませる早い展開と、法案のラストがありそうでおもしろいです。

河野裕

「最良の嘘の最後のひと言」

世界的な大企業・ハルウィンが「年収8000万で超能力者をひとり採用する」という告知を出した。審査を経て自称超能力者の7名が、前日の夜に街中で行われる最終試験に臨むことに。ある目的のために参加した大学生・市倉は、同じ参加者の少女・日比野と組み、「No.1」の持つ採用通知書を奪うため、策略を駆使して騙し合いに挑む。他メンバーも組んだり離れたり騙し合いとなる。

支給されたスマホの指示で動きつつ、誰かのスマホを奪い破壊するか。入社できなくても希望額をもらうことで降りるか。さまざまな思惑で動くメンバーたちが、スマホに監視されてもいるのです。真の目的は別にあるのではないかと思わせ、スピード感のある展開でした。超能力を使い過ぎず、高感度の持てるラノベでした。人間像の深さがもっとあったら本格小説として評価したいところです。

河野裕

「汚れた赤を恋と呼ぶんだ」

夏休みの終わりに、真辺由宇と運命的な再会を果たした七草は「あなたは引き算の魔女を知っていますか」彼女からのメールをきっかけに、魔女の噂を追い始める。高校生と、魔女。ありえない組み合わせが、確かな実感を伴って七草と真辺の関係を侵食していく。一方、その渦中に現れた謎の少女・安達。現実世界における事件の真相が明らかになっていく。

ラノベとして軽く楽しめました。どこかつかみ処のないキャラも、ストーリーも、展開も全部受け入れて読むしかありません。読み終わってなにも残りませんでした。

香月日輪

「地獄堂霊界通信 ワルガキ、幽霊にびびる!」

小学生ワルガキトリオと言われる、てつし、リョーチン、椎名は、授業はさぼってイタズラし放題だった。だが通称「地獄堂」のおやじと親しくなるうち、もらった呪札や力で、幽霊や妖怪どもとたたかうことになった。

桜の木の下の死体の発見は、ありそうでおもしろいツカミです。近所の夫婦とその子どもをめぐるトラブルは、子どもの視点で描きながら、人間の心の奥の怖さがあります。香月さんの初期の作品ですが、すごいです。さかのぼってもう少し読んでみたいと思います。

香月日輪

「僕とおじいちゃんと魔法の塔(1)」

小学六年の龍神(たつみ)は、公務員の父、優しい母、テニスも作文も表彰される弟、少し勝ち気だが礼儀正しい妹という中で平和に暮らしていた。ただ、かすかな違和感を持ちながらだった。そんな龍神は、岬にたたずむお化け屋敷のような塔を見つける。鎖と南京錠で封印されていたのにすっと入ることができ、そこには亡くなったおじいちゃん・秀士郎と犬が住んでいた。バンダナを巻いた袴姿は若くてかっこよく、犬は使い魔ギルバルスだった。塔は彫刻家のおじいちゃんや情熱に萌えた芸術家たちが建てた壮大な屋敷で、膨大な蔵書にも魅せられた。

龍神はこれまで正しいと信じていた親の言う事、学校が決めた事、それらが本当に正しいのか、疑問を持ち始めます。自分のやりたいこと、夢を持つことを知り、家を離れ塔で暮らすことにします。読みながら、作者の直球がきもちよく胸に届き、わくわくしました。

香月日輪

「僕とおじいちゃんと魔法の塔(2)」

幽霊のおじいちゃんと4度目の春を迎えた龍神は、高校に合格し親友の信久とのんびり春休みを塔で過ごそうとしていた。だが、塔に予想もしないはた迷惑なお客があらわれる。魔女のエスペロスに魔道士、仮面の旅人、そして幽霊たち。女の子の姿のエスペロスは、すっかり塔の暮らしが気に入り滞在することになった。

絵を描き始めた龍神は、腕を上げていきます。塔で起きるありえないすべてを、笑い飛ばし受け入れる術も身につけていきます。それが心を広くしていくのです。

香月日輪

「僕とおじいちゃんと魔法の塔(3)」

女の子の姿の魔女、世界を壊せるくらいの力を持っているらしい。だがエスペロスは龍神や親友の信久と同じ高校に通いたいと言い出した。成績優秀で美貌のエスペロスが、羨望と妬みを集め次々に事件を起こしていく。

騒ぎに巻き込まれながら、人の心の痛みや苦しみをわかっていく龍神の姿がうらやましくなります。採れたばかりの野菜を使った食事のおいしそうな描写は、人間に必要なものとは何か、その大切さをシンプルに伝えてくれます。

香月日輪

「僕とおじいちゃんと魔法の塔(4)」

幽霊のおじいちゃんや、魔女のエスペロスと不思議な塔で暮らしている龍神のもとに、夏休みの弟の和人と妹・晶子がやってきた。晶子はエスペロスと、ピアノを弾く一色雅弥に夢中になってしまう。だが和人は屋敷を散歩しているうちに、秘密の部屋に入ってしまった。魔法陣で出遭ったものとは。

シリーズ化が決まった第1回というせいか、いままでの設定の説明が多かったのが残念です。本格的に進むのは5巻以降になりそうです。作者の立ち位置の確認かも知れません。どの巻も食べ物がおいしそうなのは、食べることが好きな作家だからなのだろうと思います。

香月日輪

「妖怪アパートの幽雅な日常-1」

講談社文庫

2011.3.24

十三歳で両親を失った稲葉夕士は、親戚の家で暮らしているがなんとか煩わしさから逃れようと、高校進学で入寮予定だった。だが寮の焼失で臨時に入ったのは、人呼んで「妖怪アパート」だった。共同浴場は地下洞窟にこんこんと湧く温泉。とてつもなくうまいご飯を作ってくれる、「手首だけの」賄いのるり子さんを始めとする怪し気な住人たち。次々と目の当たりにする非日常を前に、夕士の今までの常識と知識は砕け散る。

愛おしくせつなくなる妖怪たちの、この世に残した思いと、笑うしかない状況の中で次第に笑顔を取り戻していく夕士の心の動きに、胸が熱くなります。生きる上で大切なことを、真っすぐに伝えてきます。こんな作家がいたのですね。新しい出会いです。シリーズ物なのでいくつか読んでみたいと思います。

香月日輪

「妖怪アパートの幽雅な日常-2」

妖怪アパートで再び暮らし始めた夕士は、親友・長谷を招待し住人たちと引き合わせる。古本屋が持って来た魔道書から飛び出した「フール」は、「なんなりとご命令を、ご主人様」と夕士に付き従うことになる。封印の解かれ現れた22匹の妖魔たちは、なんとも力不足だった。だが秘めた力に気づいた夕士に、除霊士の秋音は「霊力アップのトレーニングよ。春休みの間は集中特訓ね」と、かわいい顔で言う。

引き続きの住人たちの魅力に加え、父の会社を「乗っ取る」と豪語する親友・長谷のキャラも魅力的です。ずっと親友だったが、初めて知るお互いの思いに照れますが、ほんわかとやさしい気持ちになります。いいですね。このシリーズは、楽しいです。

香月日輪

「妖怪アパートの幽雅な日常-3」

「魔道書」に封じ込められた妖魔たちの使い手となった夕士。だが使えない妖魔揃いで、現実離れした日々ながら将来の夢は手堅く公務員かビジネスマンは変わらない。そんな夕士が通う条東商業高校に幽霊話が起きる。プチ魔道書の助けを借りて、夕士は負のエネルギーの塊に取り込まれた教師を救う。

講堂横の部室の倉庫に出る怪しいものの正体を、放っておけない夕士が「フール」と妖怪の力で見極め、なんとか取り除くという展開が笑えます。田代たち女子生徒とのやりとりも楽しく、世界と自分との関係をちゃんと作って生きていく大切さをさりげなく感じさせます。このシリーズはわたしのツボにはまりました。 次を読むのが楽しみでワクワクしました。

香月日輪

「妖怪アパートの幽雅な日常-4」

夕士の高校二年の夏休みの、魔道士の修行がレベルアップされ、息も絶え絶えな日々を送っている。バイト先の運送会社でコミュニケーション不全の新入りに活を入れ、自殺未遂の小学生を説得したりと忙しい。アパートで起きるとてつもない超常現象に巻き込まれ、夏が終わる頃、世界はまたひとつ広がっている。

辛い修行と、そこを乗り越えた時の「悟り」の心境に、引かれます。自身の不安やバイト仲間を見て考えることを、妖怪アパートの人に話し、助言を得て成長していく姿も、素直に微笑ましいです。詩人や画家や龍さんは朝から飲んでいて、 親友の長谷も遊びに来て気持ちが触れ合います。るり子さんの料理もやっぱり美味しそうです。親に愛されなかったクリの、無表情の中に見える表情が愛らしいです。

香月日輪

「妖怪アパートの幽雅な日常-5」

夕士の修行のレベルアップに伴って、妖怪アパートに滝が出現した。普通の高校生の生活では、英語教師・青木は上から目線の、一方的な同情を押し付けて来て、夕士はキレそうになる。そしてもう一人の超個性派の担任教師・千晶は、それとは逆の放任とも見えながら一線を引くかっこ良さに、生徒たちの熱い視線が集まる。

担任教師・千晶のかっこ良さと、貧血で倒れるギャップがお気に入りです。自分の価値基準を押し付ける英語教師のような人は、程度は違ってもよくいます。その底にあるものまで見極めていく視線の深さが、この物語のすばらしいところです。「フール」のかわいさも魅力で、わたしもほしいです。

香月日輪

「妖怪アパートの幽雅な日常-6」

夕士たちは、修学旅行でスキー場に出かけた。しかし宿泊先のホテルには、なにかが起こりそうな怪しい気配があった。体調不良者の続出、客室の怪奇現象、そして、やつれていく千晶先生。思い出作りの修学旅行は、とんでもないことになる。

夕士が見かねて、千晶先生に手を差し出し体調を改善する力が、誰にでもあったらいいですね。うらやましくなると同時に、残った怖い念と対決する厳しさは、半端な気持ちではできません。雪合戦のむじゃきな遊びに、救われます。

香月日輪

「妖怪アパートの幽雅な日常-7」

2学年末、条東商は3年生追い出し会の準備で盛り上がり、妖怪アパートでも秋音の送別会が開かれる。そんなある日、千晶先生の教え子の事件や、まり子さんの哀しい過去を知った夕士は、考える力をつけることや学ぶことの重要性に気づいていく。

人生の裏も表も知っている千晶先生が、とてもカッコいいです。追い出し会で見せる羽目になる、音楽の才能に拍手です。類は友を呼ぶという設定が、物語をふくらませていきます。

香月日輪

「妖怪アパートの幽雅な日常-8」

夕士と千晶先生、クラスメイトのいつものメンバーとが、ジュエリー展を見に行き強盗事件の人質になってしまう。千晶先生は傷を負いながらも生徒たちを逃そうとする。行き詰まった夕士が、力を使うかどうか決断を迫られる。

特別な力を持っても、すべてを解決できるわけではなく、自分のやれることに責任を持つことを学んでいきます。夕士がまた大きく成長していく姿が、まぶしいです。千晶先生もあこがれてしまいます。

香月日輪

「妖怪アパートの幽雅な日常-9」

高校最後の文化祭の出し物は、男子学生服喫茶に決まり、盛り上がる一方で、自分のノートに書かれた悪口を見つけた夕士は、クラスメイトの心の闇を知る。学校裏サイトにも不穏な空気が流れていた。

妬む心は必ず生まれるものなのですね。積極的に問題の生徒と関わろうとし、事前になにかしでかすことを避けようと努力する夕士も、決して友人の長谷くんに負けずにかっこ良くなってきました。

香月日輪

「妖怪アパートの幽雅な日常-10」

三年間の高校生活を過ごした夕士は、いよいよ卒業の春を迎える。長谷の亡くなった祖父の強烈な思いが家族を苦しめる。夕士と長谷、そして龍さんは力を出し合って、立ち向かっていく。

夕士と長谷くんとの友情、千晶先生とその友人たちの大人の友情、クラスメートたち。誰一人欠けていい人はいません。ラストらしい盛り上がりと顛末がさわやかです。作者のたくさんのメーッセージが胸に届きました。こういう本と出会えて、よかったです。印象に残った中で特に、「世界は、可能性は、無限にある」の言葉が好きです。

香月日輪

「このさき危険区域」

毎日通っている学校でも油断は禁物。廊下の暗がりや空き教室にはミステリアスがひそんでいる。この先、危険区域。

小さな危険と隣り合わせの異界のエピソード集です。手引書でしょう。

木内一裕

「藁の楯」

孫娘を暴行された上に殺された大富豪が、2人の少女を惨殺した犯人を殺したら10億円出すという賞金を出すという。リストラ、倒産、年間自殺者3万人。追いつめられた人間が日本中に溢れている中、公然と人を殺す「動機」を与えられ、一般市民から警察に至る全ての殺意が1人の男に向けられたとき、5人の警察官の孤独な戦いが始まった。

映画を意識して書かれたものだと思います。少ない文章と会話で展開させながら、最後まで読ませます。設定に無理はありますが、壮絶なバトルを描きたかったのだとすれば、アリだと思います。他の作品も読んでみたいです。

木内一裕

「アウト&アウト」

探偵見習いで元ヤクザの矢能が呼び出された先で出くわしたのは、依頼主の死体だった。妙な覆面を被った犯人の若い男は、銃に矢能の指紋を付けさせ窮地に追い込まれる。預かって同居している少女・栞の身にも危険が迫る。

深刻な状況やストリーにも関わらず、どこかユーモラスでスピード感のある展開でおもしろく読めました。複雑な人間関係の処理もうまいです。柔道やヤクザ組織の気負った名シーンも、軽く足下をすくってしまいます。あとに何も残らないのが、よくもあり悪しくもありでしょうか。

木内一裕

「バードドッグ」

日本最大の暴力団、菱口組系の組長が姿を消した。殺されているのは確実だが警察には届けられない。調査を依頼された元ヤクザの探偵・矢能。容疑者は動機充分のヤクザ達。内部犯行か抗争か。だが同じ頃、失踪に関わる一人の主婦も行方不明になっていることが発覚する。最も危険な探偵の、物騒な推理が始まる。

ヤクザから堅気になろうとしても、難題を持ちかけられ辛うじて探偵として動きます。養女・栞のためにその意志を貫く難しさと、愛情を感じていく矢能。明晰な頭脳と、感情に流されない論理的な行動が魅力です。 ラストの泣かせどころを忘れず入れる、作家プロ根性はしたたかです。

木内一裕

「不愉快犯」

人気ミステリー作家・成宮彰一郎の妻が行方不明になった。殺害の現場とされた潰れたビデオ販売店には、大量の血痕と成宮の靴跡が。「遺体なき殺人」の容疑で逮捕・起訴された成宮の「完全犯罪」プラン。天才作家が、警察、司法、マスコミを翻弄する。

状況証拠と自白に頼った犯罪。死体が発見されないままに起訴、裁判に持ち込むのは、警察側に無理があったりします。細かな点もかなりの雑と言っていいくらいの設定や展開ですが、おもしろさが勝っている勢いがあります。強引さが持ち味かも知れません。

木内一裕

「嘘ですけど、何か?」

女性編集者・水嶋亜希は、担当作家の抱えるトラブルを舌先三寸で丸め込み、相手を手玉に取る。エリート官僚街田隆介との出会いに酔いしれた亜希だが、街田は世間を騒がす新幹線爆破テロと美人看護師殺害事件に関与していた。甥の街田の不祥事の後始末をするのは、定年間際のベテラン刑事・柴田。 亜希が警察に通報すると、待っていたのは自分の逮捕だった。

亜希の行動や発言が溜飲が下がります。キャラ立ちがよかったです。あとの待田の薄っぺらな考え、刑事たちの軽薄さ、無理な展開や強引な展開もあるけれど、痛快に走り切るので楽しいです。

木内一裕

「神様の贈り物」

心を持たない殺し屋・チャンスは、裏社会では希有な殺人技術を持っていた。たまたま乗り合わせたバスで、ガソリンを撒いたバスジャック犯をボールペン一本で殺した。雑誌記者の知佳のペンだった。結果的に乗客を救ったため、ヒーローとしてマスコミから注目を浴びた。だが、それが原因で裏社会の「育ての親」に頭を撃たれる。死の淵から生還したチャンスは、世界が変わったことを知る。

くっきりとした登場人物たち、無駄を切り捨てた文章、余韻を残したラスト、久々にいい作品と巡り会えました。裏の社会も暗くなり過ぎず、それでいて冷徹な論理で行動する描写もうまいです。シャープな作風に好感を持ちました。

木内一裕

「水の中の犬」

探偵の元にやってきた田島純子は、恋人の山本浩一の弟にレイプされた。恋人には絶対に知られたくないが、望みは弟が死ぬことだった。追いつめられた純子の依頼を引き受けた探偵を襲うのは、悪意と暴力の連鎖だった。奇妙な繋がりの刑事や情報屋の協力も得て、巨大な暗闇に立ち向かい、それらは自身の封印された記憶を解き放つことになる。

痛め続けられるのに折れないボロボロの探偵と、救われない闇の世界です。3編がラストに収斂されていく構成力は、しっかりしています。ただよくあるダークな世界に終わらない、不思議な読後感の静けさが魅力です。

木内一裕

「デッドボール」

バイク事故で怪我を負い失業した23歳のノボルは、ふられた彼女から借りたカネだけは返したかった。そこに、絶対に関わってはいけない佐藤からの電話入り、仕事の手伝いで報酬は1,000万円だという。人生を再スタートするには充分だが、手助けするのが誘拐で、腰が引けた。だが詳しく話を聞いてみると、失敗する恐れがなさそうだった。子どもの指を切断すると母親を脅し、5,000万円の身代金を要求したノボルと佐藤は、受け渡し場所に向かう。

なんとも腰の引けたノボルのキャラが、大丈夫かと読み手の方が心配してしまいます。裏で動き出す弁護士・成宮の、なんとも尊大な思考回路と行動がとんでもない展開を見せます。殺された永山弁護士の捜査に当たった警察をも欺こうとします。成宮の視点に添って読んでいると、こういう悪徳弁護士がいそうだと思ってしまいます。誘拐犯側の描写をもう少し深くしたら、成宮の存在が際立つと思います。でも、おもしろかったのは確かです。

木内一裕

「キッド」

父からビリヤード場を受け継いだ麒一は、知り合いにリフォームを依頼する。だが詐欺とわかり探し始めたが、タバコ屋の老婆と女の子から助けを求められる。死体の埋葬を請け負ったことから、犯罪者の一味に追われるはめになった。死体を埋めたり、掘り返したりと、とんでもない窮地に立たされる。

スピード感のある展開が楽しめます。必死に考えて対応する麒一が、たんなる巻き込まれタイプではないのが痛快です。助けてくれる人物たちのキャラ設定も味があり、鮮やか過ぎる気もしますがおもしろかったです。

越谷オサム

「階段途中のビッグ・ノイズ」

先輩たちの引き起こした事件のせいで、伝統ある軽音楽部が廃部になってしまう。暑い夏、がけっぷちに立たされた啓人は、幽霊部員だった伸太郎に引きずられ、メンバーを集めていく。だが、部室もないため階段途中での練習に騒音クレームがつき、蒸し暑い環境でやることになる。顧問の加藤は、ただ仕事をしながら形だけの役割を務めていた。ガチガチに縛ろうとする教師への反発、同級生への恋、不協和音の部員たちはどうなるのか。それでも文化祭は近づいてくる。だが、かろうじてノッてきた軽音楽部にとんでもない事件が起きる。

ベタな青春小説ですが、存続をかけた部の復活にもどうしたらいいかわからない啓人は、教師に対し声をあげられないだめキャラです。周りから支えられてようやく動き出します。その辺りがいいのかも知れません。高校時代の空気感が伝わってきます。教師側の苦悩も描かれた点は、これまでにない面だと思います。よくある類型的なキャラが多い中で、顧問が際立っておもしろいです。予想通りの結末ですが、 いい気分で読み終えました。

越谷オサム

「ボーナス・トラック」

ハンバーガーショップで働く真面目で不器用な草野は、ある雨の晩、ひき逃げを目撃したばかりに、死んだ若者の幽霊にまとわりつかれてしまう。だが死んでしまった亮太には悲壮感がまったくなく、お調子者だった。草野は幽霊の亮太と一緒に、犯人探しをすることになった。

幽霊のキャラがおもしろいです。現実にいたら軽薄短小そのものですが、一瞬見せる悲痛な表情がせつないです。バーガーショップの裏側や、二人のプロレス・ゲームのやりとりもおもしろく、ラストへの伏線もうまいですね。細かな日常動作の描き方もいいし、幽霊の消え方もきれいです。死後もいいかも知れない、捨てたもんじゃないと思ったことは、一人胸にしまっておきたいです。

越谷オサム

「いとみち 二の糸」

濃厚な津軽弁と三味線の使い手、相馬いとが高校二年生になった。けれど相変わらず泣き虫で人見知りで、アルバイト先のメイドカフェでは、先輩たちから避けられて、三味線コンサートもマンネリ気味になる。写真同好会に入ったものの親友と大げんかし、学校も居心地が悪くどうにもため息ばかりが出る。そんなときとんでもない事件が起きる。

撮影場所でのハプニングや、カフェの大人の恋の目撃、親友の漫画の受賞と盛りだくさんの中で、ほっこり守られているいとが、少しづつ周囲の人の心を知っていく成長物語です。前作「いとみち」の続編で気楽に楽しめます。こんな時代もあったと、後々懐かしく思えるシーン満載です。

越谷オサム

「いとみち」

「お、おがえりなさいませ、ごスずん様」。本州最北端のメイドカフェで、泣き虫でなまりの強い津軽弁で「ドジッ娘」高校1年生の相馬いとが、先輩メイドや優しい店長、お客に助けられて成長していく。

津軽三味線の師でもある祖母に育てられたいとは、メイド服にあこがれてアルバイトを始めます。失敗にもめげず、乗り越えていく若さがいいですね。故郷に近いのですが、なまりが特に強い地域でさらに古風な祖母の影響で、いまでは使われることもない津軽弁に苦笑しながら読みました。津軽弁の後に説明的な補足や文章の流れがあるので、方言が分からなくても楽しめる作品だと思います。津軽三味線を弾くシーンがとてもいい雰囲気が出ています。久々に、本格的な演奏を聴きたくなりました。作中にれんげ草が出てきますが、青森県は北限から外れていますので咲きません。

角野栄子

「ラストラン」

「残された人生でやっておきたいこと」74歳のイコさんにとっては、しばらく乗っていないバイク・ツーリングだった。目的地は600キロ離れた岡山で、5歳で死別した母の生家だった。寂れた一軒の船宿が奇跡的に残っていた。無人のはずなのに、不思議な少女が住んでいた。12歳の母・ふーちゃんだった。一緒に行きたいという幽霊のふーちゃんとの、楽しく切ないツーリングが始まった。

中型バイクの疾走感が、読んでいても心地がいいです。そして12歳の母の幽霊と、周囲の人や幽霊たちとの出会いと別れが、美しく切ないです。「魔女の宅急便」とは違う、心と体のアンビヴァレンツも伝わります。わたしも、人生の最後はツーリングにしたいと思いました。

桂木希

「終末のパラドックス」

渋谷でウイルス爆弾の爆破予告が入る。ウイルスの飛散の危機は、科学者・北村正平の逮捕で食い止められた。だが北村は世界平和実現を各国首脳に要求し、できなければ、世界30カ国に仕掛けた同種の爆弾を、7日後に一斉に爆発させるというのだ。世界平和のために人類全てを人質に取るという矛盾した手段に、捜査陣は翻弄されるが、爆弾解除の鍵を握るのが孫娘・愛子だと判明する。しかし少女は消息が不明で、世界中が少女の行方を追う。

世界中を相手の壮大な構想はわかりますが、二転三転する展開と、人物像の輪郭すら見えてこない描写では記号にしか見えません。アラブもイラクもアメリカも、国の概略も、読者の知識任せでは小説として成立しないのではないでしょうか。と言いつつ、最後まで読ませたのは、揺らがずに描き切った構成力でした。もっと細部の描写と人物像を描いた、長編にしてほしいです。

加藤実秋

「インディゴの夜」

フリーライター高原晶が、敏腕マネージャー・憂也と二人で、副業として開店したホストクラブ(club indhigo)は順調な経営だった。だが、常連のまどかが殺され、店のナンバーワンに嫌疑が向けられる。豆柴刑事に警告を受けていたが、探偵まがいに事件に首を突っ込んでいく。

硬い表の職業と、副業のミスマッチなキャラ設定がおもしろいですね。夜のホストクラブの裏側を見せてくれ、個性的な登場人物たちが犯人探しをするおもしろさが、小気味のいいテンポで展開します。ドタバタ喜劇的な、楽しめるミステリです。

加藤実秋

「チョコレートビースト インディゴの夜」

歌舞伎町のホストクラブのトップに立つ空也から、(club indhigo)を経営するライター高原晶に、新人ホスト樹(いつき)をいじめたホストや客があとから災難に見舞われるという相談を持ちかけられた。敏腕マネージャー・憂也と共に、素人探偵捜査を始めるが、ホストが薬品液をかけられる事件が起きた。そんな騒ぎの中「ホスト選手権大会」が開かれることになり、さまざまな思惑が絡んでいく。

シリーズ2作目です。個性的なキャラが事件に首を突っ込んでいくと、意外な結末が待っているという楽しめる設定です。夜のホストクラブの裏側に見える人間臭さが、引きつけるのだと思います。今回はタトゥーの世界もかいま見せてくれました。

加藤実秋

「モップガール」

仕事情報誌を見てクリーニングサービス宝船の清掃スタッフに応募した桃子は、採用されすぐその日から駆り出された。臨時に入った仕事とは、殺人現場の後始末だった。血の海のマンションの一室だった。嘔吐し気絶したが、持ち前の負けず嫌いの性格で続けることになってしまう。犬アレルギーの社長と、重男と、遅刻欠勤の常習犯の翔と怪し気なメンバーだった。桃子は次の現場で、左耳の難聴と、断片的な映像が猛スピードで現れ、苦しんだ。事件と関係があると翔が言い出し、事件を調べることになる。

時代劇が好きな桃子のキャラ設定も、掃除会社のメンバーも個性的でおもしろいです。4つの事件のそれぞれに、首を突っ込んで行くことになるパターンも、素人探偵ならではの味があります。いままでたくさんのミステリを読んできましたが、殺人現場の掃除をする人がいたことに初めて気がつきました。思いがけない視点からの観察が興味深いです。桃子の現場ごとに、映像、味、匂い、寒さに振り回されるのも、うまいですね。

角田光代

【空中庭園】

15歳のマナは、弟のコウ、ママ・絵里子とパパ・タカシと暮らしている。近くには祖母もいる。家のモットーは「なにごとも包み隠さず」なのだ。自分が仕込まれたというラブホテルを見てみたいと、ボーイフレンドの森崎くんに頼み込み、入ってみる。
タカシは飯塚とミーナとの関係をずっと続けているが、家庭には持ち込まない。コウは家の建築に興味があり、知り合ったミーナを家庭教師として、家に連れてくる。祖母は、コウの万引きの後始末をさせられる。絵里子は5年前からタカシとはセックスレスの関係だった。

かならず開く家族の誕生パーティーで、それぞれの秘密のドアが、透けて見えてくる。

書き出しの強烈さで、手にした本です。家族それぞれの視点から描いたもので、いい切れ味です。嘘や隠しごとの上に、危うく成立している家族という器。外のミーナの視点から見ると、なんとも奇妙な関係なのですが。ここまでやりきれない人間像を書いていながら、読後が悪くないのは、角田さんの作品との距離感でしょうか。秋に、映画化になるようです。

角田光代

【東京ゲストハウス】

アジアの放浪の旅から戻ったアキオは、行き先がなかった。カトマンズで知り合った暮林さんを思い出し、泊めてもらうことになった。一泊300円で、民宿みたいなところだった。アダルトビデオのコピー制作をしている暮林さん。正体不明のヤマネさん。フトシくんとカナちゃん。ミカコ。暮林さんが旅先で知り合い、同じように行き先のない人ばかりだった。アキオは友人のハダの紹介で、バイトを始める。だが仕事先や、さらには宿の同居人たちとの、人間関係に嫌気がさしてくる。

面倒なことから逃げてばかりいる青春の姿が、くっきりと描いています。別れた恋人にも、なにを求められているのかすら、わからない。なさけないことを知りつつ、どうにもできない。そんな心情を、突き放して描く辺りは、桐野夏生さんにも通じる視線を感じます。それにしても、青春時代って「痛い」ですね。

角田光代

【八日目の蝉】

希和子は見るだけと思って忍び込んだ家から、赤ん坊を連れ去ってしまう。薫と名付けて、友人の家に隠れたが、落ち着こうとして東京から名古屋に移動した。廃墟寸前の家の老婆に拾われ、そこで暮らすうちエンぜルハウスを知った。新聞に指名手配されていたことから、怪しい集団と思いつつ、ハウスに入ることにした。奇妙な研修を受け、意志を持つことを禁じられていたが、薫を育てられることが何よりの喜びだった。だが、ハウスが社会問題視されるようになり警察が介入すると知った希和子は、3歳になった薫を連れて逃げ出した。

前半は逃亡しながら子育てをする希和子の側から、後半は大人になった薫(本名:恵理菜)の視点で描かれています。見つかるかもしれないというはらはらした心境と、子どもへのあまやかな愛情が不思議なバランスで納得できてしまいます。恵理菜の、実の両親との暮らしの軋轢が皮肉です。子どもの一番可愛い時期を奪われたことは、確かに悲惨なものがあるのだろうと思います。両親と希和子の愛憎劇も、一歩突き放して描かれているので、読み手は救われます。ラストが美しく、もどかしく、それぞれの生きていく希望を想像させる印象的なものでした。

鏑木蓮(かぶらぎれん)

「屈折光」

岩手の農場近くで獣医師をしている綾子は、イーハトーブの愛称のバイクで往診する。山中の森で、創薬に関わる恋人・森田の死体が発見された。自殺か、他殺か。森田が、半ば同居していた綾子を受取人に5千万円の生命保険に入っていたことから、警察は綾子にも疑いの目も向ける。そして有機農場を営んでいる南條ファームで、土中から USBを思わせる不審な牛の骨が発見された。一方、脳外科の神と言われる綾子の父・内海が、手術中に倒れる。極秘に最高の治療が施されるが、急激に症状は悪化していく。

ひさしぶりに、大きな構成力を持った真摯な作家との出会いです。医学知識も深く、論理的思考でいながら人間味のある女性の描き方に、好感が持てます。父と娘の感情のもつれも、医学の避けて通れない問題による激しい感情も、納得のいく展開です。相当に削って400頁弱に収めた腕もすごいです。過不足ない、力強いストーリーを描き切る筆致に感心しました。しばらく目の離せない作家です。これからどんな作品を書いてくれるのか、楽しみです。

鏑木蓮

「東京ダモイ」

薫風堂出版(自費出版専門)の槙野は、京都に住む高津という老人からの依頼を受け、句集の出版に向けて進むうち、高津が突然行方不明になる。延期の置き手紙と未提出の原稿が残されていた。その頃、舞鶴港で古い腕時計を身に着けたロシア人女性マリアの水死体が上がった。マリアと高津の接点をつかんだ槙野は、句集をどうすべきか、プロデューサーの晶子と相談する。終戦前、極寒のソ連の捕虜収容所で、日本兵は過酷な労働に従事させられていた。高津二等兵はダモイ(帰郷)というわずかな望みでかろうじて生きていた。そんな中、鴻山中尉が日本刀で切られたようなありえない殺され方をした。

現在の槙野がタイムトラベルをしているかのような、過去と現在の殺人事件が絡み合い、ふたつの時代の犯人を追いつめていく構成がうまいです。収容所の描写には、鬼気迫るものがありました。全体として視点がぶれることもなく、冷静に描き進めていく筆致はみごとです。句集の作者たちの、現在の状況と思いもうまく捉えられています。後半でスピード感がなくなるのは惜しい気がします。戦争ものにありがちな過剰な思い入れがない分、読みやすく、題材の多少の苦手意識はあるものの好印象でした。

鏑木蓮

「エクステンド」

老舗呉服屋・向井雅也の邸宅で首吊り死体が発見された。五条署の新人刑事・片岡真子が初めて担当することになった。謎の多い遺体は何を語っているのか。家主は知らない女性だと言うが、被害者とつながる遺留品が見つかると、次第に供述を変えはじめる。京都府警は逮捕に踏み切った。だが向井は何も語らない。拘留期限のタイムリミットが迫ってくる。

前作から大きく路線を変えた鏑木さんの刑事物です。器用な作家なのだと思います。キャラもミステリの要素もラストのひねりもうまくまとめています。ただ、どうしてか印象に残らないのです。そうかと、納得はするけれどここが書きたかったという点を、感じられませんでした。プロの作家として、シリーズ物を書いたりという方向性でしょうか。それでも、どんなふうに変わっていくのか、楽しみな作家ではあるのです。

鏑木蓮

「思い出探偵」

琵琶湖で溺死した息子の真相解明もできず、心身ともに病んだ妻の治療に当たるため、刑事を止め、実相浩二郎は探偵になった。調査員の由美と佳菜子、役者志望のアルバイト・本郷と仕事をしている。今回の依頼は、愛猫の思い出の大切なペンダントを無くしたが、拾って近くの喫茶店に預けてくれた人がいた。無事に手元に戻った喜びから、わずかな手がかりからその人を捜してほしいというものだった。

4章の調査事項を描く丁寧な運びと、単なる思い出というより、その人の生きてきた証とも呼べる深い歴史を探っていくような調査に好感が持てます。調査員の心の中もしっかりと描かれ、依頼人にとって最良の結末がいいですね。戦後の混乱期から今に至る、庶民の暮らし方や考え方まで切り取って見せる方法は、成功していると思います。こういう探偵者があったら、わたしも依頼したいと思います。

鏑木蓮

「救命拒否」

講演中の救命医師・若林が爆破事件で重傷を負った、現場に駆けつけた救急救命士・中杢に医師が「ブラック・タッグ・・」と言い残す。タグの表示は死を意味する。大阪府警の刑事たちは、事件の裏側に隠された真相に辿り着けるのか。

どうも関西弁の会話が読みづらいです。地の文章と違うので、テンポが分断されます。緊急を要する現場での、医師の判断が管轄する役所によって、じつに曖昧だということを、初めて知りました。視点が刑事から救命士、さらに事情聴取の教師にまで移るのは、都合よすぎるでしょう。全体的にも説明のために輻輳する描写も煩わしいです。直しに直しを重ねて書いたのはわかりますが、理が勝ちすぎておもしろさがいまいちでした。

川上弘美

【物語が始まる】

4編の短編が独特の不思議な世界を見せてくれます。
次第に川上ワールドから戻れなくなる心配もあったのですが、この作がかなり濃厚な感じだったので、あやうく理性を取り戻しました。
肯定するかどうかは、読者の好みが強く出るところでしょう。

団地の公園の砂場で、ゆき子は男のひな形を拾った。本が読め、簡単な文章が書け、多少の運動能力もある。もちろん会話もできる。
ひな形・三郎が次第に成長していくにつれ、つきあっている本郷さんとの間がおかしくなっていく。三郎へのこれは「愛」だろうかと考え、キスもするのだが・・・。

川上さんの物語の登場人物は、誰もが不思議な名前の呼ばれ方をします。そして微妙な性衝動をさらりと描いていきます。そこに現実とは違う世界の約束が成り立っていますが、今回は名前が出たことで揺らいだ気がします。より現実味を帯び、濃厚になったのではないでしょうか。安心して読めるところからの逸脱...。

川上弘美

【神様】

9編の短編が、なんとなくひとつの不思議な世界を作っています。

雄のくまと散歩に行く。弁当をもって。隣室に越してきたくまと親しくなったわたしは、気遣いのこまやかなくまといると、とてもこころが安らぐのだった。
くまは川魚を採って見せ、干物にしてくれた。そして「抱擁してほしい」という願いが...。

どれも自然に受け入れられる不思議な話です。ふんわりとしていて、でも童話ではなく、川上ワールドへの誘いです。

川上弘美

【溺レる】

デビュー作「蛇を踏む」の時は、ちょっと感覚の違うという捕らえ方をしてしまい、通過しました。
今回はくら様のお勧めで手に取ってみると、おもしろいのです。もちろん、自分とは異質なのだけど、ゆるゆるといつのまにか引き込まれてしまう気がします。
「うまい蝦蛄(しゃこ)食いにいきましょうとメザキさんに言われて、ついていった。」という出だしから、なんともいえない、不思議さがある。男性の名前がカタカナ書き、考える、こともないゆらりとした女性。

食べながら、時間感覚が酔ったように失われていく。サクラさん、とメザキさんも呼ぶ。キスをするのだがその感覚もこころもとなく、エロチックな感じがすっぽりと抜けている。たあいのない会話が続く...。
擬音語や擬態語が奇妙な効果をあげています。椅子に座る音「ぱさ」。蛙の「ぐわぐわくわくわ」。草の「さやさや」そして<寂しい>こころとこころが、ふいに重なっていきます。
そこへの冷静な批判も、すべて拒否され、ただ受け入れる道だけが残されてしまうのです。なかなか、したたかな作家ではないでしょうか。

川崎草志

【長い腕】

汐路(しおじ)が働くゲーム制作会社のビルで、別なチームの二人が屋上から転落死した。その直前に二人とすれ違っていた汐路は、机に突っ伏してうとうとしていた。地震のような衝撃で目を覚まし、おもわず駆け寄り窓から惨状を見てしまった。それは幼い頃に死んだ両親の記憶に重なるものだった。

汐路の所属する石丸チームは徹夜続きで、ようやくチェック段階に入っていた。仮眠する変わりに、ドライブで気持ちを切り替えようとした。石丸はパーテーションの「シマ」で熱帯魚を飼っていた。そして死んだ木崎のシマには、「ケイジロウ」と呼ばれる人形で埋めつくされていた。

謎を追いかけるうちに、汐路は出身地の早瀬町に殺人事件の発生率が以上に高いことに気づく。故郷に戻り調査を開始する。

ゲーム制作の現場や、キャラが立ち、みごとな展開を見せてくれます。一種の「閉ざされた村」小説に留まらないおもしろさでした。汐路の存在感が、いいですね。北森鴻さんの連丈那智助教授とも違う、際立ち方です。小説としての縦糸と横糸が、多少のひっかかりはあるものの、独特の世界を作り上げています。お勧めです。ちなみに「横溝正史ミステリ大賞」受賞作らしい。

川崎草志

「疫神」

アフリカでカビを原因とする伝染病が発生した。極秘裏に処理されるが、ある研究者がテロに使うのではないかと、アメリカの疫学研究チームのメンバー、エミリーは来日する。かつての同僚とともに、失踪した研究者の行方を追う。一方、「あの人」と呼ばれるものに日々脅えながら生活をする、乳飲み子を持つ若い夫婦は、不幸な事件を起こし逃亡生活を余儀なくされる。さらに「あかいふくとあおいふく」と呼んでいるオーラのようなものが見える、特殊な能力を持つ幼稚園児とその祖母が暮らしている。その3件が最後に待ち受けているものとは。

作者のデビュー作が印象的で、次作を待ちましたが方向性が違う印象だったので飛ばし、今作を読んでみました。感染のパニック・ストーリーを予想していたのですが、特殊能力を持つ夫婦と幼稚園児に比重が置かれていました。エミリーと同僚の行動がスロー過ぎ、一般人感覚でしかない。そのために、ラストはそれはないだろうと思うまとめ方になったのでしょう。作者が書きたい物と、読者のわたしの期待は、力のある作家なだけに溝が深いのかも知れません。次作を読むかどうかは微妙です。

加藤鉄児

「殺し屋たちの町長選挙」

強迫神経症の斉藤は、その症状によって仕事を干された元一流の殺し屋。再起を図るべく斡旋サイトから選んだのは、愛知県の町長殺害・報酬100万円。かつて見たことのない安値に、ほかに手を挙げる人物はいないだろうと踏み、復活戦にちょうどいいと喜んだ。しかし斉藤のほかに3組もエントリー。かつてその名を馳せた殺し屋たち。役人コンビ、殺し屋組合の経理担当者など、激しいバトルが始まる。

殺し屋たちのユーモラスなキャラ立ちがいいので、楽しめます。もう一度確認しないと心配で失敗する斉藤のほかに、それぞれがなにか仕事に支障を来す症状持ちばかりです。町長殺人計画中に姉のアリスを探すミツルは、さらに生まれたばかりの赤ん坊の亜理須を託される。オネエキャラの斎藤がうまく緩衝剤になり、軽妙な後味が良い作品になっています。

神永学

「コンダクター」

アパートの一室から頭部のない白骨死体が発見された。死後数年は経過しているが、部屋には放置された期間は短いという故意に作り上げられた現場は異様だった。石倉警部は謎の解明に動き出す。一方、海外留学から戻った結城は、演出家の相葉からミュージカル公演のオーケストラの指揮を依頼された。出資の依頼も受け、日本での復帰に賭ける気になった。フルート奏者・奈穂美は狭い場所に閉じ込められる悪夢に苦しんでいた。バイオリニストの秋穂は、結婚間近のピアニストの玉木との行き違いに悩んでいた。

構成力がある作家だと思います。ただ視点の動きが煩雑で、人物が描き分けられていません。ラストにそれを使ったトリックを明かしても、それなら尚更キャラの特徴を明確に出すべきだと思います。雑多な知識を使いすぎて、登場人物が都合よく出てきて展開し、なんとも作家のご都合主義とプライドが邪魔をしています。それでも読ませる筆力はある作家ですが。

神永学

「イノセントブルー」

海辺のペンションオーナー・森川は、春の海辺で倒れていた男・才谷を助ける。才谷には「前世」を見せる不思議な力があった。森川が見せられると、殺人の情景を体験するが納得できなかった。ペンションに偶然引き寄せられた宿泊客は、それぞれ心に悲しみを抱えながら巻き込まれていく。

ピアニストの千里は、ストーカーに追われ客室にまで侵入してくる事件を起こします。「前世」「現世」は繰り返されるしかないのか、ペンションのアルバイト・陽子の前向きな姿勢で、空気は変わっていきます。ファンタジィとしてさらりと楽しめます。

喜多喜久

「猫色ケミストリー」

計算科学専攻の大学院生の明斗と、女子院生スバル、構内に棲む野良猫の魂が、落雷によって入れ替わってしまった。しかも明斗はスバルに、スバルは猫に意識が入りこんでいる。明斗の肉体は昏睡状態で病室にいる。明斗の意識で姿がスバルと、スバルの意識での猫は、元に戻るためスバルの実験室にはいる。スバルの猫はケージに入れ、テレパシーで指示を受けて明斗のスバルは実験を続け、夜はそのまま犯人の張り込みをする。実験中に違法薬物の合成事件に気づく。餌に薬物を混入した犯人は誰か。

スピーディな展開と軽快さが、楽しめます。女子スバルの意識が、情緒的にぐだぐだしない理系思考で、心地いいのです。コメディタッチのミステリです。シリーズがあるようなので、次作も読んでみたいです。

久坂部羊

「破裂」

裁判に持ち込んでもなかなか勝訴できない医療ミスを暴こうと、ノンフィクション作家・松野は、大学病院の医師・江浮ゥら情報を得ようとしていた。未熟な医師が、手術の経験を積んで一人前になる過程の「痛恨のミス」を追ううち、心臓手術で縫合針が体内に残ったために死亡した患者の家族が浮かび上がってきた。江浮フ室内が荒らされ、松野は暴漢に襲われる。教授選挙を目前にした時期に、その患者から訴訟を起こされた香村医師は絶対にミスを認めるわけにいかない。医師・麻酔医・看護士などの組織ぐるみの隠蔽を暴けるのか。

視点が次々に変わり、都合の良すぎる人物設定と展開に加え、冗長な文章が、構成的にも致命的だなと思いながら、それでも最後まで読ませます。しっかりとした細部の描写がおもしろいからでしょう。医療の内部への興味は満たしてくれます。

久坂部羊

「糾弾」

外科医・三木達志は自らの医療ミスを認め、患者の遺族に賠償金支払いを申し出た。これを究極の誠意と感じたライターの菊川綾乃は取材に乗り出すが、「あれは殺人だった」という手紙が舞い込む。医療ミスを糾弾する者とされる者の闇。

深さがほしかったです。素人のわたしの想定範囲内で収まりました。

門谷憲二

「クラウド 上・下」

政界、内閣官房を揺るがすサイバーテロと国家秘密漏洩、それに立ち向かう警察組織。激突する天才ハッカーたちの因縁の攻防。科捜研警部補・天音陶子率いる班は極秘の任務に着く。情報漏洩の脅しでの、与党幹事長の突然の引退、大手銀行2行へのシステム攻撃と相次いだ。山城室長と陶子たちの攻防で辛うじて、撃退した。だが元恋人の雑誌記者・久坂がスクープ記事を上げる。しかも公安からの情報源という事態だった。奥深いところでの暗躍が展開する。

硬質の文体ですがが引きつけられる展開でした。一気に読ませます。組織の難しさ、一員のできること、組織への憎悪などを背景に、テンポよく理系的思考でまとめられています。近未来で削り落とせるものを落とし、シャープな書き割りです。けれど、たぶんに人間臭さが根底にあり,そこに新鮮さがないため二時間ドラマ的な段階に止まってしまった感があります。後に残る希薄さが惜しいです。

神林長平

「絞首台の黙示録」

長野県松本で暮らす作家のぼくは、連絡がとれない父の安否を確認するため、新潟の実家へと戻った。だが、実家で父の不在を確認したぼくは、生後3ヶ月で亡くなった双子の兄タクミを名乗る自分そっくりな男の訪問を受ける。彼は育ての親を殺して死刑になってから、ここへ来たというのだが。絞首刑のシーンと教誨師もなまなましい。死んだのになぜいるのか。教誨師を訪ねることにする。

リアルな人間の意識、認識、意志、時間、存在というものが、かすかにきしみ揺らいでいきます。実に美しい明確な文体で、物語が展開していきます。人間の内へ内へと入り込んでいく感覚がすごいです。人間の意識が作り出すものすべてが危ういものになり、残るのは生きている人間のささやかな日常と認識なのでしょうか。脳内の時間旅行をした気分になりました。作者の文章が屹立して好きです。おもしろい作品だと思います。

神林長平

「誰の息子でもない」

祖父の田畑を売り払い、母とぼくを捨てて出奔した親父が、高校生の頃に死んだ。十数年後。日本には各家庭に一台、携帯型対空ミサイル(略称:オーデン改)が配備されている。市役所の電算課電子文書係で働くぼくの仕事は、故人となった市民のネット内の人工人格(アバター)を消去することだ。しかし目の前に、死んだはずの親父の人工人格が現れた。

作者の引き締まった文体が好きです。ここまで人格の存在があいまいな、メビウスの輪のような、1点からくるりと世界が裏返しになるような世界を描きながら、骨格のみごとさに驚かされます。ぐいぐい読み進みながら、終わるのが惜しくてゆっくり読みたいアンビバレンツな思いに引き裂かれます。

神林長平

「ライトジーンの遺産」

なぜか臓器が崩壊して死んでいく未来社会で、人類が頼れるのは人工臓器しかない。人工臓器の総合メーカー・ライトジーン社が臓器市場を独占し、ほぼすべてを支配することに危惧があったため、解体された。残されたのは乱立するメーカーと臓器を巡る犯罪や怪現象だった。ライトジーン社の遺した人造人間コウは、サイファの能力も持つため、市警の新米刑事タイスから捜査の手伝いを依頼された。だが同時期に造られた兄の存在に阻まれる。

硬筆な文章で綴られる未来社会の姿が、想像力を刺激されぐいぐい読んでしまいます。人間も人造人間、一人では満たされないのかも知れません。心というか、つながりの中にだけ自分の存在価値があるという読後感がいいです。

神林長平

「完璧な涙」

怒りや喜び、悲しみを感じたことのない少年、本海宥現。家族との絆も持たない宥現は、発砲事件にをきっかけに旅に出た。砂漠には、街に住むことを拒絶する人々、旅賊がいる。夜、火を囲みギターをかき鳴らし、踊る旅賊の中に、運命の女・魔姫がいた。だが、砂の中から現われた、戦車のような巨大なマシーンが、宥現と魔姫の間を切り裂く。それは、すべてのものを破壊しつくす過去からの殺戮者だった。未来と過去の争闘に巻き込まれていった

しっかりした筆致はさすがです。幻想的なSFの世界を楽しめます。

神林長平

「プリズム」

地上3万メートルの都市上空に浮かぶ直径137メートルのソロバン玉の形をしたスーパーコンピュータ・浮遊都市制御体。自動販売機からソフトクリームを買うのも、病院で診察を受けるのも、すべてこの都市制御体によって管理・運営されている。だが人間たちには見えるが、都市制御体には見えない人々がいて、警察機構から追われる。

様々な「色」をモチーフに語られる物語は、特有の瞑想感を引き起こし、強い印象を残します。うまいですね。

岸田るり子

「出口のない部屋」

赤いドアの小さな部屋に入り込んだ3人の男女。自信あふれる免疫学専門の大学講師・夏木祐子。善良そうな開業医の妻・船出鏡子。若く傲慢な売れっ子作家・佐島響。関連のない3人は、なぜ一緒に閉じ込められたのか。それぞれが語りだした身の上話に散りばめられた謎。そして全ての物語が終わったとき浮かび上がる驚くべき真実。

3人のそれぞれの心理が描かれていく過程がうまいです。安由美が鶏とウズラのキメラの移植手術に没頭する研究室から、夏木の冷凍された頭部が見つかります。そして作家の佐島の壮絶な炎上死が目撃されます。ストーリーテラーとして、引きつけられました。素材の衝撃性からなのか、以前の作品からおもしろくなっています。

岸田るり子

「ランボー・クラブ」

自分が偽りの存在だと悩み不登校になった中学生の菊巳は、色覚障害者サイト「ランボー・クラブ」に掲げられたフランス語の詩が、なぜか読めることに気付いた。ある日、そのランボーの詩が書き換えられ、詩が暗示する殺人事件が起きる。カウンセラーの小林先生と幼い頃の記憶を思い出そうとするが、なかなか手がかりがなかった。一方、川端病院長は11年前に失踪した妻と息子を捜していたが見つからず、ミツイ探偵事務所に捜索を依頼する。

色覚障害の少年の視点で展開する事件に引かれましたが、多少の無理があります。補う形で登場する人物たちも、どこか都合がよすぎてリアリティに欠けるかも知れません。冷静な少年という設定でおもしろく読ませるのですが、読後にあっというまに印象が薄れてしまいました。散漫なありふれた仕立てのような感じがします。

岸田るり子

「Fの悲劇」

絵が好きな少女・さくらには、不思議な力があった。空想で描いたはずの場所や物が、そのまま実在しているのだ。描いたのは、月光に照らされ、夜の池に浮かぶ美しい女性で、手には花束を抱え胸にはナイフが突き刺さっていた。不吉なことと母に絵を描くことを禁じられてしまう。大人になったさくらは、祖母から叔母の話を聞いて愕然とする。女優だった叔母・ゆう子が20年前、京都の池で刺殺され、その死の様子は自分が昔描いた絵とそっくりだったのだ。さくらは、ゆう子が当時下宿していたペンションを捜し出し、部屋を借りて叔母の死の謎を探ろうとする。次第に明かされるゆう子の凄絶な人生。そして驚くべき死の真相とは。

絵の美しさと不思議さが魅力的な書き出しです。ただ、ストーリーを展開させる構成力が弱く、説明や繰り返しがあまりにも冗長です。バサバサと切りたくなりました。がんばって書いたのはわかるのですが、まだまだ練られていく必要がありそうです。

黒武洋

「そして粛清の扉を」

高校の卒業式前日、ひとクラス29名を人質に担任教師・近藤亜矢子がナイフと拳銃で立てこもった。いままでオドオドとしていた亜矢子が豹変し、生徒たちの悪行を理由に次々と殺していった。警察や特殊部隊、多数のメディアが取り囲む中、校内放送で亜矢子に呼びかけることにした。警視庁捜査第一課特捜班の弦間は教室に潜入に成功するが、撃たれて重症を負う。身代わり交換として、唯一教室から解放された林小織からの情報と、生徒の携帯電話からの亜矢子の要求はとんでもないものだった。総額5億円、生徒一人当り2,000万円の身代金が要求された。

テンポのいい展開に引込まれてしまいます。恐喝や放火、暴行、殺人とあらゆる悪行を重ねていながら、責任を負うことがない高校生という立場。生徒の裏の顔が暴かれると、死んだ方がいいのかもと納得しそうな自分に驚きました。殺人者側の論理だけでのラストは、少しでき過ぎている感じもありますが、うまくまとめています。凄惨な事件なのに、さらりと描いているので読後感は悪くはありません。

黒武洋

「メロス・レヴェル」

牧文典は妹と両親と暮らしている。その生活は国の法律にそって管理され、家族と言っても所詮は他人だと思っていた。軽い気持ちで応募した「メロス・ステージ」という絆と愛情と信頼を競う、政府主催の多額の賞金の一種のゲームに、文典と父・文尚が出ることになった。国を挙げて盛り上げるステージはTV中継され、応援団も加わり華々しく始まった。10組の出場者が、5段階のレヴェルで勝ち抜き優勝者が決まる。「レヴェル l」は穴埋め問題だった。3組が振り落とされた。

静かに日々が過ぎていく近未来で、頭脳ゲームや体力ゲームを組み合わせた過酷なステージが、家族の繋がりを見つめ直していきます。ひと言で言うとそうなるのですが、それぞれの登場人物の心理描写やステージのそくそくとした怖さに、飲み込まれそうになります。伏線もラストにうまく収斂していき、読後感も決して悪くはないのです。途中でちょっとステージの展開が嘘っぽく感じられた部分があるのですが、おもしろいのに変わりはありません。楽しめると思います。

黒武洋

「パンドラの火花」

横尾友也は35年間、死刑確定囚として服役していた。タイム・トラベルにより35年前の自分に会い、説得して殺人を止めるか、死刑を受け入れるかの選択を迫られた。当然過去に戻ることにし、監視役の17番と呼ばれる男と一緒に時空移動をした。だが人嫌いで衝動的な16歳の友也は、かたくなに未来の男の言葉を拒否した。元の世界に戻る制限時間が迫っていた友也は、最後の説得に臨む。

過去の自分に戻れたら、違う人生があったかも知れないと、わたしも思うことがあります。でも過去があるから現在の自分があるわけですから、未来をどう生きるか考えて行きていくしかないわけです。悔い改める日を過ごす人間にとって、殺人を起こす以前に戻れたら、殺人は絶対に阻止したかった過去でしょう。それができるならという設定がおもしろいです。若い時の自分と、年月を経たから思慮がある現在の自分をぶつけると、果たして説得できるのでしょうか。ラストのひねりも効果的です。

黒武洋

「てのひらに爆弾を」

都心で市民を狙った爆弾事件が発生した。爆弾が仕込まれたのは携帯電話だった。所轄署から警視庁捜査一課特殊班に移った城辺直秀にとって、初めての事件だ。犯人は各携帯電話会社に「身代金」を要求するが、その後、動きを止めてしまう。狙いは何か。一方、就職がうまくいかずアルバイトをしていた奈央は、公園で昼寝をしていた老齢の男セイジンと、熱中症になりかけた少女のラムと知り合う。奈央はナオピーチと名乗り、虐待の傷跡を持つラムを救おうと動き出す。

意図はわかるし、展開も複雑な人間関係の処理もうまいです。ただ微妙な違和感がありました。携帯の規制やメディアの注目を集めても、それで根本問題はなにひとつ解決しない、社会や人間の心の構造はどうするのか。犯人たちの自己満足に過ぎないのではないかと、感じてしまいます。個人個人の力を合わせて、などという理想の言葉などたちまち吹き消されてしまう現状があります。作品の中ではそこまでの深さはなかったと思います。この題材が、小説としての限界かも知れません。

黒武洋

「半魔」

不思議な自分の「力」におびえる女子高生、陽子、理砂、寛美は、お互いを認め合う奇妙な出会いをした。陽子の17歳の誕生日「魔」が現れ、燃え盛る我が家で母が焼死した。そのあと、同じ年頃の少年少女が、次々に自殺するという事件が続いた。

異世界へ半歩踏み出した世界が好きで、それ以上超えた世界というのは今まであまり読んできませんでした。黒武さんの言葉の深さと心理描写のうまさに導かれるように、引き込まれて読んでしまいました。「力」を使うシーンも、イメージを喚起されました。心に潜む怒りや感情の爆発にも、ラストの終わり方にも共感してしまうほどでした。

黒武洋

「ファイナル・ゲーム」

RPGゲームに逃げ込んでいた貫太郎は、かつての「試全倶楽部」のメンバーともども、桜の指示する孤島の研究所の建物に集められた。案内役の美輪、貫太郎、数馬、達雄、英太、玄に対し、桜は「試全倶楽部」解散のためのファイナル・ゲームを宣した。死を迎えた最後の顔写真をコレクションしたいと言う。闇の中、トランシーバーと写真を送るための、デジカメとパソコンと飲料が与えられた。殺人という非日常の行為も、美輪の死体が発見され、メンバーの中に「犬」がいると告げられ疑心暗鬼になったことで、一気に現実になった。

設定としてよくある孤島でのミステリも、黒武さんの手にかかると濃い物語になってしまうのです。極限での心理を、外から見える貫太郎像とその内部を中心に据えて描くと、じつにおもしろいです。かつての互いの心理もダブらせながら、7年後の自分を分析していく手法も効果的です。新作が待ち遠しいです。

霞 流一

【首断ち六地蔵】

寺の6体の地蔵の首が、なくなった。寺社捜査局の魚間は、寺の住職・風峰と一緒に事件に巻き込まれていく。寺と近くの廃墟の病院を映画製作現場にして撮影しようと、監督やプロデューサーが動きまわるうち、カメラマンが絞殺され地面に叩き付けられていた。舌を切り取られているところから、『無限地獄』の見立て殺人と思われた。(第一首)。

6首まで殺人事件が起きます。魚間と警部、風峰がそれぞれに推理をしてみせては崩し、新たに組み立ててみせますが、決定的なものではなく、6首まで引っ張って行きます。なかなか凝った構成です。テンポの良さと、軽いノリと、深刻さがないところが救いでしょうか。

小島達夫

「ベンハムの独楽」

ふたつの肉体にひとつの魂、五分先の未来が見える災い、文字で飢えを凌ぐ男の幸い、グロテスクな双子の仕打ち、冷笑に満ちた大人の仕返しなど、9編の短編集です。

見る角度によって違う色に見えるという、タイトルのままのベンハムの独楽のような物語です。おもしろい切り口の作品と、そうかと通り過ぎてしまう作品もありながら、全体としては楽しめました。

小島正樹

「扼殺のロンド」

その事故車は工場の壁にぶつかって激しく損傷し、ドアが開かなくなっていた。中には男女の遺体があった。だが女は腹を裂かれ、男は無傷のまま、死んでいた。直前にすれ違ったドライバーはふたりとも生きていたと証言、さらに男の驚くべき死因が判明して捜査は混迷を深め、第二、第三の事件が追い打ちをかける。

よくある捜査劇という始まりです。謎を追いかけていくのですが、警察の組織も方針もなく担当刑事が調べるという設定には無理があります。警察に対する知識もなく、どんなに探偵を気取っても事件の謎にだけ焦点を当てても、作品としてはだからどうしたと、突っ込みたくなります。

霧舎 巧

【ドッペルゲンガー宮 <あかずの扉>研究会流氷館へ】

学生サークル「あかずの扉研究会」のメンバーに、氷室流侃(りゅうかん)から「一大推理イベント」の招待状が届いた。カケルたち6人は、遠峯の教え子・氷室涼香が監禁されていると思われる、流氷館に乗り込んだ。だが予定外の侵入者も加わり、「二つ」の流氷館で殺人事件が起きる。次々に殺される10人の、生き残った最後の人物が犯人なのか。これまでのミステリーを覆す、謎解きが始まった。

ホラーシリーズで、じつは霧舎さんは挫折していました。文章についていけなかったのです。それがこの作品では、しっかりとした密室ミステリーとして読めました。文章も多少のくどさはあるものの、かなり違っていました。仕掛けもまともなのを、最後まで引っ張って読ませてくれました。どの作品を最初に手に取るか。バラつきのある作家との出会いは、左右されそうです。

霧舎 巧

【カレイドスコープ島<あかずの扉>研究会竹取島へ】

<あかずの扉>研究会のカケルたちメンバーは、八丈島沖の月島と竹取島を訪れることになった。船の上から、奇妙な仮面を付けた二人が、海に死体を投げ込むのを目撃する。通報をした島の駐在さんと一緒に、現場へと向かう。そこは古い因習があり、島の後継者選びに絡む、島民のさまざまな思惑が渦巻いていた。秘宝を持つ後継者たちが、次々に殺されていく。

細部へのこだわりを事件の伏線にして、霧舎さんは書いていきます。途中で犯人の想像がついてしまうのが残念ですが、殺人の理由を知るために結局最後まで読んでしまいました。長文が好きな人にはおもしろいと思います。ただ、ばっさりと整理したくなるわたしの性格には、長過ぎるのですが。

川端裕人

「雲の王」

気象台に勤務する美晴は、十代の頃に事故で両親を亡くし、今は息子の楓大と暮らしている。行方知れずの兄からの手紙に導かれ、母子はある郷を訪れる。天気と深く関わる「空の一族」の話で、美晴たちには五感で風や空気を知る不思議な能力があるという。郷から戻った美晴は、ある研究プロジェクトに参加する。最新システムの気象台が集中豪雨を予報し被害を止めた直後、美晴はダウンバーストの予兆を見てしまう。警報を出し、かろうじて助かる。プロジェクトは台風の進行方向を変更する研究をするが、誤って発生させた巨大な台風が日本を直撃しようとする。必至に阻止するために取った手段とは。

ひさびさの作者の作品でしたが、壮大なスケールの物語を書いていたのですね。不思議な力の描き方は少し腰が引けているようですが、気象ものとしてとてもおもしろかったです。何気なく見上げる空の雲を再認識した思いがしました。地球規模の気象の仕事も興味が引かれます。新鮮でした。

川端裕人

「はじまりのうたをさがす旅-赤い風のソングライン」

平凡な会社員・泉隼人に、オーストラリアで行方不明と聞かされていた曾祖父・和島洋の遺産相続をめぐる旅へのメーッセージが届く。リサという歌手によると、曾祖父のソングラインを辿るサバイバルゲームだという。アボリジニ文化の創造にまつわる「歌の道」をトレースしながら、国籍の違う仲間たちとともに、民族の垣根を超越する音楽の本質を訪ねる。だが、それは生死を賭けた過酷な旅になった。

砂漠での過酷なサバイバルゲームと、常に監視されている感覚を持ちながらの展開です。有給休暇を使い切っても尚、のめり込んでいくのです。けれど帰るところや救出があるからか、隼人にいまひとつ内面から突き上げるような思いが薄い印象です。音楽シーンの描写はうまいけれど、音楽家の日常の音の捉え方の表現がないのが、気になります。恵まれた環境と資料を元にして書いた、作者の甘さかと思います。

川端裕人

【The S.O.U.P】

「ゲド戦記」「指輪物語」の文字が踊る帯に引かれて、つい手にした本です。10年前開発したゲーム「S.O.U.P」のプログラマーだった巧は、経済産業省からHPへの侵入者の捜査を依頼される。ほかのかつての仲間2人も絡み、ネットの中を探そうとする。

ゲームの世界を進む描写が、なんとも違和感があります。初歩的なIPアドレスの説明がやたら長かったり、うつ病の症状の描写が長かったり、どうにもバランスが悪い。キャラが立ってこない。人物が見えない。という、ゲーム中毒だったのだろう作家が書いた小説かと。
こんなキャッチを着けないでほしい。

河野裕子

【燦(さん)】

昭和38〜47年の『森のように獣のように』が172首。47〜51年の『ひるがお』が141首。51〜55年の『桜森』が176首。

短歌集は、集約された言葉から作者の感性や、人生観からこころのありようまでが描かれる。時期的にも、17歳から34歳までのもっとも多感で、感性を磨き変容していく女性像が、浮かび上がってくる。

しんとした夜の静寂の中で、自身のこころの音を聞き、宇宙の広がりにまで想像力を巡らす。歌うことによってしか自己を表現できない、必死の思いが胸を打つ。

癒えたならマルテの手記も読みたしと
冷たきベッド撫でつつ思う
(病気を知った18歳)

さんらんと硝子戸砕く夕ひかり
われはつぶてのごとき恋を得し

森のように獣のようにわれは生く
群青の空耳研ぐばかり

まがなしくいのち二つとなりし身を
泉のごとき夜の湯に浸す

君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よ
ざんざんばらんと髪とき眠る

ご紹介しているとキリがないのだが、与謝野晶子、柳原白連にも通じる激しさと、反して理性と、俵万智の自由さをすでに超えた言葉のリズムの豊かさに驚かされる。短歌の好きな方にお勧め。

古川日出男

「平家物語 犬王の巻」

時は室町。京で世阿弥と人気を二分した天衣無縫の能楽師・犬王と、盲いた琵琶法師・友魚。2人の友情が生まれる。だが犬王は怨念により醜い姿で生まれ、面を付け体をおおって生きてきた。醜いものを包み隠し、兄たちの歩行術を盗み見して稽古をすると、素足になりたいきれいな足になった。友魚の語りは平家の新たな物語とともに犬王を語り、聴衆を歓喜させた。

久しぶりの古川氏の作品です。歴史物をこのように描き切るのかという、驚きがありました。実に簡潔にテンポよく、能楽のおもしろさが伝わってきます。時代の空気も味わえます。本編の「平家物語」も読んでみたいところですが、900ページ情報にためらいます。一気に読ませられるのはわかっている作家だけに、迷います。

古川日出男

【アラビアの夜の種族】

なんとも壮大な物語です。アラビアのマムルーク独立王朝知事/イスマイール・ベイは、アイユーブという若者を得 た。イスマイール・ベイは権力の象徴として膨大な私蔵の図書室を持っていた。執事となったアイユーブは武術も学 問も優秀で、その力を発揮していた。

その頃イギリス・フランス艦隊の襲来におびえていたイスマイール・ベイに、アイユーブは書物という献上品を贈り、帰ってもらおうと提言する。歴史の中でもその術中に陥り、カイロは暗黒政治家が姿を消しているという伝説を持つ。

これが『厄災(わざわい)の書』だった。呪いをかけられないよう、書物を分断し学者たちにフランス語に翻訳させ、アイユーブのみが全体をまとめると。
だが実は原本は存在せず、ライラ(夜)のズームレッド(エメラルド)と呼ばれる語り部が、『厄災(わざわい)の書』を作り出していったのだった。ファラーとサフィアーンの物語が、眠らない夜を重ねていく・・・。第二十一夜まで。

語りである性質が、そうさせるのでしょうか。まるで弁の立つ講談を聞くような語り口調に、ぐいぐい引き込まれて いきます。語るに連れ変容していくアイユーブと、ズームレッドの甘美と言ってもいい関係が、怪しく絡み合ってい くのもおもしろい。そして、語り終えた終末とは・・・。

書いても書ききれないもどかしさがあります。とにかく読んでみてほしいと、いうしかないかも知れません。簡単な感想だけでは、魅力は伝えられないほどの、不思議な力に満ちた作品なのです。「香水」の作者と同じく、神の手がペンを取ったのではないでしょうか
古川日出男さんとの、新しい出会いに感謝です。

古処誠二

【少年たちの密室】

高校生の優は、担任の塩澤の運転するミニバンに乗り込んだ。「事故死」した宮下の葬儀に出席するためだった。同乗したのは、紀子、由梨江と、常にクラスで問題を起こす城戸たち6人だった。狭い車の中で、宮下を死に追いやったのではないかと、優は城戸を追求する。そのとき地震が起こり、マンションの地下駐車場に全員が閉じ込められてしまう。究極の密室で、救出の見通しもない極限状態の中で、争いが続けられ、闇にまぎれて城戸が殺された。

それぞれの人物の思考や行動が、うまく絡み合っているのがうまいと思います。学校や教師の体質も、鋭く暴いてみせます。ラストでぐいぐい引きつけ、事件の深い背景に迫る、なかなかの力作です。時間軸の処理が行ったり来たりで、少し煩わしいのが惜しいです。2作目を読むかどうか、微妙ですね。

五條瑛

【プラチナ・ビーズ】

アメリカの国防総省に属する情報機関で仕事をする、葉山と坂下は脱走した米兵の惨殺屍体の調査に関わっていた。ふとしたことから北朝鮮の権力中枢での、情報を耳にした。

諜報戦を、二人の視点から描いています。アマっぽい葉山と、セミプロの坂下。見える世界の違いを、もう少し明確に描き分けてほしいところですが、デビュー作としてはうまいと思います。ハードボイルドふうの、スパイ小説、ですね。内容の割に、量が多いのは、切捨てができなかったからでしょうか。

小泉吉宏

【まろ、ん?大掴源氏物語】

漫画で、1帖8コマで物語ってしまうとは。驚きでした。解説もあり、要所では人物系図や、歌が効果的に引き締めています。

現代語訳で何度か読んでも、なかなか全体の物語を掴めなかった「源氏物語」が、初めて見えました。相当の資料と、分析、解釈があってできたことと思います。正直言って漫画を見直しました。是非、手に取ってみてください。

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