伊坂幸太郎

「ガソリン生活」

緑の旧型デミオへの愛着のある免許取り立ての良夫と、年齢以上に聡明な弟・亨がドライブ中に乗せた女優が翌日急死する。パパラッチ、いじめ、恐喝など一家は更なる謎に巻き込まれていく。語り手が車で、いろんな駐車場で会話する。

ひさしぶりに伊坂さんの作品を読みました。いつも通りの暮らしの中で起きる事件を、解決していく展開が緩やかで楽しかったです。またミステリに飽きたら寄り道したいですね。

「おー!ファーザー」

奔放な母のせいで、高校生の由紀夫は、ギャンブル好き、女好き、博学卓識、スポーツ万能、個性溢れる4人の父に囲まれ暮らしている。息子が思いもよらない事件に遭遇する。知事選挙、不登校の野球部員、盗まれた鞄と心中の遺体。由紀夫と4人の父の会話、思想、行動が一つになって、事態は急展開する。

久々の伊坂さんです。「陽気なギャングが地球を回す」に通じるおもしろさがあります。現実にはないだろうと思う、家族の新しい形での暮らし方が不思議な味がします。思わぬ事件の人物が別なところでつながり、最後にまとめてしまう手腕はあいかわらず持っています。楽しめます。

「死神の浮力」

小説家・山野辺の娘・菜摘が殺された。そして逮捕された容疑者・本城には無罪判決が下った。有益な証言や証拠は、裁判が始まった途端に次々と翻ったのだ。マスコミが大挙して山野辺家の前に押し寄せる。ちょうどその頃、死神・千葉は1週間の間に対象者を見極め「可否」を決めるために近づいてくる。山野辺夫妻は千葉の関わりに戸惑いながら、死について思索し、憤り、詠嘆、絶望はついに行動に移すことにした。

サイコパスの犯人の心理的な動きがさらりとし過ぎて、対する被害者の決断を弱いものにしてしまいます。雨と音楽を伴う死神・千葉の、人間とのずれた会話がユーモラスです。人間に頼られてしまう千葉の緩さが、少し期待を裏切られました。生と死を考えさせられながら、死もいいかと、つい感じてしまいます。生きることの希望や力が、何を足がかりにするかは一人一人違うのでしょう。自分に引き比べてしまいました。

「あるキング」

山田夫妻は、地元の万年最下位争いのプロ野球球団・仙醍キングスの熱烈なファンだった。 生まれた子・山田王求(球)は生まれた時から野球選手になるべく育てられ、とてつもない 才能と力が備わった凄い選手になった。

父親による殺人や天才の少年期の殺人が絡み、ひとりの天才が生みだされていく過程、 主人公を取り巻く周囲の人々の困惑と畏れを描いていきます。書き手の視点が「神」の ような位置から俯瞰したり、夫婦の人間の視点へ移動したりします。それが物語を わかりにくにしているのかも知れません。野球があまり好きではないせいか、わたしには 伊坂さんの意図が残念ですが、届きませんでした。この作品がこれからの方向性なら、 あとは読まないと思います。

「モダンタイムス」

渡辺は深夜残業で疲れきって戻った自分のマンションで、妻・佳代子に雇われた男に 椅子に縛り付けられ爪を剥がすと脅された。浮気相手の名前を明かしてとりあえず 解放された。会社では担当者が逃げ出した、新しいシステム開発を押し付けられ、 大石とともに仕事を始めた。だが、プログラムの中におかしな点があった。ある検索語で ヒットしたユーザの情報を調べる仕掛けだった。検索語に数年前の都内中学校で起きた、 侵入者による20人の銃殺事件があった。同僚の大石と、作家の井坂好太郎とともに事件を 調べていくうちに、とんでもない展開が待っていた。

伊坂さんはすっかり長編作家になりきりましたね。細部へのこだわりも、ストーリー構成も うまいです。それでいてどこか飄々とした軽さを残しています。そこが後味の良さに繋がる のかも知れません。拷問場面もエグくならずに書ける珍しい作家です。このまま守備範囲を 広げていったら、どんなことでも題材にできるすごいことになりそうです。次の作が楽しみな 作家の一人です。

「Re-born はじまりの一歩」

伊坂幸太郎と、瀬尾まいこ。豊島ミホ。中島京子。平山瑞穂。福田栄一。宮下奈都による 短編集です。

沙希と、父と母三人は、あと一時間で引っ越し業者が来て、家族は解散することになる。 その前に、いままで隠していた秘密を話そうと母が提案した。そんなとき、父の携帯電話に 怪しいドライブと食事の誘いのメールが入る。三人は揃って行くことにする。・・・ 「残り全部バケーション」(伊坂幸太郎)

どの作品も、いままでと違う一歩を踏み出す物語です。個性が違って、おもしろいです。 こういう初めての作家と出会える短編も、いいと思います。

「ゴールデンスランバー」

仙台でパレード中の首相が、ラジコンヘリ爆弾で暗殺される。犯人は2年前、アイドル宅に 忍び込んでいた暴漢を捕らえた、元宅急便ドライバー青柳雅春だと報道された。ケネデイ 暗殺事件の犯人と、奇妙に重なる事件だった。街中に設置されているセキュリティポッドが、 人々の通話や会話、映像が監視されている。とりあえず逃げなきゃと、青柳は友人を頼って 隠れようとするが、銃を構えた警官が迫ってきて発砲までされる。敵は強大だった。ようやく 青柳は、自分が巧妙に仕組まれた大きな罠にかけられていることに気づき愕然とした。学生時代の 友人・森田や、カズ、晴子などに助けられるが、次第に追い込まれていく。

首相暗殺の濡れ衣を着せられた男は、国家的陰謀から逃げ切れるのか。と書くと、いままでの 伊坂さんの作品にはない、剣呑さがあります。わずかに軽さを残してはいるものの、迫真の 怖さに引込まれて読み終えてしまいました。あちこちに巧妙に仕組まれた伏線があり、多くの 登場人物がうまく配置され、しっかり役割を果たしています。時系列の巧みな描写もおもしろさを 増していると思います。管理社会の恐ろしさを前面に出しているわけではなく、負けが分かって いるゲームをいかにすり抜けるかに力が置かれています。青柳の父のコメントがいいですね。 「ちゃっちゃと逃げろ」。「ゴールデンスランバー」の曲は知らないのが残念ですが、幼い女の 子の「白やぎさん」の歌が、うまく使われています。

「 フィッシュストーリー」

わたしは友人を誘い、ツテで夜の動物園に特別に入れてもらった。元職員の・永沢がよく来て、動物たちの寂しさを癒してくれるという。永沢は近くにできる高層マンションの、建設反対運動を しているらしい。住民たちとは距離を保ちながら、プラカードを持っている。その理由は何か。 ・・・「動物園のエンジン」。

麻美は仕事で帰る飛行機で、隣の男に声をかけられる。高校で数学を教えている瀬川と名乗り、 かつて正義の味方になりたかった話をする。突然ハイジャックが起こり、瀬川がたちまち犯人を やっつけてしまう。・・・「フィッシュストーリー」。

4章が絡まり合い、不思議な繋がりが生まれ、結果としてベンチ入りばかりの応援選手の ホームランになります。底辺に流れている静かな哀愁に似た空気が、読んでいて心地よい 作品です。夜の動物園の不思議。小さな村の「こもり様」の謎。売れないロックバンドの ラストレコードにある無音の謎。空き巣を仕事にしている男に自殺を止められた女の、 小さな日常。そんな積み重ねが、収斂されるのを読むのは微笑ましいのです。静かに、 その空間世界に浸っていたいと思うのです。

「 終末のフール」

隕石が落ちて、8年後に地球の最後がくる。暴動や自殺や殺人という激しい混乱から5年後、 世界の端では、少し落ち着いた「日常」が戻っていた。ジムで黙々と練習を続ける男。妊娠を 知り、動揺する夫婦。レンタルビデオ店をほそぼそと続ける男。いくつもの疑似家族。残された 時間を、どう過ごすのか。

前3作が印象的でよかったので、どうしても比較してしまいます。地球の最後という大きな テーマ設定と、普通の人間像との乖離感が残ります。ひとつづつの物語はそうなんだろうけど、 だからどうなんだと、作者に詰め寄りたくなってしまいました。伊坂さんは、どこへ向かう のかと心配もしたりして。

「砂漠」

大学に入学してすぐのコンパで、北村は鳥井に「鳥瞰型」と言われる。スプーン曲げができる 美人の東堂さん。熱く語り、麻雀はピンフ(平和)で上がる西嶋。遊ぶぞと宣言する莞爾。 静かな女性、南さん。社会という砂漠に囲まれた、オアシスの中で北村たちは事件に巻き込ま れていく。中年オヤジに「大統領か?」と聞いて、殴って金を奪う連続強盗犯が話題になっていた。
合コンのボウリング大会を開くのに合わせ、洋服を新調する西嶋に北村はつきあい、バイトの 鳩麦さんと知り合いになる。女子たちが誘ったらしいホスト礼一と純が、大会に割り込んできた。 だが賭けボウルを煽られ、鳥井は受けてしまう。掛金は次第に上がり、400万円になる。

青春小説という括りでは語れない、「魔王」に続く深い思索が基本にあります。「自分にはなにが できるのか・・・」という問いと、目の前にあるものを救うしかないという思いが、事件を通して 一人一人を変えていきます。「砂漠に雪を降らせてやる」と叫ぶ、西嶋に打たれます。こんなに 真摯に自分に向き合い、他人の痛みを感じようとし、行動する彼らはカッコいいと思います。 いまの自分は、何を見つめて生きているのか。伊坂さんに問われた気がします。それとは別に、 ずっと家族麻雀をしてきたわたしには、麻雀をするくだりが楽しかったりします。

「魔王」

サラリーマンに過ぎない安藤はある日、他人に自分の言葉を話させる「力=腹話術」がある ことを知った。上司にいつも叱られる役回りの同僚が、反撃した。安藤の力によって。 おりしも、衆参同時選挙が行われていた。野党の犬養が、奇妙に人気を集めていった。安藤は そこに、うさん臭さを敏感に感じ取っていた。両親を交通事故で亡くしているので、面倒を見て いる弟の潤也と恋人の詩織ちゃんと、3人で遊園地に行った。アトラクションの絨毯で、安藤は 危うく死を免れた。命を狙われる、恐怖をおぼえていた。

犬養の演説に、聴衆は熱狂していく。安藤が人混みの中で力を使おうとした時、いつも見かける バーのマスターと目が合った。

さりげない日常を送るわたしたちが、遠いことに思える政治の力と対峙するとき、一人の人間に 何ができるのでしょうか。伊坂さんは、とても「今」という時代をうまく小説にできる作家だと、 改めて思いました。そくそくとして伝わる不気味さと、未来への何かが、しっかりと伝わって きました。

「死神の精度」

私は、指示された人物を1週間観察し、死の判定「可」あるいは「見送り」を下す死神だ。 それが仕事であり、仕事の時はいつも雨が降る。時間つぶしにCDショップで音楽の視聴するのが、 心安らぐときだった。大手電機メーカーで苦情受付をしている藤木一恵は、『死にそうな くらい』疲れていた。ストーカーまがいの誘いもあった。だがそれは、一恵の声に魅力を感じた 天才プロデューサーだった。「可」にすべきかどうか。

不思議な雰囲気の、6編のストーリーです。最後に収斂されるけれど、その過程の微妙な 死神の性格や、人間観察をじっくり味わいたい作品です。ずっと一緒に雨の空の下にいるような、 永遠に死を見届けていくやりきれなさ(本人は意識していないらしい)に、どっぷりとひたって いました。けれど、底に流れるにやりと苦笑せずにいられない、おもしろさがあります。

「グラスホッパー」

鈴木は健康食品販売の『令嬢』という怪しげな会社に入り込み、ボス・寺原の長男にひき逃げ されて亡くなった妻の復讐の機会を狙っていた。だが上司の比与子に見透かされていて、忠誠の 明かしに、拉致した男女の殺害を命じられる。鈴木と比与子は、偶然にも寺原長男が押し屋に よって、突き飛ばされひき逃げされるのを目撃する。

鯨は、相手を確実に自殺させる力を持っていた。秘書が自殺することにより、政治家の事件への 世論をかわすために、依頼は後を絶たなかった。自殺させた直後にホテルの窓から、鯨もまた 寺原長男のひき逃げを目撃した。

蝉は依頼された人間を、なんのためらいもなくナイフで殺害し、岩西から報酬を得ている。ふと 岩西に操られるだけの人形なのかという思いが、心の中に巣食いはじめる。

伊坂さんが、仙台から東京に舞台を移した初作品です。特異なキャラが際立ちます。自ら手を 下さずに自殺させる殺人者というのは、存在感があります。押し屋と思われる男を追うことに なった鈴木が出合う、男のファミリーとの奇妙な交流などもあります。
殺戮者の心の中が描かれているのに、ペーソス、ドジさ加減の苦笑、殺人を命ずる人間もどこか 抜けていて、極悪人にはなっていません。そのあたりが、後味が悪くならない味付けなので しょうか。

これからの伊坂さんがどうのような方向性を持っていくのか、分岐点を見せた作品です。 ただ、帯のキャッチが、ちょっとあざと過ぎやしないですか?角川さん。

「チルドレン」

閉店間際に滑り込んだ鴨居と陣内が、銀行員と話している時、閉じかけたシャッターを くぐって、銃を持った強盗二人が飛び込んできた。背広姿の強盗は、客の4人と行員全員を ロープで縛り面をつけさせ、現金を要求した。減らず口をたたいた陣内に、強盗は発砲して 警告をした。建物をパトカーが包囲する音が聞こえた。

客の中に盲目の長瀬がいて、3人でトイレに入ると「銀行員はみんな仲間なんじゃないか」と、 とんでもない推理をした。

やがて家裁調査官になった陣内と、同僚の武藤との絡みも、思わずにやりとさせられます。 そして優子と長瀬が居合わせた「止まった世界」を、見せてくれる構成がいいですね。また、 ところどころに登場する少年たちの、描き方が好きです。決して言葉通りではない、しっかり した存在です。

伊坂さんの軽やかな世界が、あいかわらずおもしろいです。かすかにほの見える哀しみが、 とても人間くさいのに、しつこさはなく好感が持てます。

「ラッシュライフ」

絵描きの端くれの志奈子は貸し切りのグリーン車で、自信に満ちた態度を取る スポンサー・戸田の「金で買えない物はない」という言葉に、うちひしがれな がらも断れずにいる。

泥棒を生業にしている黒澤は、アーケードで「好きな日本語を教えてください」 という留学生のスケッチブックに『夜』と書いた。

未来が見える『神様』と呼ばれる高橋を、「解体」しようと塚本は河原崎に持ち かけてきた。
あるいは、浮気相手の女から妻を殺そうと持ちかけられる男など、どこか社会から スルーしかけた男女。いくつかの群像とパーツが、立体ジグソーパズルのように 登場してきます。

お金。神様。ドア。赤いキャップ。エッシャーの絵。犬。拳銃。たくさんの言葉 のピースが、さらにシャッフルに輪をかけていきます。そしていつのまにか、パーツ の一部がほかのパーツと繋がっていき、急速回転して終幕を見せてくれます。でも、 そこからまた次のシャッフルの予感が・・・。

伊坂さんの世界の、様々な要素が芽生えた時期の作品のようです。作家の可能性を たくさん秘めた、という感じがします。おもしろいですね、伊坂さん。

「陽気なギャングが地球をまわす」

市役所勤務の、嘘を見抜く力のある成瀬。嘘ばっかりつく喫茶店のマスター・響野。 その妻・祥子。フリーターで、スリの特技を持つ久遠。シングルマザーの雪子は、精 巧な体内時計を持っている。このメンバーで、銀行強盗の計画を相談し襲撃するのだ。 すでに数回実行し、成功していた。

現金を詰め込む間に、演説をするのが響野の流儀だった。今回の主題は「記憶につい て」だった。するりと銀行から出た彼らは、雪子の運転する車で走り去る。だが、 RV車にぶつかりそうになり、中から男たちが現れた。最近出没している現金輸送車 強盗だった。4,000万円が、手からするりと抜けていった。もみ合った時、久遠が スッていた犯人の免許証から、成瀬たちは追跡を始める。

伊坂さんの世界を、すっかり楽しむようになりました。伏線があまりにも見えて、予測 がついてしまう甘さがあるのですが、それでもおもしろいのです。人物描写が的確だか らとか、発想がおもしろいとか、様々な要素があると思います。特筆すべきは、人と 人との距離感、あるいはその周囲の空気までもが心地よいということになるでしょうか。

「陽気なギャングの日常と襲撃」

マンションの屋上で、ナイフで男を脅す若い犯人を、警察と野次馬が見守っている。同時刻、 隣りのマンションで押し込み強盗が発生していた。市役所勤務の成瀬は、関わることになる。
成瀬、響野、久遠、雪子の4人に日常の時間が流れる。ある日4人は銀行に押し入り、まんまと 四千万円を、せしめる。だが、その時店の客の中に誘拐犯がいたことを知った。誘拐されたのは、 ドラッグ会社の娘だった。

それぞれの日常のさりげない経過の中に、組み込まれた伏線が、途中から急展開していきます。 最近、海外ミステリーが続いた頭は、リハビリが必要かも知れません。出だしはまどろっこしさを、 感じたものの、最後まで引っ張っていくのは、さすが伊坂さんです。人間くささのあるキャラが、 おもしろいです。

「重力ピエロ」

泉水(イズミ)の勤務する遺伝子研究会社が、放火される。その少し前、弟の春(春) から電話を受けていた通りに。春は魅力的な外見をして、街の落書きを消すことを仕 事としながら、自分のアートを描く。仕事の情報網から得たのは、連続放火事件の現 場近くにアートがあるというものだった。

落書きされたいくつかの文字をつなぐと、犯人にたどり着けるのか。癌で入院してい る父も、パズルを解くように乗り気になった。

春は、いまはもう亡くなった母がレイプされて、生まれていた。父は「春は俺の息子だ。 俺たちは最強の家族だ」と、よく言う。春は「俺はピカッソの生まれ変わりだ」と。泉 水は、春と放火犯を待ち伏せしていながら、疑いを消し去ることができずにいた。犯人 は春ではないかと。

今回も、伊坂さんの特有の比喩や引用が巧みに織り込まれ、それは少し違うと異議申 し立てをする前に、ストーリーは進んでいきます。家族4人の室内楽を聴いているよ うで、それぞれの過去の物語が語られます。
『シンプル・イズ・ザ・ベスト』と、簡略にすることで見えてくる真実もある。伊坂 さんはそれを逆手に取り、本心を見せないことに配慮しているかのようだ。現実の生 々しさから、距離を持たせてくれます。

入念に選びとった言葉で書き込むことができる、貴重な作家でしょう。ただ、これ以上 は、言葉にこだわらずに進んでほしいと思います。村上春樹さんが陥ったスパイラル ホールの、2人目にはならずに活躍してほしいので。余計な心配に過ぎなければいいの ですが。

「オーデュボンの祈り」

コンビニ強盗で連行される途中、パトカーから逃げ出した伊藤は、気が着くと 『萩島』で目を覚ました。そこは江戸時代から外界と隔絶された島だった。

島を案内してくれた日比野は、伊藤をユーゴの前に連れていった。優午はカカシ だった。長袖の真っ白なTシャツを着ていた。驚いたことに、優午は話をすること ができ、未来が見えるのだという。しかし、伊藤はそれを受け入れることにした。 いま現在この島に立っている感覚が、リアリティであるならば従うべきではない かと。

伊藤を島まで連れて来た轟。記憶の中のかつての恋人・静香。嘘しかいわない画 家・園山。島の法律として、殺人を許される男・桜。市場に座ったままの太った 女性・ウサギ。

日比野が聞いた。「この島に欠けているものは何だ?」時計やTVまであらゆる ものがありそうに、伊藤には見えた。翌日、未来が見えるはずの優午が殺された。

現実とファンタジイの、絶妙なバランス感覚がおもしろい作家です。絶滅した リョコウバトの話が印象的です。いやそう言うなら、優午の存在そのものが強烈 です。「狂気と受容」の世界。次を期待させる作家との出会いです。

「アヒルと鴨のコインロッカー」

大学の新学期に合わせ、アパートに引っ越しして来た椎名は、尻尾の曲がった黒猫 の訪問を受けた。次に会ったのは隣室の河崎だった。河崎の部屋でワインを飲むう ち、ふいに『本屋襲撃』を持ちかけられる。獲物は「広辞苑」。外国人の友人に プレゼントしたいからと。

ペットショップに勤めるわたし・琴美は、ブータン人・ドルジが話し相手だった。 近頃、ペット殺し事件が立て続けに起きていたので、店長の麗子さんも、店から いなくなったクロシバを心配していた。

ふわりとすべてを受け入れて生きる椎名を始め、一人一人のキャラが際立ち印象的 です。それぞれのキャラのストーリー展開も深く、引きつけられます。ある時、椎 名と2年前の琴美の物語が、ふいにねじれて交叉します。時間軸がいきなりミック スされた感じが、しました。

そこからのストーリーが、おもしろいです。伊坂さんの作品の通低音として流れる 空気は、好きだった村上春樹の、初期の雰囲気を思い起こさせます。おもしろい作 家との出会いです。

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